two sides of the same coin

何か良からぬ力が働いている、と思い始めた時には、既に3人目の被害者が出てしまっていた。数週間前、ワンルームマンションを舞台に起こった、被害者女性の強姦・殺人事件。あれから、未だに犯人は捕まらないまま、被害者は増えていく一方であった。

被害者に共通している事は、ただ1つ。全員、過去に何かしらの罪を犯して起訴されているが、不起訴処分を受けた者。或いは、罪に似合わぬ軽度な罰だけで済んだ者。つまりは、何らかの形でその罪を免れた犯罪歴のある者が、次々と殺されていってるのだ。いずれも殺害方法は違うが、被害者にそういった共通点がある所から、犯人は同一人物であるという可能性も含め、捜査が広げられている。この事件はテレビでも大きく取り上げられ、地元住民の不安を煽る一方、『刑罰を免れた犯罪者を粛清する、ダークヒーロー』的な扱いを受けている節もあった。とにかく、この事件は世間に大きな影響を与え、警視庁では緊急で捜査本部を設置。テレビの報道も規制されるという事態にまで及んでいたのだった。

「人は見かけに寄らないって、本当だよね」

聞き込みから署へ戻って来た私に、同じように外から帰って来た赤葦が唐突にそんな事を呟いた。机の上に散乱する、過去のスクラップブックから顔を上げた私は、そんな彼の一言に首を傾げる。人は見かけに寄らない、というのは、果たして誰のことを指しているのだろうか。

「…どういう意味?」
「被害者のことです。全員、過去に前科がある人たちばかりですが、周辺で聞き込みをすると、みんな口を揃えて言うんです。…いい人だった、って」
「…そう。まあ、人間って腹の底では何考えてるか分からないしね」

加害者について聞き込みをすると、『いい人そうだったのにまさかあの人が』なんて返ってくることは、珍しい事ではない。例え昨日人を殺したって、翌日普通な顔して生活している犯人だっている。私の姉を殺した男も、きっとそうだ。今頃、どこかでのうのうと呑気に暮らしているのだろう。込み上がってくるその怒りを紛らわす為、私は赤葦への返事もそこそこに、再びスクラップブックに目を戻した。被害者たちが過去に起こした事件について調べようと、資料室から持ってきたものだ。過去の新聞記事や、事件に関係するような資料が切り取られ、丁寧に貼り付けられている。それをペラペラと捲っていると、あるページに目を奪われた。

『若手女性刑事殺害。犯人は逃亡中』

どくん、と心臓が脈を打つ。慌てて記事の日付を確認すると、記されているのは、5年前の日付。間違いない、私と私の姉の、あの事件の記事だ。私は、今起こっている殺人事件の事も忘れて、食い入るようにその記事に釘付けになった。動悸が激しくなって、呼吸が荒くなる。ずっと、目を逸らし続けていた、あの時のあの事件に関する報道や新聞記事。見るのが怖くて、今まで一度も過去のスクラップ記事を調べたりしてこなかった。でも、こうして一度目に入ると、何が綴られているのか気になってくる。私はあの時、確かに事件の現場にいたが、当時大きなショックを受けて心に傷を負っていた私は、所々の記憶が曖昧で、あまり覚えていない部分も多かったのだ。もしかしたら、私は忘れているだけなのではないだろうか。姉を殺した男に関する情報を、本当はあの時見ていたのに、トラウマによってその記憶に蓋をしているのではないか。だったら、怖がっている場合ではない。目を逸らすのはやめて、ちゃんと事実を見つめ返すことも大切なのではないか、と。この時私は、そんな風に思っていた。

新聞の小さな黒い文字を、指で追っていく。被害者の名前として、私の姉の名前がはっきりと記されていた。そして、その妹が犯人によって強姦被害を受けたことも綴られている。どうやら私の名前は公表されていないらしい。強姦被害に遭ったのだ、私のプライバシーを保護しての事だろう。某日夜、とある一軒家にて女性が殺害される事件が起こった、そんな書き出しと共に、あの時の事件のことが細かく綴られている。頭に浮かぶ、当時の光景。次々と蘇ってくる状況。私はコメカミを押さえながら、恐る恐るその先を辿っていく。

