a sense of justice

彼は、とても甘い男だった。

「なあ、まだあの夢、諦めてないのか」
「あの夢って?」
「……お前のお姉さんを殺した犯人を…、」
「ああ。殺したいってやつ?諦めてないよ。今でもずっと思ってる」
「……そうか」
「殺す瞬間を、何度も夢に見るくらいには恋い焦がれてるよ」

彼…、瀬見英太は、私とのセックスを終えると、いつも必ず同じ質問をする。『あの夢を諦めてないのか』と。そして私も、いつも同じ返し方をするのだ。『諦めてない』、そうはっきりと。

瀬見は、私の班の中でも一番無垢で、正義感の熱い男だ。その穢れをしらない真っ直ぐな熱意は眩しくて危うい。こうして、私が過去の忌まわしき男を殺そうとしているのを、止めようとしてくれる。私の班の、唯一の良心。最後の架け橋的存在。赤葦たちは、どちらかというと私のこの危ない思想を肯定してくれていて、止めることも無ければ責めることもない。だけど瀬見だけは唯一、私が犯罪の道へ転がり落ちそうになるのを、必死に喰いとめてくれる。もしかしたら、私を止めることが出来るかもしれない、最後の存在。それが彼だ。

「…どんな理由があっても、殺人はダメだ」
「もう、またそれ?聞き飽きたよ」
「お前の気が変わるまでは何度だって言う。人は過ちを犯したら、生きて償うべきだ」
「…瀬見らしい考え方だね」

私は、彼のその考えを否定はしない。いや、本来ならば、私も瀬見と同じ考えでいるべきなのだろう。刑事として、殺人者を捕まえる立場にあるものが、復讐に捉われて人を殺したいと願うだなんて、本末転倒もいいところである。だけど、やっぱり私は、何度瀬見の説得を聞いても自分の気持ちを変えることはできなかった。私は、必ずあの男を見つけ出して殺す。瀬見は、そんな私を何度も引き留めようとする。きっと瀬見は、私が考えを改めるまで、本気で永遠に言い続けるのだろう。自分の正義感を、語り続けるのだろう。

「殺したところで、お前はどうなる」
「私?」
「お姉さんが帰ってくる訳でもない。残るのは、殺人者って事実だけだ。そしたら名無しは、どうするつもりなんだ」

そう言われて、私はぽかんとした。確かに、夢を叶えることばかりを考えていたが、その先のことは考えたことが無かった。もし私が、姉を殺した犯人と対峙して、念願叶ってソイツを殺せたら、その後どうなるんだろう。勿論、殺人の罪を問われて、私は刑務所に入れられ罪を償わされるのだろうが、生きる目的を失った私は、それこそ廃人のようになってしまうのではないだろうか。何の為に生きているのか分からなくなることが、一番苦しくて辛い、生き地獄だ。そうなるのなら、いっそのこと…、

「死ん、」
「駄目だ」

死んでもいいかな、と言おうとした私の言葉を、瞬時に遮った男。瀬見は、強張った顔で私を睨み付けていて、緊迫したムードが漂う。セックスした後だというのに、その余韻に浸る間もないままこんな話をして、すっかり気分は冷めてしまった。彼から逃げるように視線を落として、シーツの中に身を埋める。聞きたくない、という意思をバンバンに表に出したつもりだったが、瀬見はそれでもお構いなしに私に説教した。

「投げやりになるのはやめろ」
「でもそれ以外私の生きる意味が見つからない」
「復讐の為に生きてるなんて、そんな寂しいこと言うなよ」
「だって私にはそれしかないんだもん」
「あるだろ、他にも」
「ないよ。大好きだったお姉ちゃんだってもういないし。仕事にもそんな執着してないし、私は、」
「あるだろ!」

背中を向ける私の肩を掴んで、瀬見は感情的に怒鳴った。今日はいつも以上に熱くなっているようだ。その真っ直ぐな目は迷いなく私を捉えている。彼に見つめられるのが、私は苦手だった。真っ黒な私は、真っ白な瀬見の目が苦手だ。なんだか、迷ってしまいそうになるから。私がしていることは正しくないんだ、と、思わせる力が彼にはある。ここで迷ってしまったら、『姉を殺した男を殺す』という私の決意が、揺らいでしまいそうになる。

