メリークリスマス

世間は恋人たちで賑わうクリスマス。聞き飽きたクリスマスソング、眩しいくらいのイルミネーション、手を繋いで行き交うカップル。仏教の癖に色んなイベントを祝う日本は大忙しだ。かく言う自分も、そんなクリスマスに浮ついていた一人であった。…過去形で。

「…………」

シンと静まり返るリビングには、二人では食べ切れないホールのケーキ。苺の横で、砂糖のサンタさんが可愛らしくポーズを決めている。そのケーキを囲むように、チキンやピザが食卓を彩り、普段は並ばない様なご馳走が用意されていた。全て私が、クリスマスだからと勝手に張り切って用意したものだ。それらは全て手付かずのまま放置され、すっかり冷え切っている。

そんな豪華なご馳走を一瞥した後、私はもう一度スマホに目を落とした。開かれたままの、彼のトークルーム。

『悪い、残業になった。帰り遅いから先に寝てて』

同棲中の彼氏…鉄朗からのメッセージだった。何もこんな事は珍しくない。彼の仕事は忙しくて、私が寝ている間に帰ってきて、私が起きるまでに出勤しているなんて事もよくある話。だけど、だけど今日だけは、一緒に過ごしたかった、なんて言ったら我儘な女だと思われるだろうか。同棲してから初めてのクリスマス。まさか一人寂しく過ごす事になるなんて。街中のカップルが羨ましい。

可愛くない私は、1時間前に来た鉄朗のそのメッセージに対して、可愛げのない返事をした。『そんなに仕事が好きなら、仕事と結婚すれば?』なんて、向こうも呆れているかもしれない。既読が付いたまま返ってこない返事にツンと鼻の奥が痛くなって、私はそのままスマホを投げ出した。実家戻って、両親とケーキ食べようかな、そのまましばらく泊まってこようかな、なんて考えて、思い立ったら即日とでも言うかのように、私は荷物を纒め始める。数日分の着替えと、メイク道具と、必要最低限のものを鞄に詰めて、家の戸締りもしっかりチェック。向こうに帰って、頭が冷えた頃にこっちに戻ってこよう、そんな軽い気持ちでいた私に、ピコンとスマホの通知音。

鉄朗かな、そんな期待を抱いて急いでスマホを取る。画面に映し出されていたのは、彼と同じ会社に勤務する高校からの友人、夜久からのものだった。鉄朗じゃ無かった、と少しばかり落胆しつつ、そのトーク画面を開くと、

『俺からのプレゼントだ。感謝しろよ』

という短いメッセージ。どういう意味だと首を傾げている内に、今度は玄関の方からバタバタと慌ただしい音が聞こえた。今度は何事だと、リビングから玄関へ向かうと、忙しなくガチャガチャと鍵を鍵穴に突っ込む音が聞こえてくる。焦って上手く嵌らないのか、しばらくの間それが繰り返された後、ようやく開いた扉。そこから姿を現したのは、私が今死ぬほど会いたかったその人だった。

「鉄朗…!?」
「ただいま…!遅くなった…!」

はあはあと息を切らす彼の額には、こんな真冬だというのにうっすら汗さえ見えて。ここまで必死に走って帰ってきた事が分かると、不覚にもじわりと涙が浮かんだ。何よ、残業とか言ってた癖に、どうして今更…。言いたい事は山程あるのにうまく言葉に出来なくて、代わりにポロポロと涙が溢れてきた。鉄朗はそんな私を見るなり、革靴も乱雑に脱ぎ捨て鞄も放り投げ、ずかずかと家に上がったまま私を抱き締めた。

「夜久が代わってくれた」
「てつろ……、」
「ごめん。寂しい思いさせて」

今まで何度も喧嘩した事があったが、彼がここまで素直に謝ってくるのは初めてかもしれない。続けて鉄朗はポケットからスマホを取り出して、開きっぱなしの私とのトーク画面を突き出した。そこに残っているのは、私が送った先程のメッセージ。仕事が好きなら仕事と結婚すれば、という可愛くないあの言葉が映し出されている。

「これ」
「あ……、ごめ、」
「仕事なんかと結婚して堪るか」

ムッとした顔のまま、今度は拗ねている鉄朗。私も子供みたいだったな、と反省する。もっと素直に、クリスマスくらい一緒に過ごしたいと言った方がよっぽど可愛げがあっただろう。ちゃんと謝ろう、仲直りして、二人のクリスマスをやり直そう、そう思う私を他所に、鉄朗の視線はリビングの方へと注がれていた。

「…おい」
「え?」

何を見ているんだろう、そう辿った彼の視線の先には、先程まで実家に帰ろうとして纏めていた荷物。数日だけ泊まって来ようと考えていたその荷物を、鉄朗はどうやら勘違いしてしまった様で、怒気を含んだ声で私を見下ろしていた。その誤解に気付いた私が慌てて弁解しても、こうなった彼は一切聞いてくれない事を知っている。

「あ、違う、待って鉄朗、あれは…!」
「俺がいない間に出てこうとしたって訳だ」
「そうじゃなくて、私はほんの数日だけ、」
「夜久に代わって貰って良かったわ。お陰で逃さずに済んだ」

ずるずると寝室へ引き摺られて、そのままダブルベッドに乱暴に投げ出される。え、え、と動転する私を放って、彼はスーツのジャケットを投げ、ネクタイを緩めながらベッドに乗ってきた。何をしようとしているのかすぐに分かって、顔に熱が集中する。話を逸らそうとする私の手を、彼の冷たい手が簡単に絡め取る。

「て、鉄朗…!スーツ皺になる…!」
「知るか」
「ご、ご飯も、せっかく用意したのに、」
「後で貰う」
「せめてお風呂入ってから…!」

抵抗虚しく、私の上には真剣な顔をした鉄朗がのし掛かった。その瞳に見つめられて、何も言えなくなってしまう。狡い、そんな顔するなんて。私が強引に押されると弱いことを知った上で、確信犯でやっているんでしょう?

「知ってます?今日って、一年の中で一番多いんだと」
「な、何がですか」
「…分かってる癖に」

耳元で囁かれた単語。別に鉄朗とするのは初めてじゃないのに、何で、こんな、恥ずかしくて熱いんだろう。

「セック、」
「い、言わんでいい!!」

被せた言葉に残念そうにする鉄朗は、それでも私の上から退く気配は無い。だが今更、私も抵抗する気など無かった。だってこうなってしまった鉄朗を止めるのは、もう誰にも出来ない事だから。私的には、一緒にご飯食べて、テレビ見ながらまったりして、お風呂入ってその後に、っていうプランだったのに。何一つうまくいかないクリスマス。シーツの海に溺れ、軋むベッドに耳を傾けて。汗ばむ手を握り締めながら、こんなクリスマスもまあ悪くないとか思い始めていた。



ーーーー・・・・



「…クリーム溶けてるな」

あれから1時間。リビングに戻ってきた私たちの前にあるのは、冷えたチキンやピザ、暖房でクリームが溶けたケーキ。見栄えもすっかり悪くなってしまっている。チキンやピザを温め直しながら、私はぐちぐちと鉄朗に不満をぶつけていく。

「鉄朗のせいで、私のクリスマスの計画が全部台無しになった!」
「えー、そんな事言ってー、さっきまであんなに俺にベタベタだった癖にー」
「…………」
「悪かったって」

笑う鉄朗が、シャンパングラスを片手に微笑んでくる。ほら、やっぱり狡い。そんな顔されたら許すしか無い。

「メリークリスマス、ななし」
「メリークリスマス、鉄朗」