日中はミニバス、夕方から塾。そんな日常にも慣れたもので、今日も今日とて3時間の学習時間をなんとか乗り切った。特進クラスの生徒は殆どが中学受験をするようで、最近では志望校の話などがたびたび上がるようになっていた。高校受験と違って、受験問題は学校ごとに異なるため、先生たちがその対策なども教えているようだが、まだ志望校が定まらない私には関係ない話ではある。しかし大間先生に「まだか?」と急かされたりして焦る気持ちは少しだけあった。志望校が決まっていないのはもう片手で数えられるほどしかいないらしい。
他の生徒が順々に帰宅し、教室は必然的に私と花宮くんの二人っきりになる。そういえば先日、普通クラスの女の子に廊下ですれ違ったとき、「花宮くんと仲良いの?」と聞かれて少々面食らったりした。確かに花宮くんは頭もいいし、顔もいい。よく知らない子からしたらモテるんだろうなぁ、と思いながら「花宮くんとはなんでもないよ」と返した。確かに会話をする程度の仲ではあるが、なんでもないことには変わらない。
いつもなら私も彼に挨拶をして帰宅するところだが、今日は残念ながら用事がある。私が残念なわけではない。花宮くんからしたらそれはもう誠に残念だろうという意味だ。いつも通り自習する三つ後ろの席の彼の前に座る。彼は気付いているだろうが、何か良くないことを感じ取ってか声はかけてくれない。それでめげる私ではないけれど。
「花宮くん」
声をかけると彼は一瞬顔を上げた。それから感情の乗らない声で「なんだ」と聞いてからまたノートに向き合ってしまう。分かってはいたが素っ気無い。
「実は聞きたいことがあって」
「んー?手っ取り早く話せよ」
「うん。英語教えてくんない?」
私の言葉に手を止めた花宮くんは、ゆっくりとこちらを見てからこれ見よがしに眉を寄せた。
「ぜってーーいや」
返答は予想通り。だからめげずに「そう言わずにー」と言うと、もっと顔をしかめられる。綺麗な顔がすごいことになってしまっている。この顔、花宮くんのことが好きな子に見せたらどう思われるんだろうな……。夢壊れちゃうんだろうな…。
「つーかなんで英語なんだよ」
「それがねーアメリカ行くことになったんだよね」
「は?」
「それで、英語喋れないとやっぱり大変かなぁと思って」
「……お前、アメリカ行くのかよ」
「うん」
花宮くんは「ふーん」と呟いてから一度シャーペンを手元でくるりと回してから、ノートの最後のページをビリビリと破ってしまう。少しギョッとしながらも何をするんだろうと見ていると、その破ったページにスラスラと綺麗な字でローマ字を綴っているようだった。
「とりあえず使えそうな日常会話。読み方もふってやるからそれ使え」
「え、いいの?」
「今から教えるなんて無理だろばぁか。もっと早くいえよ」
「それが、つい先日決まったからさぁ」
「ふん」
花宮くんは文句を言いながらも綴るのをやめない。綺麗だなぁ、とその様子を見つめてしまう。字だけじゃなく、彼の真剣な表情は彼が好きな子じゃなくても綺麗だと思ってしまうほどだ。蛍光灯の白々しい灯が彼の髪で反射している。柔らかそうな黒髪。女の子だったら大和撫子……みたいな感じだったんだろうなぁ、性格は置いておいて。
「ほらよ」
「わぁ!」
しばらく待つと彼はその紙を差し出してくれた。使う場面、頻度、読み方、注意点。事細かに記されている。小学生に頼るのは…と思ったが、どうやら正解だったみたいだ。
「やっぱり花宮くんはすごいね」
「すごかねえよ。英語だって習ってるしな」
「そうなんだ」
そうなんだ、なんてよくいえたものだ。そんな気はしていたのだ最初から。だから花宮くんなら、と声をかけたのだから。
「ありがとうね、本当に助かる」
「…………なぁ、まじかよ」
「ん?」
「アメリカ行く話」
「うん、まじ」
「……いつ」
「んー……8月入ってすぐかなぁ」
「はっや。ありえねえ」
花宮くんは頬杖をついてじーっとこちらを見下ろしてきた。紫がかった灰色の瞳だ。何を思っているのかが掴みづらい不思議な輝きをしている。どうしたんだろう、と首を傾げると彼はふいっと視線をそらしてしまった。
「……やめとけよ、いくの」
「え……?」
静寂を切り裂いたのは、なんだか悲しい響きの声音だった。彼の端正な横顔を見ても全く真意が掴めない。
「お前みたいなお人好しが行ったらすぐ食いもんにされるぜ」
「お人好しじゃないし…大丈夫だよ」
「つーかうまくやれんのかよ。無理だろバカが」
「いや、だから花宮くんに教えてもらったんじゃん」
「ふはっ、まじで筋金入りのバカだな。こんな付け焼き刃でどうにかなるかよ」
「えー……楽しみにしてたのになぁ……アメリカ旅行」
「…………」
バッとこちらを向いた花宮くんが目を丸くしている。珍しい、と思っていると彼は小さく「旅行…?」と呟いた。
「うん。商店街の福引で当たったのをもらってさぁ。ロスにお母さんと一週間くらいいくんだよね!」
私が言い終わるか言い終わらないかくらいのタイミングで盛大な舌打ちが聞こえた。さっきまでそんな雰囲気なかったのに、今の花宮くんは触れたら爆発しそうな勢いでイライラしているのが見てわかる。
「えっと、花宮くん……?」
「うるせえ黙ってろバカ女。つーかさっさと帰れ」
「えー!?なんで怒ってるの!?」
「自分で考えろ!いや考えんな忘れろ!!」
取りつく島もなく捲し立てた彼に教室から追い出されてしまう。廊下に出たところで彼に「またね!」と声をかけてみたが返事はなかった。
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