03

外回りからの帰りの車内でスマートフォンを弄る椿が、何かを思い出したのか「あ」と声を上げた。

「そういえば入間さんって、私がデスクにウサギのぬいぐるみを置いても1度も何も言いませんでしたね」
「正直、ふざけているのかと思いましたけど、誰に害があるわけでもないので言わなかっただけですよ」
「そういう上司は初めてなので変な感じがしてたんですよ。毎回、仕事舐めてるのかー、捨てて来い、持って帰れ、だからお前はって言われるんですよね」
「それが一般的でしょうね。あぁ、聞きそびれていましたが、置くのに理由はあるんですか?」
「ウサギは、私の幸運のお守りで精神安定剤みたいなものなんです。理由を聞いてきた上司も入間さんが初めてですね。ここに来て良かったと思います」
「それに付けているウサギのマスコットは邪魔じゃないんですか?」
「お守りは邪魔にはなりませんよ」

椿が来たばかりのころは、面倒ごとを上から押し付けられたのだと思っていたし、噂に聞いていた彼女のことを良くは思っていなかった。だが、前言撤回。“できる部下が欲しい”と上に冗談ぽく言ってしまったが、上は忠実に“できる”人間を寄越してきた。噂は単に彼女の歴代の上司が“できない”人間だった結果生まれたもので、いい年をした人間の小言が署内に広まっていたらしい。

「貴女が来たばかりの頃は、貴女が仕事のできる人間で驚きましたよ」
「お褒めに預かり光栄です」
「このご時世、もう少し言動に気を遣えば上を目指せると思いますが」
「・・・中王区は、あんまり興味なくて。それに、きゃっきゃうふふな人達とは、あまり仲良くできないんですよね。田舎育ちには都会は厳しくて」
「なるほど貴女のマイペースさは、そこから来ているんですね」
「都会は時間の流れが速いんです。それに言うほどマイペースじゃないですよ」

助手席に座っている彼女が、ぐぐっと腕を前に伸ばした。可愛らしい印象を受ける容姿にウサギのマスコットを付けた端末を片手に持ち、どこかマイペースに話す様子は、すっと肩の力が抜けるような不思議な気分になる。

「入間さんも心身が疲弊して、逃げ出したくなったら言ってくださいね。うちの実家、紹介しますよ。ド田舎で嫌かもしれないですけど。都会に疲れたときは、離れる以外に処方箋はないと思います」
「何を脈略もなく」
「入間さんが疲れているように見えたから言っただけですよ」
「ご心配なく、私は大丈夫ですよ」
「うちのチーズ美味しいんですよ。ワインにも合うんです。疲れてなくても1度来てみるといいですよ」

うんともすんとも返事はしなかったが、椿はにこにこと楽しそうにしていた。先日のプリンも美味しかったのだから、さぞかしそのチーズも美味しいのだろう。

「入間さん、今、曲がって行ったシルバーの車追いかけましょう。さっき、私たちが周っていた時に後で調べようって言ってたところに止まっていた車です」

信号待ちの直進車線から左折帯へ抜け、矢印信号が変わるギリギリのところで左へ曲がる。幸い、先の信号で車が止まっているのが見える。先ほどまでのチーズの話と同じように彼女が話すため、一瞬反応が遅れた。

「ナンバーも一致してるので、間違いないですね。まぁ、関係者かどうかはわからないですけど」
「相変わらずよく気づきますね」
「入間さんは、信号見てたから気づきようがないですよ」
「そういうことではなく・・・まぁ、いいです。よくやりました」
「お褒め頂き光栄です」

次の信号待ちで追っていった車の横に自分たちの車が少しずれる形で並んだ。この車の目的地まで上手く追跡できればいいが、どこかで気づかれて巻かれればそれまでだ。

「おい、何してる。あまり、じろじろ見ると気づかれるだろ」
「後部座席に子供が乗ってます。あれくらいの子なら、チャイルドシートの方がいいと思うんですけどね」

携帯に付けていたウサギのマスコットを窓ガラス越しに追跡車の後部座席に向けて動かしながら、自分の問いかけに返事をする。よく、にこにことしながら今の返答ができるものだ。向こう側の子供は、椿が動かしているウサギのマスコットに気付いたのか、窓ガラス越しにこちらを見て笑っている。

「親がいい顔をしていませんね。怪しさ+1です。まぁ、親によって違うので何とも言えないですが」
「もうすぐ信号が変わりますよ」
「了解です。やめますね」

バイバイと口に出しながら子供に手を振り、きちんと座りなおした椿に、相手に対して目立つ行動は控えるように言えば、素直に「すみません、気を付けます」と返って来た。とはいえ、今の彼女の様子を見て、向こうが怪しむ可能性は低いだろう。それに彼女の言う通り運転席にいる女には違和感がある。

「車が止まるまで追いますよ」
「わかりました。見失わないようにします」
「次、隣に付けても何もしないでくださいね」
「1度怒られたことはしません」
「悪いとはいいませんが、向こうがこちらの車体を認識してしまうと付いてきていると思い込みますからね。特に隠したいことがある連中は」
「たしかにそうですね、やましいことがあると周りの目が余計に気になります」
「貴女のさっきの様子を見て、こちらが警察だとは思いもしないでしょうが」
「それは私もわかってますよ。入間さんが馬鹿を演じることは見た目の印象と反するのでできませんが、私は見た目の印象上、相手の警戒心が薄くなるんですよ」
「わかっていたんですか?」
「入間さん、私のこと馬鹿にしすぎじゃないですか?容姿の利点は色々と考えますよ」

失敬な、と言わんばかりに頬を膨らませた椿を視界にいれつつ、車の行先を考える。候補地を椿と話していると、ちょうど追っていた別件との関係性が視えて来た。彼女に署に連絡を取らせ資料の確認を進めさせている。また信号が変わる。ハンドルを握りなおしながら、急く気持ちを息を吐きながら落ち着かせる。

「入間さん、確認とれました。先ほどの推測で間違いありません」

これは、車に気付いた椿を後で盛大に褒めてやらなければならなくなりそうだ。


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