reveal one's true character

「あの事件の日さ、お姉ちゃん、コンビニに行くって家を出てったんだけど」
「ああ」
「今思うと、違ったんじゃないのかなって」
「違うって、何が」
「コンビニに行く為じゃなくて、もっと別の理由で外に出たんじゃないかって」
「………」

寒い夜空の下。今日は空気が澄んでいて、星が綺麗だ。署の屋上で、コートを羽織り片手に温かい缶コーヒーを握りしめながら見上げる。白い吐息が浮かんでは消えた。私の後ろには、同じように缶コーヒーを持ち、寒そうにコートに手を突っ込む部下の姿。先程私が、ちょっと休憩に付き合ってと彼を誘い出したのだ。彼はすんなりとそれを受け入れ、今ここに立っている。私の、懐かしい思い出話に耳を傾けながら。

「あの時私の姉は、携帯を見ながら慌てて飛び出していったの」
「携帯…?」
「そう。今考えてみると、誰かに呼び出されたんじゃないのかな」
「それは、犯人が呼び出したって事か」
「…分からない」

私はつい先日、その事実を思い出した。過去のトラウマによって、記憶を無意識に封印していた私は、現在起こっている連続殺人事件の傍らで、偶然にも姉の事件に触れる機会があったのだ。そこで蘇った、当時の光景。コンビニに行ってくる、と言って慌てて出て行った姉は、もしかしたらコンビニに行く為ではなく、もっと別の理由で家を飛び出していったのかもしれない。焦ったような姉の表情が、頭の中に鮮明に浮かび上がった。

(お姉ちゃん…本当は、誰に呼び出されていたの…?)

5年越しに、ようやくかつての事件に触れる勇気が沸いた私は、その事を思い出した数日後、その足で数々の事件の証拠が保管されている倉庫へと向かった。途中、侑と出くわし衝撃的な真実を突きつけられながらも、私はこの自分の記憶が果たして正しいのかどうか、その記憶に基づく推理が合っているのかどうかを確かめる為に。姉の事件に関する証拠は、ローマ字と数字を組み合わせた型番で保管されている。その型番を探し当てると、必死に中身を漁って、姉の遺品を探した。まだスマホがそこまで普及していなかった時代。折り畳みの携帯電話を探して中を掻き漁ると、ようやく出てきた、少し傷のついた古い携帯。それを開いて、電源ボタンを長押しする。

5年越しだ。姉の遺品に触れるには、私にはそれだけの時間が必要だった。ぼんやりと光り、映し出された液晶には、私と並んでピースサインを作る姉の写真。つん、と鼻の奥が痛くなって、不覚にも涙がこぼれそうだった。この姉が、裏では良からぬことに手を染めていただなんて。今でも信じられない。出世の為に、上層部に体を売り、危ない取引に応じ…、姉はどんどん闇へと引きずりこまれていった。果たしてそれが、姉自身の意思だったのか、それとも上に逆らえないという恐怖心からだったのか。今は亡き姉の想いは、もう誰にも分からない。

この携帯が警察によって押収された時、既にパスワードの解析は済まされている。難なく中身のデータの閲覧に漕ぎ着けた私は、真っ先に着信履歴を覗いた。必ず何か履歴が残っている筈。そう目論んだ私の予想は、大きく外れる事となる。

「…ない……」

そこには、着信履歴など1件も残されていなかった。全てが削除されている。真っ新になったそのページは、明らかに誰かの手によって消されている。メール、メッセージ、写真フォルダ…。ありとあらゆる場所を調べても、出てくるのは『履歴がありません』『データがありません』の文字ばかり。全てのデータが消されて、初期化されているのだ。必死になって色んなページへ飛ぶも、結果は同じ。結局その携帯からは、何の情報も得られなかった。

(一体誰が…)

空っぽだった携帯電話を握りしめたまま、頭に浮かんだのは、一体誰がこの中のデータを消したのか。確か、姉が殺害されたあの時、気が動転しつつも110番を呼んだ私は、駆け付けた警察官によってすぐさま保護された。警察によって現場は押さえられ、数々の証拠品も押収された為、誰かがこの携帯電話に手を加えるタイミングなど無い状況だった。犯人は姉を刺した後すぐに逃亡したので、当然犯人でもない。だとしたら、考えられるのは2つ。姉が、携帯で呼び出されて向かった後、家に帰ってくるまでの間に消去したか、それとも、

「…警察の人間が…消した…?」

ぽつりと呟いてから、いやそれは無い、と自分の中で否定した。警察が証拠に手を加えるなんて、それはあってはならない事だ。無い、絶対に無い。まるで自分にそう言い聞かせるように、何度も心の中で呟く。だがそうやって自分で否定する反面、姉が自ら携帯電話のデータを削除する理由が見当たらないのもまた、事実であった。

ただ茫然と携帯を握りしめて、立ち尽くす。嫌な予感、胸騒ぎ。ここ最近、次々と明かされる真実に、私はぞわりと体が冷えていくのを感じる。怖い、でも、目を背けてはいけない気がする。この先に、もっと大きな真実が眠っているような気がしてならないのだ。姉の事件は、ただ姉が殺されただけの事件じゃない。今の私は、そう感じていた。もっと何か、裏に大きな事が隠されている、と。張り詰めた緊張を解すように、大きな息を吐きながら携帯を閉じる。すると、私の指に何かザラリとした感触が当たった。釣られて見下ろすと、携帯の本体に傷が付いている。まるで床に落としてしまったかのような凹み。そこで私は、もう1つの違和感に気付いたのだった。

(このタグ…、新しくなってる…?)

