土曜日の塾に向かう道すがら、いつも通る駄菓子屋の前でずっと立ち竦む男の子の姿が見えた。顔はまだあどけない少年っぽさがあるが、それとは裏腹に身長が不思議なほど高い。普段なら到底気にすることもないのだが、時間に余裕もあるし何か悩んでいるのなら力になりたいと思った私はハンドルの向きを少しだけ変えた。
「こんにちは、どうかしたの?」
「え……?」
近くに自転車を止めてサドルを降りる。丸まるその背中に声をかけると、肩をビクつかせながら振り向いた男の子は私を見下ろすようにしながら目を丸くする。近くに来ると余計大きく感じた。
「……誰?」
「ああ、ごめんね。私みょうじ なまえって言うんだけど、何か困ってるみたいだったら力になるよ?」
「………ほんと…?」
男の子は自己紹介するよりも早く双眸を輝かせる。どうやら本気で悩んでいたらしい。こういう時不審がられないから子供の姿って便利だ。大人だったら不審者扱いもあり得る。
「うん、本当。えっと、どうしようもないことだったら無理なんだけど…。とりあえず話してみるだけでも…」
「おれ、今すごくお菓子が食べたいんだけど、お小遣いなくて…、あ、おねえさんなんか持ってない〜…?」
食い気味に声を張り上げた男の子に気圧されながらもピンと来るものがあった。私は自らのカバンを漁ってその包みを取り出す。それは昨晩母と作ったカップケーキだった。花宮くんに日頃のパンのお礼で余分に持ってきたものだけれど…花宮くんはこのこと知らないだろうし、と躊躇うことなく目の前の男の子に差し出す。
「甘い匂い…!」
「そう、カップケーキなんだけど…こんなものでよければ」
「え?マジで…?いいの?それおれにくれんの!?」
「うん!口に合わなかったらごめんね〜…?」
私の手から包みを受け取った男の子は間髪入れずに中身を取り出して次々とカップケーキを平らげていく。気持ちのいい食べっぷりに思わず頬が緩む。
「すっげー美味しい!なにこれ、え、どこに売ってるやつ!?」
「あ、えっと、喜んでくれて嬉しいんだけど、私とお母さんで作ったやつなの。だから売ってなくて…」
「手作り!?売ってるやつみたいに美味かったし!」
「…っ」
どうしよう…。素直でストレートな言葉に流石に恥ずかしい…。嬉しさと恥ずかしさでどんどん頬が熱を持っていく。男の子のキラキラな目も本心だっていう裏付けに見えてしまって、ダメだニヤついてしまう。
「あはは…あ、ありがとうね。えっと…」
「おれ、紫原 敦」
「紫原!へぇ、珍しい名字だね?」
「うん、よく言われる。なんて呼んでくれてもいいよ」
「じゃあ、紫原って長いし、敦くんでいいかな?」
「ん。別に、どっちでも〜。おれは〇〇ちんって呼ぶね〜」
「〇〇ちん…」
その場であだ名をつけられ、その響きと自分の精神年齢の比例しなさに一瞬固まってしまった。敦くんはそんな私のことなど気に止めた様子もなく、カップケーキが入っていた袋を裏返した。残念ながらそこからは小さなクズしか出てこないけれど。
「あーあ、なくなっちったー。ねぇ、もう無いの?」
「え!?あー…ごめん、あとは家にあるんだ…」
「えー、じゃあ連れてってよ」
「連れてって って…、え、家まで!?」
「そー!さっきも言ったけどおれちょ〜お腹空いてんの!このカップケーキすっげぇ美味かったし!もう一回食べたい!」
「え、えっと、ごめん。私これから塾に行かなきゃいけなくて…」
連れて行ってあげたいのはやまやまなんだけれど、塾をサボるわけにも行かないし仕方なしに断る。すると敦くんは一度不満そうに唇を尖らせるが、短く唸って「まあ…仕方ないかぁ…」と肩を落とした。何故だろう、罪悪感がすごい。
「えっと、敦くんってここら辺に住んでるの?」
「え?うん一応。最寄りの駄菓子屋はここ」
「最寄りの駄菓子屋……」
最寄りの駄菓子屋がどの範囲かはわからないが、自転車で来ているようなそぶりもないし、本当に徒歩圏内の駄菓子屋なのだろう。だとしたら多分お互いの家もそう遠くはないだろう。私は未だに項垂れる彼に、
「また今度会えるかもしれないし、その時にまたお菓子持っていたらあげるね」
と伝えると、その丸まっていた体を徐々にぴんっと伸ばして「ほんとに!?」と両目を瞬かせた。眩しいくらいの笑顔にこっちが気圧されてしまうくらいだ。
「うん、本当。持ってなかったらあれだけど…」
「その時は家まで行く!!」
「あー、やっぱりそうなる?」
敦くんが嬉しそうに跳ね回るものだから、なんだかこっちまで嬉しくなってしまう。ふと目に入った腕時計の針が時間ギリギリを指していて「やっば…」と声が漏れた。
「あの、ごめん敦くん!塾行かなきゃ…!」
「塾〜?あー、そっかぁ…」
「ごめんね!また今度会えたら遊ぼうね!!」
私は近くに停めた自転車に向かって走りながら彼にそう伝える。「また今度ね〜!」敦くんの言葉を背中に受け止めながら、約束とは程遠い……もしかしたらもう会えないかもしてないんだな、なんて事を考えてしまった。それがなんとも切なくて、自転車にまたがった私は、嬉しそうに腕をブンブン振っている彼に今一度振り向いて手を振った。
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