因縁A

目が覚めた時、何かの温もりに包まれているような感覚がした。次に感じたのは、水が流れるようなせせらぎの音。ゆっくりと意識が覚醒し、開かれた瞼の奥からきょろきょろと朧げな眼差しが泳ぐ。徐々にはっきりしていく頭の中で、私は先程の出来事を思い出していた。そうだ、山から下りようと彷徨い歩いている最中、崖から足を踏み外して、森の闇の中へと落下したのだ。はっとして慌てて体を起こすも、その割にはあまりにも無傷で全く痛みがない。果たして本当に崖から落ちたのだろうか、と自分の体を見渡している内に、頭の上から降ってきた声。

「…気が付いたか」
「…か、カカシさん…」

私を抱きかかえていたのは、カカシさんだった。山で出会った彼と共に下山している時に、カカシさんをも巻き込んで崖下に落ちたことを思い出す。彼は私が意識を取り戻すまで、体温が下がらないようにとずっと抱きしめていてくれたのだった。全てをはっきりと思い出した私は、慌てて彼に縋りつく。

「カカシさん…!お怪我はありませんか!?」
「俺は平気。ななしは大丈夫なの?」
「私は全く…。カカシさんが庇ってくれたお陰です」

落下している間、意識が遠のきつつも、カカシさんが私を抱き寄せてくれた事は覚えている。きっと彼がそうしてくれたおかげで、私は無傷なのだろう。お互いに命に別状がないことを確認すると、とりあえずはほっと安心したように息をついて、ゆっくりその場から立ち上がった。辺りに広がる、神々しい程の大きな木々。すぐ傍には沢があって、緑の雄々しい苔が岩や地面を覆っていた。こんな状況じゃなければ、圧巻の景色として堪能することができただろう。人など踏み入れたことがないこの場所は、誰にも穢されることなく存在していた。

「すっかり夜になってしまいましたね…」
「今日はもうここから動かない方がいい。日が昇ったら動きだそう。それまでは休憩だ」
「はい…」

不安一杯の表情を浮かべる私を、カカシさんは優しく宥めてくれた。私が変に焦ったせいでこんな事態を招いたというのに、カカシさんは一言も私を責めたりはしない。二人並んで座りながら、彼は私の気を紛らわすために色んな話を聞かせてくれた。木の葉にある、美味しいラーメン屋さんの話。手は掛かるが明るくて将来有望な教え子がいること。そして、その教え子の一人が抜け忍になってしまったということも。沢山の話をする中で、私はどんどんカカシさんに心を開いていった。本当は、敵同士なのに。私には、カカシさんが悪い人には見えなくて。話す彼の横顔をじっと見つめながら、自分の本当の正体のことを考えるときゅっと心が痛くなる。

「…どうした?具合でも悪いの?」
「あ…、い、いえ。なんでもないです」

私の顔色の変化を悟って、カカシさんが顔を覗き込んできた。…言えない。私が、暁の人間だなんて。もしそれを言ってしまったら、カカシさんはどうするのだろう。私を殺そうとするのだろうか。そう考えるとまた心がきゅっと締め付けられるような感覚がして、頭を振り払った。今は生き残ることだけを考えなければ。ヨツユは、どうしているだろう。山から帰ってこない私を心配しているかもしれない。抱えた膝に顔を埋めて、冷える山の夜をカカシさんと共に過ごす。夜明けまではまだまだ沢山の時間が残されているだろう。

「寒い?」
「少し、だけ…」
「おいで」

両手を広げて、カカシさんがそう優しく言った。一瞬、本当にその腕の中に行ってもいいものだろうかと迷うものの、きっと彼に下心なんてものはなくて、単純にお互いの命を繋ぎとめる為の行為だと割り切っているのだろう。私もこんなことでいちいち動揺している場合ではない。彼のその言葉に甘えて、私はおずおずとその腕の中へと飛び込んだ。きゅ、と優しく私の体に回される腕。これ以上着こむ服も、二人を覆う布も持っていない私たちは、お互いの体温が唯一温もりを得ることが出来る方法なのだ。

