Cigarette Asassin

5年前から始まった地獄。ある一人の警部補が、警視庁の闇に呑まれて殺された。その手引きをしたのが、私の姉。当時刑事になり立てだった私の、憧れの人だった。ずっと追い続けてきたその背中は、ある日突然消える。…5年前の、雨の日の夜。私を暴行した男…、塚原元警部補は、自らの復讐を成し遂げる為に姉を殺し、そして自分が今まで関わってきた事件の犯人たちを次々と殺害していったのだった。

彼は言う。自分は罪を裁く為に生き長らえたのだと。己の犯した罪を正当化し、悪びれるどころか正義のヒーローだと思い込んでいる、とんだ痛い男。私は、彼のそんな歪んだ正義感を体感していた。塚原は、床に倒れる私を「俺と似ている」と言った。…ふざけるな。私が、お前と似ているなんて、そんな事絶対に認めない。私は、必ずコイツを、姉を殺したコイツを……、



「班長を離せ、塚原」



私の思考を遮ったのは、低く響き渡る黒尾の声だった。目の前に立ち塞がる5人は、今までずっと共に歩いてきた私の部下。私の危機を察知して、ここまで駆けつけてくれたのだ。どこまでも優秀な部下である。赤葦を真ん中にして、塚原の前に堂々と立つ彼らの姿には、もう迷いなど感じられなかった。例え相手が、かつての上司であり憧れの人だとしても、その目に揺らぎはない。きっと、もうみんな覚悟を決めている。

「塚原主任、だろ?上司を呼び捨てにするなんて、生意気なクソガキになったな黒尾」
「さっき赤葦が言った筈だ。お前はもう俺たちの上司じゃない。…ただの殺人者だ」

黒尾の反論を受けて、塚原は腹を抱えながら豪快に笑った。倉庫に響き渡る、この場に不釣り合いの笑い声。不快に木霊するその声が止んだ後、塚原は苛立った様に傍にあったドラム缶を蹴飛ばした。けたたましい音を鳴らして転がるそれに、私は思わず目を瞑る。傷だらけで倒れる私の胸倉を掴んで無理矢理立たせた彼は、赤葦たちに向かって唾を飛ばしながら叫んでいた。

「この女だって同じだろうが!!俺を殺そうとしてる!!自分の姉を殺したその復讐として、殺人者になろうとしてる!!俺と何が違う!?俺の正義こそ正しいだろうが!!」
「お前と班長は違う」

感情的になる塚原とは対照的に、白布はどこまでも冷静だった。私が同類だと言い張る塚原に対して、静かにその言葉を否定して。白布の鋭い目が、私に真っ直ぐ突き刺さっている。そんな彼らの瞳を見ていると、頭の中で数々の夜が蘇っていくようだ。…私は部下と肌を重ねた時、いつも言っていた。姉を殺した男を殺す、殺人者になりたい、と。そういう点では、私の思考は塚原と同じなのかもしれない。ただ私は、そんな自分を正当化したり、ヒーローだと思うことはないが。私だって一歩間違えれば、塚原と同じ道を歩んでいたかもしれないのだ。

「私は……、」
「名無し」

迷う私の名を呼ぶ、白布の声。彼の顔は、部下としての顔ではなくて、夜、ホテルで二人きりの時に見せる男の顔をしていた。私のことを大切に愛してくれていた、あの時の顔。その表情を見ると、私は安心するのだ。…一人じゃない。人を恨んでも、こんな私を包み込んでくれる人がいる、と。

「お前は違う」
「白布……」
「…だってお前は、まだ殺してないだろ」

見開いた目から、ほろりと落ちる水が、傷に染み込んで痛みを感じた。殺したかった、この男を。大好きだった姉を奪ったコイツを。…そして、全ての引き金となった警視庁の上層部も。それは、きっと私だけではなく、白布たちも同じ。みんな重たい過去を背負って、その苦しみと戦いながら生きている。白布もよく言っていた。昔、自分がお世話になった家庭教師を殺した通り魔を、いつか殺したい、と。私はそんな白布の憎しみに救われていたのだ。お互い傷を舐め合いながら、毎日慰め合っていた。赤葦も、黒尾も、瀬見も、侑も。そして、今賢明に生きながら、必死に過去のトラウマと戦っている被害者の人たちも。みんな心の奥底には殺意が眠っていて、それを理性で蓋しながら生きている。

