人の問ふまで

考えてみると、私がこうして今まで生きてきて、一度も彼氏という存在ができたことない事や、それどころか恋すらまともに経験した事がないのは、絶対にオビトとカカシのせいだと思う。

男2人に育てられた私は、まあ立派なヤンチャに成長して、幼い頃は色んな人に迷惑をかけた。あの2人は、母の様に叱る、というよりも、「クソガキゴルァ」位の勢いで首根っこを掴まれて、何度も家に連行された。流石に暴力とまではいかなかったけど、だいぶ体育会系な教育だったなあとは、思い返してみてもつくづく思う。

でも、私を育てた2人が男だったからこそ、良かったと思う部分があったのも事実だ。例えば、私がどんなに無茶な夢を語っても、それを否定はしなかったし、寧ろ応援する姿勢でいてくれた。昼間に近所の子と忍者ごっこをして泥だらけで帰っても、「そんなに汚して!」なんて言われた事は一度もない。それどころか、「今日も修行か。怪我しないようにな」なんて、子供の遊びを修行と言ってくれた事が嬉しくて嬉しくて。

だがしかし。良いところもあれば、当然悪いところもあるもので。男に育てられたからこその不便も、少なからずある。その内の1つが、恋愛だ。

オビトもカカシも、私が子供の頃は一切の男子を近付けさせなかった。それはもう、「娘はやらん」と言わんばかりの勢いで、大人気なく幼い男子を威圧するのである。その事でサクラさんに叱られているところも、何度か見た。所謂、親バカ、というのだろうか。最強のボディガードを常に従えている私に、当然男は寄り付く筈もなく。結局今日この日まで、私はめでたく、男を知らない体を守り通してきてしまったのだった。

同い年のあの子もその子も、みんな彼氏がいる。みんなで遊んだりご飯に行ったりしても、話題になるのは恋のお話ばかり。でも私は、そんな引き出しなんて一切ないから、ただ愛想笑いして適当に相槌を打つだけ。ああ虚しい。神様は残酷。これも全部オビトとカカシのせいなんだ。

そうして、先程まで仲のいい友人たちとディナーを楽しんでいた私は、エンドレスで続く恋話に疲れて、1人適当な嘘をついて抜けてきてしまったのだった。勿論、恋話は聞いているだけでも楽しいけれど、やっぱり私だって、自分の体験を元にした話をしてみたい。聞いてるだけじゃなくて、私も語ってみたいのだ。

「……なんて思って、勇気出して来てみたのはいいものの…」

目の前で活気付いているのは、木の葉の里の一角、歓楽街。通称、ネオン街とも呼べる夜の商店街みたいなものだ。飲み屋、スナック、キャバクラ、ホスト…、それから、ラブホテルや風俗まで。活気だけじゃなくて、どこか影を帯びた裏の顔を持つここに訪れるのは、今日が初めて。昔はずっと、オビトとカカシにここに近づく事を禁止されていたのだ。立ち込める、酒と香水と煙草の香り。初めて感じる大人の雰囲気に、私は飲み込まれていく一方である。

(だ、ダメよ怖気付いちゃ…。今日はここで男を知るって決めたんだから!)

固まったまま動かない自分の足を奮い立たせた。私だってもう子供じゃない。立派な大人だ、歓楽街だって余裕で行けるんだから。それに、もうオビトもカカシも怒らない。大人な私が大人な店に行った所で、何の罪にもならない。

初心者丸出しで、ソワソワと辺りを見回しながら一人歩を進める私は、周りから見れば良いカモであった。ほすと、ほすと、と譫言のように繰り返す私の前に、3人組の影が立ち塞る。

