絶景かな

「傷は痛むか、名無し」
「ううん、大丈夫…。ごめんね、煉獄」

炎柱もとい、煉獄杏寿郎とも、もうそれなりの付き合いになる。同じ柱として、何度も一緒の任務になった事もある。真っ直ぐで、折れることのないピンと伸びたその背筋。靡く炎の様な模様の羽織。そんな彼の姿に憧れる隊士もきっと多いだろう。燃える炎の如く、鬼狩りに命を賭ける勇敢な炎柱………。






そんな炎柱と私は、今ちょっとした危機を迎えていた。っていうか、つい最近にも、どこぞの水柱と共に向かった任務で危機に直面していなかったか。こんな事ばかりで、自分の情け無さにはほとほと呆れる。

というのも、鬼と交戦中だった私と煉獄は、最初こそ圧倒的に有利な状況で戦いを進めていた。相手は大したことのない鬼。このまま行けば、その首を取るのも容易いだろう。……全ては、そう油断した私の甘さが引き起こしたことだった。鬼の爪が腕を擦り、隊服諸共皮膚を引き裂かれたそこからは、タラタラと血が流れる。鬼は、自らの爪に付着した私の血をペロリと舐めたのである。

私の稀血を口にした鬼は、急速に成長を遂げた。全ての攻撃に力と速さが加算され、新たな血鬼術まで繰り出してくる始末。有利だった状況は一気にひっくり返されて、今は負傷した私を抱えた煉獄が、一時鬼から退き休める場所を探している最中だった。

「煉獄、私は適当なところに置いて煉獄だけ、」
「全力で拒否する!!!」
「まだ最後まで言ってない………」

足手纏いになるのは御免だ。私を庇いながらでは、煉獄が思ったように戦えない。私だって柱の端くれ。自分の身くらい自分で守れる。煉獄一人ならあの鬼だって互角にやり合えるかもしれない。そう考えたが故の提案だったが、速攻却下されてしまった。

「あの鬼はお前の稀血を狙っている!お前をここで一人にして、もしあの鬼がやってきたらどうするつもりだ!」
「そうしたら戦って、私があの鬼の首を、」
「無理だ!!」

鬼から逃げている立場だというのに、煉獄は堂々とした出で立ちで屋敷の中をどんどん進んでいった。閉じられた戸や襖を「失礼する!」と礼儀正しく挨拶しながら開けていく。この屋敷にはあの鬼以外いない筈なのに、本当に不思議な人だ。でもそういうところが憎めない彼の良い所でもある。やがて、煉獄に抱えられたままある小さな部屋まで辿り着くと、そこでようやく彼の足が止まったのだった。

「とりあえずこの辺りで一度応急措置をしよう」
「ありがとう。手当ては自分で出来るから…」

煉獄の腕からそっと畳に降ろされて、私は自分の懐を探った。とりあえず持っている手拭いで止血をしなければ。そう考えながら自分の腕の傷を見てみると、思っていた以上に傷口が深く、今もなおどくどくと熱を帯びながら血を垂れ流し続けていた。言いようのない痛みに吐息が漏れ、額には汗が浮かぶ。最悪なことに、私が負傷した腕は、刀を持つ利き腕の方だった。


「思っていたより酷いな…」
「う…、なんだろう……どんどんいたみが……」


くらくらと目が回る感覚。痛みは増すばかりで、出血も多いせいか体が冷えてきた。ふらりと傾く私を再び抱き留めた煉獄は、その大きな瞳で私の傷口を覗き込む。「毒か…。傷口がぶくぶくと泡立っている」その言葉で、私はあの鬼の毒に犯されていることを把握した。なるほど、だからか。思考がぼーっとして、発熱した時の様な倦怠感まで出てきた。これはいよいよやばそうだ。

「煉獄…。本当に私のことは置いていって……」
「まだ言うか」
「私はもう、きっと……」

助からない、という言葉を言うのは躊躇われた。私を見下ろす煉獄が、あからさまに怒っていたからだ。正義感の熱いこの男は、決して私を見捨てたりはしないだろう。それこそ、自分の命に代えても守ろうと思っている。この人はそういう人だ。だが、今のこの状況に何も打開策が無いこともまた事実。それに、きっと今もあの鬼は、私たちのことを探している。ここが見つかれば再び戦闘になるだろう。戦えない私を抱えて、煉獄があの鬼と戦わなくてはならなくなる。私の血を口にした、あの鬼と。

