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安全なラブソング

公園から帰ってきて早々、私たちは話し合いを始めた。降谷さん曰くあの日矢張り電話は繋がらなかったらしい。そして、金銭もそんなに持っていなく、カードが使えない今、ホテル生活は難しいとのこと。その為自分が元の世界に戻るまで、この家に居候させてはくれないかと。

「わた、私は泊めるのは大丈夫です。…でも、」

お父さんがきっと怒る。この前帰ってきたから、普通なら次帰ってくるのは1ヶ月は先になるはず。だけど、もし帰ってきたら、お父さんはきっと降谷さんを追い出すし、痛いことされる。キュッと唇を噛み締めるのが、私がここで断ったら降谷さんは悲しい気持ちになってしまう。それは嫌だった。折角私なんかに優しくしてくれた降谷さんに悲しい気持ちをさせたくなかったのだ。ならば、答えは1つだ。

「お約束を、1つしてもいいですか」
「いえ、1つと言わずに沢山決めましょう。僕がお願いしている身なので、貴女には主導権がありますから」
「しゅ、主導権………」

そんなもの要らないのに。でも、ここで要らないなんて言ったら話が進まなくなる気がしたので、こくりと飲み込んで我慢した。

「もし、お父さんが帰ってきたら、絶対に、私の部屋から出てこないでください」
「……それはどういう意味ですか。居候の身ですから、出来たらご挨拶をしたいのですが」
「お父さんに降谷さんのことがバレたら……追い出される。だから…隠れて欲しいの、です」

花撫が震えながらそう言った。
一人娘が住む家に見知らぬ男がいたら、普通の親ならば追い出すのは当たり前である。だが、彼女の生活環境を見るに、"追い出す"の意味が違うのは分かりきっていた。大事な娘を守るためにではなく、"己を守るために"、降谷を追い出すのだろうと。

それに降谷は一応警察官だ。この世界ではこの警察手帳は偽物ではあるが、一般人がこれを見たら、警察官だと勘違いはするだろう。それはこの子の父親も同じ様に勘違いするはず。そうなるともし父親に俺の存在がバレたらどうなるか。簡単に予想が着く。

虐待を通報した、とでも思うだろうな。

そして、警察官を追い出した後どうするか。
なぜ呼んだと拳を振るか、バレたのならと一家心中でもするか。どっちになるかは彼女の父親の精神状態にもよるが、8割くらいの確率で前者になるだろう。
小さく震え、怯えて過ごしてきた少女をこれ以上傷付けたくはない。本来なら警察官として彼女を助けるのが役目であっても、存在が不安定な俺では助けたところで最後まで守り切れると確約することはできない。心苦しいが、彼女の願いを叶える方がある意味彼女を守るためになるのだった。

「分かりました。約束します」

そう言うとあからさまに彼女は力を抜いた。
だが、父親と会わないように1日中彼女の部屋に引きこもるのは流石に無理だ。現役女子高生の部屋に居続けるのは精神的にキツいし、何より何も進展しなくなる。

「昼間は花撫さんが登校したと同時に、外で何か手掛かりがないか散策してきます」
「お、お家に居て頂いても、」
「花撫さん」
「は、はい!」

警察官だと分かっていても彼女は、かなり警戒心がない気がする。虐待を受けているなら普通警戒心の塊で、俺みたいな男が近くにいるってだけで野良猫の様に威嚇する筈だが。
………いや、まあ、懐いてくれたのは嬉しいが、今後の為に警戒心を身に付けさせた方がいいだろう、うん。

「信頼してくれるのは嬉しいですが、警戒心を持ちましょう」
「…………?」
「見知らぬ人、特に男性を誰も居ない家に滞在させない。僕は警察官ですが、泥棒って可能性もあるんですよ?分かってますか?」
「………降谷、さんはいい人だから、」

じっと降谷の目を見ながらストレートに言う花撫に、ぐっと言葉が詰まる。大人になるとあまり褒められることないから、言葉が詰まっただけだと誰かに言い訳を心の中で言いながら、ニヤけそうになる口元を隠す。

「でも、だめです。其れに手掛かりも探さないと行けないので、外には出なきゃ行けないですから」
「それは、確かに…」
「えぇ。花撫さんは普段今日と同じくらいに帰ってこられますか?」
「はい、18時くらいには……」
「なら、僕も其れに合わせてここに戻ってきますね。マンションの前で出待ちしてたらコンシェルジュの方に怪しまれそうなので、今日行った公園のベンチにでも座って待ってます」

携帯電話があれば楽なのだが、俺のスマホは圏外だし、彼女はそもそも持っていない。そうなると古典的ではあるが、このやり方が1番なのだろう。

「後、寝る場所はそこのソファをお借りしてもいいですか?」
「え」
「ん?」

彼女の部屋で寝る訳にもいかないので、ソファを借りようとしたら、『なんでそんなこと聞くの?』とでも言うような声で驚く花撫がいた。
此方こそ何でそんなに驚くのか全く分からない。
まさか、一緒に寝るとかそんな馬鹿なこと言うわけないだろうし、…もしかして床で寝ろということか?。

「えっと、あ、床でも」
「ダメです!」
「は、はい」
「………お約束」

約束?。彼女との約束は一つだけだ。『父親が居る時は彼女の部屋で隠れること』。其れが寝床に関係あるのか?。

「お父さん、夜帰ってくること多いので、あの、」
「………成程」
「嫌、イヤかもしれないですけど、私の部屋、で寝てください」
「………そもそも花撫さんのお父さんは、貴女の部屋に来たりしないんですか?」
「来ません」

