real ammunition

「お疲れ様です、名無し主任」
「お疲れ様」

真昼間。遠い彼方まで続く河川敷の一角が、ぽつんとブルーシートで覆われている。そこに向かいながら、私はスーツの腕に腕章を付け、ブランドのバッグから靴に被せるビニールカバーを取り出した。4人目の被害者。世間を騒がせる連続殺人事件は、一向に犯人の足取りを掴めないまま、ついに4人目の犠牲者が出てしまったのだった。事件の知らせを受けて現場にやってきた私は、立ち入りを制限するように周囲に張り巡らされたロープを潜り、見張りをする下っ端の刑事たちに挨拶を交わす。

「主任、お疲れ様です」
「瀬見…」

私の姿を見かけて、瀬見は遠くから駆け寄ってきてくれた。片手に持っていた鞄を慣れた手付きで奪っていく。「道悪いから気を付けろよ」と彼が言うように、河川敷の砂利道はヒールで歩くにはなかなか歩き辛い場所だ。

「あそこ?」
「はい。至近距離で銃弾が一発、発射されています」
「銃殺か…」

ブルーシートで覆われているそこへ近付くと、瀬見以外にも既に私の班のメンバーがちらほらと集まっていて、赤葦が15度頭を下げてお辞儀をした。普段は生意気な部下たちだが、こういった形式的なものは欠かさない。一応私を上司として見てくれている証拠なのだろうか。

「主任、お疲れさまです」
「被害者の身元は」
「確認取れてます。北見国弘、39歳。暴力団、瀬戸組の男です」
「暴力団…?」
「はい」

白布が無言でブルーシートを捲って、中へと促した。背を屈めてそこへ足を踏み入れると、うつ伏せで倒れている被害者の遺体と、周囲にまき散らされた血、目を背けたくなるような光景がそこに広がっている。小さく息を吐いて、ご遺体に両手を合わせた後、私はその死体をじっくりと眺めて調べた。

「背後から撃たれた…」
「検分によると、かなりの至近距離で撃たれているそうです。弾丸は一発、心臓を貫いて、被害者はほぼ即死だったと」
「至近距離で背中を向けていたってことは、犯人は知り合いの線も高いわね」

見ず知らずの他人に背中を向けるという状況は、恐らく考えにくい。通り魔的な犯行だったとしたらまだ分からなくもないが、被害者は銃で撃たれているのだ。それに、こんな河川敷に一体何の用があったのかと考えると、恐らく誰かとここで話していたか、別の明確な目的があったか。暴力団関係者となれば、人の目のつかない場所で話したいことも沢山あるだろう。こんな人気のない場所で通り魔、更に銃を所持していた可能性は低いのではないだろうか。

「例の連続殺人事件との関連性は?」
「それは今、侑と黒尾が署に戻って調べていますが、どうやらこの男……、」
「………なに、勿体ぶらないでよ」
「…いや」

今まで淡々と説明してくれていた赤葦が、急に黙り込んだ。釣られるように彼を見上げて、屈んでいた足を伸ばす。何かを考え込むように、その眉間の皺を深く刻んで、じっと遺体を見る赤葦を、私は首を捻りながら見つめた。何だか彼らしくない。ぐっと拳を握りしめ、言葉を詰まらせる赤葦を見かねた白布が、代わりにその口を開いた。ゆっくりと白布へ振り返った私の顔は、驚きと動揺に染まった。


「この男、5年前の……、麻薬取引事件に関わっていた男です」
「え…?」
「主任の姉…、名無しさんも捜査していた、あの事件です」





やっぱり、この事件は、あの5年前の事件と繋がっている。白布の言葉を聞いた今、私は確信した。5年前、姉が追っていた麻薬取引事件。その最中、姉や赤葦や黒尾は、尊敬する主任を失った。姉が発砲した、一発の弾丸によって。銃撃戦の末の、不幸な殉職として扱われた、当時の熱血警部補の死。そして、繰り上げ当選で主任に任命された姉。姉が殺された事件を追う私にとっては、最早無関係ではない、この麻薬取引事件。赤葦や黒尾にとっては、主任を失った事件の関係者が殺されたのだ。色々と思うこともあるだろう。

