解け合う

「私と、別れて欲しいの」

ある日の昼下がり。久々に任務も無く、ゆっくりとした束の間の休日を過ごしていた私は、恋人であるサソリの部屋にいた。椅子に座って、まるでどこかの王様の様に頬杖をつくサソリを前にして、私は床に膝を付く。さながら、王と下僕のような構図。少なくとも、別れ話をするような状況ではない事は、私も十分理解していた。

「……ほぉ」

私からの突然の申し出に、しばらく無言のまま上から見下ろしていたサソリだったが、やがてようやくその口を開いて、たった一言『ほぉ』と返事をした。いや『ほぉ』ってなんだよ。別れたいっていう言葉に対しての、その『ほぉ』は一体どういう意味なのか。私の申し出を了承したという意味か、それとも拒否の意味か。彼は元々口数が多い方ではないし、なかなか気難しい人だ。恋人としてそれなりの年月を共に過ごしてきた私ですら、こうして理解に苦しむ時が多々ある。その返事を受けて、どうしたものかと戸惑いを隠せずにいる私に対し、サソリは再び口を開く。

「理由はなんだ」
「えっ」

彼の目は、じっと私を見下ろしていて、早く答えろと言わんばかりの威圧さえ感じる。てっきり私は、淡泊で無関心な彼の事なので、「そうか勝手にしろ」とか何とか言って、あっさり了承すると思っていたのに。まさか理由を問われるとは思っていなくて、思わず驚いたように目を見開くと、サソリの眉間の皺がぐっと深くなったのが見えた。まあでも、確かに。突然別れ話を切り出されたら、『なんで?』と思うのが普通だろう。ただ、その普通の反応をサソリがした事が意外過ぎて、ちょっと面食らってしまったけれど。

「何だその顔は」
「いや…。予想と違う反応が返ってきたから…」
「誰だっていきなりそんなことを言われたら理由が気になるだろ」

仰る通りで。ははーと頬べを垂れる私に対して、サソリは深いため息を付いた。

私とサソリの出会いは、この犯罪者組織、暁。お互い色々と闇の深い事情を抱えながら、この組織に出迎えられ、今は共に暁の為に戦っている。生と死が隣り合わせの任務の中で、私は何度もサソリに助けられ、彼の強さに支えられてきた。殺伐としたメンバーの中で、一番に打ち解けたのが意外にもこの男だったのだ。自然と私は彼を求めるようになり、それに伴って共に過ごす時間が増えて、そして当然のように惹かれ合っていった。それが、私たちが恋人という関係になったきっかけである。

私とサソリの関係は、世間的に言われる『恋人』とはまた一風変わった関係だった。端から見れば、どちらかというと、主と僕。王様と家来。サソリが絶対的に上で、私はいつも彼には逆らえないでいた。今のこの姿勢を見れば分かるように、私は彼に彼女扱いをされた事がほぼほぼ無い。勿論、一応は付き合っているので、手を繋いだり抱き締め合ったり、キスを交わしたりそれ以上のことも、一通りは経験している。元々人を寄せ付けないタイプのサソリは、例え恋人である私が相手であっても、基本的に淡泊で冷たいし、素っ気無い。だが私にだけパーソナルスペースが狭いなと感じる部分も確かにあって、ちゃんと特別扱いしてくれている事が分かる時もあった。

でも、それでも、だ。やっぱり私だって女。優しくされたいし、甘やかされたいし、彼にもっと女扱いされたかった。漫画のような、女子なら誰もが憧れるような恋愛をしてみたい。だけど、そんな事をサソリに頼んだ所で、彼は絶対にその望みを叶えてはくれない。もう何年も共に生活しているのだ。言わずとも分かる。つまりは、私は彼の恋人でいることを諦めてしまったのだ。

「…ってことで、別れてください。別れてくれないのなら、私を甘やかしてください」

今の気持ちと本音を全てぶちまけた上で、私は再び頭を下げた。一応言っておくと、別に私の中のサソリへの想いが冷めた訳ではない。正直に言えば、まだ彼のことは大好きだし、別れたくない。けど、こんな主従関係に近い恋愛は嫌だ。という、私の我儘。だからこそ、別れるか、私を甘やかすかの二択をサソリに与えた訳だが、彼がどちらを選ぶのかなんて、それも私には既に分かり切っていた。面倒臭いことを嫌うサソリの事だ。前者を選ぶに決まっている。下げた頭の裏で、こっそりと顔を歪めた。泣くな、私。

