湯に入りて湯に入らざれ

「まさか俺が一番手とはな……」

はあ、と溜息をつきながら顔を手で覆う彼は、普段見る姿とは全くの別人であった。派手な宝石の額当ては取られ、顔の派手なメイクも消えている。下ろされた白髪から覗く端正な顔立ちは、色男そのもの。妻が3人いるのも頷ける。

「嫌なら他の人に、」
「嫌とは言ってないだろ。男に二言はない。ド派手に抱いてやるぜ」

いや別にド派手じゃなくていいしむしろ普通に抱いて欲しいのだが…、と心の中で切に願う私の格好は、普段寝る時に着るのと同じ寝間着。時刻は既に深夜、宇髄の屋敷を訪れ、こうして夜を共にしようとしている。

私の稀血の効力が分かり、そしてそれを薬として蓄えるには、男に抱かれなければならないという衝撃の事実が判明した今。被害が多少でも抑えられるのならば協力したい、と私が申し出たところ、しのぶは大層喜んでくれた。ただし、当然ながらこれには相手の協力もいる。流石に会話も交わした事が無いような男隊士とホイホイ同衾する事には抵抗があるので、同じ仲間で関わりも深い柱の男達に白羽の矢が立った。彼らにも意見を聞くと、内容が内容なだけに乗り気で賛同、とはいかなかったが、動揺しつつも何とか同意して貰った。

そうして最初にその番が回ってきたのは、まさかの宇髄であった。他の柱はほぼ全員任務で出払っている。私も正直、まさか彼が初とは、という気持ちが強い。だって宇髄には、3人の素敵な奥さんがいるから余計だ。

「今更だけど…、奥さんたちは大丈夫なの?私とこんな事…」
「俺の嫁たちはそんな小さい事を言うような女じゃない。これが鬼狩りの為に必要な事であるならばと、むしろ背中を押されたぐらいだ」

そもそも嫁が3人もいる時点でなかなかではあるが、それでも、だ。嫁でもない女と、夫が同衾すると知って、彼女たちはどんな気持ちなのだろう。宇髄は対して気にしていない様だが、それは私との行為を、今の言葉の通り『鬼狩りの為』と割り切っているからだろうか。

(なんか……それはそれで…寂しいな…)

勝手に思考を膨らませて、勝手に萎む。興奮状態になるどころか、どこかしゅんと肩を落として足元に視線を移す。そりゃあ、いきなり抱けとか言われて迷惑だよね。欲の発散になるとは言っても相手は選びたいだろうし、宇髄なんて嫁がいるんだから本来は私を抱く必要なんて皆無だし。それこそ本当に仕事の為、任務の為だ。

「おい、何をそんな暗い顔をしてやがる」
「なんか………、すごい萎えちゃった。やっぱり今日やめてもいい?」
「は?」

びき、と額の血管を浮き立たせる宇髄を他所に、私は悶々と自分を否定するような考えばかりを思い浮かべていた。宇髄も宇髄で、まさかこの俺が女に同衾を断られるだと?なんて自分の自尊心を傷付けられて顔を痙攣らせている。こっちはそのつもりで気持ちも布団も用意してきたというのにこの女は。

「何だ萎えたって。ド派手に煽るじゃねぇか。俺が相手じゃ不満か?」
「そういう意味じゃないよ、何怒ってんの」
「別に怒ってはない。お前のその態度が気にくわないだけだ」

怒ってるじゃんそれ…、と溜息をつきながら、何故かご機嫌斜めの宇髄の前にとりあえず正座する。確かにここまで言っておいてやっぱりやめます、っていうのも相手に失礼か。

「宇髄が嫌とか不満とか、そういう事じゃなくて」
「じゃあ抱かせろ!」
「は、ままま待ってよ!さっきは乗り気じゃなかった癖に!」
「萎えたとか言われたらなぁ。男なら嫌でも燃えるだろう」

彼の笑顔が引き攣っている…。どうやらド派手な誤解を与えてしまっているようだ。

「だからそうじゃなくって…!なんか今からする事って、すごい……事務的っていうか……。ただ任務の為、仕事の為にする事で、そこに宇髄の気持ちはないだろうし、それって虚しいなっていうか。私からお願いした身ではあるけど、なんか寂しいなって」
「……………………」

今度はぽかんと口を開けたまま動かなくなってしまった宇髄を、私は眉を顰めながら見上げた。こんなに感情豊かな男だっただろうか。先ほどからコロコロと表情や感情が変わる。忙しい人だ。聞いてる?なんて問いかけながら、固まったままの宇髄を覗き込むと、彼は動揺しながらもようやく言葉を返してくれた。

「お前……、自分で自分の言ってること理解してるのか」
「え?」
「お前が今言った事を要約すると、俺の気持ちが欲しいって事になるぞ」






え?






