テレパシーシンドローム

「ぶわっ!」
「わっ!?」

つん、と足の爪先で突いたそれは、もう生物としての温もりは失っていて、ただの肉の塊と化していた。地面に広がる赤黒い染みと、薙ぎ倒されている木々や荒れた大地を見返すと、なかなかの死闘だった事が窺える。漸く取り戻した静寂の中で、私…ななしと、今回のツーマンセルの相方である飛段は、煙に巻かれて噎せていた。

「なにこれっ…、毒…!?」
「おい!息止めろ馬鹿!」

よく分からない煙のような、ガスのようなものに包まれて、辺りの景色は霞み一気に視界が悪くなる。動揺する私の腕を掴んだのは、言わずもがな飛段で、慌てて私の口を手で覆って来た。

事が起こったのは、今より数刻前。任務帰りだった私たちの前に突如現れた、大きな化け物。見境なく襲って来たソイツは、見た目とは反してなかなかの強者であった。この妖怪の能力なのか何なのか、人の言葉を話し、こちらの心を読み取るコイツの力には、相当な苦戦を強いられた。こちらの作戦や意図、技までもが、全て筒抜けなのである。突如繰り広げられた激闘は白熱し、一時はどうなる事かと思ったものの、やはり流石は飛段。最終的には勝利をもぎ取り、その妖怪は死体となって事切れたのだった。

今漂っているこのガスは、その妖怪の死体を突いた時に噴出されたものだ。人間が、死に際に肺に残った酸素を吐き出すように、突如として死体から謎の気体が吐かれたのである。そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。実際には数分程度で、気体も風に乗り徐々に無くなっていったのだが、体感ではとても長く感じられた。辺りの景色がクリアになった頃、漸く口元から飛段の手が離れる。ずっと止めていた息を吐き出して、大きく吸い込んだ。

「飛段…!大丈夫!?」
「オレはこの程度で死にゃしねぇよ」

私を庇ったせいで、恐らく飛段はあの気体を吸い込んでいる。慌てて胸板に詰め寄って問い掛けたが、流石、不死身の彼と言うべきか。ケロッとしていて平気そうであった。特に体に異常も見られない。有毒そうに見えたが、無害だったのだろうか。それとも、飛段のその体質のお陰なのか。どちらにせよ、彼のお陰で私も何とか助かった。ありがとうとお礼を言えば、めんどくさそうに眉を寄せる飛段の姿があった。


不死身というよく分からない体質を持ち、ジャシン教というよく分からない宗教を信仰し、殺戮を趣味とするとにかく危ない男。…それが彼、飛段。私も、何故こんな男に惹かれたのか分からない。でも今のように、こうして何だかんだで守ってくれたり、付き合いが長いのもあって一緒にいると気が楽だったり、よく見ると顔も整ってたり…。彼なりに良いところも幾つかある。

先程この怪物を仕留めた時、ぐったりと項垂れる死体の前で、鎌を片手に立つ彼の背中は、今思い出してもきらきらと輝いていて眩しかった。普段は口喧しい男だが、実力だけは本物。そして、こんな男に対して抱いている私のこの淡い思いも本物。…悔しい事に、私は飛段に長年片想いを続けていたのだった。きっと、叶うことのない想い。言ったところで、恋愛事に疎いどころの話じゃないコイツには通じないだろう。恋した瞬間から失恋している私は、特にその思いを口にする事無く、今日まで彼とツーマンセルを組んできたのだ。

「こんな妖怪じゃあ、ジャシン様もお喜びにならねえよなあ…」
「またジャシン様ですか。よく飽きないね」
「ジャシン教の魅力が分からんクソガキは黙ってろよォ、ったく…」

クソガキって、そんな大して歳変わらない癖に…。けっ、と悪態付く彼の隣でじっとりとした視線を向ける。ああ、彼のその心を独り占めするジャシン様が、恨めしいのと同時に少し羨ましい。きっと飛段は、これからもずっと、ジャシン様の為に生きていくのだろう。彼の生きる理由に、ほんの少しでも私がいてくれたら、それだけで幸せなのに。…って、これじゃあまるで重たい女みたいだ。フルフルと首を振って、頭に浮かんだ飛段への恋心を押し込める。諦めるって決めたんだから。こんな怪しい宗教のことしか考えてない男の事なんて、思うだけ損損。

行こう飛段、と考え事もそこそこに彼を見上げると、彼は何故か目をまん丸に見開いて、心底驚いたように私を見下ろしながら固まっていた。食い入る様に私を見つめながら、震えた声で「お前…」とか何とか呟いている。

「え…、な、なに?」
「い…いや……」

飛段のその視線の意味が分からなくて、私が戸惑った声を上げると、彼はぎこちなく視線を逸らしながら口元を手で覆っていた。歯切れの悪い、何だか意味深な態度。飛段がそんな姿を見せるのも珍しい。私の顔を、穴が開くのではないかという勢いで見つめる飛段の視線がこそばゆい。だって、向こうにはそんな意図など無くたって、私にとっては…、


(好きな人にこんな至近距離で見つめられたら…!)


