02
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翌日、起きるとニーナの姿がなかった。まさか逃げられた、と慌てたが耳と鼻が朝飯だと知らせて来た。
「ニーナが作ったの?」
「うん。何を、どれくらい使っていいかわからなかったから、おばあちゃんに聞いた」
「へぇ…。ばあちゃんは?」
「外で、ご近所さんと話してる」
「そっか。…いただきます」
内心「そっか」どころの騒ぎではなかった。確かに家事の代行をお願いした。けど朝飯作ってとは、頼んでいないし、美味しそうだし、実際、美味しいし、こっちの反応を窺っているニーナは、とても可愛かった。適当に支度をして家を出て、ばあちゃんとニーナに「いってきます」を言ってスラム街を抜けた。
街の様子は変わりなかった。役人が増えた様子も、きな臭い連中もいるようには思えなかった。早く用事を済ませて帰りたい。戻るころに、まだニーナはいるだろうか。そんな心配をしても意味がないとわかっているけれど、それでもニーナに「おかえり」と言われたいと思った。
家の傍から楽しそうな子供たちの声がする。
ニーナも、あんな風に笑うんだなぁと遠目に思う。あんなに懐かれちゃって、明日にはいないとアイツらが知ったら泣きわめかれそうだ。ニーナの傍に集まっていたチビたちがオレが帰って来たのに気づいて遠くから駆けて来る中、ニーナは歩いて距離を縮めて来る。
「ニーナちゃん、すごいの!みて!髪の毛、かわいくしてくれたの!」
「おれの怪我も治してくれた!」
「みてみて!ニーナちゃんが服をね!かわいくしてくれたの!」
綺麗なヘアアレンジ、悪ガキの怪我の手当、服の破れた場所を自分の外套を切り抜いて繕った跡、「ラギー、おかえり」と昨日より柔らかい表情をしたニーナに「ただいま」と返すと、子供たちから冷やかしの言葉を浴びた。それから、もう少し一緒に遊んで家に帰った。ニーナがいない間に、ばあちゃんから役人が見回りにきたことを聞いた。きっと今朝、ばあちゃんは根回しに行ってくれたのだろう。
…あれ、いない?そう思うのが先か動いたのが先か、慌てて家を飛び出した。
「ニーナ、なんで」
「頼まれた仕事終わったから」
「だからって、何も言わずに行くなよ!もう日も暮れるし、明日でいいだろ」
スラム街から出て行こうとしているニーナの腕を引くと抵抗なく後ろを付いて来た。後ろから「朝には出て行くから」と聞こえたけれど返事はしなかった。翌朝、できるだけ早く目を覚ましたが、すでにニーナはいなかった。家の外に出ても影も形もなかった。昨日のように部屋の隅で眠らずに隣で寝ていたニーナのことを思い出す。あどけない寝顔を歪めて酷く魘されていた。彼女に何があったのかは知らない。聞くこともしなかった。それでも、「1人にしないで」とうわごとでこぼすくらいに寂しさを知っているのは、何かを失くして来た証拠だった。
「本気だったのになぁ」
正確には、あやふやだったものが本気になってしまった、だ。だが今の自分では、どうすることもできない。仮にニーナを引き留めて匿えば、どこかで情報を聞きつけた役人が再びやってくる。そうなれば、辛うじて成り立っているここが崩れてしまうかもしれない。それをきっとニーナもわかっていたんだと思う。そう思えば思うほど、自分の無力さに嫌気がさす。テーブルに置かれた小さな紙に書かれた、お礼の文字を指でなぞりながら息を吐いた。
その数か月後、ニーナに懐いていたアイツらが嬉しそうに収穫したものを見せに来た。どうにも心当たりがないそれらを一体どこでとってきたのかと聞こうとした時だった。
「ニーナちゃんが植えてくれたの!これ、すごく美味しいんだよ!ラギー兄ちゃんにもおそそわけ!」
「おすそ分けね。って、ニーナ?」
「うん!ラギー兄ちゃん、ニーナちゃん今度は、いつ来てくれるの?ニーナちゃんにも食べてほしいなぁ」
「おれたち、頑張って育てたもんな!」
「うん!…ラギーお兄ちゃん?どうかしたの?」
「何でもないッスよ」
チビたちを褒めながら、その場所へ連れて行ってもらえば、今まで試してみても何も育たなかった場所に、不自然に育った植物があった。そこにはまだ、実が残っていて、これから熟すものもある。
「ニーナちゃんがね、種を分けてくれたの。こういう土地でも、きっと育つからって」
「そんで、育て方を教えてもらった!そしたら、今日は、こんなにとれたんだ!」
「そんな良い話、なんで今までオレに黙ってるかなぁ〜仲間外れなんて寂しいじゃないッスか」
「だって、ニーナちゃんに収穫するまでラギーには内緒ねって」
「その方が、驚いてくれるだろうからって言ってた」
収穫できたこと喜びと、サプライズに成功に、笑い声の絶えないチビたちと一緒に笑えたら良かったが、残念なことに、そんな気持ちにはなれなかった。