今度は私が、ぽかんと口を開けたまま固まった。私そんな事言ってた?今?宇髄に?


「仕事として仕方なく抱かれるんじゃなくて、愛されながら抱かれたいって意味だろ」
「えっ!?!?」

指摘されて初めて気付く。確かに今の自分の発言を思い返してみると、そう聞こえなくも無い。というか、そういう風にしか聞こえない。漸くそれを理解して、みるみる顔を赤くさせる私を、宇髄は頬杖をつきながら楽しそうに見ていた。さっきまでの不機嫌そうな顔はどこかに吹っ飛んでいる。

「安心しな。ちゃーんと大切に抱いてやるから」
「ち、ちが、違う!誤解です!」
「はい、ごろーんしろ、ごろーん」
「子供扱いしないで!」




ぽんぽんと布団を叩いて誘導すると、その真っ赤に熟れた顔がぎゃあぎゃあと騒いだ。それがまた宇髄の心を擽るのだった。面白くて見ていて飽きない。男に対して初心な反応を見せるところも堪らない。

気持ちが欲しい?そんなの言われなくたって幾らでも注いでやる。宇髄が名無しを抱く事を渋っていたのは、何も嫌だからとか、仕事だからと割り切っていた訳ではない。









「鳴柱、名無し名無しと申します」

柱の前で深々と頭を下げたコイツの事を、俺は今でもはっきり覚えている。雷の呼吸を使う、鳴柱。それがこんな細っこい女だなんて。その時はあまり期待していなかったが、初めてコイツと任務を共にした時、俺は目を奪われたんだ。


バチバチと派手な音と光を身に纏い、空気が揺れるような轟音を轟かせ、まるで雷のように宙を舞う。その姿は、速すぎて残像を追う事しか出来ない。

「雷の呼吸、壱ノ型…霹靂一閃!」

ド派手な立ち振る舞いに、俺は素直に感心した。舐めていたが大層なものだ。鬼は瞬く間に滅殺され、辺りに轟いていた雷の地響きも止む。鳴柱という名も、伊達ではないらしい。そうして戦いが終わると、コイツは一気に普段と変わらない只の弱そうな女に戻るのであった。


「やるじゃねぇか。予想以上だったぜ」
「ありがとうございます、音柱」
「……よし、決めた」
「はい?」

この俺、宇髄天元は、鬼殺隊では柱という階級に君臨し、そこらの鬼ならば擦り傷1つ作らずに殺せる強さを持ち、素顔は誰もが見惚れる色男だ。俺がド派手に口説いて落ちなかった女は1人もいない。だから今回も、




「お前、俺に嫁、」
「あ!冨岡!錆兎!よかった、二人とも無事だったんだ!」




今回も、




「おい、名無し、」
「名無し、任務帰りに団子を買ってきた」
「冨岡、ありがとう!」




こ……、今回も、




「名無し、」
「名無し、今日も稽古を付けてやる。後で俺の屋敷に来い」
「錆兎、ありがとう。すぐに支度していく」





………………………。
















あんのクソ根暗水柱共がああぁぁあ!!!!!!







俺の邪魔をするな!わざとか!?見計らって来てんのか!?


元々名無しと冨岡と錆兎は、同時期に最終選別を潜り抜け鬼殺隊に入隊したこともあり、3人でよく一緒に行動していた。そのせいか、事あるごとに保護者面して出てくる冨岡と錆兎が鬱陶しい!女一人に男二人がみっともなく付き纏いやがって!地味過ぎて吐き気がする!!!