「自分の感情をコントロールできなくなったヤツが獣になる。でも、名無しは違う」
「…………」
「お前は殺してない。塚原のことも、自分自身のことも」
「わ……たし……、まだ、もどれる…?そっち側に……」
「当たり前だろ」



切なそうに笑う侑が、私の方へ手を差し伸べて。




「絶対連れ戻したる。…一緒に帰ろう」
「…うん……」

私はまだ、生きていたい。人間として、刑事として。まだ、やり残した事がいっぱいある。解決されていない事件を追ったり、逃げ続けている犯人を捕まえたり、事件の被害に遭って苦しんでいる人たちを助けたり。…そして、今も蔓延っている警視庁の闇を切り開く。きっと、私と、信頼する部下たちにしかできない。もう二度と、塚原のような悲劇を生まない為にも。姉のような犠牲者を生まない為にも。地獄を味わった私だからこそ、前に進んで行ける。

「…塚原。人は変われる。私はそう、信じてる」
「………」
「貴方が殺した被害者たちのことを調べたら、分かった事があるんです。彼らは決して、自分たちが犯した罪を忘れた訳ではなかった」

一人目の被害者の女性。罪状は詐欺罪。当時交際していた老人の男性を騙し、多額の現金を盗み取って捕まったが、後に証拠不十分として、不起訴処分の判決が下る。彼女は罪を犯しておきながら、無罪放免となった。その結果、今回塚原の餌食になった彼女だったが、彼女なりに罪滅ぼしをしようとしていたのだろう事は分かった。調査したところ、女性はここ数年前からボランティア活動に積極的に参加していたのだ。勿論、たったそれだけで彼女の罪が消える訳ではない。一度犯した罪は、いつまでも残り地獄の底まで追いかけてくるだろう。でも決して、全てを忘れてのうのうと生きていた訳ではなかった。女性なりに、変わろうとしていた。

二人目の男性、暴行罪。パチンコ店で揉み合いになった客に一方的に暴行を加え、そのまま殺害してしまった事件。当時未成年だった彼には少年法が適用され、僅か1年で少年院を出所している。彼は、塚原に殺される前まで、必死に母親の介護をしていた。自分が犯した罪のせいで、世間から睨まれ蔑まれた母親は、数年前から重度の精神疾患を患い、とても働きに行ける状態ではなくなったからだ。そんな母親を養う為、朝から夜まで働き詰めの毎日。それでも男は、決して弱音を吐かなかった。苦しむ母に、何度も謝っていた。「ごめんな、ごめんな」と。それでも、男が殺した被害者は、もう二度と蘇ることはない。どれだけ謝り、必死に働いても、帳消しにすることはできない。

三人目も、四人目も。みんなそうだ。何らかの形で苦しみを受けたり、自分なりに贖罪を果たそうとしていた。罪は消せなくても、人は変われる。そして、罪を犯した者は、全員その罪を償う責任がある。…一生をかけて。地獄に落ちても、ずっと、その罪に苦しむべきだと、私は思っている。

「…だから塚原。私は貴方を殺さない。貴方には生きて生きて生き続けて、ずっと苦しみ続けて貰わなくてはならない。それが、貴方が犯してきた罪への償い」
「罪?……笑わせる。刑事なら言葉じゃなくて、ちゃんと証拠で見せてくれないか。俺がやったっていう証拠を」
「証拠が欲しいなら、ここにある」

瀬見が地面に放り投げた、1つの証拠品。それは、私が及川に調査を依頼していたものだった。小さなビニール袋に入れられた、1つの弾丸。それを見た瞬間、塚原の表情が一変した。これをどこで、とぼやく彼を横目で睨み、私は告げる。この弾丸が物語る、全ての意味と真実を。

