ある日、夕飯の時間になっても帰ってこない裕を迎えに笠松家に行くと、二階からアコースティックギターの音が聞こえて来た。どこかで聞いたことあるようなメロディーに耳を傾けていると、そんな様子に気づいたのだろう笠松さんに「気になる?」と微笑まれた。
「い、いや、あの、………はい」
「ふふ、裕くんは私が送るし見て来たら?」
「え…でも」
「オススメするわよ」
そう言われてしまうと拒否もできないし、「お邪魔します」と靴を脱いで笠松家に上がる。よく考えると私室がある二階に行くのは初めてのことかもしれない。音をたどって階段を登り、「幸男」と書かれたプレートがかけられた扉の前で足を止める。音はここから聞こえて来ていた。
聞いたことがあるのは私が以前ずっと聞いていたバンドの曲だからだった。歌う事も容易にできる。軽く鼻歌を歌いながら演奏の邪魔をしないようにゆっくり扉を開けると、そこには座椅子に座ったまま大きなアコースティックギターを弾いている幸男くんがいて、予想はしていても実際目の当たりにするとやはり印象が違う。
しばらく動くこともできずにその姿に釘付けになっていると、彼の視線がこちらを掠めて、その瞬間飛び上がって悲鳴をあげられるものだから悪いことをしたなとは思った。
「おおおおおおおお、お、お前、なんでここにいるんだ!?つーかいつから…っ」
「一曲前ぐらいからかな…?」
「一きょ、声かけろよ…!!」
「いや、そんな邪推なマネは流石に私でもできないよ」
というかどのタイミングで声をかけても飛び上がって悲鳴をあげていたことは明確だろう。彼は照れ臭そうにギターをかき鳴らすと、手元にあった楽譜を閉じた。そこにはやはり私が好きなバンドの名前が書いてある。
「幸男くんこのバンド好きなの…?」
「は…?おま、知ってんのかよ…」
「え…うん……」
しまった…今の私は小学生であることを完全に忘れていた。しかし今さら修正は効かないので、年代のことを気にしながら初期の頃の曲名を出し「−−とか、好きだよ?」と言うと、彼の双眸がキラリと輝く。
「お前…昔からわかるやつだとは思っていたけど、やっぱりわかるやつだったな!!」
満面の笑みでそう言った彼は、慣れたようにコードを鳴らし始めた。それは私が好きだと言った曲そのもので、名前を言っただけのなのにそんな簡単に弾けるのかと驚く。その横顔がバスケをやっている時と変わらなくて、ギターを弾くのが好きなんだろうなと言うことは容易にわかった。
「ギターいつから弾いてるの?」
「お前が引っ越してくる前からやってる。親戚のおじさんがアコースティックギター…まぁ、こいつをくれてさ、昔から音楽とか好きだったし試しに弾いてみたら楽しくてよ」
いつもはそこまで言葉数が多いわけではない幸男くんがこんなに生き生きと喋っているなんて、コートの中じゃないと見れないと思っていたから意外だ。彼の演奏を聴いているとなんだか私も楽しくなってしまって、触れるか触れないかくらいの位置に座り少しメロディー口ずさむ。すると幸男くんはますます嬉しそうに唇の端を舐めた。目が合うと太陽のような笑顔を浮かべられ、つい口ずさむ声が大きくなる。
「お前さ、」
ずっと歌っているとそう声をかけられた。気持ちよくなりすぎて大きな声になっていたかもしれない。慌てて口元を押さえると、違うと首を振られる。
「いい声してるよな」
「こえ…?」
「歌ってる時の声。いい声じゃん、俺は好き」
そうにかりと笑う彼に一瞬鼓動が早まった。純粋な言葉が照れ臭い。ありがとうというのもなんだか恥ずかしいし、肩幅の広くなったその背中をバシンと叩く。
「はっ!?なんだよいきなり!?しばくぞ!?」
「よくそんな恥ずかしいこと真顔で言えるよね!?」
「恥ずかしい事なんて…っ」
そこまで声を上げてから、幸男くんは目を見開いて固まった。そしてどんどん顔を赤くしていく。どうやらやっと自分が何をいったかを理解したらしい。
「ば、ちげ、すすすすすすすきって、そんな、変な意味じゃねーし!!」
「変な意味じゃなくても恥ずかしいでしょうが!」
「は、恥ずかしいなんて思うから恥ずかしいんだろうが!!」
「は〜?もうすでに恥ずかしくなっちゃってるんですけど、こっちは!」
幸男くんはまるでゆでだこだし、私も何にキレているのかわからなくなって来たし、睨み合って、黙ること10秒ほど。どちらからともなく私たちは肩をすくめた。
「らちがあかないってこういうことね」
「どっちも頑固なのは知ってることだしな」
表情を緩めた幸男くんが苦笑する。たしかに、頑固なところはすごく似ていると思う。どこか笑みを含んだ長いため息を吐きあって、私たちは些細な言い合いをやめた。
「−−お前裕を迎えに来たんじゃないのかよ」
「あ!ご飯!」
ギターを弾く彼を見て完全に忘れていたが、もうご飯の準備はできているはずだ。私は慌てて立ち上がり部屋を飛び出した。「気をつけろよ」階段の途中で幸男くんの声を聞き、「ありがとう、おやすみー!」と声を上げて、そのまま「お邪魔しましたー!」と玄関から飛び出す。笠松さんの声が聞こえた気がしたが、母に怒られやしないかと、そればかりが気になった。
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