今吉くんに脅されたコーチは、まるで逃げるように退任し、ドラ息子を連れて引っ越した。その愉快な仲間たちも今までの横暴による居場所がなく、次々にやめていき、バスケ部に蔓延っていた問題は解決してしまった。そして誰が連れてきたのかどこからか経験のある専属のコーチがやってきて、就任し、新たにレギュラーを選出していく。新コーチは三年の引退を待たず今吉くんを主将に任命し、指導類を一任してしまった。最初は不破が起こった今吉主将体制も、次第に落ち着きを取り戻し、一週間が経つ頃には誰も文句を口にすることはなくなった。
こうして、一連の事件はまるで今吉くんの掌の上で転がされていただけだったかのように幕を降した。
強豪の休日はごく稀だ。何週間ぶりかの休日に私は久しぶりの大学病院に向かった。ストリートのコートとか、行きたいところは他にもあったけれど、真っ先に思い浮かんだのは真太郎くんだった。私はその衝動のままバスに乗り、いつもの道を揺られる。
大学病院前のバス停に着き、まだ子ども料金でいいのだろうかと思いながら子ども料金で払っても何も言われなかった。少しだけ悲しくなる。
バスを降りて久しぶりの大学病院。辺りに咲くはずの桜の木が、青々と葉を揺らしている。
ストリートのコートに向かうと、そこには見慣れた姿が……。いや、身長が伸びすぎていないだろうか?私がこなかった間に何があったのだ?と驚くほど身長が伸びている。敦くんほどではないが……170cmはゆうにあるだろう。急に大人びた雰囲気の彼にかける言葉を失う。あの緑頭は絶対に真太郎くんなのに、なんだか少しだけドキドキした。
私はそっと息を吐きながらいつものベンチに座る。今日の先客は筆箱だった。あぁ、こういうところは変わってないなぁとクスリと笑うと、その声に気付いたのかシュートを決めた真太郎くんがこちらを向いた。
「あ」
「……」
まだ幼さが残る顔つきに安堵してしまう。真太郎くんはじーっと私を見てからTシャツで汗を拭うとこちらに歩いてきた。なんで無言…なんで無表情…と思わず逃げ腰になってしまう。真太郎くんはとても美人顔だから、黙っていると迫力がすごいのだ。
目の前にずーーんと立ち塞がる真太郎くんに言葉が出ない。本当に大きくなっている。成長痛酷そうだな、とかそんな的外れなことを考えてしまった。
「なまえ……」
「えっ、えっ。あ、はい。なまえです」
「ふっ、変わらんな」
優しげに目元を緩める彼に目を奪われる。今この瞬間はこの世で一番綺麗だとお世辞抜きにそう思ったのだ。なんだか顔を合わせるのが恥ずかしくなり俯くと、今度はしゃがみ込んでまで目線を合わされた。距離感が、近い気がする。
「やはりおは朝は当たっているな」
「え……?」
どうしてここでおは朝の話題?と思って顔を上げると、頬を優しく撫でられる。長い指がこめかみを撫でて、ブワッと顔が熱を持った。
「今日は大切な人と会えると言っていた」
「たいせつなひと」
なぜか緊張してしまい、言葉をおうむ返しにしてしまう。真太郎くんは楽しそうに笑って、「そうなのだよ」と応えてくれた。
「俺にとって大切なのはなまえだ。だからおは朝は見逃せん」
真っ直ぐな言葉に一瞬呼吸を失った。まるで口説き文句だと思ってしまう脳を叱咤し気持ちを立て直す。今日の真太郎くんはいつもの五百倍破壊力がある。何か原因が?と考え、どう行き着いても私が悪くて何も言えない。恐る恐る「もしかして拗ねてる?」と聞くと、彼の指はあからさまにピクリと動いた。
「別に、拗ねていないのだよ」
「やっぱり……」
何週間も会えずにいたから甘えたいんだろうなぁ、と頭を撫でると「だから違うのだよ!!」と吠えられた。真太郎くんは素直じゃないからなぁ。しばらく黙って撫でられた真太郎くんは、呆れたようにため息を吐いて立ち上がった。一気に距離が遠くなる。
「別にお前が中学で忙しくしているのはなんとなくわかっている」
「うん、色々あってね……」
それはもう色々あった。だがそれを他者に説明するのも憚れて誤魔化す。真太郎くんはまるで見抜いているように目を細めてから、「まぁいい」と嘆息した。
「俺も最近は受験の準備で忙しいからな」
「真太郎くんも中学受験?」
「ああ」
「へぇ。志望校は?」
「帝光だ」
ピシャリと言い放った彼に言葉を失う。そうか、彼も帝光中を目指しているのか。いやきっと彼のことだから入れるのだろうけれど、頑張れ、というのも 応援してる、というのもなんだか違う気がして何度も吐息だけが唇から溢れる。どくりどくり、と確かな心臓の鼓動を感じた。
「……バスケ、強豪だもんね」
「ああ」
「真太郎くんならすぐレギュラーになれるとおもう」
指先がビリっと震えるような、膝ががたりと震えるような、不明瞭な不安がそこに立っている。それは目に見えずに、でも確かに真太郎くんににじり寄っていて、追い払いたいのに私にそんな力はなくて、笑うことしかできない。この不安は何?正体が見えない。わからない。ただ何かが起こると予感するような、そう言った“恐怖”だった。
「なまえ……」
優しく私の手を取ってくれた彼に何かを言おうとして、結局何も言えずにただ俯く。結局、私は一人じゃ何もできないのだ。
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