※完全に原作から離れたオリジナルの展開になっています。苦手な方はお戻りください。
微睡む視界が、徐々に鮮明になって、やがて私は覚醒した。体を起こしながら、ゆっくりと周囲を見渡す。一面の、綺麗な花畑。まるでこの世に存在する場所とは思えない程、幻想的で美しくて、そしてとても静かだった。その圧巻の景色に見とれながら、私は先程起こった出来事を思い出す。オビトが、リンさんの体を鏡から引きずり出した直後、私の体は代わりのように鏡の中に引きずりこまれて、成す術無く飲みこまれてしまったのだ。…ということは、ここは黄泉の世界。あの仙人は言っていた。鏡は、あの世とこの世を繋ぐ門だと。つまり私は、ここで鏡に飲まれたまま死を迎えるということなのだろうか。
「ななしさん」
呆然とする私を呼ぶ、綺麗な優しい声。ゆっくり振り返ると、そこには柔らかい笑みを浮かべながら立つ、一人の女性の姿があった。その姿を見た瞬間、私は何故か既視感に囚われる。この女性とは初対面な筈なのに、どこかで会ったことがあるような、そんな不思議な感覚を抱いたのだ。その感覚の正体が一体何なのか、返事をすることも忘れて考え込んでいると、続いて彼女から発せられた言葉に、全ての謎が解ける。
「いつもオビトを守ってくれてありがとう」
「あ……、」
のはら、リンさん…?そう自信なさそうに問いかけると、彼女は再び笑った。そうだ。たった今、見ていたじゃないか。のはらリン。鏡の中に映っていたあの少女が、大人の女性になった姿で、私の目の前に立っていた。オビトやカカシ先生と同じ年齢にまで成長したリンさんが、私を見つめて微笑んでくれている。初めてしっかりと見た、彼女の姿に目を奪われて。とても美しくて凛とした、素敵な女性だった。この人が、カカシさんとオビトのかつての仲間で…、オビトの…好きな、人…。
「あれ、でも…、オビトがリンさんのこと、鏡から…」
「あれは、偽物。仙人様が作り出した鏡像」
「に、偽物…?」
「仙人様は、カカシやオビトを試してる」
リンさんが空を見上げた。釣られるようにして私もそちらに視線を送ると、明るい空にポツンと一つだけ、月が浮かんでいる。そしてその月には、鏡の向こう側…現実世界の風景が映し出されていた。オビトとカカシが、リンさんの偽物を囲いながら、何か話している光景が見える。どうやらこの月が、この鏡の世界から抜け出す出口になっているようだ。だとしたら、私は何としてでもあの月から脱出しなければ。まだ死ぬ訳には行かない。それに、現実世界にいるリンさんが偽物だと言うなら、オビトとカカシさんのことも心配だ。
「あの、リンさん、私…、」
「ねえ、ななしさん」
「は、はい」
「少しだけ、私と話さない?」
突然の彼女の提案に、思わず戸惑った。私にのんびり話をしている時間はあるのだろうか。少しだけ悩んだ末、結局私は、ゆっくりとその首を縦に振ったのだった。
ーーーー・・・・
「貴様…、ななしを出せ!」
「勘違いをするな。ななしをこの鏡の中に引きずりこんだのは、お前自身だ」
「なに……?」
「何かを得る為には、何かを犠牲にしなければならない。お前は、こののはらリンという少女を選んだ」
「だからななしに犠牲になれっていうのか…。ふざけるな!」
「だったら、そこのリンを殺せばいい。かつての時のように…、心臓を貫いて」
私が鏡の中で、大人になったリンさんとの邂逅を果たしている一方、外の現実世界では、オビトとカカシが仙人に詰め寄り、私の安否を確かめていた。淡々と吐き出されていく仙人の言葉に、カカシの目がみるみる見開かれていく。そして、そういうことかと苦笑いを浮かべた。どうやらこれらは全て、仙人による作戦だったようだ。カカシたちに、リンとななしを天秤に掛けさせようと言うのだ。
「死者を蘇らせるには、その死者に似通った同等の魂がいる。お前たちはリンという少女の復活を願った。だからこの鏡はその願いを聞き入れ、のはらリンと似た魂を持ったななしを喰らい、リンを復活させたのだ」
「ふざけるな!そんなこと一言も…!」
「言っていたら、お前たちはリンを選ばなかったのか?」
仙人の鋭い言葉は、オビトとカカシに深く突き刺さった。目の前でリンの姿を見せられて、首を絞められた時、二人は感情のままに動き出していた。頭では分かっている。リンはもうこの世にはいない。首を絞めたって、所詮は死者であり、そこに苦しいという感情はない。全ては仙人の策略であることなど、理解していた。それでも、オビトとカカシは我慢が出来なかった。かつての大切な仲間が苦しめられている姿を見て、黙っていることなどできなかったのだ。救いたい。あの時救えなかった分も、助けてやりたい。そんな思いは、今生きているななしを殺した。リンが復活することによって、代わりにななしが黄泉の世界へと引きずり込まれてしまった。いつまでも過去に捉われて、今ある大切なものを見失った。それは、オビトがかつて、夢魔に襲われた時にななしに誓った事だった。