「……いいだろう」

降り注いできた言葉は、またしてもややこしい返事だった。どちらとも取れるその返事に、ゆっくりと顔を上げる。いいだろう、って、どっちに対してのいいだろうなの?別れることに対しての、いいだろう?それとも、私を甘やかすことに対しての、いいだろう?と、そこまで考えて、首を振る。いや、これはきっと、別れることに承諾したのだろう。床に付いていた足で立ち上がり、俯きながら「じゃあ、さよなら」と声を震わせる。まあさよならと言ったって、私とサソリは同じ暁に属する者。結局は帰る場所も今までと変わらないし、これからも毎日顔を合わせる事だろう。生き地獄。ああ、暁を抜けたい。恋愛事で抜けたいとか言ったら、リーダーに殺されそうだ。

「おい待て。どこに行く」

とぼとぼと背を向けて扉に向かって歩き出した私の腕を、サソリが咄嗟に掴んだ。振り返った先には、不機嫌そうに眉を寄せた彼がこちらを睨んでいる。え、どこに行くって、もう話も済んだ訳だし、いつまでもここにいる訳にはいかないでしょう。私も私で、訝し気に彼の目を見つめ返していると、サソリは居心地が悪そうに視線を泳がせて、ごほんと一つ咳払いをした。

「…お前を甘やかせばいいんだろ」
「え」

その日から、私にとってはまるで漫画のような、ずっと思い描いていた恋愛がスタートするのだった。





ーーーー・・・・





「ななし、あーん」
「あ、あーん……」

差し出された箸に掴まれた、今晩のおかず。サソリが私の口元にそれを運んで、食べさせてくれた。耳に掛けた髪を抑えながら、遠慮がちに咥え込み、咀嚼する。こんなに美味しい卵焼きが存在していただなんて知らなかった。相変わらずサソリの表情は、こんなこっぱずかしいバカップルのような行為をしていても、まるで人形のようにぴくりとも眉を動かさない。まあ実際彼は人形なんだけれど。

「サソリがくれたこの卵焼き、すごく美味しい」
「当たり前だ。俺が食べさせた卵焼きだからな」
「…あの…、それ作ったの私なんですけど」

傍らで、私たちの光景をおぞましいものを見るような目で見つめているデイダラと、卵焼きを作ってくれた今晩のシェフ、鬼鮫がいる。私を顎で使うような男だったサソリの豹変ぶりに、彼のツーマンセルの相方であるデイダラは顔を真っ青にして、ぷるぷると震えながら口を手で覆っていた。

「…鬼鮫の旦那…、オイラは今すごく吐きそうだ、うん」
「何か言ったかデイダラ」
「いえ、なにも」

すかさず振り向いたサソリの目は、今にもビームが発射されそうな程に殺気立っていて、そういう機能を新しく付け加えたのではないかと思う程の怖さである。思わずデイダラも言葉を失って、ただ震えながら、「オイラは何も見なかった」と現実逃避をする他なかった。…いいの、周りがどんな反応をしていたって。私は今とっても幸せだから。あのサソリが、私のことを甘やかしてくれている。それだけで十分。



「ねえサソリ!今のどうだった?私にしてはなかなかだったと思うんだけど!」
「…ああ、上出来だ」

ある日の任務中では、3人の標的を殺すことに成功し、褒めて褒めてとアピールする私に対して、サソリは柔らかな笑みを浮かべていて。ぽんぽん、と2回頭を撫でてくれた。目を見開いて、彼の顔を凝視する。どくどくと上がっていく心拍数と、赤く染まっていく頬。目の前には、優しく微笑む王子様。隣には、「おえっ」と口を押さえる爆発馬鹿。前だったら、「その程度で調子に乗るな」くらい言われて、逆に怒られていたのに。

