「っっっ、よ、っし!」
「うぐぅ…っ」
これでとどめだと言いたげに帯を締められ、ついうなり声がこぼれた。少しだらしないがこんなに締め上げられては仕方がないだろう。満足げな笠松さんはきっちりしまった私の帯を一度パンっと叩く。うう…キツイ…。
「よく似合っているわね。綺麗よ」
「あ、ありがとうございます…」
笠松さんが私に着せてくれたのは紺色の浴衣だった。小さい頃に、どうせ子供にも着せるだろうとせっかく買ったのに、女の子がいないからという理由でタンスの肥やしになっていたのを母が耳にし、どうせなら娘に着せてやれないか、と打診してくれたらしい。笠松さんもこのままでは勿体無いと思っていたみたいで、近所に夏祭りがある今日 彼女が着付けまでやってくださった。
「やっぱり女の子っていいわぁ…」
「私は男の子が羨ましいです」
「ああ…そうね。四人も周りにいるとやっぱり違うわよね」
笠松さんは浴衣を着た私をまるで我が子のように撫でてくださる。きっと彼女はこの深い愛情で3人を育てているのだろう、だからあんなに真っ直ぐに素敵に育つんだ。
「そうよね。男の子が羨ましいわよね…」
「はい。あんな風に好きなものに夢中になれるのが凄いなあって。私、そういう欲があまりなくて。それでもいいって分かってはいるんですけど…、上手くいかないですよね」
「いいのよ、悩めるのは女の子の特権だわ。男の子はみんなすぐ無茶するんだから」
それは3人の男児を産んだ女性ならではの見解なのだろう。呆れたように言う彼女が、でもどこか嬉しそうで、こちらがどきりとしてしまう。いつか私が子供を産んだら、こう言う顔ができるようになるのだろうか。なんてタイムスリップした私にとっては当分先の話だけれど。
「ほら、幸男が待ってるわよ。ドキッとさせちゃいなさい!」
彼女に押されるままリビングを出ると、そこでかなりの時間待っていたのだろう、フローリングに胡座をかいてこちらを見上げる幸男くんがいた。彼は大きく見開いた双眸に私を写しながら固まっている。私の後ろの笠松さんは楽しそうにコロコロと笑って「巾着持って来なきゃ」とリビングの中に戻って行ってしまう。
「おま、たせ…」
ここまであからさまに態度に出されるとこちらが緊張するなあ。幸男くんは魚のようにパクパクと口の開閉を繰り返している。その顔は分かり易すぎるくらい赤い。
「お…っ」
「…………」
「あっ…あ…」
「言葉にならない」を体現しすぎてて一周回って不安になってきた。多分彼はそれ以上の自主的な言葉を知らないのだろう。ここまで拗らせていると単純に将来が心配だ。
「えっと…、大丈夫?」
「ダイジョブ、だ、ですっ」
「なぜカタコト…なぜ敬語…。あの、落ち着いて?私であることには変わらないんだから」
どう言えば正解なのかと探りながら伝えると、彼はゴクリと喉を鳴らして、仕切り直したように「えっと…」と言葉を発した。先ほどまでの緊張感は徐々に緩まっていく。彼はすごく恥ずかしそうに一瞬目線を下げて立ち上がると、決心したように口を開いた。
「すげぇ、綺麗、だ」
「……っ!」
だから本当に困る。混じり気のない褒め言葉ほど受け取るのが躊躇われるのだ。お世辞とか言えない人だろうし、そんな余裕ないだろうし。
「アリガト、デスっ」
言葉が詰まる私に、最初は驚いた様子の幸男くんだったが、気が抜けたのか、ふっと吹き出して、「なんでカタコト、なんで敬語」と突っ込んでくれた。
近所の神社と、その参道で行われる夏祭りは予想よりも多くの人が来場しており、ただ歩くだけでも隣り合う人と肩が当たる。
「やべえ…」
私の隣に立つ幸男くんからそんな呟きがこぼれた。人の流れに押しつぶされないように足を止めることはできない。せめて幸男くんとははぐれないように、とこっそり彼のTシャツの裾を掴む。
と、言うのも、この人混みにより母たちと引き剥がされてしまったのだ。私はもちろん、幸男くんも冷静だからそこまで危機感はないけれど、このままでは合流できないのも事実。立ち止まって探したいけれど、この流れの中じゃそれも無理だ。
「祭の運営ってどこだっけ」
「あー……神社じゃねぇか?行ってみるか」
人の流れは奥に奥にと続いている。ならば一旦そこに身をまかせる。
幸男くんは私が裾を握っていることを知っているだろうか。このままだと生地が伸びちゃうし、目指す場所がわかったならはぐれても会えるだろうし…と手を離すと、すぐ幸男くんが振り向いた。その表情が驚きに揺れていて、不思議に思っていると「ビビっただろーが…」と焦った口調で言われてハッとする。
「裾、掴んでたの知ってたんだ」
「まあ…服掴まれたらわかるだろ普通。いきなり手ェ離すな、はぐれたかと思った」
「ごめん…伸びちゃうと思って…」
「別に、こんなんどうだっていいだろ。お前がはぐれる方が困るっつーの」
そう言って彼は私の右手の小指を握ってくる。その指先が震えていて、少し熱くて、そっと表情を伺えばほんのり朱に染まっていてクスリと笑ってしまう。
「これじゃあすぐはぐれちゃうよ」
意地悪だとは分かりつつそう伝えると、彼も思い当たるのか「うっ…」と唸った。背中を押すのは平気なのに、手を繋ぐのはダメなんて、本当に可愛い。
流石にこれ以上意地悪すると真っ赤になって倒れちゃいそうだし、私の方から手を繋ぎ直す。彼はびくりと肩を揺らし、顔を真っ赤にするが手を振り払おうともしないし、文句も言って来ないので、二人隣り合って神社に向かった。
prev |
next
←