will you marry me?

警察なんて、そんな綺麗なもんじゃないんだなって事は、自分自身が警察になって初めて知った。警察官とか刑事とか、よく憧れの職業として名前が挙がったりするけども、そんな夢のある仕事ではない。事件を追って犯人と対峙するときはいつだって命懸けだし、まだ日の上がらない朝でも、すっかり暗くなって人気のない真夜中でも、事件が起これば呼び出される。加えてデスクワークも割と多くて、事件にかまけていると、あっという間にデスクは書類の山。公務員と言えど、割に合わないブラックな仕事だと思っている。

それでも、新人の時の俺は燃えていた。憧れていた刑事。これで凶悪な事件を追い詰め、犯人を逮捕して、世の中の平和と安心を守る。柄にもなくそんな事を考えて、希望だけを胸に、この仕事に足を踏み入れた。厳しい鍛錬や、上司からの叱責、思っていた以上に過酷な肉体労働。辛かったけれど、でも耐えられた。その程度なら、いくらだって根性で乗り越えられた。

でも、そんな俺でも、乗り越えられなかったことがあった。今でも鮮明に覚えている。あの時のあの光景。



『侑。今回の件は、他言無用だ。外部に漏らせば、お前の首が飛ぶ。分かったな』
『……それは、この事件の事は忘れろという事ですか』
『そうだ。この件の犯人として捕まったあの青年は、警視庁トップのご子息だ。失礼な事はできない』
『人のこと傷付けとるんやで!被害者は怖い想いをして、』
『死んでないんだから、いいじゃないか。上司の俺に逆らうつもりか?侑』



一人で外を歩く女性を狙った、ひったくり傷害事件。犯人は、乗っていたバイクで被害者を轢いた後、バッグや金銭をひったくって逃亡するという、卑劣な事件だった。若い女性から、お年寄りまで。幅広い年代の女性を狙ったその犯行は、数か月に渡って何件も繰り返され、周辺の女性は怖い思いを強いられた。被害者の女性も、命を落とすことはなかったものの、傷を負い、心のダメージも負い、お金も失い、悲しんでいる。この事件の担当をする事になった新人の侑は、必ず犯人を捕まえてやるのだと燃えていた。少しでも早く、女性たちが安心して生活できるように。その為に俺はこの職に就いたんだと。寝る間も惜しんで聞き込みをしたり、張り込みをしたり。夜間は巡回もして、出来る事は全てやった。

そしてようやく捕まった犯人。自分とそう歳の変わらぬ男。大した職にも就かず、ふらふらと遊び回っては、金が尽きると女性を狙ってひったくりをする、どうしようもない男だ。確保した時、ワーワーと喚いて暴れる男に、一発くれてやったげんこつの感触は忘れられない。やっと犯人を捕まえたという達成感と、刑事としての務めを全うできた自分に誇りすら感じていたのだ。

しかし。上の連中の反応は、予想を180度上回るものであった。大きな手柄を抱えて帰って来た俺を呼び出したのは、当時の刑事部長。突然別室に呼ばれて、何が何だか分からぬまま聞かされたのは、この事件を警察内部だけに留めろという命令だった。警視庁トップの息子?そんなもの関係ない。犯罪を犯したのだから、どんな立場の人だって平等に罰を受けるべきだ。そんなことは分かり切っているのに、俺はこの時何も言い返すことができなかった。やっと就いた、刑事という職業。ずっと憧れだった、ずっと夢見てきた職業に、俺はようやくなれたのだ。ここまでの道のりは決して楽なものではなかった。それが、俺の発言一つで全て無くなるのかもしれない。そう思うと、もう何も言う事ができなかった。

結局俺は、上の命令に従って、その事件を闇に葬った。犯人だった青年は、あの後一体どうなったのか。俺には分からない。恐らく上の奴らで上手いこと処理して、有耶無耶にしてしまった事は確実だろう。不思議なことに、被害者の人たちからも、それ以上の追及は無かった。まあ汚い金でも使って口封じをしたのだろうか。アイツらの事だ、やりかねない。

