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脳みそに鮮やかなジェラートを

「ごめんなさい、ごめんなさい、」

壊れたレコードの様に同じ言葉を繰り返す花撫に降谷の手は迷っていた。触れていいのか、触れてはいけないのか。床に零れる涙を拭ってやりたい。貴女は謝るようなことを自分にしていないこと、寧ろ感謝されるべきことをやっている事を伝えて、慰めてやりたい。
だが、弾かれたことでどうすべきか迷っていた。
警官として1人の大人として、何をすべきか。口内に溜まった唾液を飲み込み、意を決して降谷は手を伸ばした。

「泣かないでください」

腫れている頬に触れないように涙を掬う。
降谷の声掛けでレコードの再生は止まった様に、花撫の口から謝罪から嗚咽に切り替わった。

(薄水色…空みたいな瞳だな)

初めて目があった。
降谷の容姿も日本人の中ではかなり目立つ容姿だが、花撫の容姿は一際目立つ。1度見たら忘れられない色合いに、

(綺麗…だな。所謂美少女ってやつか)

花撫の容姿はかなり整っていた。
真っ白な髪と傷跡が目立つが白い肌。華奢な体。薄水色の大きなタレ目、小さく主張する小鼻に、さくらんぼの様な潤った唇。
自身の幼少期のように周りとは違う容姿の色合いの差別意識からのいじめも考えられるが、整い過ぎた容姿に嫉妬し、更に過熱されいるのであろうと簡単に推理出来るほど、誰もが振り向く容姿をしていた。

「急に触ろうとした僕の方が悪いので、貴女は謝る必要がありません。…すみません、僕が触ろうとしてせいでびっくりさせてしまいましたね」
「あ、う…」
「はい?」

成る可く怖がらせないようにと、降谷は彼女と目線が合うようにしゃがみ、人に好かれやすい笑みを浮かべながら花撫の言葉を待つ。
花撫は口を開閉を繰り返し、ゴクリと音を鳴らしながら唾を飲み込む。

「ふる、降谷、さんはあや、謝らないでくださ、い」
「いいえ。貴女を怖がらせた僕が悪い。すみません」
「違い、ます。わた、わたしが」
「貴女は悪くない、僕が「私が!」………ふっ」
「え」

一際大きな声を出しながら、降谷の謝罪を受け取らない花撫。負け時と謝罪を繰り返す自分に、降谷は思わず笑ってしまった。終わらない応酬だ、これを続けていたらゲシュタルト崩壊しそうだ。
花撫は突然笑いだした降谷を不思議に思い、首を傾げた。だが、笑っているということは怒っていないという事だろうと考え、力が入っていた肩から力を抜く。そして、いつの間にか流れていたはずの涙は止まっていた。くくくっと声を殺しながらも笑い俯く降谷に花撫はどうしていいか分からず、オロオロと両手を右往左往してしまう。
その慌てっぷりに再びツボにハマりそうだったが、自身の立場を思い出して我慢する。ゴホンと空気を切り替える様に咳払いをした。

「突然笑いだしてしまってすみません、フフ」
「い、いえ!」

怒られるより笑われる方が楽な花撫にとっては、今のこの状況は幾分か息がしやすかった。さっき迄は怖いという感情で占めていた頭がクリアになり、笑って貰えたことにより『降谷は怖い人ではない…??』と考え始めるくらいには力が抜けていた。降谷自身も花撫が最初よりも怯えていないのを見て、『少しは気を許してくれたのか…?』と思い始めた。初めての対面は最悪であったが、最終的には偶然にも良い感じに纏まったのだ。

「えっと、もう知られていますけど自己紹介をさせてください。僕は降谷零といいます。警察官です」
「…赤西花撫です……」
「花撫さんと呼んでも?」

ぱちりと花撫は瞬きをした。
名前で呼んでくれるの?。
何年振りだろう。お母さんが死んでしまってから、名前で呼ばれたこと無かったかもしれない。呼ばれても赤西さんとか。殆どお前とかゴミとか屑とか。
この人は私の汚くて最低な部分を知らないから、こんなにも優しくしてくれるのかもしれない。この優しさに甘えていいのかな。名前で呼ばれたかった。砂糖菓子みたいな優しくて甘い声で私の名前を。でも、バレたら殴られちゃうかもしれない。良くも汚いことをさせたなって。どうしよう。
そう思うと何と返事を返せばいいのか分からなかった。呼ばれたかった、でもその後が怖いのだ。

返答に困り、俯く花撫に降谷は大丈夫ですか?花撫さんと先程と同じ声で呼び掛ける。
花撫は弾かれたように大丈夫と答え、名前で呼ぶ事を許諾した。この先降谷に何をされても、この甘さを欲しくなったのだ。
降谷は花撫の心中を察することは出来ず、ただ彼女が己を許してくれた事に一安心していた。
彼女が何を抱えているのか、俺には分からない。だが、彼女の一部に触れる事を許してくれたのだ。少しは警戒心が解かれたんじゃないか。些か警戒心を解くのは早い気がしなくもないが、僕が警察官って知っているから、仕方ないのかもしれないが。

「そうだ。夕飯を作らせて貰ったんです!。お風呂も沸かしてありますが、ご飯とお風呂どっちにしますか?」
「え………?」
「あ、すみません。勝手にキッチンとお風呂を使ってしまって……」

降谷は助けてくれた礼も兼ねて食事や風呂を準備したが、何よりこの家を勝手に捜索してしまった罪悪感から用意したのであった。公安警察で潜入捜査中の身のため、盗聴器やカメラ等知らない場所に来たら探すのは仕方ない行動ではあるが、全ての部屋を捜索したが何も出てこない。ここまで来てやっと自分を助けてくれた人は普通の、僕たちが守るべき人間だと気づき、力を抜いたのだった。
その際にこの彼女の部屋も漁ったのだが、現役女子高生の部屋を漁ると言うのは些か良心にクる物があり、謝罪を込めて夕飯とお風呂を用意したのだ。
だが、

(彼女のものは全て自分の部屋に片付いていて、彼女の父親のものが服数着くらいしかないのは気になるな)

と、怪しい所はあった。手紙に書かれていたが、父親は服の数から月に1、2回帰ってきているのか。まだ親の保護が必要な女子高生をここまで放置していいものなのだろうか。これはネグレクトなのでは。
だが、彼女から信用は得ても信頼を築き上げられてはいないと思う。そんな奴から踏み込んだことを言っても、本当のことを言ってはくれないだろう。
管轄外ではあるが、此処を去っても調べてみるか。

「一緒に、食べてもいいんです、か?」
「えぇ、一緒に食べましょう。……あ、花撫さんは僕と一緒に食べるのが嫌じゃなければ」

瞳に薄い水の膜を張りながら聞いてくる花撫に、降谷は心を擽られながらそう答えた。花撫は降谷の返答に首が取れるくらい横に振り、一緒に食べますと言う。その小動物の様な態度に心を捕まれ、変な声が出かけが我慢した。俺は偉い、頑張った。
じゃあ、準備しますねと言ったが、花撫は先に風呂に入るらしい。汚れを落としたいようだ。

「なら、お風呂に出たら手当しましょう」
「…………はい」

花撫は腫れている頬に手を添えて、口元を緩めた。
甘い砂糖菓子みたいな空間に、花撫は胸が締め付けられた。ずっとこの空間にいたいと。