金襴緞子の帯しめながら

血鬼術によって、冨岡と共にあの窮屈な空間に閉じ込められた任務から、数日。最期を覚悟して、悔いの無い様にと口走ってしまった、冨岡へのあの言葉は、あの後全て無かったことにした。無理矢理、無かったことにした。冨岡も、その後特に言及してくることも無かったし、特別態度が変わったこともない。から、多分、アイツも忘れているんだと思う。あの時のことを。安心したような、でもちょっと寂しいような…。いや、寂しい事なんてない。絶対にない。あれは気の迷いだ。死を直前にして、頭が混乱していただけなんだ。



「体がおかしい?」



私の前で首を捻る笑顔の女性は、胡蝶しのぶという。私と同じ柱の1人で、薬学に精通している。だから、怪我や体の不調を覚えた時は、彼女の元に駆け込む隊士も多い。私も例に漏れず、こうして彼女を頼る為、屋敷に足を運んでいた。

「冨岡との任務の後から、なんかずっとおかしくて」
「具体的には?」
「胸がずっとバクバク騒いでて、体中の血が沸騰してるような感じがするの。だから全身熱くて熱くて……」
「…何か心当たりは」
「実はその…前回の任務の時に冨岡と色々あって……。それからだから、多分原因は……」

冨岡さんじゃないかって事ですね。そうサラリと言ってのけるしのぶの顔には、相変わらず優しげな笑みが浮かべられている。口で1つ1つ細かく説明していくと、どんどんと頭の中であの時の光景が蘇っていった。


『私を抱いて…、冨岡』



頭にぽんと浮かぶ、自分自身のあの時の言葉を、真っ赤な顔を横に振ってかき消す。無し無し無し!!あんなの無し、冗談よ、嘘よ!本気にするなんて馬鹿じゃないの!…そう、何度も自分の中で葛藤して、そしてその度に、あの時の熱い接吻のことを思い出すのだった。

冨岡って……普段あんなに無口で冷静沈着で、冷たい男なのに…。あんなに熱い接吻ができるんだ。体は逞しく、男の力をしていて、弱々しく抵抗してもびくともしなかった。結局あの時、冨岡からの返事は聞けなかったけど…、嫌いな女に接吻したり、抱きしめたり、あんな、その、胸を…、あんな事したりしないよね…?少なくとも私は、冨岡に嫌われている訳ではないんだよね…?

「…って、何ホッとしてんのよ私!アイツに嫌われてたって別にいいじゃない!私だって好きじゃないし!好きじゃないし!」
「名無しさん?大丈夫ですか?」




『お前の言葉で、火が付いた』
『え……』
『俺はまだ死ぬ訳にはいかない。お前のことも死なせない』



あの時の、冨岡の言葉。今も一字一句、全て覚えている。優しい声音、でも強い意思の宿った力強い言葉。私はその後、冨岡の手によって血鬼術から逃れ、そして彼に守られたまま、鬼を討伐したのだった。その時の冨岡の横顔が、頭から離れない。私を抱き支える力強い腕の感触も、私を見下ろすその目が、どこか優しかったのも、全部、全部忘れられなくて…。今でも胸が高鳴って、血が沸騰していく。その血が全身を巡って、力が沸き出てくるのだ。ああ、私らしくない。あんな男に、こんなにかき乱されて…。気が付けば冨岡のことばかり考えて、私は…、私は………、


「只の恋煩いではありませんか?」
「そ、そんな訳ない!しのぶ、真面目に聞いてよ!」
「十分真面目ですけれど」
「冨岡との任務の事を思い出すと、体の力が漲ってきて…。技の威力が高まったり、走ったり飛んだりするのも人間の範囲を超えた力が出るっていうか…」
「ふむ……。それは少し異様ですね。只の恋煩いにしても、流石にそこまで影響が出るのは有り得ません」

あれからというものの、私の体には、普通の人ではあり得ないような異変が起こっていた。凄く高く飛べたり、走る速度が速かったり、技の威力が凄まじかったり、大きな岩も持てたり…。しかもその異変は、冨岡の事を思い出して血が熱くなる時だけに起こるのだ。きっとこの感覚が引き金になっているに違いない。