気付けば、顔を逸らしていた筈の飛段が再び私の顔をじっと見つめていた。心無しか、先程よりも更に距離が縮まっているような気がする。目が合った瞬間、ぴしりと岩のように固まってしまった私を見て、飛段は何かを考えるように眉を寄せていた。先程から一体何なのだろう。私の顔に何か付いているのだろうか。嫌でも跳ねる心臓を抑えながら、必死に彼の胸板を押し返した。真っ赤な顔を誤魔化すように背けて、必死に冷静さを手繰り寄せて。近い、近い、近い。心臓が持たない。必死に蓋をしようとしているこの気持ちを、この男は、人の気も知らないで簡単にこじ開けてくる。本当にどこまでも厄介な男だ。

「ちょっと、飛段…!さっきから何なの…!?」
「それはこっちの台詞だっつうの!お前こそ何なんだよ!」
「はあ!?」
「好きだなんだって、」

え、と声を上げた私に対して、飛段は慌てて己の口を塞いだ。つい勢いに乗って漏らしてしまった、と言わんばかりの顔を浮かべて、いやー、あのー、そのー、とか何とか言いながら、またもや視線を宙に彷徨わせている。好き?誰が?何を?頭の中に浮かぶ疑問は、解決されることなくもやもやと広がっていて、それ以降、どんなに飛段を問い詰めても彼は言葉を濁して誤魔化すばかりであった。

「…もういい!さっさと行くぞ!」
「あ、ちょっと…飛段!」

まだ私の方は話が終わっていない。逃げようとする飛段の背中を咄嗟に掴んで引き止めると、彼は苛立ちを隠さぬまま勢いよく振り返ってきた。お互い距離を見誤って、目と鼻の先に顔がある。思わぬ至近距離に、私も飛段もぽかんと目を丸くして。彼の瞳の中に映る、驚いた顔の私。私の頭は、けたたましい警鐘を鳴らす。一気に顔を真っ赤にしてパニックに陥る私には、飛段を問い詰める余裕など一気に無くなってしまった。大好きな彼が、目の前にいる。いや、目の前にいるどころの話ではない。こんなにも近くに、こんなにも傍に。感じるのは、飛段の匂いと温もり。ずっとずっと恋い焦がれていたそれを、全身で感じて。ぐるぐると回る目、溢れて止まらない想い。

(ひ…飛段の顔が…すぐ傍に…)

ああ、やっぱり好きだ。間近で見るとやっぱりかっこ良くて、逞しい胸板も、強いところも、意外と甘い声をしているところも全部、全部好き。予想外のハプニングによって、私の頭は完全に恋愛脳へと進化して、一人で静かに暴走を繰り広げていた。少しでも動けばキスしてしまいそうな距離感は、私を酔わせるのには十分すぎる程だ。

「……………」
「……………」

そんな私を、ただ無言で、じっと見下ろす飛段。好き、好き、という単語を延々と脳内で繰り返す私をしばらく見下ろした後、飛段も飛段で、どこか居心地が悪そうに咳払いをしていた。…そっぽを向いた彼の耳が、何となく赤く染まっているような気がするのは、私の頭がピンク色だからなのかもしれない。願わくば、ずっとこのままでいい。なんて、そんな馬鹿な事すら考えている間に、私は無理矢理飛段の手によって引きずられていく。

「おい、いつまで呆けてんだこの間抜け。さっさと行くぞ」
「う…、うん…」

こちらに背を向けて、そそくさと歩き出してしまった背中。ああ、夢のような時間はあっという間。彼との2人きりの任務も、もうすぐ終わってしまう。…寂しい。唯一、飛段と共にいられる口実が、あと少しで終わってしまう。アジトに帰れば、また彼とは離れ離れだ。共にいる理由が無くなるのだから。

もう少し一緒に居たかったな、なんて思いを、素直に口に出来たらどれだけ幸せなのだろう。実際そんな事を言ったところで、きっと飛段は、その顔を思い切り嫌そうに歪めながら振り返るのだ。何馬鹿な事言ってんだ、って。冗談じゃねえよ、って。きっとそう言うに違いない。ぎゅっと密かに噛みしめた唇。ちくちくと心が痛む感触には、もうとっくに慣れていた。彼が私に対して素っ気無いのは、今に始まったことじゃない。次の任務を楽しみにするとして、後残り僅かな時間を精一杯噛み締めよう。