好き、好き、好き。数日前、別れを切りだした私の気持ちは、今や好きのオンパレード。サソリへの想いは、一層強く深くなっていくばかりである。




「サソリ、何だか寝れなくて」
「怖い夢でも見たのか」

ある日の夜中。突然訪問した私を、サソリは文句1つ言わずに受け入れてくれた。彼は睡眠を必要としないのに、私がこうして頼ると一緒にベッドに横になってくれる。日頃、任務と称して人を殺す仕事をしている私は、たまに悪夢に魘されて寝付けなくなる時があった。今まで殺した奴らが、私に次々と襲い掛かってくる夢。何度も何度もその夢を見ては、飛び起きて、慌ててサソリの元へ行く。

「ごめんね、サソリ。傀儡の手入れしてたんでしょう?」
「…いい。傀儡の手入れはいつだって出来るが、お前の手入れは今しかできないだろう」

何それ、と笑う私を、サソリも小さく笑いながら抱き締めてくれた。…そうだ。私は、ずっと前からこうしてサソリに甘やかしてもらっていた。こうした夜の恒例の添い寝は、私が数日前に別れようと切り出す前から、彼にずっとして貰っていた事。確かにサソリは冷たくて素っ気無くて意地悪なところが多いけれど、ちゃんと私に愛を注いでくれていた。大切にしてくれていた。いつも一緒にいると、そういう事がつい当たり前になって見失いがちになってしまうが、私はそれを今改めて実感していたのだった。

傀儡なのに、何故だかあったかくて落ち着く。こうして彼の腕の中で眠る瞬間が、堪らなく幸せで心地よい。私の髪を梳くサソリの手付きに身を委ねつつ、私は、数日前の自分の発言を全て撤回しようと決意した。これで、サソリに甘やかしてもらうという夢の日々は終わる。きっと前のような日常に戻る。でも、それでもいい。私を大切にしてくれる、不器用なサソリの隣にいられるのなら。

「サソリ、ごめんね」
「何がだ」
「数日前、別れようって言ったでしょう」
「…ああ」

ぎゅう、とサソリの胸元を握りしめながら、そこに頬を摺り寄せて。

「やっぱり私、サソリのことが好き」
「………」
「だから、離れたくない。…甘やかされなくても、ちゃんとサソリの想いは伝わってるから」
「…もう満足したのか」
「うん。私の我儘に付き合ってくれてありがとう」

そっと頬に添えた手に、サソリの冷たい無機質な手が重なった。真っ直ぐこちらを見つめる無表情の瞳には、私だけが映し出されている。相変わらず、彼は何を考えているのか読みにくい人だ。だけど今だけは、何となくサソリの想いが分かった。重ねられた手から、彼の深い愛が伝わってくる。フ、と口元を綻ばせたサソリの笑顔が、女の私でも見惚れる程に美しくて、私も釣られるように微笑んだ瞬間。

「…なら、次は俺の番だ」
「え?」

綺麗だと思っていた筈のサソリの笑みは、みるみる歪んでいつもの黒い笑顔に変貌していく。私がぽかんと呆気に取られている内に、ぐるりと体制が変わって、視界にはサソリと見慣れた天井が広がる。あれ?と頭の処理が追いついていない間に、サソリの手は私の胸元へ伸びて。すっかり元通りになってしまった王様の彼を久々に見て、どくどくと心臓が鼓動を刻む。甘やかしてくれる優しいサソリも大好きだけど、やっぱり私は、強気で偉そうで強引で、素直じゃないサソリが大好きなのかもしれない。なんて言ったら、絶対に「当たり前だ」とか言って鼻で笑いそうだから、死んでも言ってやらないけど。

震える唇で、サソリ、と名前を紡ごうとして、それを彼に飲み込まれる。噛み付くような口付けを交わしながら、ぼんやりする頭でサソリの背中を掴んだ。

「甘やかして貰おうか、俺が満足するまで」
「…しょうがないなあ」

その言葉を聞いた時、もしかしてサソリも案外、私に別れを切りだされて、焦っていたのだろうか、と少しだけ期待して。まあ彼に限ってそんなことは無いかと、二人だけの夜に身を委ねたのだ。





彼の部屋の、傀儡のパーツが広げられた机の引き出しの奥に、『恋人の甘やかし方』と題された真新しい本が押し込まれていることを、私は知らない。