they depend on each other

警視庁捜査1課第1班と書かれたプレートが、天井からぶら下がっているその下には、向かい合うようにして並べられたデスク。私が顔を出した時には、既にその席全てが部下で埋まっていて、私が一番最後の出社であった。自分の席へ向かう途中、「おはようございます」とパソコンに目を向けたままの彼らから次々に挨拶をされて、「おはよう」と返事をする。その中には、昨晩体を重ね、先程まで一緒にホテルにいた赤葦の姿もあった。さすがに一緒に出社はあからさま過ぎると、彼を先に行かせたのだ。

警視庁捜査1課。そこに属する私と彼らは、主に殺人事件を取り扱う刑事である。よくテレビで見る刑事モノのドラマでは、一番スポットを当てられたり、主人公がここに属している事が多い。その中で更に幾つかの班に分けられ、そのうちの一つを私が仕切っている。『名無し班』と呼ばれる通り、女主任というポジションを貰ったのは、もう4年くらい前になるか。私の元に集められた部下は、赤葦、白布、侑、黒尾、瀬見の5人。彼らは私の事を『班長』と呼び、それなりに上司として慕ってくれている、と思う。この職場にいる女性が私だけな事もあって、他の班や上からはよく舐められたり理不尽な事を言われたりもするが、彼らは決して折れず、諦めず、今までずっと私に着いてきてくれている。何故優秀な彼らを差し置いて私が主任なのだろう、と思わない事もないが、割と彼らとの関係は良好な筈だ。全員体の繋がりがあるという一点を除いては。

そんなデスクの風景を、自分の席から見渡していると、ずい、と後ろから差し出されたインスタントコーヒー。振り返れば、むすっと眉間に皺を寄せた白布がこちらを見下ろしていた。前面に出されるその不機嫌そうなオーラに、私は肩を窄めながらおずおずとコーヒーを受け取った。

「あ、ありがとう…」
「昨日は赤葦。その前は侑。その前は瀬見さん。その前は…、」
「ちょちょちょ!白布!」

べらべらと私の最近の男性の相手を並べだした白布に、私は慌てて立ち上がった。コーヒーを片手に持ったまま、こちらに訝し気な視線を送る部下たちから逃げるように、給湯室へと押し込んだ。バタンと扉を閉めた後、どこ吹く風な様子の白布にじっとりとした視線を向ける。

「白布。まだ怒ってるの?」
「怒ってねえよ」

俺が怒る理由なんてないだろ、とそっぽを向く彼。ならば何故、今こうして白布は拗ねているのだろう。今朝、赤葦とホテルにいる時に白布からの電話を取り、赤葦と夜を過ごしたことがバレてから、彼はずっとこの調子だった。どこか嫌味っぽいし、冷たいし、意地悪だし。コーヒーを流し台に置いて、胸ポケットから煙草を取り出した彼は、口では否定するものの、その苛立ちを隠す素振りも見せずに煙を吹かした。その白い煙を見ていると、白布と共に過ごした夜を思い出す。彼は必ず、行為後にベッドに腰かけて煙草を吸う癖があった。

「白布、ごめんね」
「…それは何に対して謝ってんだよ」
「なんか怒ってるから…」

相変わらずイライラが止まらない白布は、深い息を吐いた。狭い給湯室には、その煙が一気に充満していく。この煙草の匂い。白布とキスするときに感じる匂いだ。職場だというのに、その熱いひと時の事を思い出して少しだけ体が熱くなった。気まずそうに俯いて視線を彷徨わせる私に、白布は言った。

「……セックスしたいなら、別に俺だっていいだろ」
「…やっぱり、妬いてるの?」
「さあ、どうだろうな」

吸ったばかりの煙草を灰皿に押し付けて、白布は私に歩み寄った。胸ポケットにしまわれたネクタイに手を添えて、彼を見上げる。そのまま壁まで追い詰められると、慣れた手付きで私の顎を攫い、熱く唇を重ねた。煙草の苦い味がする。いつもより強引な舌の動きに、ほらやっぱり妬いてるんじゃん、と内心呟いた。それを実際に口にすると、意地っ張りな彼は怒りだすので決して言えないが。何度も顔の角度を変えて、お互いを貪る。少し背伸びをして、白布の首に腕を回すと、彼も気を良くしたのかよりきつく抱きしめられた。