携帯に付けられた小さなタグには、事件の型番が手書きで記されている。ここで保管されている証拠品には、全てこうした小さなタグが付けられ、型番が分かるように管理されているのだ。姉の携帯に付けられているタグは、とても5年前の証拠品とは思えない、真新しい綺麗な新品が付けられている。試しに他の姉の遺品を漁ってみるものの、この携帯だけが新品のタグに付け替えられていることが分かった。劣化して誰かが換えるにしても、5年前のこの事件の証拠品を漁るような人がいるのだろうか。タグが新しくなっている、ということは、私以外に誰かがこの携帯を触ったということ。そして、その人物が、

「姉の携帯のデータを消した…」

震える手で、改めてそのタグに触れる。4桁のローマ字と数字が混ざった文字。『2Lb4』の文字は、黒いボールペンで綺麗に綴られている。私はその文字を見て、頭が真っ白になった。ただただその場で、呆然と立ち尽くしていたのだ。









「姉の遺品のタグを見た時、すぐに気付いた。誰かが、この証拠品を弄ったこと。携帯のデータを削除したこと。まるで、何か都合の悪いことを隠すかのように」
「…………」
「そんな事をするのは、一人しかいない。あの日…、姉を呼び出した本人。事件が起きる直前まで、姉と共にいた人物。そうだよね…?」



呼び慣れた、その名前。私ははっきりと、声に乗せた。


















「………白布」







振り向いた先には、こちらを睨むように見つめる白布が立っていた。片手にある缶コーヒーは、中身を残したまますっかり冷え切っている。私の推理を一方的に聞かされ続けていた白布は、そこで初めて、まともに口を開いたのだった。彼が喋る度に、白い息が浮かんで消える。そういえばあの日も、今日と同じくらい寒い冬だったな、なんて、頭の片隅に思い浮かべながら。

「俺だと思う理由は?」

ポケットから取り出した、あの携帯についていた新しいタグ。そしてその横に、白布から貰った、いつぞやのメモを並べる。姉の事件の型番、『2Lb4』の中にある、2という数字。白布はその几帳面な性格が文字にも表れていて、とても綺麗で達筆な字を書くが、彼の書く数字の2は少し癖があるのだ。一応彼らの上司として、今まで何度もみんなの手書きの資料に目を通してきた。分からない筈がない。これは、確実に白布の字。自信を持って言える。

言い逃れの出来ない事実を突きつけられて、白布は納得したように目を伏せた。もっと食い気味に否定してくるかと思いきや、白布はとても落ち着いた様子で静かに立っている。認めるつもりなのだろうか。あの事件があった日、姉と直前まで会っていたこと。そして、姉のこの遺品に勝手に手を加えたことを。白布からの言い分を今か今かと待つ私に、彼は遠い昔を懐かしむように空を見上げた。

「…会った。あの日、お前の姉…、名無しさんに」
「私の、お姉ちゃんに…」
「俺が、電話で呼び出した。今外に出られるかって」

白布の言葉によって、頭の中には、再びあの時の光景が再現された。事件が起こった、運命の夜。白布は、私の姉を電話で呼び出した。『話したいことがあります。今お時間ありますか』と。当時の姉は、前主任の殉職を受け、更に丁度良く警部補試験に合格したこともあり、繰り上げ当選で主任に昇給していた。更にあの頃、全体で班の構成員を大きく変える編成が行われていて、今私が受け持つ第1班の構成員である、赤葦・白布・侑・黒尾・瀬見の5人はこの時初めて名無し班として招集されたのだ。そして、その新生第1班の主任が…、私の姉。彼らと姉は、同じ班になってからまだ日が浅い段階だった。

「俺が名無し主任に聞きたかったのは、ただ一つ。例の噂の真実だ」
「例の噂っていうのは…」
「前主任を、意図的に撃ったのかどうかということだ。少なからず、俺や赤葦や黒尾は、彼女に対して不信感があった。これから一緒に働いていかなきゃならないっていうのに、いつまでも雰囲気悪いままじゃ仕事にならないだろ」
「だから…、それを直接本人に確かめようとしたんだね」

前主任について、聞きたい事がある。そう白布が告げた時、私の姉も恐らく、白布の言いたいことが分かったのだろう。少し慌てた様子で、「分かった」と答えたそうだ。そしてあの日、家のリビングで寛いでいた私に「コンビニに行ってくる」と適当な嘘をついて、外に出かけた。大体夜の20時頃だった気がする。慌てて飛び出して行った姉は、家の鍵を掛けることも忘れて、すぐ戻ってくるつもりで外出した。まさかその間に、男が家に侵入して、私を強姦するなんて思いもせず。

