馬鹿の一つ覚え

私の恋人であるサソリは、普通じゃない。恋人の私が言うのも何だが、彼は変わっている。

私の猛アタックの末に、根負けしたサソリに「好きにしろ」と言われ、半ば無理矢理恋人関係になった私たちだが、ただの仲間から恋人に変わった実感は多少なりともあった。彼の部屋に勝手に入っても何も言われなくなったし、彼のベッドで勝手にぐーすかお昼寝してても怒られなくなった。「怒らないの?」と聞いたら「お前が求めていた関係というのはそういうものなんだろ」と返ってきた日には、赤飯を炊いた覚えがある。サソリなりにも、成り行きとはいえ恋人として私を扱ってくれていることは十分感じていて、こうなる前の関係の事を思い出せば、私はそれだけで幸せだった。しかし人間というのは欲の塊であり、時が過ぎればまた新しい欲が出てくる。恋人になりたいという欲が叶えられた今、私にはまた新たな欲が芽生えてきていた。

…サソリと、キスがしたい!!!

恋人になってから数ヶ月。しかし今だにその先は全く経験していなかった。というのも、サソリには普通の健全な男性が抱く様な欲が皆無だからである。彼は人間じゃない、芸術を追い求める余り自分の体を傀儡に改造したスーパー芸術馬鹿だ。前に興味本位でそういう欲求は無いのか聞いた時、「そういうのは邪魔だから改造した時に捨てた」とバッサリ吐き捨てていた。だから、サソリから私を求めてくれることは無い。だが私は違う。私は傀儡じゃなければただの普通の女だし、女にだって、そういった欲求はある。好きな人から求められたいという願望だって。

今もこうして、机に向かいながら傀儡の整備をしている小さな背中を、私は彼のベッドに寝そべりながら眺めている。この間の会話は特にない。下手に邪魔をすると彼の怒りに触れ、部屋から追い出されてしまうからだ。サソリは、例え彼女が2人きりの密室状態で無防備にベッドに寝そべっていても何も思わないし感じない。例え私が裸だろうと、それは変わらないだろう。そもそもサソリはキスという行為自体、知っているのだろうか。知らない可能性は大いに高い。邪魔だ必要ないと言って自分の性欲を捨ててしまう様な男だから。

「………」
「………」
「………」
「……なんだ、さっきから」
「えっ!?」
「言いたい事があるなら言え」
「な、何で分かったの!?」

私はただ傀儡に夢中になるサソリの背中を穴が空くほど見つめていただけなのに、サソリはこちらに振り返る事もなく唐突に言った。どうして分かったんだろう。傀儡には人の心を読む力があるのかもしれない。ゆっくりと体を起こして、もじもじと指先を弄る。悩みが悩みなだけに、言うのが恥ずかしいし、サソリがどんな反応をするのか少し怖い。「する必要はない」とざっくり斬られたら、流石にショックだ。サソリは生きていくのに必要なことしかしない。それ以外は全て無駄なことだと考えている。そんな彼の恋人になった事自体奇跡に等しいのに、その先を求めるなんて。

「あ、あのさ」
「……」
「き、きす、って知ってる?」
「は…?」

私の質問に、サソリはようやく手を止めてこちらに振り返った。その顔は、驚いた様に目が丸く見開かれていて、いつも無表情で感情を露わにしない彼にしては珍しい表情だ。しかしその顔はすぐさまいつもの無表情に戻り、そして訝しげに眉が顰められた。一体何を言い出すんだと言わんばかりの顔である。

「…どういう意味だ」
「ほら!やっぱり!知らないんだ」
「違うそういう意味のどういう意味だじゃねぇ」
「じゃあどういう意味のどういう意味なの?」
「なんでそんな事聞くんだって意味だ馬鹿」

馬鹿っぽいやり取りに、サソリの眉間の皺が増えていく。質問を質問で返すって一番ずるくないですか?先に質問したのは私なのに!挙げ句の果てに自分の恋人を馬鹿だなんて。

「質問してるのはこっち!キスって知ってる?」
「答える義理はねぇ」
「ほーらやっぱり知らないじゃん。見栄張るのはやめなよ」
「ふざけんなそれくらい知ってんだよ!」
「え」
「…それくらいは誰だって分かるだろ。俺を馬鹿にしてんのか」