「…今夜」
「…うん、分かった」
「はー…、やっぱ赤葦ムカツク」
「妬いてるじゃん」
「妬いてねえよ」

バレバレな嫉妬心。それでも白布は否定する。その姿がまるで子供みたいで、少しだけ笑みを溢した。すると白布は、余計に不服そうに顔を歪めていた。表では、部下と上司。裏では、男と女。自分の部下と体の関係を持つ上司なんて、警視庁捜査1課第1班の班長として失格だろう。正義の味方、困った時に助けてくれるヒーロー、事件を解決してくれる頼もしい存在…。世間が刑事に対して持つイメージとは、全く逆を走る私たち。汚くて、歪で、狂っている。だけど、それが私たちなのだ。姉を殺されて、その復讐を誓う私と、それと同じように犯罪者を憎む白布。私たちの、犯罪者に対する憎悪は、普通の人が抱く憎しみよりも、一回りも二回りも深く、大きいものなのだ。

その日の夜、私と白布はホテルで体を重ねた。昨日赤葦に抱かれたばかりのその体は、どんどん白布の色に塗り替えられていく。普段は冷めた印象を受ける白布は、こうして二人きりの夜になると、意外にも情熱的に私を求める。何度も、何度も、思いの丈をぶつけるかのように。握りしめる、汗ばんだ手。声を漏らす度に、白布は愛おしそうに私を見下ろすのだった。





ーーーー・・・・







ゴミ箱に使ったコンドームを投げ捨て、白布はベッドに腰かけた。傍にあったテーブルに置いてある煙草に手を伸ばし、フー、と煙を吐く。その姿は、昼間給湯室で見た姿と同じ。細身な背中を、横たわりながら見つめる私は、彼に問いかけた。

「…ねえ、まだ、あの時の気持ち、変わってない?」
「…あの時の気持ちってどれのことだよ」
「犯罪者を殺したい、ってやつ」

白布は、私と境遇が似ていた。私の問いかけを受けた白布は、煙を吐き出しながら、その遠い記憶を引っ張り出す。エリート一家に生まれた彼は、幼い頃に勉強を教えて貰っていた大学生の家庭教師がいた。白布は、その人によく懐いていたのだと言う。毎週3日。夜の7時から9時の2時間。共に勉強したり、休憩時間には他愛のない会話をしたり。白布にとって、お姉さんの様な存在だった。しかし、そんな大切な存在は、ある日突然奪われることとなる。


いつもの様に勉強の時間を終えて、玄関先まで家庭教師を見送る。そこまでは、いつもと変わらぬ日常だった。夜道を歩いて離れていくその女性に、白布はいつまでも手を振って見送る。また明日ね!なんて言いながら、その女性も振り返って手を振る。そんな彼女に忍び寄った、黒い影、魔の手。何も悪い事なんてしていないのに。神様がいるのだとしたら、なんて残酷なんだろうと、白布は目の前で起こった惨劇をひたすら嘆いたのだ。

通り魔事件。犯人は、未成年の少年だった。ネットの影響を受けて、人を殺してみたくなったのだと言う。そんなくだらない動機で、彼が姉のように慕っていた存在は、息を引き取った。棺の中で眠る彼女の顔を見た時、白布は涙の一滴も流さなかったらしい。悲しみよりも、憎しみ、恨み。それらが、まだ幼かった白布の心を覆い尽くしていたのだった。

残虐な犯行、幼稚な動機、未成年による殺人。当時、その通り魔事件は大きなニュースになった。世間に晒される家庭教師の女性の顔や名前。日々マスコミに追われてやつれていく遺族。なのに、犯人は未成年だからという理由で保護され、名前も顔も公表されなかった。被害者は面白半分に世間に晒され、加害者は守られる。白布はその時、この国の在り方に疑問を抱いていた。



『死刑だ!こんな男、守る価値もない!絶対に死刑だ!何なら、死んだ先生と同じ死に方で死ね!死ね!死ね!』



傍聴した裁判で、感情のままに叫ぶ白布。それを横目で見つめる、犯人の少年。その口元には、うっすらと笑みを湛えている。こちらを馬鹿にするように。死んだ先生の命を踏みにじるように。