「君、1人?良かったら俺たちと呑もうよ」
「え……」

人生初のナンパというものを、私はこの時初めて体験した。









ーーーー・・・・






まずいかもしれない。…何となくそう感じた頃には、私はすっかり出来上がっていた。飲んだアルコールのせいで、体は全身真っ赤。ふにゃふにゃと笑うその表情を見れば、完全に酔っ払っている事など誰が見ても一目瞭然。歳の近そうな男性3人に囲まれながらお酒を煽った私は、ご機嫌な様子で盛り上がっていた。初めて男性と飲み交わしたお酒。緊張の余りついつい飲みすぎてしまって、歩く足取りも何処と無く覚束ない。これ…ちゃんと家まで帰れるかな…。


「名無しちゃん、フラフラじゃん。それだと歩けないでしょ」
「へへ、飲み過ぎちゃった」
「そのままだと危ないし、ちょっと休憩してく?」
「え?」


男が差した指の先。それをキョトンと目で追うと、眩しいくらいのネオンで輝く、何とも言えない看板がチカチカと光っていた。ピンク色の建物、派手な蛍光色の看板、そこから感じる独特な雰囲気。いくら男を知らない私でも、そこが何をする場所かなんて知っている。…ラブホテル。男と女が、そう言ったことをする為に利用する場所だ。その存在を目に移した時、私は一気に頭が冷えていくのを感じた。こんなに急激に酔いが覚めたのは、後にも先にもこの時だけだろう。それ程までに、私は頭の中で『やばい』と焦っていたのである。

ニヤニヤと笑みを浮かべるこの男たちの顔を見て、私は確信した。コイツらは、最初からこれが目的だったんだ。一緒に楽しくお酒を飲もう!というのがメインではなくて、裏にこんな企みが隠されていたとは。急に怖くなってきた私は、引き攣った笑みを浮かべながら後ろに後ずさって。「大丈夫、歩けるよ。帰れるから」なんて言ってその場を何とか切り抜けようとしたものの、当然向こうも簡単に引き下がる訳がない。何のために酒代を出してやったんだくらいの勢いで、逃げようとする私の腕を掴んだ。

「ちょ、ちょっと、やめて…!だれか、」

無理矢理ホテルの方へと引きずっていく男3人に、私はいよいよパニックに陥る。誰でもいい、とにかく周囲の人に助けを求めなくては、と辺りを見回した瞬間、通り掛かった男性と肩がぶつかって、小さく舌打ちをされた。呆然とする私の目の前で、その人は何事も無かったかの様に素通りしていく。その人だけではない。周りにいる人たち全員が、他人になど一切興味はなく、己の世界で生きている。男の首に腕を回す女、女の腰を抱いて闇に消える男、道端で座り込んで酒と煙草に溺れる男…。ここは、そういう世界なんだ。

「おい!さっさと歩けよ!」
「ひゃっ……!」

真っ白になっていく私の腕をぐいと引っ張って、男は眉を寄せる。先程まで楽しくお酒を飲んでいた時の彼らは、どこにもいない。今目の前にいるのは、ただ女の欲を満たす事で頭がいっぱいの動物だ。私はその男の姿を、ぼーっと見つめるだけ。なんだ、男と女って、こんなものなのか。そこに恋とか愛が無くても、成立してしまうものなんだ。それがショックで堪らなくて、心の中の何かが崩れるような音がした。











「おいオビト、もう帰んのかよ!相変わらず付き合い悪ぃな!あの預かってる子だって、もう大人になったんだろ?だったら別に夜遊びしてたっていいじゃねぇか!」
「そういう問題じゃない。ただ単に興味が無いだけだ」


酒の匂いをたっぷり孕んだ同僚の吐息に、オビトはあからさまに眉を寄せた。完全にタチの悪い酔っ払いへと進化を遂げた同僚が、体重を掛けて肩に腕を回してくる。その腕をやんわりと拒みつつ、オビトはこの場をどう切り抜けようかとそればかり考えていた。こうして同僚たちのお酒の席に付き合うことは珍しい事ではなく、必要なコミュニケーションと割り切って、オビトも多少の酒は嗜むようにしている。しかし、その後必ずやってくるこの時間に対しては、いつまで経っても慣れないのであった。