(オレは……、一体……)
呆然と、鏡を見つめる。その鏡には、オビトとカカシの姿が映し出されていて、ななしの姿は見えない。ななしは今、鏡の中でどうしているのだろうか。鏡の向こう側の世界はどうなっているのだろうか。ちらりと横へ視線を移すと、オビトとカカシを不思議そうに見つめたままの、幼き頃のリンがいる。
「ななしを救う方法はただ一つ。そこにいるリンを殺せば、入れ替わりでななしがこちらの世界へ戻ってくる。さあ、選べ。過去か、今か。お前たちが守りたいものはどっちだ」
「オレは……」
己の手のひらを見下ろすカカシ。今でも強烈に覚えている。あの時、リンの心臓を貫いた感触。どれだけ洗っても、どれだけ時が経とうとも、きっと永遠に忘れることはないだろう。カカシは、死ぬまでずっとこの重りを背負って生きていかなければならない。そして、今それが再び繰り返されようとしている。ぎゅっと握りしめた拳は、彼らの迷う心を表すかのように震えていた。
ーーーー・・・・
「え…、リンさん、カカシさんのことが好きだったの!?」
「ふふ、そうなの。まあカカシは、私のことなんてこれっぽっちも意識してなかったけど」
「ってことは、オビトの片想い!?嘘!アイツが片想いしてたの!?」
花畑の真ん中で、二人腰を下ろしながら、他愛のない会話を繰り広げる。鏡の向こうではオビトたちが戦っているというのに、こんなに呑気に話をしていていいのだろうかという想いもあったが、リンさんとは、一度こうして話をしてみたいと思っていたのだ。あともう少し、あともう少しだけ…、と堪能していた楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。目の前で笑っているリンさんの綺麗な顔を見つめたまま、私はふと笑みを止めて、徐々に表情を暗くさせていった。
「…どうしたの?ななしちゃん」
「…リンさん。私、そろそろ戻らないと」
「……もう、行くの?」
「はい。…オビトとカカシさんが、心配だから」
「そっか……」
ゆっくりと立ち上がる私に続いて、リンさんもその腰を上げる。私の手をぎゅっと握りしめて、彼女はまたふわりと笑った。女の私でさえ、可愛いと見惚れる笑顔。オビトもカカシさんも、きっとこの笑顔が好きだったんだろう。そう考えると、胸が締め付けられる。何だろう、この感覚。そういえば、二人に『リンに似ている』と言われる時も、こんな不思議な感覚に陥っていた。上手く言葉では言い表せないような、不思議な気持ち。そのよく分からない感情に眉を顰めていると、リンさんは唐突に私に言った。
「貴女は貴女よ」
「え…?」
「貴女は、貴女。私の代わりなんかじゃない」
その言葉を聞いた瞬間、ずっと抱いていた正体不明の感情が、心の中にストンと落ちていった。そうか。私は、ずっと私として見られたかったんだ。カカシさんに…、オビトに。リンに似ている、と言われるたびに感じていた、劣等感。オビトの中で私は、永遠に『リンに似ている女』として認識され、リンさんの代わりとして守られ続けるのだと、リンさんに似ているから彼は私を必要とするのだと、そんな劣等感に苛まれていた。私は、私。勿論、リンさんの代わりとされることが嫌な訳ではない。でも、私は私として生きている。この気持ちは、リンさんのものではない。カカシさんや、オビトを守りたいと思う気持ちは、私のもの。
「リンさん……」
「ななしちゃん。もっと自分に自信を持って。貴女は誰かの代わりじゃないし、貴女の代わりになれる人もいない。勿論、私の代わりになれる人もいない。私は私、ななしちゃんはななしちゃん。だから、貴女のその気持ちを…大切にしてね」
「リンさん……!」
ぶわりと溢れる涙。思いのままにリンさんの胸の中に飛び込んで、ぎゅっと抱き付いた。優しく抱きしめ返してくれる温もり。頭の中で、幼い頃にこうして母に抱き付いたことを思い出していた。温かい、リンさんの温もり。それをしっかり体に刻むんだ。リンさんのことを忘れないように。リンさんの想いも背負って、生きていく。
「リンさん…」
「ん?」
「オビトは…、まだ、貴女のことを……」
「………」
