初めてのおつかいB

「ト……ビ……」

彼がどうやってこの部屋に入ってきたのかはよく分からないが、確かに目の前に立っているのは、同じ暁の仲間であるトビだった。以前、私が敵に捕まってトビに助けられた時もそうだったが、彼はたまに、彼らしくない雰囲気を纏う。いつもの明るくてお調子者なトビには似合わない、謎めいた、少し不気味さも含んだ大人な雰囲気。今のトビこそがそれだ。

「…何かあったらすぐに呼べとペインに言われていただろう。何をして、」
「トビ!!!!」

畳に座り込んだまま動かない私に、トビは説教じみたことを言ってきたが、私にはそんな事はどうでも良かった。また、助けてくれた。地獄のようなこの部屋から、まるであの時のデイダラのように。そう考えたら、涙がぶわりと目から浮かんで、トビの言葉もろくに聞かぬまま勢いよく飛び付いた。驚いて慌てて受け止めたトビが、言葉を失って固まっている。何も言わないのをいい事に、彼の胸を借りて存分に泣いた。

「とびぃぃぃいい!ありがとおおおおごわがっだあぁあ!」
「わ、分かった。分かったからあまり大きな声を出すな」

たじろぐトビの姿が何だか新鮮だ。彼の外套に少し鼻水が付いてしまったのを、ごしごしと腕で拭って隠すと、「おい」と私の頭を鷲掴みにしてこちらを見下ろす仮面があった。しっかりバレていた。

「空間をすり抜ける能力を使って、この部屋に侵入した。隣にいるあの男はまだ気付いていない筈だ」
「え…トビ、そんな力持ってたの…?」
「説明をしている暇はない。ここから逃げるぞ」

トビは、自分の外套を脱ぐと私の体に掛けてくれた。そういえば、さっきこの男たちに引き裂かれて、あられもない姿になっていたんだった。彼の温もりを感じる少し大きめな外套。それを愛おしそうにギュッと抱きしめた。その一部始終を見ていたトビは、仮面の下の瞳を切なげに揺らがせて、私をもう一度抱きしめたのだ。

「……悪かった」
「え……?」
「…来るのが遅すぎた」

私の体には、既に無数の噛まれた傷が刻まれ、鬱血していた。さっきまでの地獄を思い出して、また体が震える。だけど、こうなったのは決してトビのせいじゃない。強がって我慢していた私が悪いのだ。私がもっと強くてしっかりしていれば、トビの手を借りずとも済んだかもしれないのに。抱きしめるトビの腕をぎゅっと握りながら、私は彼の中で小さく首を振った。トビが来てくれなかったら、今私はどうなっていたか。考えるだけでも恐ろしい。

「でもトビ…、どうして助けに来てくれたの?私何も言ってなかったのに」
「どうしたもクソもあるか」

え…、と驚く私の体を離し、トビはずかずかと死体を踏みつけ蹴飛ばしながら部屋を歩いた。普段は明るい彼が見せるこの残虐性には、たまに仲間である私ですら怖さを感じる。トビは、無防備に置かれた金に手をつけ、それをズズズと渦巻いた空間の中に飲み込んだ。綺麗さっぱり無くなってしまった大金に何故か私が慌てる。

「ちょ、トビ!私、頼まれた仕事をするどころか、治さなきゃいけなかった人全員死んでるんだけど!お金貰えないんじゃ、」
「…お前…、何を寝ぼけたことを言っているんだ」

呆れた様子のトビが大きな溜息を1つ落とした。だってそうだ、依頼された任務をこなせていないのに、お金だけ貰おうなんて。

「最初からこうするつもりだった」
「……はい?」
「金は殺して奪えばいい。お前を餌に、金だけ用意させておびき出せば、後は俺たちの仕事だ」
「だ、駄目だよ!そんな悪い事したら、犯罪者になっちゃ………」
「…………………」
「……もう犯罪者だった」

