届かないし、失うもの

震える小さな身体。
溢れる嗚咽を隠すように噛み締める唇。
誰かを思って流れる、綺麗な涙。

彼女なら僕の為に泣いてくれるんじゃないか。
誰かを思って流す涙ってあんなに綺麗で特別なのか。
いいな。欲しいな。
あの瞳に僕だけを写して欲しいな。

邪な感情のまま、普段の僕なら有り得ない行動を取った。母さんから持たされた薄黄色のハンカチを持って、

「そんなに噛み締めたら、唇が血だらけになるよ」
「………え……」
「これ、使って。……僕は月島蛍」
「へ、あ…ありがとう……。私は、」

この出会いから、ドラマの様な展開が始まるんじゃないかって馬鹿みたいに想像した。

だけど、名前を聞いて、彼女はもう捕まっていることを悟った。

【コート上の王様】。その噂を知れば、同時に知ることになる【王様に囚われたお姫様】の話。僕もその話は勿論知っていた。だけど、お姫様の容姿とかは知らなかった。ただ想像として、王様は天才セッター様だから、そんなセッター様が捕まえているお姫様もバレー選手だろうと思っていた。
だけど、現実は違った。
車椅子に座り、骨と皮しかないような身体。
柔らかそうな長い髪。
零れ落ちそうな大きな瞳。
ボールに触ったら、簡単に折れてしまいそうな細い指。
万人が可愛い、綺麗と賞賛しそうな程整った美少女。
王様も意外とただの男らしい。バレー馬鹿かと思ったら、普通に可愛い女の子を自分のものにしようと囲っているだけなんだ。

彼女も大変だろうな。可哀想で仕方ない。
あんな横暴で自分勝手で独裁政権を築き上げる男に捕まってさ。きっと彼女も普段からあの王様に虐げらているに違いない。彼奴が誰かに優しくするなんて想像つかないから。

「あらら、王様下げられちゃった。ま、あんな自己中なトス上げれてもね。僕なら我慢できないや」

王様を馬鹿にするような言葉を投げかける。王様はベンチにいて、此処には僕と彼女と野次馬しかない。彼女が同意しても王様を貶しても、彼の耳には届かない。ほら、言いなよ。本当の気持ち。僕なら分かってあげられるからさ。
だけど、

「ごめんなさい、ごめんなさい、ひーくん」

彼女は決壊したダムのようにボロボロと泣き出した。なんで謝る、君は悪いことしてないでしょ。全部王様の自業自得だろ。なんで。

「何で君が謝るの」
「…………唯、本当に本気でバレーボールを愛してるだけ。熱意が高すぎるだけ。それだけで、周りの人を置いて走って行っちゃうの。振り向いたら誰も居ないって知らないまま……」
「………」
「ずっと一緒にいるって約束したの。だけど、私はこんな感じだから………。だから」
「……君、王様のこと好きすぎじゃない?」
「うん。だって、ひーくんは私の」

綺麗な涙。真っ白な心。僕の宝物にならない女の子。
ああ、ほんと。



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「イライラする」
「ツッキー……」

練習中に聞いた、練習初日に問題を起こして体育館出禁になった1年生2人の話。1人は知らない名前だったけど、もう1人は忘れたくても忘れない名前だった。
北川第一の影山飛雄。【コート上の王様】。僕の宝物になりそうだった女の子を泣かせた人物。

元々熱い奴は嫌いだった。
たかが部活。3年間しかやらないもの。どんなに頑張っても将来に繋がるかは不確かなもの。そんなあやふやなものに、あんなに熱くなれるのか分からないから。好きだから走って、何になる。周りを置いていって、嫌われてどうするんだ。負けたらそれでお終いだと言うのに。

分からない。気持ち悪い。ウザイ。
あぁ゛、ムカつく。王様もあのチビも。
ただの部活に何であんなに熱くなれる。
突っ走って、振り向いたら誰も居ないくせに。
また、彼女を謝らせて泣かすんだ。
1人にさせてごめんなさいって。身体が丈夫じゃなくてごめんなさいって。

僕が恋い焦がれても手に入らない宝物を、
彼奴は簡単に泣かせるんだ。

チッ!!と闇夜に響く舌打ちと共に地面を蹴りつける。後ろを歩く山口が小さく悲鳴をあげて、それにすら煩いと思ってしまう。煩いと口を開こうとした、その時だった。

「ひっ!?……って、あれ。月島……くん?」
「は?………嘘、沙智?」
「え、え!?知り合い、ツッキー!?」
「前、試合の観戦で会った」

前から歩いてきた女の子。あの時より数センチほど伸びた髪を風に遊ばせ、少しだけふっくらと柔らかそうになっていた。沙智だ、何でここに。いや違う、あの時は死にかけのように青白く、体力無さすぎて歩くのも大変って言っていたあの沙智が、立って歩いている。