「これは、5年前。ある銃撃戦の現場にいた男性の、肩にずっと残っていたものです」
「銃撃戦……?まさか…、あの時の……」
「瀬戸組…。組長だった男性が、私に提供してくれました。わざわざ摘出手術を受けて、この銃弾を授けてくれたのです。地獄でもがく私が、這い上がってこれるように…手を差し伸べてくれた」
「あの男……、生きていたのか……」
「弾丸は、発砲された時にライフリングによる傷が残ります。ライフリングは、拳銃1つ1つに、それぞれが違う模様が刻まれている。つまり、人間でいう指紋のようなもの…。刑事だった貴方なら、これがどういう事か分かりますよね?」
「………」
「4人目の被害者の命を奪った銃弾。…それと、この銃弾は全く同じライフリングの痕が付いていました。つまり、つい先日殺された被害者を撃った拳銃と、5年前、銃撃戦にて使用されていた拳銃は全く同じもの」

私の推理を黙って聞いている塚原に、赤葦が更に追い撃ちをかけていく。

「この形のライフリングをした拳銃を辿っていくと、簡単に拳銃の種類が分かるんですよ。…M38エアーウェイト。警察官に支給される拳銃の型番です。今の時代、そう簡単に銃を手に入れることはできません。そう考えれば、貴方に辿り着くのは簡単でした。刑事時代の頃に支給された拳銃を使っている。…貴方が今右手に握っているその拳銃こそ、何よりの証拠です」

こっちに渡せ、と低く呟いたところで、塚原が素直にその要求に応じることはなかった。手にあったその拳銃を徐に掲げると、ゆっくりと私のコメカミに突き付けた。走る緊張が、赤葦たちの表情を強張らせていく。コメカミから伝わってくる無機質な冷たさを横目で睨みながら、私はどうするべきかと考えていた。絶対に殺してはいけない。必ず生きた状態で、この男を連れて行く。そうしなければ、私たちの地獄は終わらないのだから。

「…安心しろ。この女を殺せば、俺の復讐は全て終わる。そうしたら、俺は断罪者として自分の罪を断罪する」
「自殺するつもり…?」
「最初からそうするつもりだった。俺は、5年前に死に、全てを奪われた。どうせ生き残ったって、何もありゃしない。俺に残されたものは、復讐だけだった」
「ふざけないで…!これだけの人を殺しておいて自分だけ綺麗に死のうなんて…、私も、貴方に殺された人たちも、貴方のことを絶対に許さない!!」
「死人に口無しって言葉があるだろ?これから死ぬ奴の言葉なんて、俺には関係ないんだよ」

ぐぐぐ、と力を込めて銃口を押し付けられて、私の表情が歪んだ。一触即発の状況に、赤葦が銃を握り直す。その銃口は、真っ直ぐ塚原を捉えたままでいる。駄目だ、赤葦に発砲させてはならない。状況に応じて、警察官には銃を発砲する権利が与えられているが、もしこれで赤葦が塚原を撃つような事があったら。

(…赤葦は、一生その苦しみを背負わなきゃいけなくなる…!)

警察官だって、平気な訳じゃない。例えどんな凶悪な人間でも、殺せば一生その感覚が忘れられなくなる。こんな男の為に、大切な部下が苦しむなんて許せない。それに、ここで塚原を撃てばそれこそコイツの思い通りだ。彼は死にたがっている。私を殺して、自殺しようとしている。自分が犯した罪も償わずに、簡単に死のうとしているのだ。

「銃から手を離せ!!」
「そんな要求に応じる訳ないだろ。ほら、早く撃てよ赤葦。お前がその銃を撃てば、一発で終わりじゃないか。お前の大好きな班長のことも助けられる。…なのに、何を躊躇っている?」

赤葦の持つ銃口が震える。はあ、はあ、と上がっていく呼吸、心拍数。昂っていく緊張が、変に赤葦の背中を押してしまわないか心配になる。私は咄嗟に隣にいた塚原に体当たりをして、その体を押し倒した。もつれこむ私たちに驚く部下たちに、私は必死に叫ぶ。

「赤葦!!銃を捨てなさい!!!」
「班長……!」
「何があっても撃っちゃだめ!!いいわね!!!」


私が死んでも、絶対に。


そう口にすると、彼らの目は大きく見開かれて、その場に立ち尽くしていた。私が一頻り叫んだ後、体を起こした塚原は、今度は私の上に馬乗りになって何度も拳を振り上げる。容赦なく殴られる私を見て、赤葦たちが駆け寄ろうとするも、それよりも早く塚原が拳銃を拾い上げて、再び私の額に突き付けた。