まさかの予想外の返答だった。サソリ、キスって知ってるんだ。馬鹿にしてるのかと睨むサソリに、だって傀儡だから…と返したら、傀儡を馬鹿にしてるだろと返ってきた。でも考えてみればそうか、ただそういう欲求が無いだけで、知識があるかどうかは別の話。サソリにはそういう知識があったということだ。自分から聞いた癖に、サソリがそれを知っていると分かった途端、何だか少し恥ずかしくなった。赤くした顔を俯かせているとサソリが何かを察した様に鼻で笑った。

「…そういうことか。生憎だが、俺はそういった欲求はない」
「ですよね…」
「だが…まあ、全く無いというのも欲の塊のお前には酷な話だな」
「え…」
「やりたきゃお前がやれ」
「えぇ!」

脚を組んで私を見下ろすサソリの言葉に、私は更に顔を赤くさせた。湯気が出そうな程に熱い。確かにキスはしたいし私から話を振ったけど、実際やれなんて言われたら恥ずかしい。でも、でも、これを逃したら二度とチャンスは訪れないかもしれない。立て、立つんだななし!男になれ!いや、男になったら困るんだけど。しばらくの間の後、ようやく意を決して立ち上がった私を、サソリは興味深そうに見つめている。

ゆっくり近付いて、彼の前に立った。すぐそばにあるサソリの目に、心臓がばくばくとうるさい。変な汗まで出てきた。サソリは無表情のまま私の目を見つめ返していて、今何を考えているのか分からない。それとも何も考えていないのか。こんな私の茶番に付き合わされて、とっとと済ませろと思われているかもしれない。私はもう一度自分に喝を入れて、震える手を彼の肩に置いた。そして、ごくりと生唾を飲み込んだ後、光の速さで彼の唇にチュッと自分の唇を押し当てたのだった。

「は?」
「し、しちゃった!ファーストキスしちゃったよ!サソリと…ついに!」

ぽかんとするサソリを他所に、私はようやく叶った願望に喜び一人はしゃいでいた。どうしよう、遂にキスしちゃったんだ。私、大人になったんだ!赤飯炊かなきゃ、小南に報告しよう、と完全に浮かれている私に、不機嫌そうな声が1つ。

「おい」
「え?」
「お前、何してんだ」
「え、キス…」
「ふざけるな。テメェこそ分かってねぇじゃねぇか」
「え、な、なに!?なにが!?」

ちっ、という小さな舌打ちの後、私は彼の手に引っ張られて、椅子に座る彼の膝を跨いで座った。何が起こっているのか分からない。混乱する私の後頭部をがっちり掴んで、そのまま重なる唇。あれ、私またサソリとキスしてる?しかも今度はサソリから。なんて考えている内に、今度は口の中ににゅるりと感じたことのない感覚。サソリの舌だと分かるのにそう時間はかからなかった。

「…んぐ!?ふ…、ん、ぁ…!」

クチクチと粘着質な音。絡まる唾液。全てがエロティックだ。待って、こんなの聞いてない。サソリがこんなこと知ってるなんてことも聞いてない。どれだけ長い時間こうしていただろう。息はすっかり上がり、私の口の周りはどちらのものか分からない唾液でべとべとだ。ぐったりとサソリの体にしがみつきその肩に顔を埋めると、そんな私の髪を絡み取りながら、頭上から楽しそうな声が降ってきた。

「生温いんだよテメェは」
「サソリのえっち!!」
「餓鬼が何も知らない癖に生意気なこと言ってんじゃねぇ」

その日から、サソリは馬鹿の一つ覚えみたいに、部屋に2人でいればやたらとキスを求める様になった。そういう欲求は無かったんじゃないのと聞いてやると、恥ずかしがるお前の不細工な顔が面白いからと言った。ムカつく。ムカつくけど、普段滅多に見せない様な柔らかな笑みを浮かべて言うもんだから、怒るに怒れないじゃない。サソリのムッツリすけべ。