揺らめく炎の中で、ペインと私は突き進んでいた。小南と別れる際、突然のペインからの口付けによって放心状態だった私は、彼に抱えられながら脱出を試みていたが、今ようやく我を取り戻しつつあった。無言で炎を掻い潜って行くペインの顔を、下から見上げる。あのキスは、一体どういうつもりでやったのか、それを聞きたい。今それどころじゃないことは十分分かっているが、やはり私だって年頃の女。ファーストキスは好きな人と、なんて夢見ていただけに、簡単に忘れる事など出来ない。正確に言えば、以前致命傷を負ったデイダラに、口移しで水を飲ませた事があったが、あれはキスとは言えない、と自分の中で勝手に解釈している。
「ね、ねぇ、リーダー」
「……なんだ」
「私、もう自分で歩けるから…」
「…………」
立ち止まったペインは、私を一瞥した後、そっとそこに下ろしてくれた。しっかり床に足を付いて、彼を見つめる。ペインもまた、私の視線を逸らすことなく受け止めていたが、やがて「行くぞ」と一言、暁の外套を翻した。何となく、あのキスの事を聞くなら今しかないと思っていた私は、その外套を咄嗟に掴んだ。ペインが無言で立ち止まり、振り返る。
「……どうしてキスしたの?」
「……………」
こんな会話をしている間にも、火の手はどんどん回っている。早く脱出しなければならない状況なのは理解してる。でも、私にとってはとても大事な事なのだ。正直ペインとは、リーダーと部下という関係で指令を受ける事はあったが、一緒に任務に出たことは数える程しかないし、あまり会話という会話をしたこともない。私の中では、少し取っつきにくい人、というイメージがあった。勿論、ただ口数が少ないだけで、とても良い人だし優しい人だとも思っている。だけど、あまり関わりが無かった人から突然あんな事をされたら、混乱だってするだろう。
「……手が塞がっていたからだ」
「……え」
「暴れるお前を抑えるのに、両手が埋まっていた。大人しくさせるにはあれしか思い付かなかった」
「な………」
確かにあの時の私は、冷静さを欠いて、小南の最悪の未来を想像してしまっていた。私の手を引くペインが、あの時何を私に言っていたのか、正直覚えていない。それ程必死で、聞く耳持たずだったのだと思う。でもだからって、キスって選択肢を取る?ぽかんと呆然とした様子で立ち竦む私を、じっと見つめるペイン。ペインはどう思っているのか知らないが、女性にとっては、キスというのはとても大切で大事なものなのに!
「そ、そんな理由でキスしたの!?」
「他にどんな理由がある」
「いや、だって!キスって、恋人同士とか、好きな人同士でするものでしょ!?それを、リーダーは…!」
「なら恋人同士とやらになるか」
二度目のぽかん、である。ペインは、炎の中で、柔らかい笑みを浮かべていた。初めて見た。リーダーの、そんな笑顔。その笑顔に見惚れて、私の頬が少し熱くなる。この熱は、炎によるものなのか、それとも。
「恋人なら問題ないのだろう?」
「そ、そういう意味じゃ…!それに、わた、私は、その、」
「………、冗談だ」
真に受けて慌てふためく私に、いよいよペインが噴き出した。笑いを堪えながら冗談であることを告げられて、ここで初めてからかわれている事に気が付く。もっと冷酷なイメージがあったペインだが、こんな風に冗談を言って笑う事もあるんだ。意外な一面が垣間見えて、何だか心の距離が縮まったようにも思えた。かと言って、彼が突然キスをして乙女の純情を踏みにじったことは許さないが、それでも少し嬉しかった。釣られて少し笑った私に、ペインは手を差し伸べた。無駄話もこれくらいにして、先に進まなければならない。その手をギュッと握り、私たちは再びその足を進めたのである。
ーーーー・・・・
「遅ぇーよ!何してんだ!」
進んだ先には、退屈そうな飛段と角都がいた。彼らは、私が一人で依頼人の男の部屋に乗り込んだ後、万が一の時の退路を確保する為に別行動を取っていたらしい。私たちの姿を見るなり文句をぶつけてきた。飛段と角都の外套には所々に返り血が付いていて、既に何度か戦闘を交わした事が窺える。
「飛段、角都…!良かった無事で」
「はぁ?何言ってんだよ、お前が一番脆いんだろうが。人の心配してる場合か」
2人の無事にホッとしながら駆け寄ると、飛段にツッこまれながら、頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でられた。乱れた髪のまま二人を見返すと、照れ隠しの様にぎこちなく視線を逸らしている。二人なりに、私の事を心配してくれていたようだ。
「死なれたら後でデイダラちゃんに何言われるか分かんねぇからな」
「死ぬのは自由だが、化けて出てこられても困る」
素直になれないところが何だか可笑しくて、そんな飛段と角都に思わず吹き出した。ありがとう、と笑顔で返せば、再び二人はそっぽを向いてしまう。私はずっと、彼らのことを誤解していたようだ。口は乱暴だけど、本当は優しいんだ。