「来るな!!それ以上近付けば、この女を撃つ!!」
「塚原…!!テメェ…!!」

寸でのところで踏みとどまった黒尾が、悔しそうに歯を食いしばる。朦朧とする私を人質に取って、塚原は勝ち誇った笑みを浮かべていた。結局は、私のこの必死な抵抗も無駄に終ってしまったということか。かちゃりと響く銃の音に意識を傾けながら、私はそっと目を閉じていく。…部下を守れるなら、死んだっていい。でもどうか、塚原だけは死なせないで。生きて苦しんで貰わなければ。弱々しくなっていく呼吸の中で、部下の名を呼ぶ。ありがとう…、と小さく吐くと、悲痛な声で私の名を叫ぶ、彼の声が聞こえていた。


「…じゃあな、忌々しい女刑事。あの世で姉と仲良くしろよ」


引かれた引き金。駆けだす赤葦たちの足音も、もう聞こえない。パアン、と無情にも発砲された音は、倉庫内に響き渡り、頭を打ち抜いた。吹きあがる血が、私の顔にぽたぽたと滴り落ちてきて、真っ赤に染まっていく。ぐらり、と傾いた塚原の体。目を見開く私の上に倒れ込んできたその体を受け止めて、何が起こったのか理解できないままに、私は発砲音が響いたその先を見つめたのである。…撃たれたのは私じゃない。私を撃とうとしていた塚原が、撃たれたのだ。寸分の狂いも無く、脳天に一発。


「…確保しろ!連続殺人事件の星だ!!」

そこには、呼んでいなかった筈の応援の警察官が無数駆けつけていて。銃口から煙を上げる一人の男の号令により、一斉にこの場に駆け込んでくる。呆気にとられる私と赤葦たちを他所に、その場は一気に騒然となり、そして、呆気なくこの事件は終わりを迎えたのだった。…被疑者死亡という形で、5年続いた地獄は、終わった。



塚原は、即死だった。








ーーーー・・・・






「班長」

現れた部下たちに、私は呆れたように息を吐く。病室の真っ白なベッドに座る私の元に、5人の部下が沢山のレジ袋を持って現れた。塚原から受けた暴行によって傷を負っていた私は、数週間の入院を言い渡され、それからというもの、彼らはほぼ毎日こうして私のお見舞いにやってくるのだ。それも、毎回大量のお土産付きで。

「…もうお見舞いはいいから、仕事してよ仕事」
「何言うてんねん。班長が寂しがってると思って来てやってんのに」
「別に寂しくないから。むしろこんな大人数で毎日押しかけられて迷惑してる」
「随分つれないな。俺たちが寂しいの」

笑う彼らは、傍から簡易的な椅子を取り出して、それぞれが腰を落ち着けながら机に色んな食品を並べていく。どれも私が大好きな食べ物やスイーツばかり。退院したら、まずはダイエットから始めなくてはならなくなりそうだ。一気に賑やかになった病室に小さく笑みを溢しながら、そっと窓の外に視線を移すと、そこには晴れ晴れとした青空が広がっていた。5年前のあの夜とは正反対だ。


「……人は本当に、変われるんですかね」

唐突にそんな質問を投げかけられて、私は驚いたように振り返った。みんな、私に釣られるようにして窓の外を眺めている。まぶしそうに目を細めながら、永遠に広がる青空を見上げて。

「…変われる」

私ははっきりと答えた。人は、変われる。だがそれは、無条件で変われるものではない。沢山の時間と努力と、そして、

「変わる強い意思があれば」



赤葦も、白布も、黒尾も、瀬見も、侑も。みんな無言で、空を見つめていた。












「塚原をよく殺してくれたな。素晴らしい働きだ」
「はい」
「アイツが生きたままだったら、今頃警視庁は面目を失うところだった。君の行動は、警察を守った訳だ」
「光栄です」
「…これからも頼むよ。そうしたら君には、素晴らしい席を用意してあげよう」



青い空の下では、未だに闇は広がるばかりだった。