二コマ目の国語の先生は確かに若い人だったが、算数の先生とは違い明瞭で朗らかな人だった。相変わらず講義はわかりやすいけれど、要所要所で生徒を指名しては答えさせ、正解すると大いに褒めて、間違ってもちゃんと解説をして説明してくれる。その軽い口調は関西特有のもので、張り詰めていた緊張感が一気に緩む。

「−−ほな、この問題は……、なんや、花宮くんの彼女か〜〜?」
「違います」
「違います」

講師のニヤニヤした視線に私と花宮くんの否定がかぶる。彼は「何や冷たいなぁ」と非常につまらなさそうに唇を尖らせた。隣に座っているだけで付き合ってると思われるのは心外だなぁと思っていると、花宮くんにそっと距離をとられて、そういうこと気にするタイプだったんだと妙なところで感心してしまった。

「えーっと、見ぃへん顔やなぁ?今日からか?」
「あ、はい!みょうじ なまえです…」
「ほーん、ワシは渡辺や!よろしゅうなぁ。ちなみにさっきの堅そうな算数の先生は“大間クン”やで。仲良ぉしたって〜なぁ」

渡辺先生は涼やかなつり目を狐のように細めて微笑む。彼は私が礼をして顔を上げると、珍しいものを見るように何度もこちらを観察してくる。居心地が悪くて身じろぎすると、隣から「でた、妖怪サトリ…」と呟く声が聞こえる。どういう意味かを聞く前に先生は「あーーーはいはいはい」と何かに納得がいったように諸手を叩く。

「可愛らしいお友達さんやんなぁ。みんな仲良ぉするんやでぇ?」

薄く開いた狐目の向こう側の瞳が、心の奥を見透かすように輝くから一瞬何が起こったかわからなかった。ぞわりと、全身の毛が弥立つような感覚。

「さて、ほんならまー、みょうじチャンに答えてもらおうかなぁ」

この問題、と指さされた問いを答えると「うん、正解。座ってええで」と笑いかけられ、倒れこむように椅子に座ると、花宮くんからの視線を感じ思わず苦笑してしまう。彼は深いため息を吐くと、「あいつは−−」と口を開いてくれた。

「あいつは渡辺 悟つって、国立A大学の心理学部主席で通称「妖怪サトリ」。相手の息遣い動作喋り方で大体の心理を読み解いちまうとんでもねえやつだよ」
「国立A大学…って!国内トップの名門じゃん!その首席の生徒がなんで塾の国語教師なんて…!」
「人間観察っつークソ迷惑な趣味と実益を兼ねたお遊び半分のバイトに決まってんだろうが」

花宮くんの悪意に満ちた声音に苦笑いすらこぼれない。本当にとんでもない人なんだ…と前を向くと先生が真顔でこちらを見ており、肩が跳ねた。私の反応を面白そうに笑った彼は、何事もなかったかのように授業を再開させる。……とんでもない人だ…。

「目ぇつけられたな」
「えー…私何もしてないのに〜…」
「俺もあいつには本性を見抜かれた。くそうぜぇことにな」

あんなに完璧な花宮くんの作り笑顔を見抜くなんて、やっぱりすごい。すごいというか、単純に「やばい」。…まぁ、私の場合はあまりにも非現実的だから、一周回って大丈夫だとは思うけれど。
タイムスリップしてきましたなんて、誰が信じるというのだろう。




授業は常に明るい調子で進行され、90分はあっという間だった。授業の終わりに宿題を出した渡辺先生は「ほなまた明日〜」とひらひら手を振って教室を出て行く。

生徒たちはそれぞれ机の上を片付けて、好きなように帰り始めた。私も帰ろうと教材を片付け始めるが、花宮くんにそんな様子は見受けられない。うざがられると思いながら「帰らないの?」と聞くと、案の定ため息を吐かれる。今日だけでどれだけ彼の幸せは逃げたのだろう。

「俺は自習だよ。早く帰れウゼェ」
「へー、何時に帰るの?」
「23時」
「は……?」

ふーんあっそう、と納得しかけて、いやいやとその考えを振り払う。確かに私の精神年齢的には何の違和感もないかもしれないけれど、よく考えるまでもなく彼は、というか私達は小学四年生だ。固まる私に「迎えが来るに決まってるだろうが」と悪態をついた彼は頬杖をつきながら先ほど出された宿題に取り組み始めた。

「そ、そりゃ迎えだろうけれど…!それでも遅すぎない…!?」
「うるせぇな。人の事情も知らずにズケズケ踏み込んでんじゃねえぞ」

彼の言っていることは最もで、少なくとも普通の家庭に生まれ育った私にはなにかを言う資格はないのだろう。そして、そんな彼に同情するのも踏み込むのも全部お門違いだ。言葉を失った私に花宮くんは鼻を鳴らして笑う。

「さっさと帰れよ甘ちゃんが。んで次からは隣に座るんじゃねえぞ」

冷ややかなその声を聞いて時計を確認すると、そろそろ本格的に時間が危なかったので慌てて教室を飛び出す。後ろ髪ひかれる思いで一瞬だけ振り向くと、蛍光灯に照らされた広い教室の中で一人机に向かうその姿がひどく寂しくて、喉をついて出そうになった「送って行こうか?」という言葉は、今の私にはできっこない事だったから必死に飲み込んで、まるで振り切るように走り出した。


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