「沙智、歩けるようになったの?」
「ふふっ、元々歩けるよ。唯、あの時は手術とか色々合って、殆ど寝たきりだったから、筋肉落ちちゃって……」
「あぁ。確かに骨と皮って感じだったよね、君」
「えへへ。沢山色々食べて、リハビリ頑張ったんだー」
「へぇ」

頑張りすぎだと思うけど。半年でこんなに劇的に変わるなんて。多分、まあ、全部王様のためなんでしょうけど。あー、ムカつく。

「あ、月島くん。其方の方はお友達?」
「此奴は山口。小学校からの同級生」
「小学校から!仲良しさんなんだね」
「違う」
「え、酷いよツッキー!!。…あ、えっと、俺は山口忠」
「白崎沙智です。よろしくお願いします」
「あ、いえいえ、こちらこそ…!」

ペコペコお辞儀をし合う2人を横目に考える。
王様が此処にいる時点で、彼女も居る事は想像着いたのに。王様に会いに行く前に、先に沙智に会いに行けば良かった。そしたらまだあの2人を見ても、ここまでイラつかなかった気がする。

「…く……つき……月島くん!」
「っ!。な、何。煩いんだけど…」
「ご、ごめんなさい」
「そんなに落ち込まないで欲しいんだけど。それで、なんの用?」
「えっと、ツッキーって月島くんの渾名なのかなって」
「違う。山口が勝手に言ってるだけ」
「小学校の頃からのツッキーの渾名だよ!」
「おい、山口」

山口を窘めるが、何処吹く風の様で僕の小学校のエピソードを勝手に沙智に話し始めた。本当、何で此奴は僕のことなのに自慢げに話すんだろうか。
沙智も沙智で、山口の話を興味深そうに聞き、表情をコロコロ変えながら楽しそうに聞いてる。本当、なんなんだコイツらは。

「山口くんは月島くんのこと大好きなんだね」
「うん!ツッキーは俺のヒーローだからね!」
「ヒーロー!凄い!」
「ちょっと辞めてくれる?恥ずかしいんだけど」
「えぇー、ここからがいい所なのに、ツッキー」
「むー、もっとお話聞きたかったなぁ、ツッキー」
「うるさ………え、沙智、今」
「ん?ツッキー、どうしたの?」

こてんと首をかしげ、山口の真似をするように、名前を呼ばれた。ただそれだけで、心臓の鼓動が早くなった気がする。クソ、不意打ちに驚いただけだ。別に嬉しいとか思ってない。それに、そんな呼び方より

「名前にして………………………あ」

ばっと口を手で塞ぐが、零れた言葉は取り消せない。僕は今なんと言った!?。驚きすぎて、心の声が漏れたのか。いや、それにしても馬鹿すぎて、恥ずかしくて、穴があったら、

「蛍くんってこと?」
「……………………………ソウダネ」
「分かった、蛍くん!」

にぱっと効果音が付くように笑う。泣き顔は見たことあったし、何度も思い出して忘れないようにしてたけど、笑顔は初めて見た気がする。此奴、こんな風に笑うんだ。あぁ、心臓痛い。

「じゃあ、山口くんも忠くんって呼んでもいい?」
「え、俺も!?」
「だって、山口くんだけ名前呼びは一線を引いてるみたいでしょ?」
「あー、うー、ん、確かに………?」
「だから、忠くん!。私のことも沙智って呼んでいいからね。コレでお友達!」
「うえー……白さ、沙智さんと友達……クラスのヤツらに妬まれそう……」

頭を抱える山口と友達が出来たことに嬉しそうにしている沙智。彼女がここに居る。例え名前で呼ばれても友達になっても、彼女の心は彼に捕まっている。

「ねぇ、沙智」
「ん?。どうしたの、蛍くん」
「王様ならあっちにいるよ」
「!。ありがとう!。ひーくんのお迎えに行くの忘れた……!。蛍くん、忠くん、またあしたね!」

アイツらが練習していた方へ指を差せば、彼女は挨拶もそこそこに早歩きで去っていった。本当、彼女も愛してるものに突っ走って、周りを置いていっている事に気づいていない。似たもの同士。お似合いだねなんて死んでも言ってやらないけど。

「沙智さん?ちゃん?、いい子そう…」
「ちゃんでいいんじゃない、子どもっぽいし」
「それは確かに。……ねぇ、ツッキー。沙智ちゃんが言ってたひーくんって誰のこと?日向?」
「王様」
「え゛!?!?似合わなっ!!!」
「飛ぶを音読みすると"ひ"だから、ひーくんなんだってさ。ほんと、子どもっぽいし、センスゼロ」
「確かに可愛い呼び方だけど、相手があの影山なんだよね………」
「…………」

可愛いあだ名で呼ばれ、愛を伝えられ、其奴の為に涙を流す。だけど、王様は自分勝手で横暴で独裁者だから、彼女を悲しませるのだ。あーあ、本当に

「嫌いだよ、王様」




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