友達の誘いを塾があるから!と断るのに少しだけ憧れていた節がある。なんだか大人っぽくてかっこいいなって思っていたことを今自分がしたことには、違和感しか感じなかったけれど。
私の塾の印象は、「子供の特権」と言うものだ。夜遅くまでみんなと勉強して、私が聞いた範囲では花火やお菓子パーティをしているとこもあるらしい。なんだか部活みたいで、羨ましいと思っていた。期待をしすぎるのもいけないとは思いつつ、風を切りながら新品の自転車を漕ぐのは悪くない気分で、つい口角が上がる。

予定より早く着いた塾の教室に入ると、そこには花宮くんが一人ノートに向き合っている。どうやら彼はいつも他の人より早いらしい。

「やっほ、花宮くん」
「………マジかよ」

カバンを下ろしながら彼の隣に座ると、彼はこちらを見てあからさまに表情を歪める。そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか。

「お前クラス間違えてんだろ。こっちは特進クラスだぞ」
「うん、合ってるよ?」
「は………?」

入塾に際して行ったテストの結果により入るクラスが変わると言われたのだが、申し訳ないなぁと思いつつ解いた結果、特進クラスに配属することになった。もちろんこちらは大学まで卒業しているのだから、ズルいとは思うのだけれど、少しでも高度な教育が受けられるならそれに越したことはない。できることならこの成績を保ちたいし、受験をするなら尚更だ。

「だから、特進クラスで合ってるよ?」
「お前…マジで言ってんのか…?」
「嘘言わないでしょ。ここにいるんだから」

花宮くんは目を丸くして「マジか…」と呟いた。どんだけ信じる気がないんだ。
私も彼に倣ってノートを広げる。学校では指定の方眼ノートを使っているが、塾でならいいだろうとキャンパスノートを持ってきた。絶対にこっちの方が馴染んでいる。
勉強は好きではないけれど、しないと後悔することだけは知っている。それに受験するならば目指すは特待生だろう。学校によるが全額免除になるところもあるし、出来るだけ両親に負担をかけたくないのだ。

「お前勉強できたのかよ」
「うーん、今はね」
「はぁ?意味わかんねえ」

花宮くんはそれ以上然程興味がないのだろう、自分のノートに向き合ってしまう。私も遊びにきたわけではないのでシャーペンを手にした。学校で使っている鉛筆より断然しっくりくる。お小遣い貯めてこっそり買ってて良かった。

二人きりの教室にページをめくる音とペン先が走る音だけが聞こえる。互いに遠慮がないからか、不思議と空気は悪くなかった。

時間を忘れて文字を書いていると、徐々に人が集まりだす。挨拶とかも特になくて、「ああ、このクラスは本気の子達ばかりなんだ」ということが身に染みてわかった。想像していたものとは少し違うけれど、最初から人間関係が構築されないのなら崩れることもないし、存外そういうのも楽だし息抜きになるのかもしれない。

特進クラスの生徒数は少なく、10人ほど集まったところで塾講師が入ってきた。塾講師は若い男の先生だったが、溌剌とした様子は特になく笑顔もない。時刻は17:00。彼は隣り合って座る私たちを一瞥してから淡々と教材を開く。冷静で落ち着いた解説はわかりやすく、何度もなるほどと思ってしまった。それと同時に数式の意味などを知らないまま大人になっていたんだと気付いて少し恥ずかしい。

一コマの授業は90分で、それが二コマ、つまり三時間授業が私のコースだ。一コマ目は算数。
講師の声とホワイトボードをマジックが走る音だけが響く教室内は、妙な緊張感が張り詰めている。ちらりと横目で花宮くんを見ると、驚くほど真剣にノートをとっており、負けられないという感情が湧く。

「−−はい、では今日は以上です」

講師がそう言い教材を閉じるのと同時にチャイムが鳴り響く。ホワイトボードを雑に消した講師は静かに教室を出て行った。授業中に疑問を持ったのだろう女生徒がノートを片手にその背中を追いかけるのが見えた。女生徒の顔が嬉しそうにほころんでいるのが見えて、「ああ、こういうのいいなぁ」とその様子を眺めてしまう。

「覗き見は悪趣味だぞ」
「え……?」

隣からそんな声がしてそちらを見ると、机の上にコンビニの惣菜パンを何個か広げた花宮くんがこちらを睨み見ていた。「ご飯?」と聞くと「うるせぇ」と返されてあまりの理不尽さに思わず口を噤んでしまう。

「……今食わなきゃ食う時間ねえだろうが」
「あー……なるほどね。私も次から持ってこようかなぁ」

一応家では夕飯の準備があるはずだけれど、20時過ぎに授業が終わって、自転車に乗って帰ると20:30。今でも十分お腹が空いているのに、このままじゃ二コマ目に集中できるかが怪しい。よくよく周囲を見ると、みんな弁当やコンビニの袋を広げていた。頭を使うことがこんなにもカロリーを消費するものとは思っていなかった。

「持ってきてねぇのかよ」
「うーん…、浅はかだったねぇ。次からは持ってくる」
「………」

何だかんだ聞いてくれる花宮くんに苦笑すると、彼はしばらく黙ってからこちらにパンを一つ渡してきた。それは大きなメロンパンで、どういう意味だと彼の方を見ると「やる」と短く伝えられた。

「いや、悪いよ…!!」
「うちの母親、いつも大量に渡してくるんだよ。食えるわけねえだろうが。つーかこんなクソ甘ぇもん食えねえよ。俺が持ってても捨てるだけだし、てめぇに残飯処理させてやるって言ってんだよ」
「あり…がとう…」
「はっ、勘違いするんじゃねえぞ。隣で腹鳴らされたら迷惑ってだけだ」

花宮くんはそれだけ言って黙々とパンを食べ始める。これ以上何か言ったらうざがられそうだなぁと思いながらも言わないなんて選択肢はなくて、もう一度ありがとうと伝えてパンを開けた。

ちなみに大きすぎて休憩中に食べきれず、二コマ目の国語の先生に「めっちゃ食うてるやん」と大爆笑された。


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