犯行を淡々と説明するだけの検事。犯人を庇うように屁理屈を並べる弁護士。聞いていて嫌気がさす。なんで誰も何も言わないのか。人を殺すのは悪い事なのに。何故コイツらはみんな、こんな男を…。血眼になって周囲を見渡す白布は、やがて警備員の人たちに引きずり出され。その傍らで、白布は聞いていた。弁護士の言葉を。


『彼はまだ少年で、物事の良し悪しの判断が未熟です。また、片親で、唯一の母親も夜遅くまで働いている為、普段ずっと家に一人で……、』


そんなの関係ない。片親で、いつも家で一人で?それが何だと言うのだ。可哀想なら、人を殺していいのか。死んだ彼女は…、先生は、まだ未来も夢もあった。俺に勉強を教えながら、よく言っていたのだ。『学校の先生になりたい』と。俺に勉強を教えていくうちに、そういう夢を見つけたんだと。『ありがとう、賢二郎くん』。そう笑う先生の言葉が、嬉しかったんだ。なのに、なのに。







結局その犯人は、少年院に送られ、10年後、釈放された。まだ若いから更生が期待できる、とか何とか。たった10年。奪われたあの女性の命は、10年という軽さだったのだ。結局、遺族の方は世間の目から逃げるように引っ越していった。あの時犯人だった少年も、もうとっくに大人になっている。普通にどこかで働いて、もしかしたら家庭を持って幸せに暮らしてるのかもしれない。そう思うと、腸が煮えくり返る勢いである。

その時に、白布は思ったのだ。『人の命を奪った者は、自らの命をもって償うべき』と。それから白布は、必死に勉強した。刑事になる。そして、凶悪な犯罪者や、法から逃れようとするものを捕まえる。それこそが、大学生という若さで亡くなったあの家庭教師の女性に対しての、手向けの花になるのではないかと。

「…変わってない」
「………」
「俺は今でも、あの時のあの男を殺したいと思ってる」

白布の目は、憎しみに染まっていく。ぎりぎりと噛まれた煙草には、歯型が残っていた。それだけでも、白布のその救うことのできない怒りを感じ取れる。

「俺が殺したいと思ってるのは、その男だけじゃない。殺人を犯す奴らを見る度に、俺はいつも衝動を抑えてる」
「白布……」
「人の命を奪った奴は、自らの命をもって償うべきだ」

殺したくなるんだよ…。そう低く吐き捨てられた、地を這うような言葉。ぞくりと背筋が震える。燃え上がる怒りとは反対に、その丸まった背中はどこか寂しそうで。きっと、その大好きだった家庭教師の女性を思い浮かべているのかもしれない。私は、シーツにくるまっていた体を起こして、その背中に抱き付いた。肌に直に伝わってくる、彼の温もり。少しだけぴくりと肩を震わせた白布だったが、私が腹に回した手に己の手を重ねてくれて、甘えるように私に体を預けてきた。

「…刑事失格だな。人を殺したいと思うなんて」
「…そうね」
「…軽蔑するか」
「ううん」



だって、私も同じだもの。



そう言うと、白布の綺麗な瞳が私を振り返った。煙草を灰皿に押し付けた白布は、私に吸い寄せられるようにキスを落とした。何度も啄むようなキスを繰り返した後、そのまま二人でベッドの中へと戻っていく。まだ夜は長い。お互いを慰めるには十分時間がある。

私たちは、こうして何度も何度もお互いの傷を舐め合っていた。似た境遇を持つ者同士。私たちにしか分からない事がある。分からない感情がある。それを共有して、慰め合って、仲間がいることに安心するのだ。それが、私たちのセックスの理由だった。

白布、貴方は一人じゃない。だって私も、殺したい。姉を奪った男を、ずっと追い続けてる。刑事としてではない。大好きだった姉の妹として。刑事という立場は、その復讐の為に利用しているに過ぎないのだ。

明けない夜はない。人はよくそう言うけれど。私は5年前からずっと、ずっと暗闇の中を彷徨い続けている。