地区の体育館からは活気のある声が溢れている。その様子に少し足取りが軽くなった。靴を脱いで体育館に入ると、ボールが弾む音が響き、瞬間、ボールは華麗な軌道を描き、ゴールネットに吸い込まれていく。手にしていた傘が滑り落ち、ピカピカな板張りの床を転がった。滑らかなドリブルシュートを放ったのは幸男くんで、彼はチームメイトとハイタッチを交わしている。その様子を呆然と眺めていると「どうしたの?」と声がかかった。慌ててそちらをむけば、コーチと思わしき男性が不思議そうに私を見ている。
「あ、これ、幸男くんに…っ」
私は傘を拾ってここに来た目的を告げる。すると男性は「ああ」と微笑んで、「よかったらミニゲームが終わるまで見ていきなよ」とコート脇のベンチに案内してくれた。私は大人しくそこに座ってコートに視線を送る。
バスケの観戦は何度かしたことがあるけど、いかんせんルールなどはよく知らないから、ひたすらにすごいとしか思わなかった。みんな小柄で速いし、小回りが利くようで、バッシュのキュッキュッという音が小気味好い。特に幸男くんの動きはすごくて、初心者の私でもこのゲームを動かしているのは彼だということがわかった。
(楽しそうだなぁ…)
コートの中の彼は心から楽しそうで、思わず見惚れてしまう。あんな笑顔、私がいると見せてくれないものだからレアだ。
しばらく夢中で眺めているとミニゲームは終わったようで、コート内にいた選手が整列していく。中には今の私より身長の低い子もいて驚く。
「ありがとうござました!!」
声変わりなんて全然まだな少年たちの挨拶が高い天井に響いた。額の汗を拭いながらチームメイトと楽しそうに談笑している幸男くんを側に立っていた男性が呼ぶ。彼は元気に返事をしてこちらを向き、私を見つけた瞬間あからさまに表情をひきつらせた。ああ、残念。
「笠松、友達だろ?」
「友達じゃ、ないっす」
「家が向かいなので…それだけです」
「うっす…」
「そうなのか?」と男性は苦笑して「じゃあ、指導があるから」とそそくさと離れていってしまう。幸男くんと二人きりは少し気まずい。どうしようかと視線を泳がせ、本来の目的を思い出した。ただバスケを見に来たわけじゃなかったじゃないか。
「あの、これ」
私は手にしていた傘を彼に差し出す。体育館の外からはすでに雨の音が聞こえて来ていた。幸男くんは一瞬固まって、その後小さく「おお」と呟くと傘を受け取ってくれた。「じゃあ、練習頑張ってね」それだけ言って踵を返すと、焦ったような幸男くんの声が背中にかかった。何事だろうと振り向くと、彼の顔は真っ赤でいたたまれない。雨の音がひときわ大きくなる。
「お前、の、傘は!?」
雨音に負けないように張り上げた彼の言葉に一瞬理解が及ばなくて、だけど意味合いがわかった瞬間顔に熱が集まってくる。
「わす、れた」
ミニバスが気になって、勢いのまま飛び出してしまったが、自分の傘を持っていない。雨が降るからって傘を届けにきたのに…。中身は社会人でしょうが…と誰にも言えない愚痴はため息となって溢れた。
「わすれ……て?」
幸男くんも「マジか」と言いたげに首をかしげる。どう考えてもマジだ。恥ずかしくなりながら頷くと、彼は周囲をキョロキョロと見てからズンズンと私に近づいて来た。何事だと半歩後ずさると、目の前に傘を差し出される。
「え、え、悪いよ…っ」
「う、あ………、すぐ、おわっから…」
待ってろ、雨音に掻き消えそうな声で言った彼は、ほぼ無理やり傘を押し付けて早足でチームメイトの元に戻っていってしまう。私はその背中をぼーっと眺めて、それから詰まっていた息をはーーーーと吐き出した。
(かわいいなぁ…もう)
幸男くんは女の子が苦手なくせに頑張ろうとしてくれちゃっているわけである。なんだかその行動のいちいちが可愛くて頬がにやけてしまう。
(うん、待ってるよ)
心の中で彼に伝えれなかった返事をしてベンチに座る。コートの中の彼の耳はここから見ていてもわかるくらい真っ赤で、なんだか見ているこっちが恥ずかしくなって来た。
(女の子…かぁ)
女の子として見てもらえるのなんて何年ぶりだろうか。元来のサバサバした性格もあってか高校生くらいからなんとなく男友達の方が多かったような気がするし、好きになった人には「可愛くねえ」とか言われるし……、こんなにあからさまに女子として見てもらえるなんて、居心地の悪さと羞恥心が同居してなんとなく調子が狂ってしまう。
(…とか、今更なんだけどね)
なんて痛いことを考えているのだろうかと自嘲する。「女の子」とかいう年齢でもないだろうに。
シュート練習をする幸男くんを追いかけていると不意に目が合う。相変わらずびくりと肩を揺らす彼に手を振れば、幸男くんは恥ずかしそうに目を逸らして、それから小さく手を振り返してくれた。
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