「低体温症を起こしたら大変だからね。俺が見張っておくから、眠ってていいよ」
「でも、それだとカカシさんが…」
「俺は平気だから」

やっぱり、悪い人じゃない。そう改めて確信する。ぎゅ、とカカシさんの胸元辺りを握りしめて、すり寄る様に頬をくっつける。彼が私を温めてくれるように、私も彼を温めたい。触れたカカシさんの肌は驚く程冷えていて、寒かったのは私だけではないのだと実感する。私の心配ばかりしてくれているが、カカシさんだって同じ状況なのだ。ぽんぽんと一定のリズムで、安心させるように私の背中を叩くカカシさんの手。その感触に身を委ねながら、私は細々と小さく呟いた。

「…カカシさんの話、もっと聞きたいです」
「え?」
「まだ、眠くないから…。もう少しだけ、貴方の話を聞かせてくれませんか」
「……、そうか。なら、…そうだなあ、何を話そうか」

私の我儘を嫌な顔1つせずに聞いてくれたカカシさんは、空を見上げながら何を話そうか選んでいるようだ。私はそんな彼の顔を下から見上げながら、言葉の続きを待つ。私の知らない世界を持っているカカシさんのお話は、どれも新鮮で楽しくて飽きない。私がもし暁に入っていなかったら、彼が住む木の葉隠れの里のような、平和で素敵な里で平凡な生活を送っていたのかもしれない。そんなありもしない未来が頭の中に浮かぶから、よりその話にのめり込んでしまう。

「じゃあ、俺がまだ子供だった頃の話」
「カカシさんの、子供の頃の話?」
「そう。俺には、大切な仲間が二人いて、スリーマンセルを組んでいたんだ」

カカシさんが選んだのは、どうやら自分自身の子供の頃の話のようだ。私はまさかここで、あの名前を聞くことになろうとは、これっぽっちも思っていなかった。世界というのは、思っているよりも狭いものである。少し前まで名前も知らない赤の他人だった人が、自分の知り合いの知り合いだった、なんてことは、最早珍しいことでもなんでもないのかもしれない。

「俺には、かけがえのない仲間がいた。仲間想いの熱い性格をした男の子と、真面目で穏やかな性格をした女の子。その二人と一緒に、俺は日々鍛錬や任務に励んでいた」
「仲間…。いいですね、仲間って。かけがえのない大切な存在って、そこにあるだけで心強いし、気持ちを奮い立たせてくれる…。カカシさんにも、そんな存在がいるのですね」
「まあ、ね。いる、というよりは…いた、って言った方が正しいかな」
「いた…?」
「……今はいないんだ。二人とも」

冷たい夜風が、二人の頬を撫で、髪を揺らす。『今はいない』。そうはっきりと口にしたカカシさんの顔は、遠くを思い出すような、そんな切ない表情を浮かべていた。影を落とすその顔を見ていると、何だか放っておけなくて。私はそっとカカシさんの頬を撫でた。少しだけ驚いたように目を見開くカカシさんの目は、私をまっすぐ捉えている。何故だろう。この人とは先程会ったばかりだというのに。会った時は警戒しか抱かなかったカカシさんに対して、私は既に言い様の無い不思議な感覚を抱いていた。

「なら、私がカカシさんの仲間になります…!」
「ななし……」
「私も…。私も、幼い頃、色々辛い思いをして、家族も友人も、故郷も失いました。一人ぼっちで、ずっと苦しいの我慢して…、死んだ方がマシだって思うくらい、絶望していたんです」

頭に浮かぶのは、過去の光景。戦争に巻き込まれていく人達が、私の力を利用しようと社に幽閉して、毎晩毎晩体に噛みついてくる。毎日繰り返されるその行為に、私は身も心もボロボロで、何をされても涙さえ流れなかった。だけど、今は分かる。あの人たちも、生きるのに必死だったんだ。したくない戦争に駆り出されて、隣で仲間が死んでいく。生と死が常に隣にある状況の中で、必死にもがいてもがいて、生き延びようとしていた。当時の村の人たちが私にしたことは、決して許されることではない。けど、きっと生きたかったんだと思う。…そう、思えるようになった。あの時から数年の年月が流れたけれど、やっとそう思えるようにまでなれたんだ。