「煉獄…。命を天秤にかけなきゃいけない時だって…あるんだよ…」
「それはお前を見捨てろという事か」
「もっと多くの人々を助ける為には、煉獄が必要だよ。ここで二人とも死ぬ訳には…、」
「うむ!!なるほど!!却下だ!!」
「いやだから最後まで言わせて!?」
「その案は先程却下した筈だ!」
「煉獄……」

彼の周りに、きらきらと眩しい何かが見える。真っ直ぐで、どんな時でも諦めない…。この人は、剣術や強さもさることながら、精神的にも本当に優れた人なのだと思う。こんな私一人の命も決して取りこぼしたりしない。全てを守ろうと本気で考えている。ぼんやりする視界で、そんな煉獄のことを見上げていると、私の体はそっと畳に寝かされた。頭に疑問符を浮かべている内に、私の上に大きな影が覆いかぶさる。


「俺に案がある」
「なに?」
「お前をここで抱く」
「………………」


はぁ?と思わず間抜けな声が出た。なに?欲求不満?それともあれか、命の危機に直面すると、男性は本能で子孫を残そうと考えるらしいが、煉獄もそうなのだろうか。私のその思考は、表情にも出ていたらしい。煉獄は呆れたような顔で私を見下ろし、説明してくれた。


「自分の血のことを忘れたか」
「あ………」
「お前の稀血を使えば、その傷の治りを早めてくれるかもしれない。それに、俺もあの鬼と戦う力を得られる」
「なるほど」


この任務に出る前、私の血で調合した例の薬は無いのかとしのぶに聞いたが、生憎私たちに持たせる分は無いと断られてしまった経緯があった。宇髄と一夜を共にしたものの、結局あまり採血できなかったし、あの時に採れた血は速攻無くなってしまったのだとか。まあ煉獄もいるし、柱2人が出向く任務だ。薬に頼らずとも何とかなるだろう、と出発した時のことを思い出した。


「私…今割と意識が朦朧としてるんだけど…、大丈夫かな。もしかしたら途中で意識飛んじゃうかも……」
「気絶させなければいい」
「ず、随分と自信があるのね……」
「ならば逆に問うが」




俺とのまぐわい中に寝るつもりか?



そう掠れた声で囁かれただけで、私の心臓は一気にどくりと騒いだ。寝かせる訳がない、と熱い眼差しを向ける煉獄に心まで鷲掴みにされそうだ。勘違いするな、私。これは緊急事態で、煉獄もやむを得ずしている事なのだ。彼がこれから吐く言葉は、全て私を興奮させ稀血を覚醒させる為のもの。決して本心などではない。


「よもや!俺も随分と見くびられたものだ!」
「いや、そういう意味じゃなくて…。傷が痛んで気を失いそうで…」
「安心しろ!叩き起こしてやる!」


豪快に笑う彼に、私は何かを言うことを諦めた。そろそろ傷の痛みも本当に限界だ。楽になれるのなら早くして欲しい。そう先を促すように、そっと煉獄の胸板に手を置く。じっとその瞳を見つめると、煉獄も私の気持ちを悟ったのか、顔を近づけてきた。緊張して肩の力が強張る。


「……名無し」
「あっ……、」
「呼ばれたら返事」
「は、はい……っ、んぐ!んっ……、ふ……ぁ……!ん、ちゅ……、ぁ………」

返事をする為に大きく開けた口を、煉獄は食べるように塞いだ。執念に追い掛けてくる舌。熱くて溶けそうな程だ。煉獄の口吸いは、それこそ炎のように情熱的で、でも私を労わるような優しさも混じっている。強く求められているようで、でもちゃんと大切にされている。そんな気になるような接吻だった。

「お前は小さくて細くて、少し力を入れたら折れてしまいそうだな」
「こ、怖い事言わないで下さい…」

ふ、と笑う声が聞こえた。眼前は煉獄の優しい微笑みでいっぱいになっている。何だろう、これ…。助かる為の……、私の稀血の為の演技だってことは分かっているのに、心臓がざわついて、血が沸騰しているかのように熱い。その血が全身を巡って、徐々に体中を熱くしていく。