「悪い方向に影響が出なければいいのですが、ちゃんと調べないといけませんね。採血をしましょう」
「うん…」
「貴女が言う、血が沸騰している状態で採血をしたいので、頭で思い浮かべて貰えますか?冨岡さんのこと」

しのぶは、片手にもった細い針の注射器を私の腕に添えた。言われた通りに、あの時の任務の事を頭の中で思い出す。目を閉じて、より鮮明に、より詳しく振り返ると、また全身が熱くなっていくのを感じた。ちくり、と小さな痛みを覚えた後、しばらくしてしのぶの「良し」という合図を受けて、私はしのぶの屋敷を後にしたのである。





稀血。鬼と戦う事が仕事である私は、対峙した鬼によくそう呼ばれた。自分が稀血である自覚は無かったけど、鬼には分かるみたいだ。私からすれば、稀血稀血と私の体を欲しがる鬼の姿を見て、ようやく自分が稀血の持ち主である事を知った程度。稀血は、普通の人間とは違って、鬼が口にすると何倍もの力となり、強くなれるらしい。だから戦う術を持たない一般人の稀血は、藤の花のお守りを持っているとか何とか。私はむしろ、倒すべき鬼を引き寄せてくれるので、この稀血には感謝している。

しかし、私が稀血の持ち主だからといって、今までそれを実感させられるような出来事はなかった。見た目も能力も変わらない。ただ鬼からしたらちょっとご馳走なだけで、それ以外に得することも損することもない。

けれど、今回初めて、私は自分の稀血の力を知る事となった。採血してから数日後、その結果を持って私の屋敷にやってきたしのぶは、心地の良い優しい声音で告げたのである。

「どうやら、貴女の稀血の特徴なようですね」
「え」


しのぶの調査結果によると、私の血は、交感神経が興奮状態になると、体感していた通り血が沸騰するかのように熱くなり、全身の血流が異様に良くなるらしい。その効果によって身体能力が飛躍的に高くなり、本来人間ではあり得ないような力や能力を発揮するのだとか。

「心筋収縮力の上昇、心、肝、骨格筋の血管拡張、皮膚、粘膜の血管収縮、消化管運動低下。五感が鋭くなり、怪我の痛みも麻痺して感じなくなります」
「す、凄いですね………」

呆気にとられる甘露寺を前に、しのぶが難しい言葉を並べて説明する。私のこの血の調査結果を受けて、柱の者全員、緊急で集められ情報の共有を行なっていた。私も何が何だか分からないが、とりあえず興奮状態になると覚醒するらしい。

「交感神経が興奮状態になるのは、一般の人でも起こる現象です。例えば誰かと喧嘩して頭に血がのぼると、冷静な判断が下せなくなり痛みも感じなくなる。経験したことがある方も多いのではないでしょうか」
「確かに!鬼と戦っている時は、偶に頭に血が上って急激に冴える事があるな!」
「はい。それがまさにこの現象なのですが、名無しさんの場合、恐らく稀血の関係もあって普通の人よりも大きな異変が出るみたいなのです」

ほう、と感心するような吐息と共に、全員の視線が私に集まる。なるほど、流石はしのぶだ。私のあの相談とほんの少しの採血で、ここまで調べ尽くしてくれるとは。

「しかも、その効果は名無しさんだけでなく、他者に与える事もできます」
「どういう事だ」
「興奮状態の名無しさんの血を口にすれば、私たちも同等の力を得ることができるという訳です。これは、鬼と戦う際に大いに役立ちます」
「私の血が、役に立つ…?」
「更に、怪我人が名無しさんの血を摂取すると、治りが早まることも確認できました。摂取量はほんの一滴でも十分な効果が得られますので、少し採血すれば10回分くらいの薬になるでしょう」
「それは凄いね……」
「ただし、利点ばかりとも言えません。この血を飲んで得た力は、一時的に無理矢理人間の限界値を底上げしているに過ぎません。効果が切れるとその代償として全身が筋肉痛になったり、酷ければ骨折などの重傷を負います」
「考え無しに使えばいいってものでも無いんだな」
「なるほど……」
「危険もありますが、緊急時に役立つ事は確実です。事前に名無しさんの血を、影響が出ない程度に採血して保存し、薬にする。それを、任務に出る隊士に配ることで、鬼との戦闘を有利に進められるかもしれません」