犯罪者集団の彼らに、今更説教なんて必要ない。何をとぼけていたんだ私は。自分で自分に突っ込んでいると、トビが乱暴に私を抱き上げた。いよいよここから逃げ出すようだ。今はまだバレていないと言っていたが、それも時間の問題である。すぐに行動しなければ。

「…ペイン、聞こえるか」
『聞こえている』
「無事にななしと金を回収した。ここから脱出する。事前に打ち合わせた通りに行動しろ」
『…お前はどうするつもりだ』

この部屋の外にいるであろうペインと、目の前のトビのやり取りを聞きながら、私は彼の赤い目を見た。仮面の下に光るその瞳は、怒りと殺気を滲ませた、鋭く恐ろしい目をしていた。

「…俺はあの男を殺しに行く。後は頼んだぞペイン。後ほど合流しよう」

…トビ。たまに見せる今の貴方は、一体誰なの。

ーーーー・・・・

トビの力によって、私はペインと小南の元へ送り届けられた。そのままトビは、また不思議な力を使ってそこから姿を消してしまった。きっと、あの不気味な男の元へ行ったのだろう。殺す、と先程言っていたから。

「ななし、怖い思いをさせたわね」
「小南……。ごめんね、弱くて……」

ぎゅう、と抱きしめてくれた小南を見て、とても心配をかけてしまっていた事を実感する。それが申し訳なくて、その背中に腕を回しながら謝った。非力な自分のせいで、またみんなに迷惑をかけている。

「何かあったらすぐに呼べと言った筈だが」
「…リーダー……」

無言で見下ろしてくるペインの圧が怖い。私はあの部屋に入る前、確かにペインと約束していた。すぐに助けを呼ぶ、と。しかし私は、任務の遂行を優先してしまった。自分の身よりも、暁の為に、と勝手なことを考えて。怒られる、と俯いて縮こまっていると、ペインの手が私の首に触れた。その手つきは、とても優しかった。

「…この傷は、奴らにやられたのか」
「……うん…」
「……そうか」

それ以上、ペインは何も言わなかった。元々口数が多い人ではない。何を考えているのかは、その少ない言葉から察することは難しかった。そのまま背を向けてしまったペインは、後ろにいる私と小南に、「行くぞ」と一言告げ、歩き出した。その背を追いかける私は、まだ知らない。依頼人の男が、屍の山となったあの部屋に、既に気付いている事など。

「……やられた。金も持って行かれた」
「どうしますか」
「この建物に火をつけろ。絶対に一匹たりとも逃さん。…元々全員始末するつもりだったのだからな」
「し、しかしそれでは…、関係のない一般の客まで巻き込みますが…」
「構うものか。さっさとしろ!暁め…!どこまでも忌々しい!」

男の命令のまま、従者は死体が転がるその部屋に火を付けた。ぱちぱちと音を立てて、みるみる広がっていく。真っ赤に染まるその部屋を尻目に、男は従者を引き連れてその場を去るのだった。その目には、怒りの炎を燃やして。

その家事騒ぎが広まり出したのは、既に火の手が建物一帯を覆い始めていた頃だった。火事だー!助けてくれー!と逃げ惑う一般客に揉まれて、ペイン達の脱出は難航している。おまけに、元々脆かったこの建物が、火で更に脆くなり、所々倒壊して先に進めない。立ち込める煙で視界も悪く、熱さで汗が止まらなかった。息を吸うと呼吸器官が焼けるようにむせ返る。

「ななし、袖を口に当てて」
「…げほっ、う……ん…」

覚束ない足取りの私を、小南が支えてくれている。最上階にいた私達は、何とか一階ずつ下へと降りてきていたが、このままのペースでは3人とも炎に飲まれてしまうのは明確だった。小南も若干苦しそうだ。対照的にペインだけは、涼しい顔をしていた。まだまだ余裕がありそうである。