「名無し」
「………っ」

また、その声音。普段はあんなに大きくてハキハキした声で話す癖に。そんな掠れたような艶めかしい声で呼ばれたら、嫌でも意識してしまう。毒が回っているせいか、私は既に思考が覚束なくなっていた。とろんと目を細めて、今の煉獄との口吸いの余韻に浸る。思い出すのは、冨岡や宇髄とも交わした口付けのこと。

「同じ口吸いでも、人によって特徴ややり方が違うんですね……」
「……」

独り言感覚で呟いたその言葉を、煉獄は決して聞き逃しはしなかった。眩しい程の笑顔を浮かべる真上の彼は、彼自身が太陽かのように眩しくて温かい。そして、その笑顔に似つかない、酷く冷めた言葉を吐き捨てた。


「誰と比べている?」
「え」
「非常に不愉快だ」


ぞくり、と背筋が震えた。何か、怒ってる…?こんな煉獄は初めて見たかもしれない。何となく感覚で、彼の怒気のようなものを察知した。掴まれた腕はビクともしない。圧倒的な男の力。鬼と対峙する時、いつも欲しいと思っている力だ。

フワフワした金と赤の髪が、私の首元に埋まる。擽ったい感覚に身をよじると、動くなと言わんばかりに煉獄が体重をかけてのし掛かってきた。ああ、まただ。この血が騒ぐような、熱く煮え滾るような感覚。パチパチと稲妻が走るような…。そうしている間にも、ぷつん、ぷつんと1つずつ隊服の釦が外されていく。その合間合間に煉獄が口を挟む。

「宇髄とはもう済ませたのか」
「い、いいえ…!結局、できなくて…!」
「そうか。なら初めてか」
「は…はい………」
「すまない。本当はじっくり時間をかけて愛でたいところだが、鬼の追っ手が来る前に終わらせなければならない」
「い、いいから!いいから早く済ませて…!じゃないと…」


心臓が保ちません…!ぎゅっと硬く目を閉じて必死にその言葉を口にすると、煉獄は面食らったように固まっていた。



………ああ、愛おしい。己の下で小さく震える姿が愛らしくて堪らない。ごくりと密かに生唾を飲み込む煉獄が、なけなしの理性で自分を押さえ込む。我慢しろ、女子にがっつくなどみっともない真似はするな。

余裕が無くなっていく自分を誤魔化すように、何度も口付けを落とす煉獄を、私は必死に受け止めた。この時既に、腕の痛みは幾らか引いていて、独特な倦怠感や苦しさも消えていた。毒が抜けたのだろうか。



「れ……、れんごく、」
「ん」
「ありがとう……」
「何がだ」
「私を置いて行かないでくれて……」




疲れてぐったりと脱力していく私を、煉獄は優しい眼差しで見守っていた。後は任せろ!という心強い言葉を耳に、私は意識を手放す。ずっと毒と怪我の痛みと戦っていたせいで、体力は尽きていた。眠りについた私を確認した後、煉獄は気を失う私の首に顔を埋め、歯を立てた。その歯は小さく皮膚を破り、ほんの少しだけ、赤い液体を滲ませたのだった。

それとほぼ同時だったか。派手に吹っ飛んだ扉と共に、先程まで戦っていた鬼が姿を現した。見えるのは、倒れている名無しと、その傍で膝をつく煉獄の姿。鬼は楽しそうに笑う。


「逝ったか。俺の毒をたっぷり体に仕込んでやったんだ。普通の人間ならば一刻も保たない。どうだ、目の前で女を失った気分は、」

饒舌に話す鬼の首は、次の瞬間には吹き飛んでいて、さらにその全身を燃え滾る炎に焼かれていた。元々絶大な実力を誇る炎柱だが、名無しの血を含んで更にその火力を増している。凄まじい威力。


「うむ、最悪な気分だ!!鳴柱に怪我を負わせた挙句、疲れさせ、気を失わせてしまった!一生の不覚!穴があったら入りたい!」
「な……んで………」
「己の不甲斐なさには呆れて物も言えん!帰ったら鍛錬だ!」


ボロボロと崩れて消えて行く鬼を背に、煉獄は登る朝日を、いつもの様にぴんと伸ばした背筋で見つめていた。綺麗な朝日を前に、煉獄は一度自分の下腹部を見下ろし、「うむ!不甲斐なし!!」と再び威勢良く頷く。




数日後には、しのぶの看病の甲斐あって、すっかり元気に回復した私の姿があった。