リンさんは、私が言おうとしたことを何となく察したのだろう。その先は駄目だと言うように、そっと私の唇に人差し指を置いた。押し黙った私は、きょとんと彼女を見つめる。私の目に映るリンさんは、全てを知っているかのように、静かに笑うだけ。そして、笑顔のままそっと言葉を紡いだ。その綺麗な声は、私の心の中に染み込んでいく。
「オビトはただ、前に進めないでいるだけ」
「リンさん……」
「オビトは、ずっと一人で道に迷い続けてた。今もまだ、迷っているかもしれない。複雑な道の真ん中で、一人ぼっちで」
「………」
「だけど、今のオビトは一人じゃない。オビトには…、導いてくれる光が出来た。……ななし。貴女が、オビトの心の支えなの」
「……リンさん…。やっぱりすごいです…。オビトたちのこと…なんでも分かっちゃうんですね」
涙を浮かべながら笑う私に、リンさんは少しだけ嬉しそうに目を瞬かせて。
「ずっと、見てたからね」
「……!」
「みんなのこと、ずっと見てたから」
吹き込む温かな風が、私とリンさんの頬を撫でた。「ほら、お迎えが来たよ」とリンさんに言われて振り返ると、そこには、こちらを見つめるオビトとカカシさんの姿があった。どうしてここに、と慌てて月に目を移すも、確かに向こうの世界にもオビトとカカシは存在していて、ということは今目の前にいる二人は幻なのだろうか。
「……リン」
「オビト。色々、道に迷ったみたいだね」
久々の再会を果たした三人は、お互い向き合って、言葉を交わしている。ぐっと唇を噛み締めるオビトは、穏やかな表情のリンを見つめて、何かを言おうとしては口を噤んでいる。今さら、きっと言葉なんていらない。すべて、ちゃんとリンさんには伝わっている。傍から見ていて、何となくそう思った。三人の絆は、いつまでも深く刻まれていて、離れ離れになった今も続いている。三人を繋ぐのは、因縁なんてものじゃない。あの頃から変わらない、強い絆。
「リン、オビト。…俺は、お前らに何もしてやれなかった」
「カカシ…。そんな事ない。私はいつも、カカシに救われてたよ」
「いや…。俺は結局、守れなかった。リンのことも…、オビトのことも」
「カカシ……」
悔しそうに拳を握り俯くカカシは、意を決したように、リンを見つめた。その決意を、他でもない、かつての仲間が見守ってくれている。
「だから今度こそ、俺は守り通す。俺が守りたいと感じるもの、全てを…。だからリン、オビト、これからも見守っていてくれ。俺の決意を…、支えてくれ」
「当たり前だよ!ずっと見てんだから!」
見つめ合い、柔らかく笑う三人。その光景を傍で見ていて、私は確信していた。…もう、大丈夫。オビトもカカシさんも、もう迷ったりしない。過去に囚われて苦しむこともない。きっと二人は、前を向いて歩いていける。
「ななし」
「…オビト、カカシ…。もう、いいの?」
リンさんの元から離れ、私ところへやってきたオビトとカカシを交互に見つめる。せっかく再会したのだ。もう少し語りたいこともあるだろうと思っていたが、二人はもうこれ以上話すこともないようだ。右手はオビト、左手はカカシに握られて、ゆっくりと歩きだす。その最中で、ぽんと背中を優しく押されて、私は立ち止まった。リンさんが、私に手を振ってくれている。
「頑張れななし!」
精一杯のエールを貰いながら、私たちは歩き出す。時が止まっていたかつてのミナト班は、今ようやく動き出そうとしていた。リンの見送りを受けて、私とオビトとカカシさんは、空に浮かぶ月に向かって走り出したのだ。
鏡の向こうが、揺らめいている。波打つ鏡面を見つめて、オビトとカカシは再び目の前にいるリンに視線を戻した。時間切れが迫っているということだ。
「…リン」
一言も喋ることのない、リン、…いや、のはらリンの鏡像は、あの日から変わらぬ姿で、そこに立っていた。優しい眼差しで、オビトとカカシを見つめている。その目で、何かを訴えかけるように。全く、あの頃から変わっていない。優しくて聡明なお前は、いつだって俺たちを見守り、支え続けてくれているんだ。
「…選ぶのではない」
前に、進むんだ。
呟いたオビトの言葉は、きっと、鏡の向こうにいる本物のリンにも届いただろう。…そして、
揺らめく鏡面から、伸びてきた手。オビトはそれを、迷わず掴んだ。ぐい、と引っ張ると、鏡の中からななしが出てくる。そして入れ替わるようにして、リンの鏡像は鏡の中に吸い込まれた。すれ違う瞬間、ななしはその目にリンの姿を焼き付けて。勢いよく引っ張り出されたななしの体は、オビトによって抱き留められる。ぎゅう、とお互いの温もりを感じながら、オビトは愛おしそうにその髪に顔を埋めて、力強く抱きしめていた。いつまでも、もう二度と、離さぬように。
「…ただいま、オビト」
「………」
おかえり。
そう呟いた声は、微かに震えていた。