それは、とある出来事がきっかけで数日間の休暇を貰い、旧友であるヨツユの元でお世話になっている時に起こった。ヨツユが、近所に住む人々の為に、家の裏山で採った薬草を煎じて薬を作っていると聞いた私は、その日、一宿一飯の恩に報いる為、裏山に出向いて薬草を採りに出かけていた。一人で大丈夫かと心配するヨツユを押し切り、地図と薬草の特徴を書き記したメモだけ貰ってその場所をうろうろと彷徨っていると、ある1つの人影を発見したのだ。
(…誰かいる)
今日は暁の外套を纏っていない為、一見はただの村娘。だが普段からの癖で咄嗟に身を潜めると、その人影の方へと目を凝らして息を止めた。一体こんな山の奥深くで、何をしているのだろう。ごくりと生唾を飲み込んで見つめると、段々と鮮明になってくる人影。やがて、そこに現れたのは、木の葉のマークの額宛をした白髪の男性だった。
(あれは…、木の葉隠れの印…)
木の葉隠れの里と言えば、暁が狙う尾獣の1つ、九尾の人柱力がいたはず。とはいえ、私がここで彼らと出くわしたところで、戦う術など無い。今は暁の面々の力も傍にないので、ここは大人しく退散するのが吉だろう。そう結論付けた私は、音1つ立てずにくるりと踵を返し、来た道を戻ろうとした、その時だった。振り返った先には、大きな熊がこちらを鋭く睨み付けていて、ぼたぼたと涎の滴る口から鋭い牙を覗かせている。随分と腹をすかせた獣が、ようやく食料を見つけたと言わんばかりに私を見ているのだ。木の葉の忍びに意識を取られて、背後に忍び寄る熊に全く気付けなかった。はっと息を呑んだ時には既に遅く、悲鳴を上げながら目を固く閉じた。唸り声をあげた熊は、そのまま丸腰の私に向かって地面を蹴る。
「ひっ…!だ、誰か…!」
思わず出た悲鳴は、次の瞬間、獣のけたたましい叫び声にかき消され。耳が痛くなる程の悲鳴を上げた熊は、そのままドシンと地面を揺らしながら巨体を横たえた。恐る恐る目を開いた先には、私の前に立つ、先程の木の葉の忍び。バチバチと右手に雷を纏いながら、息絶えた熊の前に立っている。もしかして私は今、この人に救われたのだろうか。きょとんと突っ立っていると、ようやくこちらを振り返ったその男。額宛で右目を隠した長身の忍び。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
「あ…、ありがとうございます…」
やはり状況からして、この男は私を助けてくれたようだ。本来ならば敵の立場である私だが、どうやら私が暁の一人であることに気付いていないらしい。戸惑いながらも御礼を告げると、彼はへらりと笑って謙遜した後、私の身を案じるように顔を覗き込んできた。
「それにしても、お嬢さん一人でこんな山奥で…、一体何を?」
「私は、薬草を採りに来たんです。煎じて薬にして、病や怪我に苦しむ人達に分けるために」
「それはそれは。ご立派なお嬢さんだ」
「貴方こそ…、こんなところで一体何を?」
この男は私の正体を知らぬと言えど、私からしたら本来敵対するべき人物。警戒するように彼を見つめながら、一体こんな所へ何しに来たのだと問いかけた。こんな山奥深く…、近隣に住んでいる者しか知らないような場所までやって来ているのだ。きっと何かしらの目的や理由がある筈。そんな私の不信感が彼に伝わったのだろうか。男は困ったようにガシガシと後頭部を掻き、その大きな背中を丸めながら苦笑いを浮かべた。
「いや、怪しい者ではありませんよ。ちょっと任務で偵察に、ね」
「…偵察、ですか?」
「ええ。決して何か悪巧みをしていた訳ではないので、どうかご安心を」
そう言われたって、私たちも初対面。いきなり打ち解けるなんて、無理な話である。とりあえず彼が私を襲ってくるような気配はないし、命の危機を救ってもらったことに対して再度頭を下げると、「では私はこれで」と言い残して、今度こそ踵を返した。あまり深入りはしない方がいい。関われば関わる程、私の正体がバレる危険も高くなっていく。今の内に離れよう、そう決めた私の腕を掴んだのは、紛れも無く彼で。
「ちょいと待ちなさい。一人で山を下って、またさっきみたいな凶暴な獣に襲われたらどうするの」
「大丈夫です。さっきは少し油断していただけですから…」
「まあまあ。俺もちょうど戻る所だったんです。一緒に行きませんか」
ぎゅっと握りしめられた腕を見下ろす。何を言っても離しては貰え無さそうだ。予想外の展開に少しばかり困ったように眉を下げてみせたが、向こうも向こうで譲らないらしい。それは果たして、本当に心から心配しているからなのか、それとも…。思うところは色々あったが、私も結局上手く誤魔化す言葉が見つからず、彼からの提案を承諾することにした。見た所、いきなり襲ってくるような危ない人でもなさそうだし。一定の距離を確保しながら接すれば、バレることもないだろう。そう高を括って、私は彼と共に山を下りる事となったのだ。
それが、私と、…木の葉の忍び、はたけカカシの出会いだった。
ーーーー・・・・
「…あれ…?おかしいな…。確かに道は合ってる筈なのに…」
カカシと名乗る忍びと、下山を始めてから早1時間。結論から言うと、私たちは道に迷って出口に辿り着けずにいた。カカシさんはこの山に初めて訪れたとの事で、地図を持っている私が先導して出口まで案内していたのだが、辿り着いた先は、鬱蒼と広がる木々。とても出口なんて見当たらない。しかし、何度地図を見ても、どこかで道を誤った訳ではなさそうなので不思議である。来た道をしっかり戻って来たというのに、どうして私たちは出口に辿りつかないのだろう。段々と日は沈み始め、森はあっという間に闇に包まれていく。暖かった気温はどんどん下がって肌寒くなってきた。私の気持ちは焦っていく一方で、地図と道を交互に見比べながら、ざくざくと山道を歩いて行く。