「……赤葦」
「はい」
「自分が刑事ってこと、忘れないでね」
「……はい」
「瀬見、今日は私と一緒に」
「了解です」

珍しく冷静でいられなくなっている赤葦に、上司としてきちんと釘を刺す。冷酷かもしれないが、刑事という職業は常に冷静でいなければならない。過去の感情に捉われたら、見えるものも見えなくなる。視野が狭くなることは、犯人を取り逃がす致命的なミスにつながるのだ。ぽんと、一度だけ赤葦の肩に手を置いて、私は瀬見を連れてブルーシートの中から出た。今日は彼と行動を共にし、事件を捜査する。刑事は基本的に二人一組で行動、単独捜査は厳禁とされている。それは、事件を追うという行為がとても危険であるが故だ。途中もしも犯人と出くわした時、また、事件に巻き込まれた時、一人だと対処しようがない故の措置である。

「瀬見。今日は私と一緒に、彼が関わっていた暴力団関係者に話しを聞きに行ってもらう」
「分かりました。車を回してきます」
「よろしく」

瀬戸組。姉が生前追っていた事件。そして、その事件に関わっていた人たちの運命を、大きく変えた事件。私はその事件に、5年経った今、触れようとしている。あの時の姉の背中を追って。真実を掴むために。












「あの時の女デカの妹か。世の中ってのは不思議なもんだな」

スーツを着こなす、背筋の伸びた老齢の男が、私と瀬見を出迎えた。立派な事務所に通されて、これまた立派なデスク、黒皮の椅子に座るその人は、煙草を咥えながら私たちを見つめている。頭上の壁には、「瀬戸組」と大きく書かれた達筆な文字が躍っていた。小説や漫画で見るような、いかにも暴力団の事務所、といった感じだ。扉には、下っ端の見張りが直立不動で二人程立っている。居心地の悪さに眉を顰めながらも、私はその男に早速本題を切りだした。

「貴方の部下が殺されました。もう話しは聞いてますよね?」
「ああ、今朝方下っ端共から聞いたよ。北見の奴、何やってんだか…」

老齢のその男…、瀬戸は、威圧的な雰囲気を醸し出しながらも、こちらの捜査には協力的であった。意外にも会話が通じる相手なのかもしれない。もっと血の気の多い集団だと思っていたが、これなら聞き込みもスムーズに事が運びそうだ。北見の死を嘆き悲しむ瀬戸に、私は更に問い詰める。勿論、今回の北見が殺された事件もそうだが、5年前の、あの事件について、聞かなければならない…、いや、私自身、聞きたいと思っていた。姉のことを知るには、当時姉が関わっていた事件を知る必要があると感じていた。

「北見は、至近距離で銃を撃たれ、即死しています。顔見知りの犯行の可能性が高いです。何か心当たりは」
「そう言われてもなあ…。俺たちゃ、もうすっかり前線から退いて、のんびり気ままにやってんだ。組同士の争い事は、ここ最近めっきりだ」
「別の組の者の犯行、という線も、考えにくい訳ですね?」
「そういう事だ。お前たち警察には、5年前の事件でこっぴどくやられたからなあ。あの件でうちも何人かやられて、結局そのまま崩壊したって訳だ」
「5年前……」

まさか、向こうからその言葉を聞くことが出来るとは。私が食い気味になったのを、隣で黙って聞いている瀬見が横目で見つめている。瀬戸は、そんな私たちの期待に応えるかのように、あの時のこと、そして、あの事件のあとの事を教えてくれたのだった。

「激しい銃撃戦だった。俺もあの時あの場にいてな。肩に一発喰らって、まだ中に弾丸が残ってる」
「あの後、瀬戸組はどうなったんですか」
「当時の事件の中心人物は、そのまま豚箱行きだ。警察の連中、見事に約束を破りやがって」
「約束?」
「俺たちは警察に買われてたんだ。裏で金を貰いながら、事件に必要な情報を仕入れて流す。そういう契約を結んでいたんだよ」

今さら、そんな事を聞いても驚かなくなってしまった自分が悲しい。なんとなく想像は付いていた。彼ら暴力団と、我々が属する警察が裏で繋がっていることは。だからこそ、その麻薬取引事件も、警察は分かっていた上で目を瞑っていたのかもしれない。ある一人の刑事を除いて。

「そのデカは、熱血で真っ直ぐで、正義感溢れる男だった。俺はアイツが嫌いじゃなかった。警察のそういう汚ねぇ所を許さないって、真正面から臆することなくぶつかってくる。警察の連中が見て見ぬふりをし続けてきた俺たちの麻薬取引も、どこからか嗅ぎ付けてきたのさ」

