「まぁ、偉い良い男」
店から出てきた女は、派手な着物を纏いながらこちらに歩み寄って来た。ここら一帯に漂う甘い香りを匂わせながら、先頭を歩くペインに目を輝かせていた。
「薄汚い客が多いのに、アンタみたいな上玉が来てくれるなんて、珍しいわぁ」
「…………」
流石ペインと言ったところか、女にこれだけ擦り寄られても表情1つ変えない。無言で女を見下ろしたペインは、ただ一言「離れろ」と告げる。女はつまらなそうに眉間に皺を寄せると、押し付けていた体を離した。
「俺たちはこの店に用がある」
「あぁ。アイツらが言ってた暁ってのは、アンタ達の事ね。いいわ、入りな」
私たちが暁である事を知ると、女の営業スマイルはすっと消えて、ガサツな言葉遣いになった。一部始終を見ていた飛段は、「女って怖ぇ〜」と言いながら腕を摩っている。私たちがここに来る事は既に話が通っているらしく、女の案内によって中に通された。薄暗い店の中、立ち込める匂い、男と女の喧騒…。キョロキョロと忙しなく辺りを見回す私から、不安な気持ちが漏れていたのだろう。隣にいた小南が私の手を引いてくれた。
「私がいるから平気。行きましょう」
「小南……!」
今思えば、場所が場所なだけに、女である私に配慮して小南をこの任務に組み込んでくれたのかもしれない。頼もしくてイケメンな小南に目を輝かせる。一生ついて行きますと言うかのように、その手をぎゅっと握り返した。
先を歩くこの店の娼婦に続いて、暁の面々が店の奥へと歩いて行く。途中で酔っ払った男が女に絡んでいる光景を見た時には、思わず顔を赤くして勢いよく逸らしてしまった。そういう店なのだから仕方ないのだが、見慣れない人間からすると、他人のそんな光景なんて嫌悪感しか感じられない。
「ななしさんはウブだなぁ」
「みんなが平然とし過ぎだよ。もしかして普段からこういう所に来てるの?」
からかうトビに仕返しするように、みんなの平然とした態度を追求する。トビに言ったつもりだったが、前を歩く飛段が言い返してきた。
「馬鹿言うんじゃねぇよ!俺はこんなのに興味はねぇ!」
「俺は、って何だ。俺だってこんな所、用が無ければ来ていない」
案内役の娼婦が居ながら、興味がないとはっきり言いのける飛段と角都は通常運転だ。私だけが動揺していて何だか悔しい。これから任務につくのだから、もっとしっかりしなければ。ぐっと自分に喝を入れるのとほぼ同時、やっと目的の場所に辿り着いた。店の奥の奥…まるで隠される様に存在するその部屋の前で、娼婦は私たちに向き直った。ここに目的の人物…依頼人がいるという事だ。
ペインがその扉に手を掛けようとした時、突然娼婦が胸元に手を忍ばせた。懐刀だ。それを取り出そうとして、呆気なくペインがその腕を掴んだ。ただの一般人が、この人たちを殺せる訳がない。ギリギリと骨が軋むほどに手首を掴まれ、痛みに顔を歪めた女の手から、懐刀が滑り落ちる。カランカランと無機質な音を立てて床に転がる刃物など、ペインは一切目もくれずに言った。
「何の真似だ、女」
「…ただの挨拶さ。只者じゃないとは聞いてたけど、本当みたいだね」
ペインがその手を離すと、女は慌てて距離を取った。殺されると本能的に思ったのだろう、その額には汗が浮き、呼吸は乱れている。ペインも、娼婦をいちいち始末する程暇では無い。それ以上何かを言う事は無かった。再び目の前にある扉を手を掛けようとすると、今度は中から男の声が聞こえた。
「おっと、男は入って来るなよ。ここは女を買う場所だ、むさ苦しい連中はお呼びじゃないんだ」
「はぁ!?お前らが俺たちをここに、」
「よせ、飛段。………我々は暁だ。依頼された任務をこなす為にやってきた」
「約束が違うな暁よ。俺は、回復能力を持った小娘だけを寄越せと言ったはずだ」
そこで初めて、依頼人の男の約束を、ペインが破っていたことを知った。え…、と目を見開く私を他所に、皆はその表情を険しくさせる。一触即発な雰囲気に押されながら、私はみんなの後ろに隠された。前に出た角都が冷静に相手を探る。
「こちらも馬鹿じゃない。お前たちがこちらの条件を守れる確証が無ければ、うちの人員を貸すことはできん」
「随分と信用されてないな。その小娘には一切手を出さない、だったか?約束は守ろう。その為にこんな大金を用意してきたのだからな」
襖越しではシルエットしか分からないが、それがまた相手の怖さを助長しているように思えた。得体の知れない男が、私だけを寄越せと言っている。そしてみんなは、恐らく私の身を案じて、この駆け引きをしている。