「お前の家のすぐ近くの公園で待ち合わせをした。呼び出して10分くらいでやってきた名無しさんに、開口一番に聞いたんだ。…主任をわざと撃ったんじゃないのか、って」
「そうしたら、お姉ちゃんは、なんて…?」
「………」

白布は勿体ぶるように一瞬黙り込んだ後、私の目を真っ直ぐ見つめて答えたのだった。

「…お前の姉は、はっきり言った。撃った、ってな」

白布のその言葉を聞いた瞬間、体中を巡る血が、ぶわりと沸騰しているかのように熱くなった。さっきまで冷えて痛かった指先も、耳も、鼻も、感覚が無い。どんどん上がっていく心拍数。まるで鈍器で殴られたかのように、コメカミの辺りが痛くなる。…やっぱり、姉は意図的に撃ったんだ。黒尾や赤葦が尊敬していた主任を。自分の出世の為に。数日前、赤葦と交わした会話を頭の中で思い浮かべる。




『俺も最初は、犯人を狙おうとしてその流れ弾が不運にも主任の心臓を貫いたのだと、そう思ってました。…いや、そう思い込むようにしていた。俺にとって貴女のお姉さんは、尊敬する先輩の一人でしたから。まさかあの人が、意図的に主任を撃つ訳ないって』
『…やめて』
『でも、主任が殉職して、繰り上げ当選で主任になったあの人の、あの時の笑顔を見た時。俺は思ったんです。もしかしたら、あれは狙って撃った弾だったんじゃないかって』
『…お願い、やめて、赤葦』
『俺が…、俺たちが尊敬していた主任は…、事件に巻き込まれて死んだんじゃない。殺されて、』
『やめて!!!』





赤葦の言っていることは、やっぱり嘘じゃなかったんだ。いや、嘘じゃない事なんて、とっくに分かっていた。赤葦が、こんなつまらない嘘を付くような男ではない事は、誰よりも私が知っている。だけど改めてこうして事実を突きつけられて、私はショックを隠せなかった。憧れで、大好きな姉。優しくて正義感が強くて、私のことを可愛がってくれた姉。仕事で忙しい両親に代わって、いつも私の面倒を見てくれていた姉。…私の知っている姉が、どんどん壊されていく。他でもない、私の部下たちの言葉によって。跡形もなく、砕け散っていく。

言葉を失う私に、白布は容赦なく続けた。あの日、夜の公園で交わされた白布と姉の会話を、彼は全て聞かせてくれたのだった。




『どうして…!主任は、アンタにとっても憧れの上司だった筈だろ!』
『……取引を、持ち掛けられたの』
『……取引……?』
『言う通りにすれば、お前の将来を約束してやるって。だから私は、殺した。ただ、それだけ』
『…テメェ…ふざけんな!』

勢いよく掴んだ胸倉の向こうで、名無しの姉…、名無し主任は冷たい目を白布に向けていた。そのあまりの冷酷さに、白布も言葉に詰まる。たじろぐ白布の手を力強く振り解いて、乱れた襟元を正した名無し主任は、こちらに背を向けながら吐き捨てた。

『正義なんて、今の警察にはどこにもない。正直者が馬鹿を見る。頑張れば頑張る程損をする。美味しい汁啜ってのうのうと生きている上層部が憎い』
『………それは…、』
『ねえ白布、私は』




どんな手を使ってでも、上り詰めるよ。





そう笑った、新しい主任。ちらほらと聞いていた、上層部と体の関係を持っているだとか、金で不正な取引をしているだとか、そういった黒い噂も全て真実であることを、このとき白布はまざまざと突きつけられたのだ。そして、実感した。この人は、警察になってはいけない人だったのだと。正義という仮面を被った化け物であることを。





「その後ちょうど雨が降ってきて、そのまま別れたんだ。お互い傘を持ってきてなかったから、俺は近くに着けてあった車へ、名無し主任は家の方へ走って行った。それだけだ」
「……そう…」
「少なくとも、俺はお前の姉を殺してはいない」
「分かってる。だってその時、私は知らない男に強姦されていたから」

白布と姉が会話をしている傍ら、私はその時既に、家に侵入してきた男に強姦されていた。事件は同時進行で起こっていたのだ。白布には、アリバイがある。あの時、近所の公園で姉と話していた白布には、姉を殺すことは不可能だった。

「…白布。1つだけ、聞かせて」
「……」
「白布は、本当に犯人を、知らないの?」

私の大きく揺れ動く瞳は、白布を映し出している。私のその質問を受けて、彼は黙り込んだ。何故そんなことを聞いたのか、これはただの私の勘だ。だけど、何となく私は感じたのだ。白布は、まだ私の知らない何かを持っているのではないか。

犯人を、知っているのではないか。





「白布、私思うんだけど」
「………」
「私の姉を殺した犯人と、今世間を騒がせている連続殺人の犯人は、同一人物じゃないかって」
「侑から聞いた。名無しがそう言ってたって」
「…そう。ならもう1つ」




私…犯人は、警察の人間なんじゃないかって、思うの。