そうして、前を歩く飛段を小走りで追いかけた私は、突然立ち止まった彼によって、勢いよくその背中に鼻をぶつけてしまった。じんわりと痛む赤い鼻を抑えて上を見上げた先には、前を見据えたままの飛段の後頭部。


「…宿、寄ってくか」
「え?」
「少しくらいサボったっていいだろ」


予想外の言葉。一瞬飛段が何を言っているのか理解できなくて、ぱちぱちと瞬きを数回繰り返した。返事をしない私を振り返った飛段は、不機嫌そうに唇を尖らせていて。「まさか、サボるななんて堅い事言わないよな、角都じゃあるまいし」と付け足して、じっとこちらを睨む飛段に、私はただただ、こくんと頷くことしかできなかった。思ってもいなかったお誘い。いや、飛段のことだ、きっといつもの彼の気まぐれであることは分かっている。でも、それでも、私の胸はざわついていた。

…もう少しだけ、飛段の傍にいられる。



「…仕方ないなあ。付き合ってあげる」

やっとのことで出た私の言葉の裏には、たくさんの本音が隠されていた。飛段はただ静かに、私の横顔を眺めていたのだった。





ーーーー・・・・





日が暮れて、空にチラチラと星が見え隠れし始めた頃。私たちが辿り着いた宿で待っていたのは、これまた夢の様な時間だった。ホカホカの美味しいご飯。美しい景色と宿の雰囲気。たった一晩しかここには居られないが、それでも十分旅行に来た様な気分を味わえる。旅行の一番の醍醐味は、宿や旅館だと言う人の気持ちがよく分かる。ちょっとした贅沢を堪能しながら、頭の片隅にちらりと愛しい人の姿を思い浮かべて。……きっとこんなに幸せなのは、この宿が素敵だからだけじゃない。大好きな人が、一緒にいるから。

ポカポカと湯気が立つ露天風呂を満喫して、私は脱衣所へと移動した。元々予定には無かった一泊だ、当然替えの下着なんて無くて、さっき急いで買ってきた色気も何もないシンプルな下着。それを付けながら、ふと思いを馳せる。


…飛段はどうして、急に泊まるなんて言い出したんだろう。


あの時飛段がこんな事を言いださなければ、私たちは今頃アジトに到着して、リーダーに任務の報告をしていた頃だろう。そしてそれが終われば、私たちの仕事は終わり。次の任務が舞い込んでくるまで、共に過ごす事はない。元々自由奔放な人たちの集まりだ。任務がない時も、アジトを留守にしている人が殆ど。特に飛段なんかは、その熱心な信仰心の為にほぼ毎日外に出向いては、ジャシン教の勧誘と殺戮に勤しんでいる。

私の入り込む隙なんて、全く無い。こうして任務が無ければ、隣に立つ事すら叶わない。私がこれだけ彼を恋い焦がれているのに、彼は何処吹く風で離れていく。脈無しなんて分かりきっているのに、でもどこか期待しそうになる。…ねぇ、飛段。どうして。貴方は今、何を考えているの。


割り当てられた私たちの部屋に戻ると、真ん中に2組の布団が敷かれていた。隙間無く、ピッタリと隣同士に敷かれたそれを見て、ひゅっと息が詰まる。…それもそうか。宿に泊まる、男女2人。きっと恋人同士だと思われたのだろう。

「そんなんじゃないのにね…」

ポツリと呟いた言葉は、部屋に響いて消える。私と同じタイミングで男湯の方に消えていった飛段は、まだ戻ってきていないようだ。女よりお風呂が遅いだなんて。独りぼっちの部屋で、布団には上がらずに側に正座して、そっと手を置いてみる。ふかふかの、綺麗な真っ白な布団。私と飛段が本当に恋人で、ここで永遠に離れられないような愛を受ける事が出来たら、どんなにいいのだろうか。

(…飛段と、ここで……)

頭の中に浮かぶ願望。裸の彼が上に覆い被さる所まで想像して、慌てて掻き消す。何てふしだらな想像をしているのか。自分で自分を軽蔑する。飛段はただの仲間。仲間。仲間………。

「仲間、ねぇ……」

一人で百面相する私の後ろから、突然聞こえてきた声に小さく悲鳴を上げた。振り返ると、その声の持ち主、飛段が入り口に立っている。私の心の呟きと綺麗に重なった飛段の一言に、私はただただ狼狽えていた。放心状態でおかえり、と口にするよりも早く、彼の視線が布団に注がれている事に気付く。

