「次は美術館、ね……」
塾もミニバスもない休日に、私は家族と美術館に来ていた。車で少し遠出したところにある美術館は明日オープンする新しい近代美術館だ。これも以前の水族館と同じく、父が建設事業に関わったことから前日のプレオープンに招待された。しかし我が一家に美術館ほど不相応な場所はなく、静かで荘厳な空間に裕だけでなく母までギブアップし、早々に外の公園に遊びに出かけてしまった。耐え症のない二人だ……。
父はというと相変わらず関係者と話しているようで、こちらには目もくれない。もともと仕事熱心で家にほとんどいない人だから今更どうってことはないけれど。
確か……この美術館も“赤司コーポレーション”がスポンサーだったっけ。どうやら父の勤める会社は常々赤司コーポレーションに縁があるらしい。だとしたら彼はいるのだろうかと辺りを見渡すと、ぽんと肩を叩かれた。あー迷子じゃないんですごめんなさいと心の中で謝罪しながら振り向くと、そこに立っていたのは探していた人物で思わず笑みが浮かんだ。
「赤司くん!」
「みょうじさん。また会えるなんて思ってなかった」
赤司くんは相変わらず大人っぽく微笑む。もう彼も五年生になったのか……もう、というか「やっと」と言ったところか。一年前よりしっかりとした顔つきになっており、嬉しい半分心配半分。
「なんだかこういう場所でよく会うね」
「そうだね。それにまた君は一人だ」
赤司くんはそう言って私の手首を柔らかく掴む。それが逃避行の合図なのは言わずもがな。私たちはどちらともなく走り出した。
美術館の外に出ると青々とした芝生の広場が目に入る。流石にここにバスケットコートはないのか…と少し残念な気持ちになった。それを思ったのはどうやら赤司くんも同じようで、辺りを見渡して小さくため息を吐く。
「赤司くんバスケ好き?」
「うん、好きだよ」
「そっか。そうだよね」
淀みのない言葉に思わず口角が上がる。好きなことを好きと真っ直ぐ言えるのはすごいことだ。
「バスケットはね、母さんが教えてくれたんだ」
「赤司くんのお母さんが?」
「うん。母さんはとても優しい人で、勉強の合間にバスケを進めてくれたんだ。教わったっていうとアレだけど、オレにとっては教わったも同然だよ」
大切な思い出を語るように赤司くんは言葉を紡ぐ。お母さんのことが本当に好きなんだなとわかって温かい気持ちになった。だがそれと同時に感じる不安に肌がざわつく。なんだか、よくないことが起こるような……そんな気がしていた。
「……っ」
その不安をかき消そうと今度は私が赤司くんの手首を掴む。これは合図でもなんでもない。繋ぎ止めておきたいと思っただけだ。彼は一瞬肩を揺らして、それから笑ってくれた。
「どうしたの?みょうじさん」
「わかんない……でも、赤司くんがどこかにいってしまう気がして」
「……そう」
彼の瞳が揺れる。揺れるたびにチラつく金色に、どくりと鼓動が高鳴った。彼は、もっと何か、大きなものを内包しているような……そんな気配がする。このままじゃダメなような。失ってしまうような危うさが。
「大丈夫だよ。オレはどこにも行かない」
その言葉が嘘だと見抜けたから何もいえなかった。赤司くんは本心でそう言っているのかもしれない、それでも私にはわかった。この瞳に金色が混じる限り、それはありえないのだ。
「……私、赤司くんとは友達でいたいよ」
「オレは、友達だと思っているけど」
「じゃあ、嘘は嫌だな…」
「え……?」
「うまくいえないけど、赤司くんはいつか絶対この手をすり抜けて遠くに行っちゃうんだ……」
「なんで……そんなこと」
「わかるよ……それくらい」
赤司くんは何も答えてくれなかった。例えば私と彼が何度も出会うことが運命だとしたら、彼が遠くに行ってしまうことも運命なんだと直感的にわかる。赤司くんはしっかりしているように見えてとても不安定だ。「大人っぽい」のはその証拠。普通の小学生より何倍もの経験と、知識をつけているということに他ならないのだから。
でもそれ以上の言葉がなくて、何もいえずにいると、長い沈黙を破って赤司くんが口を開いた。
「決めた」
「え……?」
「オレ、帝光中にいくよ」
「……え?」
どうしてこの流れで進学先が決まるんだ?と気の抜けた声が出る。それに帝光中……といえばバスケがかなり強いところだって以前ミニバスのコーチが言っていたところじゃないか。
「悩んでたんだずっと。父さんが進める進学校に通うべきか、母さんから教わったバスケを続けるか……。みょうじさんの言葉で迷いは吹っ切れたよ」
「な、なんで……」
「なんでかはオレにもわからないさ。だけど、帝光にしようと思ったんだから仕方ないだろ?」
それは私の知らないところで彼が一歩を踏み出した結果だったのかもしれない。私だって彼がバスケを続けることができるならそれに越したことはないし、本人がいいならそれでいいけれど。
「いいの?そんな簡単に決めちゃって」
「簡単じゃないさ。言っただろう?ずっと悩んでたって。だけど、今オレからバスケをとったらオレがオレで無くなってしまう気がしてね。それに気づけたんだ」
だから、ありがとう。
赤司くんは私の両手をしっかりと握ってそう笑った。年相応の笑顔だ。彼からそんな笑顔を向けられると思ってもいなくて、はっきりと言葉にしてよかったと思った。
「……それに、バスケをしていたら君はオレを見つけてくれるだろう?」
「え?まぁ……これからもバスケットには関わっていこうと思っているけど……」
「そしたら、みょうじさんともっと長く一緒にいられるかもしれない。それじゃあ理由にならないか?」
告白を通り越してプロポーズみたいだ…。なんてぼんやりと考えてから、その意識を慌てて振り切る。小学五年生相手に何を考えているんだ私は。もっと純粋に考えろ…。
「ううん、理由になる」
真っ直ぐな言葉には、真っ直ぐな言葉で。彼は少し頬を赤らめて、それからまた笑ってくれた。
遠くに行ってしまう感覚がなくなったわけではないのに、この時の私はそれを見ないフリして一緒になって笑った。
prev |
next
←