(……怖がってる場合じゃ無い)
みんなの後ろに隠れて行く末を見守るなんて、今までと同じじゃ無いか。この任務に出る時、決心した筈だ。必ずやり遂げてみせる。私の力で、任務を成功させる。みんなに守って貰うばかりじゃなくて、役に立ってみせる。私は、前に立つみんなの背中を押し退けると前に出た。驚く視線を無視して、中の男に呼びかける。
「貴方の言葉、信用してもいいのね。…なら、私だけ中に入るわ」
「ななし!」
「…大丈夫。必ずやり遂げて、帰ってくるから」
小南が心配そうにこちらを見ている。それもそうだ。この中で圧倒的に戦闘力が低いのは私だ。その私が、1人で敵の元へ乗り込もうと言うのだから。リスクは高い。だが、ここで襖越しに口論したって、事は何も進まない。不穏な空気漂う暁とは対照的に、中の男は楽しそうに笑った。
「これはこれは!過保護な保護者とは違って、威勢の良いお嬢さんのようだ。どうぞ、いつでも良いですよ」
暁を完全に馬鹿にしているようだ。こんな男、みんなの手にかかれば一瞬だと言うのに。しかしそれでは金は手に入らない。暁は今、お金が必要なのだ。意を決して、その扉に手を掛けようとした時。今度はペインが私の手を掴んだ。
「待て」
「リーダー…」
「俺たちはここで待機している。何かあったらすぐに呼べ。任務の事は考えなくていい」
「……はい。ありがとう、リーダー」
頼もしい言葉だった。みんなが私を見守ってくれている。その視線に背中を押されて、私は遂にその扉を開けた。恐る恐る中へ足を踏み入れる。警戒しながらゆっくりと侵入した私の背後で、勢いよく襖が閉められた。その音に慌てて振り返る。先程までそこにいたペインたちの姿はもう見えない。代わりに、覆面で顔を隠した怪しげな男が二人、出入り口を塞ぐようにそこに立っていた。
(……何としても、私を孤立させたいんだわ…)
逃げ場を断たれた私は、もう奥へと進むしか無い。気分が悪くなりそうなほど立ち込めたこの香りに、鼻を手で覆いながら歩を進める。その先にいたのは、先程の男の声の主…。そいつが、傍に美しい娼婦を従えながら座っていたのだった。
「お前が治癒能力を持った小娘か」
「…はい。依頼の為、ここに来ました」
「そう緊張するな。何も取って食おうとしている訳じゃない。外には恐ろしい番犬も見張っている事だしな」
俺もまだ死にたくは無い、と笑いながら襖の向こうに視線を投げる男。リーダーの風格をもった男は、酒を煽る手を止めぬまま、私に座れと促した。逆らう道理はない。素直にそこに正座した。
「お前を噛むと傷が癒える、というのは本当か?」
「はい。私には傷を癒す力があります」
「俄かに信じ難いな。本当にそんな力を持っているのか」
私を試すように見つめる男の視線を、真っ直ぐ見つめ返す。負けてはいけない。暁の代表として振舞わなければ。私のその目を見て満足そうに笑った男は、突然懐刀を取り出した。何をするつもりだと驚く間も無く、男はいきなり隣にいた娼婦の胸を、その刀で突き刺したのだ。驚いたまま声すら上げられない娼婦は、そのままゆっくりと後ろに倒れこむ。突然の出来事に、私は勢いよく立ち上がった。
「な、何を!!!」
「さぁ、証明してみせろ。お前の力が本物かどうか」
この男は、私を試しているんだ。だから、この女性を…。考えるよりも先に、私の体は動き出していた。倒れたまま動かない女性に駆け寄り、その体を抱き起こす。
「大丈夫ですか!?」
「う………、」
「待ってて、助けるから…!」
意識は辛うじてあるようだ。虚ろな目をこちらに向けて、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりしている。私は急いで外套の袖を捲り上げると、晒した腕をその人の口元に押し付けた。「噛んで!」と告げると、その女性が弱々しく私の腕に噛み付く。瞬く間に女性の体は光に包まれ、刺された傷をみるみる癒していった。やがて完全に傷が癒えた女性は、動揺しながらも私にありがとうとお礼を言ってくれた。その命を救えた事にホッと胸を撫で下ろす。
「ほぉ。どうやらお前の力は本当の様だ。素晴らしい」
「試したかったなら、自分の胸でも刺したらどうなの!?」
「俺だとわざと見殺しにするかもしれないだろう?暁のことだからな」
「見くびらないで!そんな事しないわ!」
男にすっかり怯えてしまった娼婦は、命が惜しくなったのだろう。私と男が言い合っているうちに、慌てて部屋から飛び出して行った。部屋に残されたのは、睨む私と笑う目の前の男。そして、出入り口を見張るこの男の遣いと思われる忍びだけ。しばらくそうして睨み合っていたが、その緊迫したムードを破ったのは男の方であった。
