体育館に悲鳴が轟いた。
コーチが何か名前のようなものを叫んでコートに入り、顧問が救急車と保健室の先生を呼ぶように辺りに伝えている。何人かが体育館を飛び出して、体育館中はパニックに包まれていた。
「先輩、しっかりしてください!」
そう言うのは花宮くんの声で、やっと私は状況を理解することができた。
GW明けの練習で起きた不幸な事故。この一連の騒ぎはそれで収まった。
このバスケ部は練習の最後をいつもミニゲームで締めている。そしてドラ息子ーズはそのミニゲームにだけ参加しているのだ。私がドラ息子ーズに頼まれたドリンクを外のウォータークーラーで作っている時に、そのミニゲームは始まり、戻る頃には唐突に終わりを告げた。
ゴール下でシュートを決めようとした花宮くんがバランスを崩し、倒れた先のドラ息子の顔に肘が埋まってしまったらしい。ドラ息子は脳震盪を起こし気絶。じきに救急車がやってきて、コーチと共に病院に行ってしまった。花宮くんは酷く落ち込んだ様子で、一応怪我がないか見てもらうよう保健室に向かったようだ。
まるで嵐のようだった、とため息をつく他ない。取り巻きの愉快な仲間たちもそそくさと帰ってしまって、流れで始まった清掃にも覇気は感じられない。誰もが口々に花宮くんの名前を出している。
「花宮大丈夫かな…。気にしないといいけど……」
「あいつでもミスするんだな…。励ましてやらねえと」
誰もドラ息子のことを心配する人はいない。だってみんな心のどこかでこうなることを願っていたんだ。それが「たまたま」今日、花宮くんが「偶然」起こしてしまっただけで……。
「偶然……?」
そんなことがあるのか?たまたま?偶然?あの花宮くんが?これは本当に事故?それとも……。
「おーい、マネージャー!」
タオルをたたみながら思案する私に声がかかる。顔を上げると保健室の先生が申し訳なさそうにそこに立っていた。
「先生?」
「すまんなぁ。これからちょーっと野暮用で。代わりに花宮のこと見といてくれないか?」
「あ、はい。わかりました。タオル、たたんだらいきます」
「すまんねえ。頼んだよ」
手をひらりと上げて去っていく先生の背中に頭を下げる。ちょうどよかった、花宮くんには聞きたいことと言いたいことがあったのだ。急いでたたんで花宮くんのところに行こうと考えていると、いつのまにかそばに今吉くんがいた。
「今吉くん!?」
「これ、たたんどくで、花宮のところ行ったり」
「え……?」
「どうやら“傷心中”みたいやからなあ」
あからさまに「傷心中」を強調され、やっぱり見抜かれていると気付いた。だがそれは私が言うことではないので今は素直に甘える。「お願い」と頭を下げて、体育館を後にした。
保健室では花宮くんがベッドに腰掛けていた。その肘には一応の治療か、湿布が貼ってある。言いたいことはたくさんあるが、まずは彼の真意を確かめようと隣に腰掛けた。
「……なまえか」
「…………怪我は大丈夫?」
「打ち身だけだ」
花宮くんは湿布の貼られた肘をこちらに向けてそう言う。酷く空っぽな表情だった。さして興味がないと、そう言いたげに。
「花宮くん、わざとでしょ」
「ああ」
「やっぱり」
それもそうだ。あんなにピンポイントに肘を入れるなんて芸当、他の人ならまだしも花宮くんだったら計算尽くでやってしまうのだろう。それでも、今彼はどうしてこんなに空っぽなのだろうと疑問に思った。彼のことだから前から計画していたはずだ。それが成功したんだから喜んだらいいのに。
「ねえ、何でそんな顔するの」
「ふはっ。まだ終わってねえよ。このまま帰ってきたらまた同じことの繰り返しだ」
「そしたらまた花宮くんは同じことをするの?」
「またやったら怪しまれるだろ?今度はもう少し趣向を変えて……」
なんだかその横顔が悲しくて、つい手を伸ばしてしまう。きっと彼は自分のためにやっている。それはわかっている。色んなものを覚悟の上で、一人で戦っているんだ。それを、背負わせてくれないのが辛い。彼のTシャツの裾を掴んだ指が震えていた。
「もし今度があったら……」
「ん?」
「今度があるなら、私がやる」
「……は?」
「だってさ、殴った手って痛いじゃん。花宮くんの肘も痛かったはずだよ」
「……」
「やだよ、そんなの。しかもさ、もしうまく行ってなかったら、花宮くんが怪我してたよ?床に肘ぶつけて、もっともっとひどい怪我を……」
「ふはっ。俺がそんなミスするわけねえだろ」
「そんなことない!!」
本当は、怖かったんだ。
花宮くんはなんでも一人でできちゃって、頭も良くて、運動もできて、人の気持ちもわかって、まだ中学生なのに自分の感情もコントロールできて。ずっと花宮くんが怖かった。初めて会った時から、きっと一人で生きていける彼を見ているのが怖かった。
私も、大人になって背伸びして、一人で生きれるって息巻いて、ちっともそんなことなかったのに。彼はきっと、誰にも心のひび割れを見せずに生きていくんだ。
それに気付けるのは私だけなんだって傲慢にも思った。きっと彼にそれを言ったら笑われるし、ばかにされるだろうけど、でも思っちゃったから。だから。
今はこの手を放すのが怖い。
「100%なんてないよ……。そんなの嘘っぱちだよ」
「…………」
「人生なにが起こるかわかんないんだよ……。目が覚めたら小学二年生の体になってるかもしれないんだよ……」
「なんだそりゃ。お前やっぱりばか女」
「ふざけてないの!!……ふざけて、言ってるんじゃない」
自分でもめちゃくちゃなことを言っていると思った。なにを話しにきたのかも分からない。感情のままに口が動いて、止めどない。
「…………」
「花宮くん、お願い」
「…………」
「もうこんなことしないで……」
「…………」
「お願い……だから……」
保健室のシーツが夕焼けに染まる。涙を堪えすぎて鼻の奥が痛かった。ぶるりと肩が震える。
花宮くんは、なにも言ってくれなかった。
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