それが、恐らく赤葦や黒尾が尊敬していた、今は亡き主任だったのだろう。彼らは、警察の指示も無視して独自に捜査を進めていた。警察の裏側を暴き、犯罪を犯す暴力団を逮捕する為。当時の赤葦と黒尾たちは、己の正義を信じて突き進んでいたのだ。その先に待ち構える悲劇に気付かぬまま。どんどん巻き込まれて、悲惨な結末を迎えることになるとは知らずに。

「俺たちは当然、警察との手を切ったさ。麻薬のことをこそこそ嗅ぎ回られて、鬱陶しいったらありゃしない。警察の連中も、そこで焦ったんだろうな。今までしてきた汚いことも、全部明るみに出ちまうんじゃねえかって。だから警察の奴らは、慌てて次の手を打った。闇を闇で消す様に」
「……同じ警察官を、金で買ったんですね」
「知ってるのか、嬢ちゃん」

知ってるも何も、買われたのは…私の姉だ。姉は、多額の金と立場という報酬に釣られて、自らの上司を撃った。班を纏める上司を失って、統率を失った姉の班。その後駆け付けた警察の応援によって一命は取り留めたものの、事件は有耶無耶になって闇に葬り去られた。世間体的に、一応瀬戸組の幹部クラスが数名、見せしめとして刑務所送りになっただけ。まるで、裏に隠された大きな闇を隠すように、その事件は徐々に人々の記憶から忘れ去られていったのだ。

「アイツらは、自分たちの闇を隠す為、同じ警察の人間を駒として使い、そして俺たちのことも裏切った。だから俺は警察が大っ嫌いだ」
「なら、何故私たちを招き入れてくれたのですか」
「…………」

瀬戸は私の目を見て言った。「似ているからだ」と。私が、あの時あの場所にいた名無しに、とても良く似ていたからだと。当然だ。血の繋がった姉妹なのだから。私は告げた。結局あの事件の後、姉も殺されたんです、って。そう言ったら、瀬戸は不気味な笑顔を浮かべていた。地獄に引きずりこまれたんだ、そう笑う瀬戸に、私は何も言い返せない。だって姉は、悪だったから。姉の死は、もしかしたら不運な事件に巻き込まれたんじゃなくて、最初から決められた運命だったのかもしれない。私はこの時既に、姉の死に対して、そして姉の命を奪った事件に対して、考えが変化していたのだった。




ーーーー・・・・





「自分で、分からなくなった」

ぽつりと呟かれた言葉に、私はゆっくりと顔を上げて、運転席に視線を投げる。運転手を務める瀬見の車は、すっかり暗くなった夜のハイウェイを走っていく。流れていく景色をぼんやりと見つめて、よく分からないラジオを聞きながら、瀬見の珍しい弱音を受け止めていた。

「警察…、刑事って何なんだろうな」
「瀬見らしくないね」
「……俺らしくない、か」

止まることなく走り続ける車は、私たちを乗せて、署へと向かう。きっと既に、私の班員が戻ってきている頃だろう。到着したら、全員で机を囲んで、今日仕入れた情報を共有する。今晩も家に帰るのは遅くなりそうだ。

「俺らしいって、なんだ」
「え?」
「班長の中の俺って、どんな刑事なんだ」

私は、迷わず1つずつ挙げていった。正義感が強くて、何にも染まっていない、真っ白な刑事。誰もが思い描く刑事像そのもの。瀬見は、そんな男だ。私なんかよりも、ずっと刑事が似合う男。これから先、きっといつか私を追い抜かして、出世していくのかもしれない。私は、そんな瀬見が見たい。そう胸の内を瀬見に聞かせてやると、彼はその横顔を暗くして、弱々しく返事をした。

「俺は、分からない。何を信じたらいいのか」
「瀬見……」
「今回の事件を調べていくと、どんどん警察の闇が見えてくる。犯人の背中は一向に見えないのに、見たくないものばっか出てくんだよ」
「…それが、今の警察だから」
「……だったら俺は、刑事になんかなりたくなかった」

