事故(事件)から一週間後。ドラ息子は脳に異常はなかったものの、アキレス腱断裂で全治三ヶ月と診断された。練習後の反省会でそれは伝えられ、周囲はとにかく花宮くんを心配していた。
あの事故の翌日、激昂したコーチは息子に怪我を負わせた花宮くんを辞めさせると息巻いていたし、花宮くんも責任を取ってやめるとそう言っていた。しかし周囲の助言と、いつもはコーチに付き従う顧問までもが花宮くんの擁護に回り、コーチは渋々と言った面持ちで花宮くんの退部を撤回してくれた。
これも全て花宮くんの策略だと言うのだろうか。確かに花宮くんの外面は完璧だ。まるでこうなると最初からわかっていたような。花宮くんは表情を見せないように俯いて、慰める顧問に掠れる声で「はい……」と呟いていたが、私には笑っているように聞こえた。
「ほんますごいやっちゃなぁ」
「…………」
いつものようにタオルをたたんでいると今吉くんが手伝いに来てくれた。いや、おそらく私と話すついでに手伝ってくれているだけだろうけれど。今吉くんは私と違うたたみ方でタオルをたたみながらこともなげにそう言う。花宮くんより奥底が見えないのはこの人だ。
「自分もそう思うやろ?」
「…………」
「それとも、しっとった?」
「…………」
例え今吉くんでも花宮くんのことを勝手に答えることはできない。それに今私は花宮くんに猛烈な怒りを覚えている。一人で何かをこなす彼に。一人でできると思っている彼に。あの保健室で返事をもらえなかったから、不安がずっとついて回って仕方ない。
「なぁ、自分。今度は私の番や〜とか思ってるんとちゃう?」
「っ!」
図星、だった。もし次があるのなら私がやると花宮くんにも言った。この部を変える力が私にもあることを証明したい。花宮くんだけじゃないと、だから一人で背負わないでと、そう言えるための根拠と確信が欲しい。
顔を上げると、今吉くんはいつものように底の見えない笑みを浮かべていた。以前彼は「どうにかする方法がある」と言っていた。それが今なら、私はそれに付き従う。私にできることがあるなら、その限りは協力したい。誰よりも、自分のために。胸を張って「一人じゃない」と言えるように。
「今吉くん」
「んー?」
「私を、使って」
彼は、ニィッと口角を上げた。
それから一週間後のことだった。練習が終わり、殆どの部員が帰った放課後の体育館で私はそっと息を吐いてコーチが待つミーティングルームのドアを叩く。最近のコーチは息子がいないからかとてもイライラした雰囲気を隠さずにいた。特に花宮くんがいる一年への当たりが強い。
「誰だ?」
中からの返事に「みょうじです」と答える。コーチは少し間を置いてから「入れ」と言った。
ここに入ったら勝負だ。なんでもすると誓った。私を使ってと自ら申し出た。私はプレイ中にわざとファールを起こすとかそう言う芸当はできないし、人を使うことだってできない。もちろんそれに甘んじるわけじゃないし、今吉くんに使われるのも今日が最後だ。ただこの一回のために、私は自分すらも活用する。
「どうした、みょうじ」
相手は自分の親と同じくらいの男だ。バスケット経験者だからガタイもいい。心臓がうるさいくらいになっていた。少しだけ震える手が忌まわしい。でも大丈夫。今吉くんの作戦だ、きっとうまくいく。
「あの、コーチ」
徐に、制服のボタンに手を伸ばした。
一つずつ外していく。ブレザーを脱いで、リボンを外して、それから深呼吸。
一息に、シャツの全面を破るように開いた。
「なっ、なにをしてるんだお前は!!」
白日の元に下着を晒すなんてやりたくてやってるわけじゃない。そもそもコーチに見られるのだって嫌だ。恥ずかしくないわけじゃない。というか正直もうめちゃくちゃ恥ずかしい。このために可愛い下着を用意したわけじゃないし、自分の体も貧相すぎて泣けてくる。それでもやらなくちゃいけない。これが私が選んだ道だから。
慌てたコーチが私のシャツを掴んだ瞬間、シャッター音が鳴り響いた。
「スクープや」
ミーティングルームの入り口で、携帯を構えるのは今吉くんだった。彼の姿を見て、安心からか腰が抜けた。できた。私にもできた。うまく行った。
「お、お前らこれは一体!!」
「あれー?分からへんの?」
まるで煽るように今吉くんは眉を下げる。私はブラジャーが見えないようにシャツで全面を隠した。コーチの焦った横顔がよく見える。
「だから、スクープやって。どこからどう見てもマネージャーを襲うおっさんの図やなぁ」
「なにを言っているんだ……!これはこの女が勝手に!」
「それが通用する世界やと思う?」
「!!」
「わかるやろ?電車の中でなにもしてないのに痴漢やと間違われる。声をかけただけで怖がられる。それが圧倒的性差や。ワシもなぁ、好きやないんですよ?男女差別みたいなことは。でもそれが事実」
「……」
「この写真とマネージャーの証言。それさえあれば十分なんですわ」
にっこりと言った調子で今吉くんは笑った。背筋が凍る。今日以上に味方で良かったと思ったことはない。道徳もなにもあったものじゃない。それでも、それはあまりにも強すぎる。山札の中から無理やりジョーカーを引き抜いて使った、そんな感じだ。
コーチはその場に崩れ落ちると、震える声でこう言った。「なにをすればいい」と。今吉くんは奥底の見えない目を見開いて口をゆっくりと動かした。
「とっとと出てってください。このバスケ部から」
コーチは熟考して、悔しそうに了承し、ミーティングルームを出て行った。私は思わずため息をついてしまう。今吉くんは携帯を何やら操作してから私の目の前にしゃがみ込んだ。
「すまんなぁ、こんなやり方で」
「私が入部するって言った時から考えてたんでしょ?これ」
「せやで。今なまえちゃんが来るのはちょうどええと思った」
「清々しいね……」
この作戦を聞いた時、私は二つ返事で了承した。罪悪感もなかった。コーチはそうせざるを得ないような人だったから。顧問に言っても無駄なら、自分で出て行ってもらうしかない、そう言った今吉くんの意見には全面的に賛成だったし、誰も傷付かずこうなる運命にするためには私が文字通り一肌脱ぐのが効率的かつ確実だった。
「怖かった……?」
それでも。それが分かっていても。
「怖かったよ」
私は包み隠さず本心を呟いた。今吉くんに嘘は通じないから。今吉くんは優しげに微笑んで「これ着や」と上着を渡してくれた。私は静かに首を振る。シャツをボタンごと開いたのは、そちらの方が止められずに済んで成功率が高いと自分で判断したからだ。ボタンを一つずつ外して、その間に止められたら元も子もないから。今吉くんは小さく「そか」と応えて、それから頭を撫でてくれた。この人がやれとそう言ったのに、なんだが落ち着いてしまうのはなんでだろう。
「写真は削除したから、もう忘れてまえ。な?」
「なんで消したの……?」
「なんや、残しといて欲しかったん?」
「違うけど。もしコーチがこれで戻ってきたら……」
「戻ってこぉへんよ」
そんな確信は絶対ないと思う。彼の言葉は私を安心させるためのように聞こえた。変なところで優しくしないでよ、とそう思いながら「ありがとう」と呟けば、「罪悪感で死んでしまうわ」と笑われた。
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