determination


※暴力表現や、若干のグロ表現を含みます。ご注意ください。




























「けほっ……、う……ぅ……」
「最期に言い残すことはあるか?」

髪を上から引っ張られて、私は呻き声を上げながら顔を上げた。その顔には既に、無数の切り傷と痣が痛々しく刻まれていて、血と泥で汚れている。既に痛みという感覚は麻痺し始めていて、動かない体は力無く地面に投げ出されたままになっていた。私を掴み上げた男は、そんな私の姿を見て楽しそうに笑っている。女の苦しむ姿を見て楽しむだなんて、いい趣味をしていると心の中で毒を吐いた。


この男。先程まで、しがないタクシー運転手だったコイツは、かつての赤葦たちの上司で、私の姉を殺した犯人でもある、元警視庁捜査一課第一班主任、塚原として、今私の目の前に立っていた。人気のない倉庫にやってきた塚原は、丁寧に私の腕を縄で拘束した後床に放り投げ、殴る蹴るの暴行を繰り返したのである。口に広がる血の味を悔しく思いながらも、現状こちら側には何も手立てはなく、ただ塚原の暴力に耐えるしかない。赤葦たちが、私の異変に気付いてくれればもしかしたら助かる可能性はあるかもしれないが、『タクシーを拾って先に帰る』と言った私のこの危機を、誰が察してくれるのだろうか。恐らくその望みは、果てしなく薄い。せめてもの反抗心として、こちらを見下ろす彼を睨みあげると、塚原は容赦なく私の顔にもう一発蹴りを入れた。

「大好きな姉の所へ送ってやるんだ。もう少し感謝したらどうだ」
「…なんでお前が生きている……」
「生きてるから生きてるんだろうが。それ以外に理由があるか?」
「とぼけるな……。お前は…、私の姉が……殺した筈だ…。5年前の麻薬取引事件の時に…、銃撃戦に紛れて…」

苦し気に漏らされる吐息の中で、ぽつぽつと私が紡いだ言葉を、塚原は静かに聞いていた。懐かしいよく知った匂いを含む煙草を咥えて、白い煙を吹かしながら、その記憶を遠い彼方に飛ばす。昔を懐かしむように目を細める彼の顔を、下から見上げながら答えを待っていると、塚原は床に倒れる私の上に座って、咥え煙草のまま語りだした。

「確かに俺はあの時死んだ。お前の姉に撃たれて、刑事としての俺は死に、全くの別人として生まれ変わった。5年前のあの日…、俺の顔を見た時の名無しの顔ときたら…、そりゃあもう面白かったな」

クックッと喉を鳴らして笑いを堪える塚原の顔を見ていると、私の中でも古い記憶が呼び覚まされて、またずきずきとコメカミが痛み始めた。鮮明に蘇る、あの時の光景。塚原に暴行されて、姉が殺された時の、忌々しい過去が、全て、全て私の中に流れ込んでくる。懐かしい姉の声が、まるで今そこにいるかのように蘇り、私の耳に響く。



『なんでお前が生きてるんだ!お前は私が殺した筈だ…!』
『未練たらたらで、あの世に逝けなかったみてぇだ』
『ふざけるな!今度こそ…、今度こそ殺してやる!!』



キッチンから姉が持ち出してきた、光る包丁。その切っ先が、目の前の黒いフードを被った男に突き付けられている。姉の表情は、本気だった。本気で殺すつもりでいるんだ、と傍で見ていた私には分かっていた。止めなきゃ、姉を殺人者にしちゃいけない、そう思っても、恐怖で体がいう事を利いてくれない。その内、二人は激しく揉み合いになって、気付いた時には。

いつの間にか塚原の手に握られていた包丁が、姉の腹を突き破った。姉は、悲鳴も呻き声も上げなかった。ただ静かに、目を見開いたまま、スーッと呼吸が浅くなっていくのを目の当たりにして、頭が一気に真っ白になっていく。助けなきゃ、なんて思っている間にも、塚原がゆっくりと包丁を引き抜いて、力無く倒れていく姉の上に乗っかって、何度も、何度も、その包丁を…。

飛び散る血。原型を失っていく、姉の体。塚原はただ一心不乱に、とっくに事切れた姉の体に包丁を振り下ろしていた。まるで、積もりに積もった恨みを晴らすかの如く。塚原の背中越しに見える、投げ出された姉の腕が動くことは、二度と無い。舞い散る赤が、私の脳裏にこびりついて、そして、私の記憶に蓋をしたのだ。トラウマとして刻まれた記憶は、私の全てを狂わせてしまうから。だから、自分を守る為に、私は無意識の内に過去から目を逸らして、ずっと、ずっと忘れてきたのだ。