ぐっと悔しそうに唇を噛み締めている横顔を見て、私は胸が締め付けられる思いだった。真っ直ぐ過ぎる故に、危なっかしいと思っていた瀬見は、まさに警察の闇に直面して心が折れそうになっている。理想としていた、なりたかった憧れのそれが、本当は悪だったと言われれば、誰だってショックは大きいだろう。ずっと心配していたことがまさに現実になりかけていて、私は彼のハンドルを握る手にそっと手を重ねる。驚く瀬見に、私は上司として寄り添ってあげることしかできないけれど。それでも、少しでも彼を救えるのなら。

「瀬見。負けないで」
「…班長……」
「貴方が信じた正義を、最後まで貫いて。あんな汚い連中に負けちゃ駄目」
「………正義……」
「私、ずっと言わなかったんだけど…。もし私を、復讐から救ってくれる人がいたとしたなら、それは瀬見だって思ってたの」
「俺…?」
「うん。瀬見が、もしかしたら私を救ってくれるんじゃないかって」

体を重ねる度、いつも彼は私に言って聞かせた。復讐からは何も生まれない、そんなくだらないものに手を染めるな、と。そして、俺と一緒に刑事として生きてほしい、とも言ってくれた。彼はこんな私を、上司として尊敬し、認めてくれていたのだ。瀬見の真っ直ぐな穢れの無い目を見ていると、私も少しだけ昔の自分を思い出す。姉を失う前、瀬見と同じように、正義に燃えていた自分のことを。

「だから、私瀬見に期待してるの。いつか、私を…、ううん、私だけじゃない。赤葦や黒尾や白布や侑みたいに…、警察の闇に巻き込まれて苦しんでいる人たちを、助けてくれることを」
「…………」
「どうか、瀬見だけは私たちのようにはならないで。引きずり込まれないで」

たった一人、唯一の生き残り。彼だけはまだ、辛うじて警察の裏側に抗い、闇に飲み込まれまいともがいている。だからどうか、このまま戦い続けて欲しい。それはとても酷で苦しくて長い戦いだけれど。いつかきっと、瀬見の想いが通じる時が来るから。

「主任、今晩時間をください」
「ふふ、またお説教?言っておくけど、私は復讐はやめないよ?」
「…好きだ、名無し」

私の冗談を交わして、はっきり告げられた言葉。車を路肩に停めた瀬見は、助手席の私に体を伸ばして何度も口付けをした。ちゅ、ちゅ、と軽く触れるだけのキスは、徐々に深く荒々しいものへと変貌していく。お互いに息をすることも忘れて求めあって、ぐずぐずに蕩けたところでようやく彼の胸板を押し返す。続きはまた後で、とそう囁いて。


再び走り出した車は、署の駐車場に到着した。時刻は既に22時を回っている。みんなが欠伸をしながら待っていることだろう。運転席から降りた瀬見に、私も続けて助手席から降りながら声をかけた。


「瀬見」
「はい」
「…今日瀬戸から聞いたこと。みんなには話さないで」
「え?」
「今回仕入れた情報は、内密にする」
「ど、どういうことですか。仲間内で情報を共有しないと、」
「…お願い」
「…………」

私の強張った顔つきを見て、瀬見は納得いかなさそうな表情を浮かべていたが、やがてゆっくりと頷いた。何故秘密にしようと思ったのか。なんとなくだが、これは彼らに…、赤葦たちに聞かせてはならないような気がしたのだ。赤葦たちが、あの暴力団と関わりが深いから、だろうか。自分でもよく分からない。だけど、何だろう、この胸騒ぎ。

「瀬見。貴方を信用して、もう一つだけ頼みたい事がある」
「なんだよ」
「もし…、」

深く吸い込んだ息をゆっくり吐きだしながら、私ははっきりと口にした。呆然とする瀬見の顔を見つめながら、淡々と、粛々と。



「もし私に何かあった時、…その時は、瀬見が後を引き継いで」
「は…?」
「いい?瀬見、アンタにしか頼めない」
「何言ってんだよ、馬鹿なこと言うのはよせ、」
「私だって、冗談で言ってる訳じゃない。瀬見も感じてるでしょ?今回の事件、何か大きな力が動いてる。もしかしたら私たちは、知ってはいけない事を知ろうとしているのかもしれない」
「なんだよ、それ……」
「何かを得る為には、何かを犠牲にしなくちゃならない。もし私が、道中で倒れるようなことがあったら、その時は瀬見に全てを託す」



私がもし殉職したら、瀬見。貴方が必ず、この事件の真相を暴いて。赤葦でも白布でも黒尾でも侑でもない。…瀬見が、暴きなさい。