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「銃兎さん、起きてください。アラーム鳴ってますよ。うるさいんで止めますね」

妙に心地の良い声に“うるさい”よりも“もう少し寝かせてくれ”と思った。身体をやんわりと揺すられているが目を開けるのが面倒で仕方がない。仮眠室へ移動する気力もなく、椅子で妥協した覚えがある。

「うわっ、銃兎さんの眼鏡、度がきつい...ちょっと、いい加減起きてくださいよ。早く起きないと、悪戯しちゃいますよ。ゆうちゃん、サインペン持ってないー?」
「めめくらいだよね、そういうことできるの。私、共犯にはなりたくないから先に帰るね」
「えー?ちょっと銃兎さんのせいで置いてかれたんですけど」
「うるせぇな、耳元でぎゃーぎゃー騒ぎやがって」

目を開ければ、思った以上に椿が傍にいた。

「起きました?」
「あぁ」
「起こさない方が良かったですか?」
「...いや、助かりました。...ほら、私の眼鏡を返しなさい」
「銃兎さん、眼鏡なしで七三やめると雰囲気だいぶ変わるタイプですね。髪の毛、崩れてますよ。私の鏡貸してあげます」

元の場所に戻された眼鏡をかけて、彼女が差し出した鏡をのぞく。...こんな大きな鏡、職場のデスクに持ってきてんのか、と思わなくもないが、それを言うならまずウサギのぬいぐるみについて小言を言わなければならなくなる。

「いつもの方が威圧的で、いいですね」
「貴女には、威圧も何もありませんね」
「いりますか?素質はあると思いますよ」
「必要ありません」
「銃兎さんって自分が顔がいいの知ってるタイプですよね。絶対謙遜せずに、ありがとうございますって言うタイプです」
「それを貴女がいいますか?」
「女は化粧で、どうとでもなりますよ」
「薄化粧の貴女が言うと、敵が増えますよ」
「よく知ってますね。私が薄化粧だって」
「残業続きの時に気付きましたよ。あぁ、そういえば、あの時が1番、観音坂さんに似ていましたよ」
「じゃあ、今から独歩さんの真似します」

すっと笑顔をしまい、数回瞬きをして瞼を少し下ろして眉を不安そうに顰めた様子に、思わず指先がピクリと動いた。椿の、こんな不安そうな顔は初めて見た。「似てますか?」という問いかけに一瞬詰まった。似てなくはないが…。

「それ一発芸みたいにしないでくださいよ。それほど似ていませんから」
「そうですか?」

借りていた鏡を椿に返せば、百面相をし始めた。その中で、少し狂気じみた表情をちらりと見てしまったが、今のが結構似ていたなと心の中でつぶやいた。

「途中まで送りますよ」
「帰るんですか?てっきり仕事が残ってるのかと」
「運転するための体力を回復させていただけですよ。警察官が交通事故なんて不祥事を起こしたらまずいでしょう」
「銃兎さんがそれ言ったらだめですよ」
「今、何か言いましたか?」
「いえ、自宅の最寄り駅までお願いします」
「…いつも思いますが、自宅まで送るくらい別に手間でもなんでもありませんよ」
「銃兎さんを良しとしちゃうと、他の人を断りにくくなるじゃないですか」
「防犯上の理由、ですか?」
「はい、送り狼に気を付けろは兄の口癖です」
「なるほど、そういうことなら無理は言いません」
「駅から近いので、ご心配には及びませんよ。でも、どうしてタクシーで帰らなかったんですか?」
「呼ぶのすら手間に思うときがあるでしょう」
「銃兎さんも、そういうのあるんですね」
「人をなんだと思っているんですか」
「いえ、私と変わらないのが嬉しいだけですよ。自分より年上の人って無意識に、自分よりできる人って思っちゃうじゃないですか。自分もその歳になったら、できるようにならなきゃいけないのかと思ったりするので。人生が少し楽になりました」
「…本当、貴女の考え方は少し違いますね」
「褒めて…ますか?」
「褒めてますよ」
「では、喜んでおきます」
「ほら、さっさと帰りますよ」
「銃兎さん、脚長いんで遠慮してくださいよ!」
「そういうものは、部下にするものではないでしょう?」
「彼女にはするんですか?」
「えぇ、もちろん」
「彼女いるんですか?」
「いると思いますか?」
「いないと思います」
「そういう貴女は、どうなんですか?いなさそうに見えますが」
「成人してからはいませんね。それで、いるんですか?」
「いませんよ」
「仕事が忙しくて、相手との時間を作れないからって思ってそうです」
「……」
「あれ、図星ですか?私は、ドキドキする恋愛じゃなくて安心感をくれる年上の旦那さん候補を募集中です。銃兎さんの知り合いにいい人いませんか?」
「生憎、部下に知り合いを紹介する性分ではありませんので」
「そうですか。それは、残念です。あ、ボンネットに猫乗ってますよ!!」
「……」
「可愛いですよね。ウサギも好きですけど、猫も好きです」

椿が近づいても逃げなかった猫は、彼女が出した指に擦り寄って、そのままされるがままに撫でられていた。野生とはなんだろうか。先ほどまでの話をさらっと流して猫と戯れている椿を他所に後部座席に鞄を置いて運転席に乗り込んだ。エンジンをかけて短くクラクションを鳴らせば、名残惜しそうに猫を少し離れたところに放して椿が助手席に座った。牧場育ちなこともあって、動物が好きなのか機嫌良さそうににこにことしているのは、見ていて悪い気はしなかった。


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