「あ……。こ、これは…!」
「……………」
「わ、私がくっ付けたんじゃないから!宿の人が勝手に…!」

飛段は何も言っていないのに、私ばかりが慌てて、急いで布団を引き離す。きっと顔は真っ赤だ。私だけ飛段を意識して、馬鹿みたい。

「期待してんじゃねえよ」

そんな私の背中に、ぴたりとくっ付いた温もり。息が止まる。ぶわりと全身が熱くなる。驚く私を、飛段は背後から抱き締めた。ずっと恋い焦がれていた人からの抱擁。慌てるのが本来の反応なのかもしれないが、最早私はそれを通り越して、魂が抜けた様に真っ白になる。しかし、飛段の次の言葉に、一気に現実に引き戻された。

「言うタイミングが無かったんだけどよォ。お前、全部筒抜けだぞ」
「え?」
「化けモンの変なガス浴びてから、全部聞こえてんだよ」


お前が思ってる事全部。


ぎこちなく逸らされた顔から告げられた言葉。聞こえる?私が思ってること?ぜんぶ?…意味が分からない。さーっと顔から血の気が引いて、今まで熱かった筈の全身も一気に冷えていく。


「い、意味が分からないんだけど」
「オレもよく分かってねえけど…」

確かにあの妖怪は、人の心を読む力を持っていたけれど、その力が、ガスを浴びた飛段に移ったというのか。まさかそんな、と乾いた笑いが出る。私、今までずっと何を考えてた?心の中で何を呟いていた…?

飛段のこと、好きだとか、離れたくないとか、そんな事ばかり、私は…。

「…まあ、言ってたな。オレの事を、色々と」
「ぜ、ぜんぶ…きこえたの…?」
「……まあ………」
「うそ!ぜんぶ!?」
「…とりあえずお前がオレのことすげえ好きなのは伝わってきたわ」

その瞬間、私はあまりの羞恥心で全身の血が沸騰しそうになった。全部バレた。私の隠し続けてきたこの気持ちが、全部。直接言葉で伝えるよりも恥ずかしいのは、何なのだろうか。飛段も飛段だ。もっと早く言ってくれれば良かったのに。ここまで泳がせて…。

「最初聞こえてくるこれが何なのかよく分かってなかったんだよ。仕方ねぇだろ」
「こ、心の中読まないで!」
「だから!読んでんじゃなくて聞こえてくるんだよ!」
「でも…、そっか、だから飛段ずっと様子がおかしかったんだ…」

じっと私の顔を見てきたり、どこかぎこちなかったり。全てを聞いた今なら納得できる。悶々と、ここに至るまでの自分の事を思い出して、羞恥心に悶えている内に、私の体は目の前の飛段に突き飛ばされた。後ろに投げ出された体は、布団の中に倒れこんだお陰で痛くはない。

「な……、」
「で。裸のオレに、どうされたいんだって?」
「か、勝手に人の心読まないでってばこの変態!!」
「アァ!?んな事考えてるテメェこそ変態だろうが!」
「私ばっかり覗かれるなんてフェアじゃない!アンタの心も見せなさい!」
「見れるモンなら見てみろよ」

ほら、と好戦的な笑みを浮かべながら、自ら胸元をがばりと開いて見せる。私はガスを吸っていないから当然心を読む能力もないし、人の気持ちが分かるような器用な人間でもない。それを分かった上で、飛段はわざと挑発するようにそんな事を言ったのだ。

「…ずるい。私ばっかり」
「………」
「ずっと私ばっかり飛段のことが好きで、ずるい」

すっかり臍を曲げた私に、ぐっと背中を丸めた飛段が重なる。初めて交わしたキスは、擽ったくて甘くて、温かい。

「…柄じゃねえんだよ、こういうの……」
「飛段……」



今なら、少しだけ分かる。飛段も、私と同じ気持ちでいてくれてる。それがちゃんと伝わってきた。照れくさそうにしている姿が、その逞しい体に似合わず可愛くて。

「……可愛いって…、馬鹿にしてんのか」
「また心読んだ!スケベ!」
「だから!仕方ねえっつってんだろ!」


部屋の真ん中に敷かれた二組の布団。その上で繰り広げられたのは、夢描いていた甘い恋人のような時間ではなく、相変わらず素直になれない2人の意地っ張りな喧嘩だった。






翌朝、あの妖怪の謎の気体の効果が切れ、すっかり元通りになった飛段が訝し気な顔で私の左胸に耳を当てた。何の躊躇いもなく、女の胸に、その耳を。

「…やっぱ聞こえねぇな…」
「………飛段………」

ばちーん、という私の怒りの一発が、彼の頬に炸裂したのだ。