「まあそう怒るな。気に障ったのなら謝ろう」
「…………」
「お前の力が必要なのは本当だ。我々は今、先日の戦いで戦力を大幅に消耗している」
男が立ち上がり、奥にあったもう一枚の襖に手をかけた。勢いよく開かれたその先には、怪我をして魘されている男たちが、雑魚寝をするように転がっている。一人二人ではない。かなりの人数が痛みにのたうち回っているのだ。その地獄絵図に、思わず一歩後ずさった。一応応急処置は施されているようだが、そんなものでは追いつかない程、深手を負っている者もいる。
「みな敵にやられた。俺にとっては大切な仲間だ。治してやりたい」
「…この人達を、私の力で治せばいいのね…?」
「そうだ。報酬の金も、この部屋の奥に用意してある」
くい、と男が顎で指す先を見る。部屋の奥には、まるで見せびらかすように積まれた大金が、裸のままそこに置かれていた。目でざっと見ても分かるほど、桁外れの金額だ。いよいよ仕事が始まるのか、と緊張で喉がなる。震える声を押し殺しながら、「分かった」とだけ、一言返した。
「全員の傷を癒すまで、お前はこの部屋から出られない。見張りを立てておく。あの金を盗んで逃げ出そうとした時は、容赦なく殺すぞ」
「…依頼された仕事はちゃんとこなすわ」
「ならばいい。では入れ」
折り重なるようにして苦しんでいるこの男たちの部屋の前に立つ。流石にこの光景を前にして、気持ちが竦んでいた。頭の中に、暁のみんなの顔が浮かんで消えた。駄目だ、ちゃんと仕事をしなければ。この大金を持って、みんなの前に帰るんだ。心の中で押し問答を繰り広げる私に、男は痺れを切らしたのか。私の背中をドンと押して、無理矢理部屋に押し込めた。転ぶように倒れこんだ私は、慌てて男を振り返る。
「お前たち。例の治癒能力を持った女を連れてきた。この女を噛めば、どんな傷もたちまち治る。苦しみや痛みから解放される。全員しっかり治して貰え」
言うだけ言って、ぴしゃりと閉じられた襖。閉じ込められた私が、恐る恐る部屋の中を見渡すと、痛みから解放されたい一心の男たちが、まるで獣のような目をこちらに向けていた。思わず小さく悲鳴を漏らし、後退りをする。
忍び寄る無数の男。我先にと押し退け合いながら、こちらに伸びる無数の手。その光景は、かつて私が暁に入る前、毎晩のように見ていた光景と同じものだった。
戦争に出て帰ってきた里の忍びたちに、何度も何度も噛まれる。私は、男たちの傷を治す只の道具。力任せに私の体に噛み付くコイツらに、私への労りや優しさなど無い。毎晩泣き叫び、毎晩震えた。治療が終わると、ぼろぼろになった私を残して、皆帰っていく。そんな忌々しい記憶が、頭の中に蘇っていた。
「いやぁあぁあ!!」
沢山の男たちが、私を突き倒し、その上にのしかかった。1匹の獲物に群がる獣のように、私の服を引き裂き、思いのままに噛み付く。腕、首、脚、腹…色んな場所に、色んな男が一斉に歯を立てた。全身に走る痛みに悲痛の声が上がる。
耐えなければ。暁の為。お金の為。ぐっと拳を握り、固く目を閉じる。心を落ち着かせる為に、みんなの事を頭に思い浮かべた。
(リーダー…小南…、角都、飛段…、トビ…)
みんなのことを考えると、少しだけ怖さが和らぐような気がした。瞼の裏に浮かぶみんなの姿。彼らは、決して私を道具として使わない。私の能力を使う時も、優しくて温かい。
(イタチ…、鬼鮫…、サソリ……)
最後に、1人の姿が浮かび上がった。里にいた頃、私をあの地獄から連れ出してくれた人。暁に誘ってくれた、
(デイダラ……!)
その瞬間だった。突然ピタリと痛みが止んだのだ。あれ…?と恐る恐る目を開ける。あれだけの人数だったのだから、まだ全員を治すには時間がかかる筈だ。止んだ痛みを不思議に思い、体を起こそうと畳に手を付くと、ぴたりと何か液体に触れた感触がした。
「え……?」
一体何に触れたのだろう、と自分の震える手を見つめる。その手に付いていたのは、べったりと赤い液体。一目見て分かる、血だった。そしてバッと周囲を見渡すと、先程まで私に群がっていた男たちが、一瞬にしてただの屍になっていたのだ。近くに倒れていた男の顔を覗き込む。目の光は失われ、瞳孔が開いていた。死んでいる。一体誰が、
「デイダラじゃなくて残念だったか?」
私の前に立っていたのは、トビ。正確には、あの陽気なトビとはまるで別人のオーラを放つ、トビその人であった。