結果的に刑事としての立場を守ることは出来たが、その日から俺の中の何かが変わってしまった。前の様に、犯人を捕まえたいだとか、犯罪を無くしたいだとか、民間人を守りたいだとか、そういった熱い思いは失われて。『そつなくこなせばいい』『俺さえよければいい』『にこにこ従ってれば、出世できる』そんな警察の実情に、どんどん呑まれていったのだ。クソみたいな上層部に取り繕って、最初に思い描いていた憧れの刑事像とは真逆を行く俺。俺は一体、何をしているんだろう。





「侑?」
「…、ああ、すまん」
「どうしたの?悩み事?」

俺としたことが。ホテルで女を抱いている最中に、そんな懐かしい記憶を思い出してしまうなんて。いつの間にかぴたりと動きが止まっていた俺を心配するように、下で裸のまま横たわる女はこちらを見上げた。昼間は俺の上司、班長としてバリバリ働く女刑事が、夜になるとこうして部下たちにたらい回しにされている事が、今でも信じられない。彼女は、普段の様子を見ているととても真面目で気品があって、いかにも女刑事、という言葉が似合うスタイリッシュな女性だ。名無しを抱いているのが俺だけで無いことも勿論知っている。赤葦も、白布も、川西も…、みんな愛しい女を抱いている。ふらふらと別の男の元へ行ってしまう彼女を、何とか自分の元へと引き寄せようとして、みんな必死なのだ。

「…いや、別に」
「別に、って顔じゃないよ。眉間の皺すごい。白布みたい」
「俺とおる時に他の男の名前出すなや」

誤魔化すように、名無しの胸に顔を埋める。俺が刺激を与えれば、愛しいコイツは甘い吐息を漏らす。この瞬間だけは、俺だけを見ていて欲しい。俺だけのことを考えていてほしい。班長と部下、という立場を超えて、恋人のような、夢のような関係になれるのだ。だから俺は、名無しとするセックスが好きだ。いつか、いつかコイツが俺だけのものになることを信じて。今晩も彼女を熱く抱きしめる。





ーーーー・・・・





「俺と結婚してくれへん?」
「ふふ、またそれ?」

行為を終えた後、俺は必ず名無しを口説く。彼女は冗談だと思っていつも笑い流すが、俺は半分冗談、半分本気だ。今日もいつもの様に流されて、拗ねるようにムッと目を細めて名無しを睨む。苦笑する彼女は、下着を付けながら言う。

「意外と結婚願望あるんだね」
「結婚願望っていうよりは、好きな女とは結婚したいと思うやん」
「どうせ色んな女の子に結婚しよって言ってるんでしょ」

そう言われて、思わず「アホか」と返した。コイツの中の俺のイメージは一体どうなっているのか。まあ昔ヤンチャだった頃は、それなりに遊んでいた時期もあったが、今は違う。初めて本気で惚れた女と、結婚して、子供作って、普通の家庭を築きたい。そう願うのは、俺の柄ではないだろうか。そして叶うならば、名無しには刑事という職を辞めて、ただの女になってほしい。こんな汚くて闇ばかりの世界から、彼女を遠ざけたいんだ。

「私にはまだ夢があるから」
「…姉ちゃん殺した犯人を殺すってやつか?」
「……うん。私は、幸せになっちゃいけない人間なんだよ」

人を殺そうとしてるんだから。

そう笑った名無しの横顔が、目に焼き付いて離れなかった。…人を殺す為に刑事をやる女。色々と矛盾していておかしな話だ。彼女は、『姉を殺した男を殺す』という目的の為に、刑事を続けている。刑事という立場を利用して、あの5年前の事件を独自に追い続けている。いつか来る、その日を夢見ながら。人殺しとなった時の為、名無しは必要以上に俺たちを近寄らせない。自分一人でその罪を背負おうとしているのだ。だから俺たちは、余計に必死になる。『俺たちも一緒に行く』、そう伝える為だけに。

「奇遇やな。俺もや」
「え?」
「俺も殺人願望があんねん」

面食らう女に、俺は告げた。小さく笑みを浮かべながら、淡々と。

「汚い上の連中、全員ぶっ殺してやりたいねん」


お前が、いつの日かその夢を叶えて、殺人者として刑務所に入った時。俺もその時、上の連中の頭拳銃でぶち抜いて、お前に会いに行こう。獄中結婚なんて、まさに俺ららしくて最高やんか。


人殺し夫婦ってのも、悪くないと思うで。俺は。