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梅雨に入ったせいか廊下や階段が妙に濡れていて滑りやすくなっている。気を付けないとなぁ、なんて毎年思っていたのかもしれないが、今も思った。逆に滑ると思ったら滑らなくてつんのめるなんていうのもあるけれど、あれは男子が馬鹿をやっている時だと思う。出し忘れていた課題を終わらせて職員室に向かう途中、階段下から転校生くんが上がってくるのが見えた。上から見ているため顔はしっかり見えないし、普段から眼鏡と少し長めの髪で顔が隠れがちなためよく見えないけれど、見かけるたびに整っていると感じた。そっと向こうに視線を飛ばしていると、階段の角の部分に足を置いてしまった事に気づいた。やばいと思ったときには、既にしりもちをついていて段差に打ち付けたせいか一段と痛い。しかも、痛いと言ってしまった。じーんと響いてくる痛みに堪えていると、すれ違うはずだった転校生くんは未だに下にいた。

『ごめん、今のは見なかったことにして』
「あ、うん。・・・大丈夫?」
『平気』
「何も見てないので失礼します」

トントントンと階段を駆け上がって行く様子を見てから、視線を前に戻して、もしかして何も見てないの何もって、こっちのことかもしれないと中途半端に開いている足を閉じて腰を上げた。見られたと言っても、スパッツを履いているので、それほど慌てるほどでもないのだけれど。男子にはこれも不味いんだろうか?階段みたいな下に人がいる場所だと背の分スカートの位置も上がるため、スカートの中が見えやすい。買ったままのスカートなら大丈夫だろうが、切ってしまっているため自分でその程度のガードはしている。見せないのもマナーだと個人的には思うけれど、気にしない子は気にしないので考え方はさまざまだと思う。

それから、何度か転校生くんとすれ違ったけれど妙な違和感を感じて足を止めれば、隣にいた荒北が不機嫌そうに手を引っ張った。別にあれから話した覚えもないけれど、不機嫌な荒北に違和感を覚える

「お前、あの転校生に関わったのか?」
『この前、階段で転んだときに見られたくらい』
「何を」
『転んだのと、スパッツ?』
「・・・・、」
『今の沈黙は何でしょうか』
「何でもねぇ、そうじゃなくてよ。あんまあいつに関わんな、あんまいい匂いがしねぇんだよ」
『関わるなって言われても、それから何もなかったし』
「じゃぁ、近寄るな」
『わかった。気を付ける』
「お前、そう言って去年絡まれたから信用しねぇ」

そうはいっても、廊下ですれ違うし夏葵のクラスだから何かしら出くわすのは避けられない。けれども、その後、思わぬところで出くわすことが増えた。夏葵や百合と学校へ向かう途中や、下駄箱、課題のために残っていた時や、移動教室の途中、体育の着替えの後、遭うと言えば遭う場所だけれど見かけることが増えたように感じた。荒北に言われて気にしすぎているのかもしれないと、その場をさっさと離れるようにはなったけれど、見られているような気がするのは考えすぎた結果だろうか。

「今日、日直だろ」
『そうだけど?』
「掃除の時間中にやること終わらせて、さっさと帰れよ」
『そうする』
「最近、見られてるとか思ったことあるか?」
『・・・』
「その顔は、あるって顔だな。昼飯食ってるとき、あいつが背中合わせの席で飯食ってるって気づいたか?」
『・・・え?』
「良かったネ、好みのやつに好かれて」
『うっ・・でも』
「何で、ちょっと嬉しそうなんだよ!!馬鹿だなお前本当」
『だって、好みは仕方がない。好きなアイドルに見られてると思ったら嬉しいでしょ?』
「知るかよ、そんなもん・・・。やばいと思ったら電話しろ」
『荒北も人のこと言えないくせに』
「・・・・」
『中学の時、ずっと私のこと見てたんでしょ?朱里が言ってた』
「厭らしい目では見てねぇ」
『どうだか』
「っ・・仕方ねぇだろーが。・・・その、なんだ・・謝れたらとか思ってたんだからヨ」

歯切れ悪くそっぽを向いて言うのは、照れ隠しなんだろうと少しだけわかった。本当のところ荒北の視線にはまったく気づいていなかったし、今回みたいに嫌な感じを受けたこともなかった。
授業が終わって授業中に書き上げた日誌と、掃除中に消し終えた黒板(こういう時は背が高くて良かったと思う)に、窓の施錠を終え電気を消して教室を出た。まだ廊下に人もいるし、移動する生徒が多くいるので何か怒ることはなさそうだ。いつも、教室で部活に行く荒北を見送って夏葵や百合と寮に戻ったり遊びに行ったりしているけれど今日は帰りが遅い分1人だけれど、同じように寮に向かう生徒もいるので実際1人ということもない。そう思っていると、クラスメイトに後ろから声をかけられた「椿ちゃん、今帰り?」
『うん、今日、日直だったから』
「私も、特別教室の掃除でさ。正直、あの部屋使ってないんだから掃除する必要ないのにって思うよね」
『確かに、私もあの教室使ったことないかも』
「ねぇ、さっき掃除中に荒北くんが特別教室の前通ってたんだけどさ、女の子と一緒だったんだけど。心当たりある?」
『特には?』
「じゃぁ、やっぱり告白かな」
『告白ねぇ』
「さすが正妻」
『・・・・その言い方はちょっと』
「全然動じないんだもん、さすがだなって」

