大事な事から忘れていく病気


 壊れるくらいに、シャワーの蛇口を捻ったみたいな雨だった。痛い、冷たい。絶えず何かに全身を殴られ続けているみたいな心地がする。昨晩のニュースで、今世紀最悪と謳われていた豪雨だ。正常な人間なら、今頃は家の中で大人しくしている真夜中の今日この頃——何故か俺は、空き地の中心に膝を着いていた。
 だって明日も仕事があるのに、例の案件の打ち合わせもしなければ。卵の期限もやばかったし、トイレットペーパーもなくなりそうだった。ここの所の雨で溜め込んだ洗濯物にもそろそろ手をつけないと……もうすぐ友人と家族の誕生日だったし、贈り物も考えたい。
 ……俺にはやることが山積みなのだ。それなのに、三メートルほどの正方形の土地の中心で、周囲に鬱蒼と生い茂った草が、激しい雨に絶えず踊るのを延々眺めている。ここは何だろう、そして俺は、何のためにここに来たのだろう。……何故、ここから動く事が出来ないのだろうか。全て、全て分からないのに、まるで体が縛られたように、この場へ留まっている。不安と焦燥に駆られたまま、俺はふと、膝の下の地面を見た。ぬかるんでいる。ぐっちゃぐちゃだ。ああでも、そうだ。地面に手を着く。この下に、アイツが——、……あいつ?
「…………ん? ってか、うわ、汚っ! 泥まみれじゃねーか」
 何やってんだ俺、と吐き捨てて立ち上がった。こんな所で転けるなんて。というか、服も酷く汚れている。赤いし黒いし……うわ、何のシミなんだ、これ。鉄錆か……? 最悪だ。というかなんでこんな所にいるんだよ、謎すぎる。明日も仕事だぞ。
「はー、さっさと帰ろう」
 と、そこで。重要な事実に気がついた。ただ一つにして、たったの一つの真実だ。
「この豪雨で、なんで傘さしてないんだ……」
 一つ、大きなため息をついて空き地を出る。ぬかるんだ地面から舗装された道へ出たところで、ふと思い出した。
 そうだあの傘、今朝誰かにパクられたんだったわ。誰だっけなぁ、まあいいか。