「ああああ……、ああぁぁあ……」
「銃で撃たれて運ばれた時、警察の連中も医者も、まさか俺が助かるなんて思ってなかった。奇跡の生還だったんだ。死んで堪るかっていう俺の執念が通じたんだ、きっと」
「いや……、いやあああ!!!」
「目が覚めた時、俺の目の前に警察の上層部が顔を連ねてやってきた。大量の金を積み上げながら、今までの俺は死んだこととして扱うから、別の人間としてこっそり生きて行ってくれと。そうしたらその命は見逃してやる、なんて脅しの文句まで付けてきてな」

過去を思い出したことによって、パニックに陥り錯乱する私の上で、塚原は相変わらず静かに自分のことを語っていた。私の悲痛な叫び声など聞こえていないかのように、彼は過去を懐かしんでいる。指で挟んだ煙草を口から離して、フーとゆっくり吐き出した煙が、私の顔をにかけられて。その匂いに包まれた瞬間、塚原にレイプされた時のことを思い出して私は更に発狂する。叫んで、暴れて、喚く私を、塚原が何度も殴った。楽しそうに、げらげらと笑いながら振りかざされる拳を受け続け、やがて意識が朦朧として大人しくなった私を見ると、塚原は反応がないことが面白くないのか、ようやく殴る手を止めたのだった。

「俺はチャンスだと思った。きっと、復讐をするチャンスを与えて貰ったんだと。散々俺を苦しめ、痛めつけてきた者、俺が許せないと思っていた者に対する復讐を、この生き長らえた命でするべきなんだって」
「……………」
「だから、最初にお前の姉を殺した。お前の姉が大事にしていた妹を傷付けてから、姉を殺した。復讐は、ソイツが最も苦しむ方法でやらなきゃ意味がない。だから俺はお前をレイプしたんだ。裁かれなかった人殺しの名無しを、俺が代わりに裁くために。そうやって、今まで罪を逃れてきた連中も次々殺した。なるべく痛くて苦しい方法を選んで殺してやったんだ!」
「だから……、最初の女性被害者も…暴行した後に殺したのね……」
「そうだ。アイツは男を騙し、苦しめた。だからアイツの女性としての尊厳を奪ってから殺した。妥当な死に方だったと俺は思うぜ」
「………くだらない……」

何とか絞り出した声で、塚原の全てを否定する。途端に塚原は、その眉を寄せて、「は?」と威圧的に私を見下ろした。そうだ、くだらない。人間が人間を裁くなんて、できっこない。だってそこには、必ず感情が生まれるから。結局塚原がした事は、只の恨み、憎しみ、それらに捕らわれた殺人。殺された人たちが、過去に犯してきた犯罪と一緒。世間では、『悪を裁くダークヒーロー』だとか、『制裁者』なんて呼ばれて、ネットでも熱狂的なファンがいる程だ。しかし、実際はそんな大層な存在じゃない。塚原はただの殺人者で、塚原こそ、裁かれるべき対象なのだ。

「…人が人を裁くなんて不可能だわ…。アンタのしてることはただの殺人…。いい歳して自分で自分に酔って、恥ずかしくないの…?」
「お前が何を偉そうに!!お前だって殺したがってただろう!姉を殺した犯人を殺す為、その為にあの事件のことを嗅ぎ回っていたんだろう!?知ってるんだぞ俺は!!お前の刑事の裏に隠された顔を!お前も俺と同じだ!」
「…一緒にしないで…。私は、自分のことをヒーローだなんて思ってないから。…私はただ、あくまでも、」


殺人者として、貴方を殺したいと思ってただけだから。


吐き捨てたその言葉が、倉庫内に響き渡る。怒りで鼻息を荒くした塚原が、再び私を殴り、蹴り、踏み付け。図星を突かれて言い返す言葉がないから、こうして暴力でねじ伏せるしかないのだ。…くだらない。警察の陰謀に巻き込まれた事には同情するが、それによって彼が選んだ行動は、何とも幼稚で、浅はかで、軽蔑すら覚える。これがかつては警部補で、赤葦たちが憧れていた上司だと言うのだから、人間というのは本当に変わってしまうものなのだろう。痛みすら感じなくなった体で、ぼんやりとそんな事を考えている間に、塚原の方から聞こえてきた、無機質な音。


「…もういい。お前を殺す。これで、俺の復讐は終わりだ」
「……私を殺しても、貴方の復讐は終わりじゃないわよ」
「なんだと…?」
「私は、死んでも死んでも、何回死んでも、お前の前に現れる。何度も現れて、お前を殺してやる」
「…なんだ、ただの負け惜しみじゃねぇか」
「嘘じゃないわよ。本当に、何度だってお前の前に化けて出てやる…。お前を殺すその日まで…!」
「分かった分かった、楽しみにしててやるよ」