あの日。コンビニに行ってくる、と言って少しだけ家を開けた姉。あの時確か姉は、携帯電話の画面を確認しながら慌てた様子で外に出て行った。そうだ、思い出した。私は少しだけ、あの時の姉に違和感を感じていたのだ。姉は、本当にコンビニに行くために、外出したのだろうか?帰って来た時、おまけ程度にぶら下げていたコンビニの袋には大した商品も入ってなくて、それは夜慌てて出ていく程欲しかったものなのだろうか、と疑問に感じていたことが蘇る。姉がしきりに気にしていた携帯電話の画面。そこには、何が映っていたのだろう。もし、もし、あの時…。姉は、コンビニに行く為じゃなくて、誰かに携帯で呼び出されていたのだとしたら?そうだ、だったら姉の携帯電話に何らかの形跡が残っているかもしれない。思い立ったら止められなくなって、私は証拠品が保管されている部屋へ向かおうと、勢いよく立ち上がった。今は目の前で起こっている殺人事件を追うべきなのは、十分理解している。でも、気になって仕方がない。私の姉を殺した男のことを、私は今、思い出しそうになっているのだ。

「…班長」

そんな私を、引き止める声。紛れも無い、赤葦の声が、私を呼んだ。いつの間にか私の背後に立っていた彼は、後ろから覗き込むようにして、そのスクラップブックに目を落としていた。驚いて息を呑む私が、赤葦の横顔を見つめる。彼はただ無の表情で記事に目を落としていて、その感情は読み取れない。『今は目の前の事件に集中しましょう』とか何とか言って、説教をしてくるのだろうか、と身構える私に対し、赤葦は脈絡もなく、問いかけてきたのだ。

「…班長は、お姉さんのことをどこまで知っていますか」
「え…?」
「貴女のお姉さんの真実を、知っていますか」

私はただ、震える声で「どういう意味?」と聞き返すことしかできなかった。赤葦。貴方は今、何を言おうとしているの?何だかとても恐ろしい事実を突きつけられそうな予感がして、情けなくも私の体は震えた。聞きたくない、でも、聞きたい。怖いもの見たさみたいなものだろうか。知りたくないのに知りたい、という矛盾した感情が、私を包み込んでいく。私の視線を浴びる赤葦が、少しだけ間を置いた後、ゆっくりと振り返った。その瞳に映る私は、恐怖に満ちた表情をしていて。

「…貴女のお姉さんが、黒尾さんの先輩だったことは、知っていますか」
「この間、黒尾に聞いたよ」
「俺も、なんです」
「え?」
「俺と黒尾さんは、同じ班だったんです。だから、俺にとっても貴女のお姉さんは、先輩に当たる人物でした」

初めて聞いた、そんな事。だって今まで一言も、赤葦はそんな事を言わなかった。黒尾だってそうだ。私の姉が、二人の先輩だったなんて。という事は、赤葦と黒尾にとっても、私の姉は馴染みの深い人物だったということ。そして、今のその口ぶりを聞いている限り、妹である私よりもずっと、赤葦の方が姉の事を知っている。姉に隠された真実を、彼は語ろうとしている。

「当時、俺たちの主任だった人が、殉職しました。これも黒尾さんから聞きましたか」
「うん、聞いた。麻薬密売事件を追っていく中で銃撃戦にまで発展して、犯人グループに撃たれて亡くなったって」
「それ、少しだけ違うんです」
「違う?」
「はい。主任は、犯人に撃たれて死んだ訳ではないんです」

どういうこと?と眉を顰める私に、赤葦は相変わらず無表情のまま、淡々と当時のことを語ってくれた。赤葦が実際に過去に経験した出来事だというのに、抑揚なく喋り続けるその姿は、どこか恐ろしさすら感じた。

「確かにあの時主任は、俺たちを守る為、銃弾が飛び交う中一人飛び出していきました。引き止める俺たちの声も無視して、拳銃で必死に反撃しながら俺たちの壁になろうとしてくれていました」

赤葦の閉じた瞼に蘇る、あの時の光景。赤葦は、鮮明に覚えていた。思い出したくないと必死に記憶を封じ込める黒尾とは反対に、赤葦はひと時もあの時のことを忘れはしなかった。目の前で、体を貫かれていく尊敬する主任。後ろにいた赤葦の頬にまで血が飛び散ってきて、怖くて怖くて、ただ茫然と見守ることしかできなくて。

「パニックになる俺たちの中で、一人だけ冷静だった人がいました。…それが、貴女のお姉さんです。先輩として場数を踏んでいるだけあって、彼女はあんな状況の中で冷静に頭を働かせていた。懐から拳銃を取り出して、後ろから主任を援護しようとしました。…いや、援護しようとしていたのだろうと、俺はずっとそう思っていました」