「なぁオビトぉ…、可愛い女の子いっぱいいるんだぜぇ…。お前もまだ独身だろぉ?うちは一族って言えば、簡単にお持ち帰りできんだろ!」
「………興味ない」
「おいおいまさか、お前男に気がある訳じゃねぇだろうな!?」
「そんな事は一言も言っていない」


いい歳したおっさんが、こうしてだらしなく女の尻を追いかけている姿が、オビトにとっては滑稽に見えて仕方がない。まあそんなオビトも、かつては暁として忙しなく活動していたせいで、碌に恋愛のれの字も経験した事がない上に、故人の女性を何十年も想い続け、終いにはその恋心を引き金として戦争を起こす拗らせっぷり。お陰で今でも独身だ。周りは余計な世話を焼いて、頼んでもいないお見合い話を持ってきたり、紹介しようか?とか、行動しないと、とか言ってきたりする。別に俺は今まで一言も、「伴侶が欲しい」なんて言ったことはないのに。

俺にそんな存在は必要ない。というのは、過去に戦争を引き起こし、沢山の人達の命を奪った俺に、幸せになる資格などないからだ。俺は里の為にこの命を使い、償いに一生をかける。そんな人生に、恋だの愛だのなんてものは、邪魔にしかならない。

それに、俺には。大切な存在が既に1人いる。そいつの為に生きることを誓った。俺を罪の意識から掬い上げてくれる、たった1人の、かけがえのないアイツが…、



「やめて!」



ふと聞こえてきたその声に、オビトは顔を上げた。聞き覚えのある声。まさか、こんな歓楽街に居るはずがない、と思いつつも、しかし確かに聞こえてきたのは、紛れも無くよく見知った人物の声で。視線を彷徨わせ、その声の出所を必死に探す。やがてオビトの目は、とあるラブホテルの入り口で、揉み合う男と女の姿を発見したのだった。

「やめて!嫌!」
「大人しくしろよ!何今更嫌がってんだ!お前だって元々その気で俺たちについて来たんだろ!?」
「違う!私は、私はただ…!」

説明されずとも、オビトには一瞬で事の状況が理解できた。抵抗する名無しを、逃すまいと囲う3人の男。そいつらの手によって、今名無しはラブホテルの中へと引きずり込まれそうになっている。その瞬間に、オビトからブワリと只ならぬ殺気が漏れ出して、ヘロヘロだった同僚すら背筋をピンと伸ばす程であった。

「お、おびと、どうした?そんなに嫌だったのか?だったら俺だけで行ってくるから、」
「……急用が出来た。先に帰る」
「あ、ああ、そうか、分かった。気を付けてな」

1人、状況から取り残されている同僚は、顔を引きつらせながらも、ひらひらと手を振ってオビトの背中を見送った。静かに遠くなっていくその後ろ姿を見つめて、「そんなに嫌だったんだ……」なんて肩を下ろしていた同僚の事などオビトには知る由も無く、徐々に徐々にその男女に近付いていく。

「やめてってば!ねぇ!」
「うるせぇ!さっさと来い!めんどくせぇな!」

一方では、相変わらず続く攻防に、男たちの怒りのボルテージは上がっていくばかりであった。男が怒鳴る度、私の肩は恐怖で震える。掴まれた腕はどれだけ振り解こうとしても解けなくて、力の差をまざまざと見せ付けられた。…怖い。男の人って、こんなに怖いんだ。力なんて、到底敵わない。なにを言っても聞いてくれない。私が思い描いていた、優しくて紳士的な男性は、夢幻だったんだ。

守ってくれる男性なんて、ここには…。




「いっ……!?うわあぁ!?」

悲しげに伏せた瞼の向こうで、突然男の悲鳴が上がった。何事かと目を開けば、男の背後に立つ大きな影があって。その見知った顔を目にした時、思わず「え!?」なんて声を上げてしまう程には、その存在の登場に驚いていた。