「…あるだろ」
「…どこにあるの」
「俺たちがいるだろ」
「…瀬見……」
「俺も、アイツらも、みんなお前のことを…」
「言わないで」

正直、私もそこまで馬鹿じゃない。みんなが、私に対してどんな思いを抱いているか、こうして体を重ねていれば簡単に分かった。赤葦も白布も侑も黒尾も、そして今目の前にいる瀬見も。みんな、私のことを上司としてではなく、一人の女として見てくれている。それを分かった上で、私は彼らの気持ちを利用して、体を重ねている。毎晩自分を慰めているのだ。…大切な部下を利用している、最低な上司なんだ。

私は、彼らの思いに必死に気づかない振りをしていた。それっぽい事を言われても、冗談で返して上手く交わしていた。私は、そういった存在を作ってはいけない。何故なら、私は人を殺そうとしているのだから。これは私の願望であり、誰も巻き込んではいけない。私自身の戦いなのだ。大切な存在なら尚更、巻き込みたくないと思うのが普通だろう。だから私は、誰とも結ばれてはいけない。一人の人間としての幸せ、女としての幸せを望んではならない。人を殺そうとしている奴に、そんな幸せはいらない。

「いつもそうやって目を逸らすよな。俺たちの気持ちに」
「………」
「一人で抱え込んで強がって。本当は苦しい癖に…、縋りたい癖に」
「………」
「だからこうやって、毎晩俺たちを誘うんだろ」

そうだ。私は矛盾している。彼らの思いには応えられない、必要以上に近付かせてはいけないと分かっているのに、体は彼らを求める。愛に飢えている。縋りたくなってしまう。心のどこかでは悲鳴をあげていて、誰か助けてと叫び続けているのだ。それを唯一癒してくれるのが、みんなとのセックスだから。だから私は、毎晩ホテルへ帰る。毎日違う男を横に連れて…。大切な部下たちの気持ちを踏みにじって。

「俺が…、名無しの生きる目的になったら駄目か」
「…私は、何を言われても自分の決意を変えるつもりはない」
「今はそれでもいい。…俺が必ず、変えてみせる」
「変わらないよ、私は」
「俺が変える」
「変わらないってば」
「変える」

譲らない瀬見の強い瞳に吸い込まれる。私も私で珍しく維持になって、子供のように何度も言い返した。変わらない、変える、のやり取りをしつこく繰り返した後、瀬見が私の口に食らいついて無理矢理言葉を塞がれた。ねっとりと絡まる舌、交わる吐息、重なる素肌。ああ、苦しい。彼といると、とても苦しい。折れそうになる決意を奮い立たせるのに体力を使うから。そして、ありもしない未来を考えてしまうから。私が、刑事として全うに生き、彼と共に歩んでいく未来を、少しだけ、思い描いてしまうから。

これ以上瀬見に近付いてはいけない。そう本能が働く。穢れを知らない真っ直ぐな彼の隣に、汚ればかりの私が立つのは相応しくない。こんな私を、「班長」と呼んで慕ってくれる瀬見を、私が穢してはならない。

父も母も警察官の、エリート一家に生まれた彼は、未来も夢もある。きっと順当にいけば、瀬見は出世していくだろう。瀬見自身も、才能と正義感に溢れたいい刑事だ。今の汚れまくった警視庁を変えてくれる、唯一の希望になり得るかもしれない。だからこそ、私なんかのせいで、彼の将来の道が閉ざされる事などあってはならない。私は、彼が上に立つ姿を見てみたいと、勝手にそんなことを思っているから。

(…まあ、その姿を見ることは、出来ないんだろうけど)

例え彼が出世しても、私はきっとその頃には、刑務所の中にいる予定、だ。無事復讐を終え、生きる意味を終えた私は、人形のように刑務所で暮らすだけの未来が待っている。私と彼が生きる道は、あまりにも違いすぎる。



「俺は、名無しの生きる理由になりたい」
「…瀬見…、私は……」
「いい、何も聞きたくない。聞いてもどうせイライラするだけだ」
「……ごめん…」
「俺は絶対に諦めないからな」

俺は絶対に、復讐からお前を解放する。

力強くそう宣言する瀬見を、下から見上げた。彼に熱く揺さぶられ、快感に身を委ねながら思いを馳せる。…私、貴方とはもっと別の出会い方をしたかった。そうしたら、二人の未来は変わっていたかもしれないのに。



5年前。姉の命を奪い、私の全てを奪ったあの事件。瀬見もまた、その事件の被害者と言っても過言ではないのかもしれない。