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「今回はさすがに無理しすぎですよ。喉が駄目になっちゃったらどうするんですか」
「………」
「わかってますよ。ドクターストップで話せないことくらい」

色々聞きたいことがある、言いたいことがある。だが、絶対に話すなと医者に強く言われ、病室で大人しくしていることしかできない。椿の話を首で返事をしながら前に進める。

「私が、ずっとマイク持ってたの銃兎さん知らなかったんですか?」

今日も今日とて支給品の端末にはウサギのマスコットがぶら下がっている。前に邪魔じゃないのかと聞いたが、幸運のお守りは邪魔じゃないとかなんとか言っていたが、それがマイクだとは思いもしなかった。重さ的にも好んでつけたいものではないだろう。

「私のラップ、相手のやる気をなくさせる効果?があるみたいなんです。あと、持続効果も長いみたいで」
「………」
「上が、余計なことしたみたいでした。さらに上から成敗されましたよ。それから、許可のない単独行動をしてしまって、すみませんでした。でも無茶をしたつもりはありません、勝算はあったので動きました。そうだ、お絵かきボード持ってきたんですよ!銃兎さん、遊んだことあります?磁力を上手く使ってるやつなんですけど。紙とペンで筆談するより、すぐに消せるからいいかと思って」

ごそごそと紙袋の中から、幼児が使う様なお絵かきボードが出て来た。それがどういうものかは理解しているし、文字として残さずに済むという点でも優れものではあるが、それを持たされる自分としては非常に複雑な心境だ。別にホワイトボードでも良かっただろ。

「銃兎さん、今の感じだとお絵かきボード似合いますね。小さい子供のいるお父さんって感じがします。それから、りんご、さっきベタにウサギに切ったんですけど、看護士さんに、すり潰してくださいって言われたんですよね……食べますか?リンゴ農家直送のなんですけど。酸味の弱い品種ですが沁みますかね?」

“頂きます”と書くと「じゃあ、すり潰してきます」と荷物を置いて椅子から立ち上がった。…3日目に椿が来てくれて助かった。彼女が持ってきた紙袋の中には、必要ではないが欲しかったものが色々と入っている。本のセンスも悪くない。戻ってきた彼女にボードを見せると、「お気に召して良かったです」と怪我人に優しい声色が返って来た。彼女から受け取った摺り下ろしたりんごは、程よい甘みと水分を含んでいて沁みることなく喉を通り過ぎていった。

「一応、彼にも伝えましたけど良かったですか?電話が結構かかってきたので勝手に出ちゃいましたよ。開幕、怒鳴られましたけど、私だとわかったら謝ってくれました。銃兎さんのことも心配してましたよ、笑ってましたけど。あと、そっちには行けないから銃兎のこと頼むわって言われました。ということで携帯はお返しします。預かったままですみませんでした。それから仕事のことは心配しなくていいですからね、今は後片付けばかりですから人手はなくてもなんとかなります。後、何かありましたっけ」
“怪我していませんか?”
「私ですか?してませんよ。ダメージもありませんし、元気なもんです。他のみんなの話も聞いてますよね」

それを聞いて安心した。昨日、一昨日と見舞いに来た部下から報告は受けていたが本人から聞くのとはわけが違う。食べ終わったりんごの器をテーブルに置いて“美味しかったです”と伝えると満足そうに笑い、ふと息を付いた。

「銃兎さん、あんまり無茶しないでくださいね。もう血を吐いてるところなんて見たくないです」
「……」
「もちろん、そうしないといけない状況だったのはわかってます。私も、もう少し早く加勢出来ていたら結果は違っていたかもしれないって思ってます。でも、正直、隣であんなに吐血されたら死んじゃうかもしれないって、ちょっと思いました」
“少しノドの血管が切れただけですよ”
「そんなの見たってわかりませんよ。私、医者じゃないです。それに少しじゃないですよ、明後日退院予定でも、入院は入院です。検査も含めてですけど」
「……」
「普段あんなに悪いことしてるのに、どうして銃兎さんってそういう人なんですか…ちょっと今の笑うところじゃないですよ。私、怒ってるんですけど?」

自分がやってきたあれこれをどの程度、椿が知っているのかは知らないが“あんなに悪いこと”と言われると随分かわいいものに聞こえるものだなと思う。
現場で最後の言葉を言い放った後、吐血した自分の背をさすりながら救急車の追加手配、各所への連絡を行う彼女の手が小さく震えていたことを思い出す。手間を掛けさせたことも、心配をかけたことも、おそらく服を血で汚してしまったことも申し訳ないと思う。それでも、こんなに取り乱している椿を初めて見た。と、息を整えながら呑気に思っていたことを思い出した。今も眉間に皺を寄せて普段見せないような顔で、自分を怒っている椿がいる。それをどこか嬉しく思う自分がいるのは、おかしいのだろうか。

「なんでそんなに普段しないような穏やかな顔してるんですか」
“失礼ですね”
「失礼なのは銃兎さんですよ。私、怒ってるって言いましたよ」
「……」
「本当、ほどほどにしてくださいね」
“ありがとうございます”

肩をすとんと落としながら、少し不満そうに視線だけを自分によこしてきた。本当にわかってんのかとでも言いたげだ。それを見て、また笑っていると今度は不思議そうにじっとこっちを見て来る。そして諦めたように、普段話さないような、どうでもいい話をし始めた。

公用車を徹底的に洗車してもらっただとか、ウサギりんごを切っていた時に小さな女の子に欲しいと言われて付き添っていた看護士に許可を貰って子供に渡したら喜んでくれただとか、実家の牧場で子牛が生まれただとか・・・。日当たりが良くてぽかぽかと温かい病室で彼女の声が心地よく耳に届く。

「今日の銃兎さんは、毒があまりにないですね。こっちが素ですか?」
“さぁどうでしょうか?”

「その顔は、いつもの顔ですね」と笑う彼女はいつも通りだ。

「…こんな風に毎日が穏やかに過ごせたらいいですね」
「………」
「さて、私はそろそろ行きますね。ヨコハマの治安向上と平和のために私は仕事に戻ります。強制的に仕事から離れられるなんて、滅多にないので銃兎さんは、しっかり休んでくださいね」

鞄を肩にかけて、手を振って病室を出て行く彼女に自分も同じように手を振った。








点滴の様子を見に来た男性看護士が「先ほどの女性は、ご家族の方ですか?」とぎこちなく尋ねて来たので、“なぜ?”とボードに書けば、正直に女性スタッフに聞いて来いと言われたと自白した。潔くて大変よろしい。

“部下です”
「そうだったんですね、プライベートなことを聞いてしまってすみません。女性の圧に耐えかねまして。先ほどの方が恋人だったら、自分たちに勝ち目はないとかなんとか言ってましたよ。」
“いいですよ。では、恋人ということで”
「ははっ、わかりました。とても素敵な方ですね、待合室で泣いていた子供に声をかけたり、急に話しかけられた年配の方と話をしていたりして、しばらく待合室から出られずにいましたよ」

テキパキと仕事を片づけて出て行く看護士を見送り、椿の置いて行った小説を手に取る。ペラペラと捲ると3分の2を過ぎたあたりにウサギの栞が挟まっていることに気付いた。これが彼女の私物だとすれば、随分と難しい本も読むのだなと、彼女への認識を改める。出会ってからこれまでに、もう何度も繰り返してきたが、まだまだ自分は椿を侮っているらしい。

…家族だと、言えたら良かったのにと少なからず思ってしまった自分を受け入れながら、挟まっていた栞を抜き取ってテーブルに置き、プロローグの文字を追うことにした。


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