「お、オビト!?」
「…その手を離せ、ガキ共」


鋭く睨むその視線は、私の方には一切触れずに、ただ男たちを見下ろしている。真っ赤な瞳がくるりと回って、脅すように写輪眼を発動させながら、オビトは低く吐き捨てた。私の手を掴む男の腕を、力強く握るオビト。ミシミシと軋む音を立てる腕に、男は悲鳴を上げて暴れている。当然、その光景を目の当たりにしている他2名も、みるみる顔を真っ青にして、その場から走り去って行った。「お、おい!待てよ!」なんて慌てる男を、オビトはようやく解放し、情けなく走り逃げて行くその背中をただぽかんと口を開けて見つめる。


「………ここで何をしていた」
「お…、オビト………」


気まずい雰囲気を破ったのは、オビトの威圧的な声。あの男たちを成敗した後は、その怒りの矛先が私に向くことは当然。しゅん、と肩を窄めて必死に言い訳を考える。ちょっと迷い込んじゃって…、は無理があるか。お酒が飲みたかった、だと別に此処じゃなくてもいいだろうってなるし。どうしたものかと口を閉じる私に、後ろめたい理由がある事など、オビトには全てお見通しだった。

「今まで散々言ってきた筈だ。変な男には気を付けろって」
「わ、分かってるよそんな事…」
「分かってないからこんな事になってるんだろうが」
「これは!…ちょっと、計算外だったというか」
「俺がたまたまここに居なかったら、お前はどうするつもりだったんだ」
「その時は、忍術で蹴散らして、」
「ビビって何も出来なかった奴がよく言えるな」
「うるさいな!ほっといてよ!私だって子供じゃないんだから!」
「俺からすればまだガキだ」

その台詞に、私の堪忍袋の尾もぷちんと切れて。逆ギレだと言われればそれまでだ。自分が悪い事は百も承知している。でも、私だって、私だって、色んな悩みがあるのだ。彼氏がいる友達、ちらほら結婚の話も出たりする。なのに私はそんな将来なんて何にも無くて、しかもつい最近、やっと恋が訪れたかと思えば、


『オビトさんの事が好きなんじゃない?』
『カカシ先生の事が好きなんじゃない?』


頭に浮かぶ、サクラさんとイノさんの言葉。…初めての恋。それが、今目の前に立っている男と、もう1人の私を育ててくれた男に対しての気持ちであることを知って、私はどうしたらいいのか分からないでいるのだ。これは違う、私たちは家族なんだと言い聞かせたって、今更この気持ちにブレーキなんて効かない。それどころか、2人に子供扱いされると傷付いたり悩んだりして。だからこそ、私は今日、そんな想いも掻き消すつもりでここに来た。どうせ叶わぬ恋。オビトもカカシも、私のことなんて娘又は妹としか思ってない。


「もうほっといて!いつまでも子供扱いして…!父親じゃないのに、」


勢いのままにそこまで怒鳴り付けて、私はハッと我に返った。最低だ、私。オビトは私を助けてくれたのに、八つ当たりして、傷付けて。オビトはたくさんの時間をかけて、私をここまで育ててくれたのに。守ってくれたのに。それなのに、私は…。

自己嫌悪に陥って、黙って俯く私の手を、オビトが無言のまま掴んだ。ぐい、と引っ張られるままに、目の前にあったラブホテルに連れ込まれる。え、え、と目を回している内に、彼はそそくさと無人の受付を済ませて、慣れた手付きでエレベーターを操作した。

「ま、待ってオビト、何を、」
「よく考えてみれば、俺とお前は血の繋がりなど何もない。父親で無ければ、娘でもない」

開いた狭い密室の中へ、私の体を押し込むオビト。バタバタと騒がしく中に入り込んだ私の体は、その勢いのままに壁に押さえつけられる。掴まれている部分が熱くて、胸がドキドキと跳ねて苦しい。目の前にいるオビトの目が、今までのような優しい目じゃなくなっていた。

「俺とお前は只の男と女だ」
「お……びと……」
「なら、俺とお前がこんな場所で何をしてようと、何も問題は無いだろう?」

オビト越しに、エレベーターの扉がゆっくり閉まっていくのが見えた。