「ペイン、このままじゃななしが保たない。急がないと」
「分かっている。だが……どうやら邪魔立てする奴がいるようだ」

ペインの視線の先には、ゆらゆらと煙の中で揺らめく2つの人影がある。どうやら追っ手が追いついてしまったらしい。その人たちも、早く逃げなければ火に焼かれて死んでしまうというのに。どうやらその命に代えても、私たちを逃がしたくないようだ。

「……私が相手をする。ペインは先にななしを連れて逃げて」
「…1人で平気か」
「すぐに片をつけて脱出するわ」

一人で向かっていく小南を引き止めたくても、むせてしまって思うように声が出ない。彼女は颯爽と、人影のいる煙の中へと消えてしまった。私が慌ててその背中に手を伸ばし、追いかけようとすると、ペインが腕を掴んでそれを許さない。

「離してペイン!小南が…!」
「平気だ。俺たちは先に脱出する」
「嫌だ!置いていきたくない!小南が、小南が死んじゃ、」

その先が言えなかったのは、ペインの唇が私の口を塞いだからだった。まるで、その先は言わせないとでも言うように。あれ?私今キスされてるの?なんて漠然と考えていたら、頭が一気に真っ白になる。ばちばちと燃え盛る炎の音すら、耳に入らなくなって、その瞬間だけ無音になった。目の前にあるペインの顔は、すぐに私から離れて、ただ一言。

「行くぞ」

ジタバタと暴れていた私は、意気消沈したかのように一気に大人しくなる。口答えも抵抗もしなくなった私を、ペインは軽々と抱き上げて、その場を去ったのだ。

ーーーー・・・・

燃える建物を見返しながら、男はそこに立っていた。たくさんの部下が死に、失うものも多かったが、それ以上に得たものはでかいだろう。…暁。男にとっては、目の上のタンコブ。それを消すことが出来たのなら万々歳だ。自分はさっさと安全な場所に移動して、満足げに炎を見上げていた、その時だった。後ろの空間が突然グニャリと歪んで、一人の男が姿を現したのだ。赤い雲をあしらった外套。渦巻く仮面で素顔を隠した男。間違いなく暁だ。

「貴様……生きていたのか!」
「この程度で死ぬとでも思っていたのか?生温い男だ」

馬鹿にしたように笑う仮面の暁に後ずさる。今まで金の力で人を雇い、自分の手を汚さずに邪魔者を排除してきた男は、情けなくも尻餅をついて、トビを見上げた。震える手を前に突き出して、これ以上近付くなと訴える。しかしトビは、そんな滑稽な姿を晒す男に、一歩、また一歩と歩み寄った。

「ま、待ってくれ!お前たちは金が必要なのだろう!?金なら幾らでもある!援助してやろう!」
「………」

ひゅっ、と空気が切れるような音がした。気付いた時には、男の目の前で血飛沫が上がる。突き出していた腕がすっぱりと切断され、どこかに吹っ飛んでいったのだ。勿論切った相手はトビで、男は目を剥いたままその場に転がった。普通の人間ならば、両腕を切断されたら体のバランスをうまく取れない筈だ。一度倒れればもう自分の力で起き上がることすら出来ない。あ、あ、とうわ言を繰り返す男の側に屈む。

「悪いな、依頼を全うできなかった。この金は返そう」
「ひぃいい!頼む!殺さないでくれ!」
「……ああ、そうか。受け取ろうにも、もう腕が無いんだったな」

振り下ろされた刃の後、その男が言葉を発することは無かった。吹き出る血を頭から被りながら、トビはその男の頭をグシャリと踏み潰した。

「こんな端金でアイツの力を買おうとするとは…随分安く見られたものだ」

冷たい肉の塊と化した男の上に、ばらばらと先程回収した金をばら撒く。時空間の中に移動し消えたトビの背後で、真っ赤に染まったお金が風に舞っていた。