不思議と不安は感じなくて、告白なのだとしたら適当に断って部活に向かったはずだ。夜に聞いてみようかなと鞄に手を突っ込んでいつものを手に取ろうとした。いつも携帯がここに・・・ない。

「どうしたの?」
『携帯、どっか置いてきた』
「ポケットとか、教科書の間とかにない?」

道の隅で鞄を引っ掻き回してもポケットを漁っても出てこない。もうめんどくさいし明日でもいいかと思ったけれど、夏葵にライブチケットの抽選を頼まれていたのを思い出し戻らなければならなくなった。携帯がなければネットにつながらない・・・・ここに来るまで、視線も感じなかったし転校生くんとも遭わなかったのにと急いで来た道を戻る。教室の机の中か、職員室の日誌入れのところが怪しい、そこになかったら後どこだろうと考えながら下駄箱を過ぎて教室に入ろうとして足を止めた。前にも似たようなことがあったけれど、鳥肌が立つようなことはなかった。

・・・私の席に、彼が座っている
その机の中に携帯が入っているのも確認できる

どうしよう。ここは、夏葵に謝るか荒北に携帯借りようかなと教室からそっと引き返そうと踵を返したところで扉が開く音がした。

「椿さん、これ、忘れ物」

振り返れば彼が私の携帯を手に持っていた。今の私には人質にしか見えないそれをこちらに差し出している。なぜ私の名前を知っているのかよりも、どうして私の席に座っていたかが気になる。何事もなかったようにしている彼が怖い・・・

『ありがとう』
「・・どういたしまして」

恐る恐る手を伸ばして携帯を受けとり、手を引こうとした瞬間に手首を掴まれて彼に倒れ込むように引っ張られた。彼がもし普通と見えたなら喜ばしいところだが、今の私に彼は普通に見えなくて怖くて顔を上げることもできない、知らない匂いがすごく怖い。捕まれたままの手首が痛くて、胸板を押して逃げようとしてもびくともしない。

「椿さん。僕みたいなのがタイプなんでしょう?友達と話してるの聞いたよ」
『・・・・・・・・』
「ねぇ、」
『放して』
「だめ」

少し顔を上げれば、にこやかに笑った彼と目があった。ドキリとなんてしない、怖くて逃げようと動かしていた腕も止めてしまった。

「僕も椿さんみたいな、女の子が好きなんだ。背が高くて、ショートカットが似合って、少しドジな子」
『・・・・放して』
「あいつと別れて僕にしたら?」
『確かに見ためは好みだけど、中身は遠慮する』
「そう?例えばさ、こうやって。顔を近づけたら、キスくらいしたくなるんじゃないの?」
『ならない、馬鹿じゃないの。この猫被り』
「見てるだけでいい、アイドルと同じなら、心はなくても」
『何がしたいのか、わからない。・・・とりあえず、放してくれない?』

正面に顔が来るように背を曲げて距離を詰められる。逃げようと腕を引いても距離は変わらない。大人しそうな顔して、とんでもないやつじゃないか。優しそうに笑っているのに、それが不気味で眼鏡の奥で何を考えているのかわからない。

「何がしたいって、好きになった女の子にしたいことなんて決まってるんじゃない?」
『・・・そういうのは、好きって言わない』
「触りたい、見ていたい、めちゃくちゃにしたい、」
『・・・・違う』
「違わない。一目惚れってそういうもんだよ」

携帯に触れている手が冷たくなっていくのがわかる。空いている手でどうにか距離を取ろうとしても軽くあしらわれて逃げられない、腰に回された腕にぞっとする。携帯の画面は見えないけれど、冷え切ってしびれてきた手でリダイヤルを押して、彼から必死に顔をそむける。逃げるの?なんて笑っているけれど、この状態で逃げない女子なんていないだろう。

「前の子は、ここまで来たら落ちてくれたんだけどな」
『・・・・・前の子』
「前の学校ではさ、眼鏡もしてなかったし、髪も染めてたんだ。ピアスも開けてたし、僕なんていい子ぶってないでさ、俺って言ってたんだよ。そういう奴の方が受け入れられる学校だったからな」
『最低、そうやって何人引っかけたのよ』
「声震えてるけど、大丈夫?」

耳元で聞こえる声に鳥肌が止まらない、今かけているリダイヤルが誰につながるのか正直わからない。スピーカーのボタンがどこにあるかもわからなくて、電話主を確認することもできない。「教室でいいよね」なんて調子に乗り始めた。いいわけない、こんなことなら携帯取りに戻るんじゃなかった。一度、通話を終了して、今度は着信履歴の1番上の誰かに電話をかける。

どこかで音がした
静かな廊下だ、携帯の鳴る音が響いて聞こえてもおかしくない
もしかしてと思った瞬間、聞こえてきた声に泣きそうになった

「あーあ、見つかったか・・・・。つーか、あいつなんで校内にいるんだ?部活行ったんじゃねぇのかよ」
『・・・・・忘れものじゃない?』
「不安そうだね?心当たりあんの?」
『・・・・ない』
「へぇ、あるんだ。じゃぁさ、キスくらいしとかない?」
『遠慮』
「そっか、残念・・・と、いう分けで。なぜだか、まだ校内にいた君に椿さんは返却するよ」
「てめぇ、喧嘩売ってんのか」
「いいや、君、喧嘩強そうだし」




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