夏休みが明けて学校が始まり、転校生として自己紹介をした私にクラスメイトは無邪気に話しかけてくる。小学校低学年ってそうか、ここまで無邪気だったか。もうそんな昔の記憶なんて微かなもので、自分が小学生っぽくと演じていたのはいささか大人すぎたな、と自覚する。とはいえもう軌道修正は難しいからこのまま行くんだけど。休憩時間になるたび色々質問をされるが、正直引っ越し前のことの方が全く覚えていなくて、適当にはぐらかす。生まれの場所なんて引っ越してからは行ったことすらない。あんなに泣いたくせに自分でも薄情だとは思った。
転校1日目は始業式と簡単な学活だけで、先生の話をぼんやりと聞く。他のみんなはどこか前傾姿勢で話を聞いていて、この頃はみんなイイコだったんだなぁと感心した。まあ、私はもうとっくにイイコではなくなったのだけれど。
授業は午前中で終わって、クラスメイトたちは仲良しの友達と下校の準備を始める。私はどうしようかなと考えていると廊下に幸男くんの姿を見つけ、ランドセルを背負って駆け寄った。
「幸男くん!」
「あ、おう」
幸男くんは少し頬を赤くして目を逸らした。誰かと一緒にいる様子でもない。本当に大人だな、と思った。だからそんなことに気付いたそぶりも見せないように、あえて「一緒に帰ろ?」と聞けば彼は「おう」とだけ答えて先に歩き出す。私のことは気にしないでって言っても彼は聞いてくれないだろうから、きっと甘えて正解なのだろう。
転校して2ヶ月が経ち、少し肌寒くなってくる頃には幸男くんは相当私に慣れたようで、話しかけたくらいでは頬を染めなくなったし、ある程度側に近寄っても何も言わなくなった。もしかして女の子が平気になったのかと思ったのだが、他の子ではこうはいかないらしい。本人的にはよくないかもしれないけれど、私的にはちょっと特別感があって嬉しかった。
2ヶ月あれば流石に私にも友達はできて、下校は大体その子たちと一緒だけれど、登校は幸男くんとだし、時々下校時間が被る時は一緒に帰る。タイムスリップ前はこんなことなかったから、所謂幼馴染というのはこういうものかなんて一人納得したり。もちろん悪い感覚ではない。
休日にはミニバスに向かう彼と一緒に家を出て、最近では裕や、慶太くんも一緒に観戦しに行くこともしばしばあった。多分二人はバスケを始めるだろう。そのキラキラとした双眸がそう訴えている。
「くしゅんっ!」
びゅーっと吹いた風に思わずくしゃみが出てしまった。太陽が出ていれば暖かさを感じるぐらいの気温ではあるが、やはりもう11月、風は冬の冷気を孕んでいる。それに登校時間ということもあいまって気温もそれなりに低い。
隣に立つ幸男くんは「風邪か?」と心配そうに聞いてくる。説得力がないなあと思いながら首を振ると、「気をつけろよ?」とため息をついて前を向いてしまう。寒くて少しくしゃみが出てしまっただけだ、「大丈夫だよ」の声は少し鼻声で自分でも驚くほど嘘くさいなと思った。
「風邪ですね」
お医者さんの言葉に私はずずっと鼻水をすすった。えらく綺麗な顔をした彼は長い睫毛を伏せて「薬を出しておきます」とカルテになにやら書き込んでいるようだ。傍らの母は、普通の風邪であることに安心したのか「よかったぁ…」よため息を吐き出す。幸男くんに指摘されたあの日からしばらく咳やくしゃみが止まらなかったので母に相談したところ、大学病院の小児科に連れてこられて今に至る。大丈夫だよ、なんてどの口が言ったんだと乾いた笑みがこぼれた。
「まあ、安静にしていればいいとは思いますが、微熱も出ていますから気をつけてください。これぐらいの子は簡単に悪化するので、親御さんが気をつけていただかないと」
「はい…気をつけます…」
「えー、なまえくん?薬は液体?粉でも大丈夫か?」
「粉でも大丈夫です」
「そうか、それはすごいのだよ」
お医者さんは綺麗に微笑んで私の頭を撫でる。今の母と変わらないぐらいの若い医者だが、いかんせん私の実年齢的に魅力的に見えて仕方ない。かっこいいというよりも美人な人だ。
「小学生二年生か、私にも一年の息子がいるが、あいつはまだ液体しか飲めんのだよ」
「子供だろう?」と澄んだな緑色の目を細めて笑う姿があまりにも素敵すぎて、思わず上擦った声で返事をしてしまった。妻子持ちには見えない…。
彼は再度私の頭を撫でてから表情を引き締めると母に向き直る。どうやら子供と親で顔を使い分けているらしい。
「では診察は終わりです。お大事に」
お薬もらってくるね、そう言って受付に行ってしまった母の背中を見送りながら、待合室で大人しくしていると、どこからかピアノの音が聞こえてきた。聞いたことがあるような、無いような、そんな曲に興味を持って音のする方に向かってみると、そこは大学病院の中央を貫くようにあしらわれた吹き抜けのホールで、天窓から差し込む光が照らすそこには真っ白なグランドピアノと、それをもの悲しげに弾く緑髪の少年がいた。
簡単だけど澄み通った旋律に、つい耳を傾けてしまう。そこから一歩も動けずただその光景に見惚れていると、曲が終わったのか奏者の少年がこちらを向いた。太陽に反射する緑色の髪がキラキラと瞬く。黒縁メガネのレンズの向こうに見えるその長い睫毛と澄んだ緑色の瞳はどこかで見たようなものだった。
「なにをしているのだよ」
まだ幼い少年の声に肩がびくりと震える。子供が出すような声音ではなかった。ひどく冷たい、淡々とした声だ。
「ごめん…聞こえてきたから気になっちゃって……」
「盗み聞きとは趣味が悪いのだよ」
「いや、本当に綺麗で、声をかけられる雰囲気じゃなくて……」
緑髪の少年はふんっと鼻を鳴らすと、譜面台に置いてあった楽譜を小脇に抱えてぴょんと椅子から降りてstaff onlyと書かれた扉の方に行く。彼が先ほどのお医者さんの息子だということはその見た目や口調から大体分かっていたから「そっちじゃ無いよ」なんて野暮なことは言わないが、せめてと思い呼び止める。
「あの!名前を教えて!」
彼はこちらを振り向くと、非常にどうでも良さそうに口を開いた。
「緑間 真太郎だ」
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