汚れているから来ない。そう言ったら降谷さんも嫌がると思って、理由は隠す。酷いことをしていると思う。でも、降谷さんをお父さんから守るためなのだから仕方ない。毎日掃除しているけど、明日からもっと綺麗にしないと。

「敷布団あるので、私はそっちを使うので降谷さんは私のベッドに」
「駄目です。男をベッドに明け渡してはいけません。それに女の子を敷布団で寝かせて、僕はベッドで寝るなんて、そんな不甲斐ない男にさせないでください」

不甲斐ない……。そんな事ないとベッドを譲るが、降谷さんも折れず、このやり取りを5回繰り返した所で私の方が先に折れた。分かりましたと言った時の降谷さんの顔は向日葵みたいにニッコリ笑っていて、何故か敗北感を味わった。悔しい。

この前何となく布団を干しておいてよかった。降谷さんを寝かせるのに黴臭かったら、心苦しくて死んでしまう。後で客間のクローゼットから持ってこないと。

「後は家事全般は僕に任せてください」
「いいんです、か?」
「はい。居候させて貰いますから。…ですが、お金が無いので」
「あ、買い物はやります。お父さんから、生活費は、貰ってますか、ら」
「お願いします。後で入らないで欲しい部屋とか有りましたら教えて下さい」
「わかりま、した」

次々と決まっていく2人の約束事。
沢山約束事を決める度に、降谷さんと一緒に住むんだと実感していく。誰かと一緒に住むってのも初めてだ。お母さんは小さい頃に亡くなって、お父さんは帰ってきても……。お父さんが居る時は怖くて、早く居なくなれとずっと願っているのに。降谷さんは怖くないし、居てくれるならずっと居て欲しいって願ってしまう。やっぱりお父さんと降谷さんは全然違う。
信頼感と安心感。彼は私を傷つけることは無いって。

そう言えば私は彼から信頼も安心も貰っているが、降谷さんにも同じ物を返せているのだろうか。
信頼はされていると思う。公安の警察官が人の家に泊まろうとしている時点で、それなりに信頼してくれていると思う。でも安心感は。
降谷さんは大変なのに私に気を使っている気がする。ご飯の準備もそう。ベンチに座るだけで何かあったら困るからと自分の視界に入るようにリードしてくれた。優しい、絵本に出てくるような王子様みたいなことをしてくれた。でも、公衆電話の中で見せたあの逆上は王子様の姿ではなかった。熱血な男らしい感じ。もし、それが本当の姿なら、今私に見せている降谷さんは演技ということだ。もしかして、安室透という人がこんな王子様なのかもしれない。
ちょっと、いや、悔しい。私にも見せて欲しい。
がめついかもしれない。でも、そう思ってしまった。ドロドロと醜いナニカが顔を出す。お父さんが言う汚い部分でコレのことなのかもしれない。だけど、止められない。私も降谷さんに安心して欲しい、本当の姿を見たい。

「とりあえず、これくらいにしましょう。今後また過ごしていく内に気になる事があったら話し合いましょうか」
「………あ、の!」
「はい?」
「あの、えっと、………優しく喋るの、辞めてください」
「優しく喋る???」

降谷は思わず首を傾げた。優しく喋るとは。怖がらせないように敬語を使う様にしているが、その事だろうか。

「です、とか、ますとか。あ、の普通にして欲しくて。……気を遣わないで欲しく、て」

普通となると降谷零として喋れということか。今は安室透の仮面を被り、ポアロで働いている時の口調で優男として接している。その仮面を取れと。

俺の世界なら、何処で誰が見ているか分からない手前、自分の居場所以外仮面を外すことは出来ない。だが、ここなら、ここの世界なら俺の事を知っている人はいない。組織の奴らも仲間も。それなら仮面を着け続ける意味は殆どないと言っていい。
しかも、彼女には正体もバレている。だが、

「僕は公安の人間です。一瞬の気の抜きが取り零すことになる」
「あ……ごめんなさい。そんな、つもりは無くて」
「分かってます。花撫さんは、僕にも安心して欲しかった。違いますか?」

図星である。恥ずかしい。穴があったら埋まりたい。
醜いナニカを纏う私を隠して欲しかった。
羞恥のあまり顔全体が熱い。ごめんなさいと顔を手で隠すが、指の隙間から降谷さんの顔が見えた。
怒ったり、幻滅しているかと思った。でも。

「外では…安室透と呼んでください」
「………………え」

彼女の想いを無下に出来なかった。公安として駄目だ、失格だろう。だけど、彼女の優しさも、勇気も、信頼も捨てることは出来ない。
これから風見にも強く出れないなと、慌てふためく彼女を見つめながら自虐を心中に零す。自虐してる癖に彼女を見ているとコレでいいんだよと絆されている自分が居て、完全に負けている。完全敗北。
何時からだとかそんなのは分からない。

怖い癖に勇気をだして救ってくれた。
震えて大粒の涙を零す、その姿。
小さな口で俺が作った飯を食べ、美味しいと言った。
俺を守る為に自分の出来る事を考えてくれた。
そして、

「この家は安全って知ってますから」
「………え、」
「フッ。これからよろしくな、花撫」

1輪の花が咲いた。
ああ、俺はこの花を守りたいのだ。