「んで、小南とトビは」
「まだ中にいる。心配は無いと思うが、一応もう一度見てくる。ななしを頼めるか」
どうやらペインはこの炎の中へ逆戻りするつもりらしい。不安げに見つめる私の視線に、気付いたペインが小さく微笑む。
「また引き止めるか。小南の時のように」
「……ううん。…私、信じてる。ペインのこと」
「………」
「待ってるね」
ぎゅう、とペインの手を握りしめると、少し驚いたような顔をする彼。しかしすぐにいつもの無表情に戻り、「…行け。じきにここも火の海だ」と先を促した。そっと手を離し、飛段たちの元へ歩いていく。振り返れば、もうそこにはペインの姿は無かった。
「じゃあさっさと出るか。暑くてしょうがねぇんだよ。……おいななし」
ぼーっとペインがいた場所を見つめて立ち竦む私の手を、飛段が掴んだ。ごめん、と謝りながら飛段を見上げたら、何故か驚いたような表情を浮かべて固まっている。何か私の手に問題でもあったのか、と掌を見つめると、そこにはべっとりと血が付いて乾いていた。それを見て、そういえば、と記憶が遡る。依頼人がいた部屋に入って、奥の広間に通された時、血だまりの中に手を付いたんだった。トビが殺した、あの人たちの血……。
「…お前の血か?」
「ううん。トビが…殺したの。私が襲われてたから…。その時に…」
「へぇ」
飛段の熱い視線は絶えずそこに注がれている。その目は爛々と輝いていた。何をそんなに夢中になってるんだと言いかけたところで、私は「ひぃ!」と情けない声を漏らしてしまった。飛段が突然私の掌を舐めたのだ。ぺろりと舌が這い、そこに付着した血が舐め取られていく。擽ったいような変な気分になった。
「ちょっ…!なにして…、飛段!」
「何って、綺麗にしてやってんだろうが」
飛段は嬉しそうに舌を這わせ、血を舐めとっていく。手を引っ込めようにも、強く握られているので叶わない。やがて飛段は、血を舐め終えた後、私の頬に向かって手を伸ばした。「な、なに、」とたじろぐ私を他所に、頬にもぺろりと舌の感触。またしても飛段に、今度は頬を舐められたのだ。
「…ここにも付いてるぜ、返り血」
「ひ……だ……」
「あぁ…、足りねぇなぁ、血がァ」
完全に興奮した様子で、私を見下ろしている。血が足りないって、まさか…私の血まで…なんて恐ろしい想像が過ぎる。それが想像で終わってくれれば良かったのだが、飛段は本当に私の血に狙いを定めているようだった。舌舐めずりをしながら、私の首元にゆっくりと口を近付けていく、その瞬間。
「か、はっ……!」
「足りないなら、自分の血を舐めたらどうだ飛段」
角都の手が伸びて、飛段の腹を貫いていた。乾いた吐息と共に、飛段が血を吐き出す。普通の人が見たらトラウマレベルの光景だ。私も悲鳴を上げて一部始終を見ていたが、飛段の体の特徴を知っている為、またいつものやつが始まったのかと肩を落とす。とはいえ、角都のお陰で助かった。あのままだったら、飛段に吸血鬼のように血を吸い取られるところだった。
「いっっ…てぇえええ!!!何しやがんだよ角都!!!!」
「状況を忘れて興奮してやがったからな。頭を冷やしてやったんだ」
「頭冷やすのに腹穴開ける馬鹿どこにいんだよ!!!」
お腹に穴が開いてもピンピンしている飛段の体の仕組みは、こうして目の当たりにしてもよく分からない。だけど、今確実に言える事はただひとつ。ここでこんな風に喧嘩している場合ではないという事だ。
「ふ、2人とも!早く逃げないと!建物が崩れ始め、きゃああ!」
「ちっ……!」
大きな音を立てて崩れ始める柱。立ち込める熱気と炎。目の前に大きな木の板が落ちてきて、身の毛がよだった。このままじゃ死んじゃう。不死身の2人はいいかもしれないが、こちらは普通の人間だ。
「飛段。そこから飛び降りるぞ」
「分かってる!」
飛段が私の体を乱暴に担ぎ上げた。まるで米俵のような扱いに、じたばたと暴れる。それに、なんだか不吉なワードも聞こえた。飛び降りる?一体どこから?どこへ降りるというのだ。
「ま、待って!飛び降りるって!?」
「お前…この状況の中、呑気に階段から降りてくつもりか?丸焦げになるぞ」
「でも!まだここ3階…!!」
ひゅっと下から吹き抜けるような風が、私たちの外套を揺らした。まさか…と恐る恐る振り返る。眼下には、遥か遠くに感じる地面と、外の景色。焼けて崩れ落ちたそこから、外は飛び降りようとしているのだ。
「ま、待って待って待って!!心の準備が!!!」
「しっかり掴まってろよななし!!せーのっ!」
「待っ……、いやあああぁぁあぁ!!」
燃え盛る建物が遠ざかっていく。物凄い速度で流れる景色が、私が今急降下していることを物語っていた。角都と飛段は、音もなく地面に降り立ち、脱出を成功させた。その飛段の肩の上で、半分意識を失いかけている私は、ペインや小南、トビの帰還を待つことになった。
(リーダー…、小南…、トビ……。どうか無事でいて……)