絶望に打ちひしがれる私の手を取った、デイダラ。燃える村を背に、彼は…、暁は、私を地獄から攫った。彼らは言う。俺たちの生きる世界は地獄だと。だけど私からしたら、みんなのいる世界が全て。地獄だろうと何だろうと、私にとっての世界は、暁なのだ。

「そんな私を、救ってくれた仲間がいました。彼らは、私に色んなことを教えてくれた。仲間と共に笑う事が出来る幸せ、仲間の為に流す涙、仲間を傷付けられた時の怒り、仲間の想いに触れた時の嬉しさ…。全部、大切な人達に教えて貰ったんです」

仲間というのは、本当に大きな存在で、なくてはならないものだということを、私は知っている。そしてその反面、失った時の悲しみはとてつもなく大きいものだということも、知っている。だからだろうか。私は、寂しそうな顔をするカカシさんを、放っておけないと思った。一人ぼっちだった私を救ってくれた、あの時のデイダラのように…。私も、この人の手を取ってあげたい。

「だから、今度は私がカカシさんの手を取ります。私がそうして貰ったように、私も誰かを救えるようになりたいから」
「……ななしにも、素敵な仲間がいるんだな」
「…はい。大切な人たちです」

私のその言葉を聞きながら、カカシさんは柔らかく微笑んだ。頬に置かれた私の手に、彼の大きな手が重ねられる。「慰めてもらっちゃったねえ」と困ったように笑う彼は、その後続けて言った。

「俺は一人ではないんだ」
「そう、なんですか?」
「ああ。かつての仲間を失って、当時はだいぶ苦しんでたけど、今はそれなりに楽しく生きてるのよ。未来を担う若者に囲まれて、賑やかな毎日を過ごしてるからね」

目を伏せたカカシさんの頭には、きっと今、木の葉の里にいるという可愛い教え子たちの姿が浮かんでいるのだろう。良かった、どうやらカカシさんには既に大切な仲間を見つけているようだ。柔らかくなった彼の顔を見て、私も釣られるように微笑んでいると、彼は私のその笑顔をじっと見つめてきた。

「な、なんですか?」
「いや…何だか似てるなと思って」
「似てる?」
「今言った、俺のかつての仲間の一人…、のはらリンに」
「え?」

どくん、と体が反応する。今、カカシさんは何て言った?目を見開いて呆然とする私の頭には、とある人物の声が蘇る。私のことを、「リン」と呼んだ男の声が。



(…オビト……?)




燃え盛る遊郭から脱出した時、私にキスをしながら紡いだ、リンという名前。またある時は、夢魔と戦った時にオビトが夢に見るまで強烈に恋い焦がれた女性。カカシさんが今口にしたリンという女性は、そのリンと同一人物なのだろうか。ざわつく心を抑えながら、私は食い気味に彼の肩を掴んだ。突然様子が変わった私を、カカシさんは驚いたような表情で見つめている。

「リンって…、もしかして……」
「え…なに、リンのこと知ってるの?」
「いえ…、あの…知ってる訳ではないんです。ただ、その名前を聞いたことがあったから…」
「リンの名前を?」
「…カカシさん」
「ん?」
「…スリーマンセルを組んでいた、もう一人の男の子の名前…。教えてくれますか」

必死な目を向ける私を、カカシさんはしばらく無言で見つめた後、その口を開いた。




「…オビト。うちはオビト」







ーーーー・・・・






「やっぱり…。山の様子がおかしい」

ストン、とトビの背中から降りて地に足を付けたヨツユは、ななしが昼間入って行った山の入り口に立っていた。鬱蒼と茂る山を見上げながら呟く。彼女を背に乗せてここまで案内してもらったトビも、仮面の奥の目を光らせながら山を見上げる。見た感じでは、普通の山とそう大差ない様に見えるが、ヨツユの口ぶりからしてそういう訳でもないのだろう。