勿論、私の血は無限ではない。採血し過ぎれば、貧血状態になって日常の生活や任務に支障をきたす。だから、可能な範囲で定期的に採血を行い、上弦や危険な任務に出向く事が多い柱のメンバーに配るのがいいのではないか、というのが、しのぶの提案だった。

「だが採血と言っても、コイツがド派手に興奮してる時の血じゃなきゃ意味ねぇんだろ?」
「ド派手に興奮する必要はないと思うけど……」
「ああ、それに関しても私に案があります」

宇髄の疑問に対し、にっこりと、満面の笑みを浮かべながら人差し指を立てるしのぶは、その美しい顔からさらりと爆弾発言を落とすのであった。

「柱の男性陣に、名無しさんを抱いて頂きます」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」

揺らめく灯篭が照らす部屋の中は、しばらく静寂に包まれた。今なんて言った?抱く?誰が?誰を?



「ご、ごめんしのぶ。なんて?」
「同衾してください」
「え?」
「名無しさんのこの間の話ですと、冨岡さんの事を思い出すとかなりの興奮状態になるようでしたので、恐らくこれが一番手っ取り早い方法かと思います。男性に対してあまり免疫が無いように感じられましたので、身近な男性に迫られれば簡単に採血が出来ると思いますよ」
「おい、義勇……。お前名無しに何かしたのか……」

ずっと黙って聞いていた水柱の補佐、錆兎が震える声音で冨岡に問い掛ける。その隣で口を閉じたままの冨岡は、しばらく視線を彷徨わせて何かを考えるような仕草を取った後、


「(血鬼術に嵌められて、致し方ない状況だった。したと言っても最後までした訳じゃないし)別にいいだろう」
「お、おま……っ、嫁入り前の、しかも同じ仲間に………!」
「ち、違うの錆兎!す、少しだけ密着しただけというか、その……大した事はしてないから!」

口下手な冨岡のお陰で余計に動揺が走るその場に慌てた私は、彼の代わりに急いで弁明した。それにあれは、私から誘ってしまった手前、冨岡のことは責められない。それでも錆兎にとっては、まさかあの冨岡が、という衝撃が強すぎるようで、しばらく青い顔のまま放心していた。

「最近は鬼による被害が深刻化してきています。下級の隊士たちも実力が伴わず、殉職する者ばかり…。少しでも被害を減らす為には、画期的な万能薬だと思うのです。勿論、名無しさんの協力あってこそなので、どうかご意見をお聞かせ下さい」

しのぶは、ふざけて言っている訳ではなかった。特殊な力と圧倒的な回復力を持つ鬼との戦闘は、基本的に我々鬼殺隊が不利な状況を強いられる事が多い。特にまだ未熟な下級の隊士は、何も出来ないまま鬼の餌食になる者が沢山いる。任務に出たまま帰ってこない隊士を見ると、心が張り裂けそうになる。彼らにだって、無事を祈る家族や大切な人がいるのだ。

(私の血が…誰かを助けられるなら…)





「わ……分かりました」
「おい、名無し…!」
「そ、その…柱のみんなにも、協力して貰わなきゃいけなくなるけど…。別に興奮状態になればいい訳だから、最後までしなくてもいいし」
「だが……」

心配そうに渋る錆兎の言葉を遮って、私はみんなの前で正座した。深々と頭を下げるその姿は、まるで結婚初夜に臨む新妻のようだ。



「皆さん、どうか協力してください…。私のことを抱いて下さい…!」


まさか、こんな事を複数の男性にお願いする日が来るなんて。しかも今まで共に戦ってきた仲間たちに。みんなは今一体どんな顔をしているのだろう。緊張で顔があげられない。



しん、と静まり返るその部屋には、ごくり、と男たちが生唾を飲み込む音だけが響く。その中で唯一、通常運転であるしのぶの間延びした声が、会議を締めくくったのであった。


「西洋では、興奮状態を引き起こす物質をWあどれなりんWというらしいですよぉ。凄いですね、名無しさん!私、とっても興味深いです!」




……しのぶ、なんか楽しんでない…?