「なんで……。確かにここから上ってきた筈なのに…!」
「ななし、ちょっと落ち着いて。一度休憩して状況の確認を、」
「山の日暮れは早いんです…!のんびりしていたら、このまま真っ暗になって身動きが取れなくなってしまう…。そうなる前になんとか下山しないと…」
当然、昼間に上って昼間に帰る予定だった私の服装は、夜の山に適応している筈がない。見たところ、カカシさんも忍び服だけで、とても暖を取れるような恰好ではなかった。加えて、食料や灯り、寝袋など、山で過ごすのに必須な装備品なんて何一つない。山はこれからどんどんと冷え込み、私たちの体温を奪っていくだろう。そんな中を過ごすだなんて、丸裸同然の私たちはあっという間にお陀仏だ。
(どうしよう…、このままじゃ…)
早くしなきゃ、という焦りで頭がいっぱいで、私はこの時周囲の状況をよく把握できていなかった。持っていた地図を注視しながら歩いていたせいで足元の確認が疎かになり、背後でカカシさんに「ななし!」と名前を叫ばれた時には、既にぐらりと大きく体のバランスを崩していて、景色はゆっくりと流れていった。足場を踏み外した私は、そのまま真っ逆さまになって宙へと投げ出された。
咄嗟に伸ばした手を、カカシさんが素早く掴む。しかし山道でぼこぼこと傾斜のある場所で、人間一人を支えることなど到底不可能であった。結局私と、私の手を掴んだカカシさんは、そのまま崖の外へと投げ出され、二人して真下へと急降下していったのだ。落下しつつ気が遠くなっていく中で、私は微かに感じていた。抱きかかえられているような温もり。カカシさんが、私への衝撃をなるべく少なくしようと、ぐっと抱き寄せてくれているのだろう。私は彼の腕の中に包まれながら、そっと意識を手放した。もしかしたらこのまま目が覚めることはないのかもしれない、そんな事を思いながら…。私たちはそのまま真っ暗闇の山の中へと落ちて行ったのだった。
一方で、ななしの帰りを待っていたヨツユも、その異変に気付いていた。走り続けてボロボロになってしまった靴を脱ぎ、最早両手でそれを持ちながら、素足を傷だらけにして必死に走る。片手に持つ自身の黒髪は、ピンと行く先を指示していて、その指示通りに目的地へと向かっていく。やがて、そんな彼女が辿り着いた先は、ヨツユ自身にも因縁がある相手…。ななしが所属する暁のアジトであった。息を整えることも忘れて、ずかずかと中に入っていく彼女が、一番最初に出くわした相手が、
「…いい度胸をしているな。女一人でここへ乗り込んでくるとは」
「貴方は…」
渦巻く橙の仮面を身に着けた男。…トビ、基マダラと名乗って活動している暁の一人だった。ヨツユ的には、何度か会ったことがあるうちはイタチを探していたのだが、この際緊急事態だ、ななしの仲間であるならば誰だっていい。藁にも縋る思いでその男の胸倉を掴むと、必死の剣幕で訴えかけた。
「お願い助けて!」
「お前…、確か、数年前あの村にいた…、」
「私のことは今はどうでもいいわ!力を貸してほしいの!」
押し黙るトビに、ヨツユは言った。
「ななしが…!」
「…ななしがどうした」
ななし、という名前を聞いた瞬間、ぴくりと反応したトビは、その目を鋭くさせながらヨツユを見下ろした。早く言え、と殺気立つ彼に急かされるまま、口早に状況を説明する。ななしの身に何か危険が迫っていると、ヨツユの勘はそう告げていた。そしてその勘はやがて的中することとなるのだ。
「ななしが帰ってこないの…!何かあったのかもしれない…!」
「マダラ。どこに行く」
珍しく切羽詰まった様子で、ばさりと外套を羽織るその背中に、ペインが問いかける。マダラと呼ばれた男、トビは振り返ることもしないまま、羽織った暁のコートのボタンを閉め、身形を整えた。
「少し出かける。すぐに戻る」
「…珍しいな、随分と焦っているようだが。何か大事なものでも取られたのか?」
探るような目を向けるペインを、トビは苛立ったようにギロリと睨み返した。無言で『黙れ』と威圧するような視線を受け、ペインはいよいよ彼が相当殺気立っていることに気が付く。彼がここまで取り乱すことと言えば、考えずとも1つしかない。
(ななしに何かあったのか…?)
様子を見る限り、どうやらトビもそれ以上詳しいことを話すつもりはないらしい。自ら一人でそこへ向かうようだ。だったら余計な口出しをしても、余計にトビの怒りを買うだけ。気になることは色々とあったが、大人しく引き下がることにしたペインは、そのまま闇の中へと消えて行く。物陰に潜んで待機していた小南の元へ戻ると、相棒の彼女にそっと耳打ちをした。
「ななしの様子は」
「監視に使っていた紙分身が何かの力によって消された。良からぬことに巻き込まれているのは間違いなさそう」
「…そうか」
「誰かを向かわせなくていいの?イタチもデイダラも、今日は空いていた筈だけど」
「いい。どうやらマダラが直々に向かうようだからな」
「………そう。随分と張り切ってるのね」
鋭い二人の視線が、先程までトビがいた場所に注がれる。既にそこはもぬけの殻になっていて、トビはななしの元へと向かっていた。トビにとっても懐かしい、因縁のその人と再会を果たすまで、後数時間。