「この山は、霊峰って呼ばれているわ。山頂に祠があって、そこに祀られている昔の仙人様が、この山を不思議な力で守っているのよ」
「…その山に、ななしが一人で入って行ったのか」
「ちょっとしたお遣いのつもりで頼んだ私がいけなかった…。そんなに奥深くまでは行かないし、大丈夫だろうって。でも、いつまでも帰ってこないから…。もしかしたら、その仙人様のお怒りに触れたのかもしれない」
「怒りに触れる?」
「仙人様は、霊峰に相応しくないと思った者を山に閉じ込めると言われているの。もしかしたらななしは、仙人様の力に捕まっているかもしれない…」

正直、端から聞いてる身としては、にわかに信じがたい話ではあった。しかし、ヨツユは生まれた頃からこの山のすぐ麓で暮らし、この山と共に成長してきた。彼女の身の回りで、ずっと語り継がれてきたのが今の話なのだろう。それに、かつて夢魔に襲われた時、ななしにその妖怪の存在の知恵を貸したのが、この小娘だと聞いている。案外侮れない女なのだ。

トビは、山の迷信を語るヨツユを尻目に、何も臆することなくその一歩を踏み出した。慌てたヨツユが、その背中に手を伸ばして引き止める。

「ま、待って!…ななしを助けに行くつもりなの?」
「その為にオレを呼んだのだろう」
「そ、そうだけど…!もしかしたら、貴方も一生この山から出られなくなるかもしれないのよ?」
「…オレにとっては、山の迷信や、大昔の人間のことなど、どうでもいいことだ」

ヨツユの言葉に足を止めたトビは、ゆっくりと振り返る。キラリと光る赤い目には、強い意思が宿されている。

「…決めたんだ。オレはもう、二度と手放さないと。かつての忌まわしい記憶を、繰り返さぬように」
「………忌まわしい記憶…?」
「山に引きこもってる老いぼれた幽霊などに、アイツを取られて堪るか」

大切なものを失い、絶望することがないように。世界に平和と安寧をもたらす為に、こうして暁を名乗って計画を進めているというのに、その道中で大切なものを取りこぼしてどうする。トビには迷いなど一切なかった。ヨツユはそんなトビの言葉を聞いて満足したのか、もう引き止めることはせず、それどころか彼女もトビの後ろを追って一歩を踏み出したのだった。

「…ついてくるつもりか?」
「私もななしが心配だもの。それに、私はまだ貴方たちを信用した訳ではない」
「お前の故郷の仇、だからか?」
「それもあるけど…。ちゃんと貴方たちのこと、この目で見届けたいの」

自分の生まれ故郷を殺した組織、暁。本来なら恨むべき相手のところに、ななしは身を置いている。かつての友人だったヨツユの手を振り払って、彼女は暁を選んだ。ななしにそこまでの決意をさせたのだ。きっと彼らには、それだけ信じるに値する何かがあるのだろう。ヨツユは、それをしっかりと自分の目で見定めたかった。本当に、ななしを任せていい人たちなのか。今度こそ、ななしを幸せにしてやれる人たちなのか。

(あの子は産まれてからずっと、孤独だったんだもの…。その心の隙間を埋めるのが貴方たちなら…私は、それを見届ける…)

密かに心に固く決意をして、ヨツユはトビを真っ直ぐ見つめ返した。

「貴方のその決意が本物かどうか、この目で見届けさせてもらう。それに、この山のことなら私も詳しいし。着いて行かせてもらうわ」
「……勝手にしろ」

イタチの決意は、前に見せて貰った。今度はこの男の番だ。前を歩くトビの背中を睨みながら、ヨツユはそう一人で呟いていた。さっき彼が口にした、二度と手放さない、という言葉。それを頭に思い浮かべながら、トビとヨツユの二人も、霊峰と呼ばれるその山の中に足を踏み入れたのである。

カカシとオビト。かつて仲間同士だった二人が、今は敵として相見えることになろうとは。そして、奇しくも彼らは、懐かしいかつての女性によく似た人物……、ななしに揺り動かされるのである。