がちゃり、と引き金に手を掛ける音。突きつけられた拳銃が、真っ直ぐ私に向けられている。彼がそのレバーを引けば、私の命は一瞬にして終わるだろう。本当なら、この男を殺してから死にたいところだったけど。状況的に、それは難しいみたい。姉妹揃って、同じ男に殺されるなんてなかなか間抜けな終り方だ。…ああ、そうだ、私が欠けた後は、誰が残った仕事を片付けてくれるんだろう。瀬見には、この事件のことを引き継ぐようにと伝えてあるから、きっと上手くやってくれる筈。赤葦も白布も黒尾も侑も、私よりずっとしっかりしてるから、第1班をきっちり纏めてくれるよね。

ゆっくりと閉じる瞼。死ぬ時って、どんな感じなんだろう。痛いのと苦しいのは嫌だけど、既に何発も殴られて感覚が無くなっているから、今ならどんな方法でも何も感じぬまま逝けるかもしれない。来るであろうその瞬間に覚悟を決めて、ぐっと息を止める。自分の中では覚悟が出来ていると思っても、やはりその場面に直面すると恐怖と緊張が込み上げて、体が震えて止まらない。…死にたくない。生きたい。…赤葦と、白布と、黒尾と、侑と、瀬見と…。大切な部下たちと一緒に、これからも…沢山の事件を解決して、黒い闇を切り開いて…、



『私、刑事になって、困っている人たちを助けたい。色んな圧力や立場にねじ伏せられて、どうにもできずにもがいている人たちを…助けられる人になりたい…』



刑事に成りたての頃、そんな願望を姉に打ち明けた気がする。姉は笑って、頭を優しく撫でてくれた。憧れだった姉が殺されて、それ以来は失ったと思っていた、あの頃の気持ち。それが、今死を直面にして、ぶわりと湧き上がってくる。生きたい、もっと刑事として…みんなの、傍にいたい。そんな欲が出てきて止まらない。


(私…変わってなかったんだ…)


こうなるまで気づかなかったなんて。あれだけ部下たちに、「私は復讐の為に生きている」と言い張っておきながら、本当は、ずっと心の奥底に眠っていたんだ。過去の記憶と共に封じ込められていた、懐かしい気持ちと熱意。刑事としての気持ちと、私にとって大きくなり過ぎた部下の存在が、死ぬなと後ろ髪を引っ張る。生きたい、生きたい、生きたい。自分の気持ちを確認するようにそう呟けば呟く程、この気持ちはブレーキが利かなくなってくる。ぽろぽろと溢れ出る涙が、傷に沁みて痛んで。まだ、私は、痛みを感じられる。今を生きている。


「今さら泣いて命乞いか?」
「………」
「残念だったな。俺にその、女の武器とやらは通用しない。何なら激しく抵抗してくれた方が、殺し甲斐があるってもんだが」


楽しませてくれよ、そう笑う男の銃口が、ついに私の額に宛がわれた時。








「塚原!!!!!!」





響き渡る声に、目を見開く。その怒声の後に、バタバタと数人分の慌ただしい足音が倉庫の中に木霊して。驚いて振り向く塚原の体越しに、私はその存在を確認した。


「…どうして……」
「今すぐ銃から手を離せ。……塚原」
「…悲しいな、赤葦。お前を育てたのは俺だというのに、そんな恩師に銃を向けるなんて」
「黙れ!!」



倉庫の入り口を塞ぐように立つ、5人。その真ん中に立つ赤葦が、真っ直ぐ塚原を睨みながら、警察に支給される銃を構えて対峙していた。その目には、決意が滲んでいる。ここに駆け付けるまで、きっと赤葦は色々な葛藤をしただろう。赤葦だけではない。白布も、黒尾も、侑も、瀬見も。今まで私たちが苦しんできた全てを思い出し、それを噛みしめながら、ここまでやって来たのだ。

「…5人だけか」
「応援は呼んでいない。お前とは、俺たちだけで決着を付けたかった」
「一丁前な事言うようになったじゃねえか、赤葦」


懐から新しい煙草を取り出して、一本咥える塚原の顔からは、未だ余裕は消えない。悠々と白い煙を吐き出しながら、そのパッケージを赤葦の方へ差し出して、「吸うか?」なんて微笑んでいる。その間も、赤葦が突きつけている銃は塚原を捉え続け、5人にはぴりぴりとした緊迫したムードが漂っていた。

「お前、俺と同じ煙草を吸うようになったんだろ?知ってるぜ」
「…………」
「俺が殺した現場の工作もやってくれたんだってな。いい部下を持ったってもんだ」
「…俺はもうアンタの部下じゃない。…俺の上司は、」



名無し班長、貴女です。




じわりと浮かぶ涙で、前が霞む。赤葦の決意は、ただ真っ直ぐに塚原に突き刺さっていた。1ミリもぶれる事のない銃口が、それを物語っていた。