嫌な予感がする、と私の中の直観が騒いでいる。私の姉は、あの時何をしていたのか。飛び出そうとする黒尾を抑えながら、拳銃を取り出して前に発砲していた、というのは、黒尾からも聞いている。普通に考えれば、撃たれる主任を援護し守る為、犯人に向かって撃ったのだと考えるだろう。だけど、赤葦の意味深な言葉は、その可能性を否定していた。次に赤葦の口から語られた真実は、私にとってあまりにも残酷だった。

「主任に留めを刺した弾丸。たった一発。心臓を貫いたその弾丸は、主任の背中から発砲されていたんです。その弾丸が無ければ、もしかしたら主任は…、」
「う、うそだ」
「…………」
「ねえ、嘘でしょう?赤葦。だってそれじゃあ、まるで…、」
「主任の背後から銃を撃っていたのは、たった一人しかいません。俺たちを守って前に出た主任の後ろにいたのは、俺たち1班。その内銃を握っていたのは……貴女のお姉さん、ただ一人」

それじゃあまるで、私の姉がその人を殺したみたいだ。黒尾から聞いた話では、あの時相当現場は混乱していた筈。犯人を狙おうとした弾が、その主任に当たってしまったのではないか。そう考えるにしても、無理がある話だと、自分自身分かっていた。

「俺も最初は、犯人を狙おうとしてその流れ弾が不運にも主任の心臓を貫いたのだと、そう思ってました。…いや、そう思い込むようにしていた。俺にとって貴女のお姉さんは、尊敬する先輩の一人でしたから。まさかあの人が、意図的に主任を撃つ訳ないって」
「…やめて」
「でも、主任が殉職して、繰り上げ当選で主任になったあの人の、あの時の笑顔を見た時。俺は思ったんです。もしかしたら、あれは狙って撃った弾だったんじゃないかって」
「…お願い、やめて、赤葦」
「俺が…、俺たちが尊敬していた主任は…、事件に巻き込まれて死んだんじゃない。殺されて、」
「やめて!!!」

私の制止も聞かずに、興奮した様子でべらべらと話す赤葦の胸倉を掴んだ。悲痛に叫んでその言葉の先を遮ると、そこでようやく赤葦が黙り込む。精一杯の力を振り絞って掴んだ赤葦の胸倉を、そのまま壁に押し付けて下から睨みあげる。私の姉を殺人者呼ばわりしようだなんて、そんなのふざけてる。そう思うのと同時に、赤葦の語る憶測が本当なのではないかと、そう疑いかけている自分もいて。

「私の姉は、そんなことをする人じゃない」
「………」
「正義感に溢れていて、いつも真っ直ぐで、優しくて強くて…。私の憧れの存在だった。私が刑事になったのは、そんな姉の背中を追う為だった。姉と一緒に働きたいっていう理由だけで、必死に勉強してこの世界に入ってきたのよ!」
「……」
「私の姉が、人殺しなんてする訳ないじゃない!」

息荒く怒鳴る私を、赤葦はただ静かに、冷たい目で見下ろすだけ。その目がますます私に現実を突きつけているような気がして、腹が立って仕方がない。認めたくない。絶対、そんな筈ないんだ。姉は、そんな人じゃない。家族の私が一番理解している。…理解している、筈なんだ。部下だった彼らよりも、私の方が、姉のことを…。





私、本当に姉のことを知っているのだろうか。





ぼーっと固まる私の手を振り払って、赤葦は乱れた襟元を整え、ネクタイを締め直した。私に背を向けて自分の席に戻っていく彼を横目で見つめながら、呆然と立ち尽くす。私は、姉の何を知っているのだろう。今思い返すと、姉はあまり自分の事を語らない人だった。刑事という職業柄、家族にも秘密にしなきゃならないことはたくさんあるので、それもあるとは思うが、それにしたって私は姉のことを知らなさすぎる。私が追い続けていた姉の背中は、私が押し付けていた理想像に過ぎなくて。本当の姉は、もしかしたら、


「…同じ、ですね」
「…は…?」
「そんな人じゃなかったって。今日昼間聞き込みした人たちも、みんな同じことを言っていましたよ。そんな事をするような人には見えなかった、って」
「……ちがう…、わたしは……、あねは……」
「人は見かけに寄らないですから」

私に留めを刺すように、赤葦は一言吐き捨てた。気まずい沈黙が流れて、その数分後には、続々と1班のメンバーが外から帰って来た。私と赤葦の間に流れる微妙な雰囲気に、みんなは眉を顰めながら「あれ、修羅場?」なんてお道化た口調で聞いてきたが、私は適当に笑って返事をして誤魔化す。机の上に開かれたままだったスクラップブックを慌てて閉じて、今はいない姉に想いを馳せた。……お姉ちゃん。貴女は、何を隠していたの?