毎度毎度の事にド派手に苛つく俺ではあったが、ただ心のどこかでは諦めも付いていた。名無しが俺に対して向ける顔と、あの二人に対して向ける顔が全然違ったからだ。名無しがあの二人のどちらかに恋心を抱いているかどうかは分からない。ただ純粋に先輩として、良き理解者として尊敬しているだけなのかもしれない。だがあの3人の絆に、俺が入る余地は無いと判断した。男として、女の幸せを願い潔く引くことも時には必要だ。俺には既に3人の嫁がいる。今更一羽小鳥を逃す程度、どうってことはない。



が、しかしだ。ある日突然やってきたこの好機に、宇髄は動揺せざるを得なかった。諦めた筈の女が、俺に抱いてくれと頼み込んできた。それだけじゃない、気持ちが無ければ虚しいとまで宣いやがる。忘れかけていた気持ちが、じわじわと浮かび上がってくるのを感じた。気持ちを込めてほしいなら、幾らでも望み通りにしてやる。そんなの簡単だ。我慢していたものを解放すればいいだけなのだから。


「緊張してるな」
「あ、あかり……消して………」
「消したら注射針がよく見えないだろう」

布団の傍には、木箱に入った小さな注射器がある。これは、胡蝶しのぶによって配られた採血用の注射だ。名無しと情事に及び、彼女が興奮状態になった時、男側はこれで採血することを言いつけられている。


「お前、生娘か?」
「あ、当たり前でしょ…!?そんなホイホイ股開くような軽い女に見える!?」
「いや見えないが……、てっきり冨岡や錆兎辺りが手を出してるかと」
「え?」
「……いや、何でもない。こっちの話だ」


どうやら冨岡と錆兎も、長年名無しの世話をしておきながら、随分と手こずっているようだ。お陰で一番最初に堪能できる。心の中でほくそ笑みながらも、布団の上に組み敷いた名無しの脚と脚の間に体をねじ込ませた。


「体の力を抜け。何も怖い事はない」
「う、うずいっ……、心臓が止まりそう……」
「一緒に気持ち良くなろうな。そうしたらきっといい薬ができる」

至近距離で囁く宇髄の声は、まるで媚薬のように体全体に響き渡り、頭の中が支配されていく。吐き出しそうな程に暴れる心臓と、じわじわと血が熱くなっていく感覚。…そうだこれだ、この感覚。今なら血が採れる!

徐々に降りてくる、宇髄の端正な顔と唇に勢いよく頭突きをして、私は体を起こした。痛みに悶絶する宇髄の傍らで、私は着物の乱れも整えぬままに注射器を引っ掴む。しのぶに教えて貰った通り、そっと腕に刺して血を取ると、そこには真っ赤な液体がしっかりと保存されていた。やった、できた!うまく採血できた!これで薬ができる!



「見て!宇髄!ほら!血が採れたよ!宇髄のお陰で!これで薬がつく……、れ……」

そこで私はハッとした。そこにいた宇髄から、並々ならぬ怒りを感じ取ったからだ。まるで十二鬼月と対峙した時のような恐ろしい威圧感。ようやく私は、彼に対してとても失礼なことをしたことを自覚した。


「あ、ご、ごめん。つい興奮して……、早く血を採らなきゃって……」
「このクソアマ…………。そんなに血が採りたいなら今から幾らでも採らせてやるよ……」

のそりと体を起こす宇髄の手に呆気なく捕まって、逃げようとした私の体は布団に引きずり戻された。ごめんなさいを言う間も無く口を塞がれて、まるで食べるような口吸いに驚き固まる。二人の呼吸と唾液がぐちゃぐちゃに混じって、もう何が何だか分からない。とろとろに蕩けた顔をする私を、宇髄は光悦な表情で見下ろしている。

「気絶すんなよ……、いっぱい血を採るんだろ?張り切ってるもんな、お前」
「は……っ、ぁ………、うず…、ちょっとまって………!」
「気絶したら興奮も糞もないからな。精々鬼滅隊の為に頑張ってくれよ、鳴柱様」
「お、怒んないでよごめんってばああ!」




結局その後、宇髄からの激しい口吸いだけで気を失った私は、最初に自分で採った血以外は、碌に採血する事ができないまま終わり、後日宇髄も、加減しなさいと蟲柱に注意されるのであった。