「あれ、オビトは?」
「何回も言ったんだけど…。オレはお前たちと慣れ合うつもりはない、とかカッコつけちゃって、外出てったわよ」
ヨツユの家でお風呂を頂いた後、寝間着姿で髪を拭きながら居間を覗くと、そこにオビトの姿は無かった。呆れたように溜息を付くヨツユの返事に、確かに彼ならそう言いそうだと苦笑してしまった。
霊峰の麓でカカシと別れた後、私たちはヨツユの家まで戻って来た。私もオビトも、そこでヨツユと別れてアジトに帰るつもりだったが、「もう暗いんだし、せっかくなら一晩休んでいきなさいよ」という誘いを受け、正直疲労困憊だった私たちはその言葉に甘えることにしたのだ。こうしてお風呂を貰って、居間には私用の布団も敷かれてあって後は寝るだけの状態ではあったが、一人外に行ったというオビトが何となく心配で、私は草履を引っ掻けた。
「ななし」
外に出ようとした私を呼び止める声。ゆっくり振り返ると、どこか安らかな顔をしたヨツユが立っていた。手には着替えを持っていて、これからお風呂に入りに行くのだろう。緩く首を傾げて、呼び止められた理由を待っていると、彼女は静かに言葉を紡いだ。
「…いい仲間を持ったわね」
「…ヨツユ……」
彼女にとって、暁は生まれ故郷を滅ぼした憎き仇。それが理由で、かつてはイタチやデイダラと交戦した時だってあった。私に暁を抜けるよう説得してきた事だってある。でも今、彼女は確かに言った。『いい仲間だ』と。憎しみを抱く相手に、そんな感情を抱けるのはそう簡単な事ではない。勿論ヨツユの中で、過去のことを許したつもりではないだろうが、でも確かに彼女は、暁のことを認めていた。彼らなら、大事な友人を預けても大丈夫だろう、と。そう信じることが出来るまでに変化していた。
「私はななし程長い時間、あの人たちと一緒にいる訳じゃないし、分からない事や見えない事の方が多いけど…。でも、見てて分かる。ななしを大切に思う気持ちは本物だって。イタチさんも、トビも、デイダラも」
「…うん…。いつも、守ってくれる、から…。私のこと…」
「他にも、暁には仲間がたくさんいるのでしょう?」
今度、また連れてきてね。そう笑うヨツユの美しい笑顔に、何故だかじわりと涙が浮かんだ。大切で、大好きで、私の一番の理解者。堪らず彼女に駆け寄って、その細い体を強く抱きしめる。驚いたように笑うヨツユの肩に顔をうずめて、変わらないあの頃の匂いに目を閉じた。
「私が信頼してるのは、暁だけじゃない」
「え…?」
「ヨツユ…。私は昔から貴女のことをずっと信じてる」
「ななし…」
「私の、一番大切な人」
「…もう、狡いわ。泣かせようとするなんて」
二人で目に涙を溜めながら笑い合って。生きている限り、まだ必ず会えるというのに、別れはいつも名残惜しくなる。私は、暁の為に生きると決意した。だけど私は、ヨツユの為にも生きたい。彼女を一人にしないように。私のことをいつも大切に思ってくれるように、私も彼女のことが大切だから。ヨツユの笑顔を守り続ける為、私はずっとずっと生きて、ヨツユの傍にいるんだ。
「ほら、トビのところ行かないと」
「そうだった。ちょっと行ってくるね」
「ねえ、その前に。…実際のところ、どうなのよ」
「え?」
「イタチさんとトビ、どっちがタイプなの」
「ま、またその話!?」
恋愛事が大好きすぎて、すぐそっちに話を繋げちゃうところは困りものだけど。
ーーーー・・・・
大きな月が浮かぶ空。お陰で夜だというのに周囲は明るくて、これならすぐにオビトを見つけられそうだ。家の近辺を宛もなく散歩がてら歩いて彼の姿を探していると、案の定すぐに見つかって。太い木の枝に座り、静かに月を見上げる暁の外套が見えた。私の気配を察知したのか、向こうもちらりとこちらを振り返っている。
「オビト、私も隣行ってもいい?」
彼は何も返事をしなかったが、やがて音もなくそこから降り立つと、私の前まで近寄ってきた。ん、と差し出される首。手を回せという事なのだろう。言われた通りにオビトの首に腕を回すと、彼は簡単に私を抱き上げて、再び木の枝へと飛び移った。そこから見る景色は、地面から見る景色と違って遠くまで見渡せて、綺麗で静かな、神秘的な夜が広がっている。思わず感嘆の吐息を漏らしながら見惚れていると、夜風が吹いて体を震わせた。
「…寒いか」
「寝間着で出てきちゃったから…、少しだけ」
腕を擦る私の仕草を見て、オビトは己の外套に手を掛けた。私にその上着を寄越すつもりなのだろう。ボタンを外したオビトの動きを見て、私はそれを手で制す。
「それだとオビトが寒くなるから」
「オレは平気だ。お前に風邪でも引かれたら困る」
「じゃあ…。一緒に、入らない?」
「な、」
「だめ、かな」
「…だ、…だめって…」
動揺するオビトが何だか珍しくて、私はそのまま強引に彼の脇の下へと潜りこんで体を密着させた。しばらくはどうしたものかと手を宙に彷徨わせ、たじろいでいたオビトだったが、やがて観念したようにバサリと私の肩に外套を掛け、共に温もりを一緒にした。1つの赤い雲に、二人の人影。月だけが二人を照らし、その影を地面に伸ばしている。
「……カカシに聞いたのか」
「何を?」
「…リンのことを」
「……うん。聞いた。全部聞いた。リンさんのことも、カカシとオビトの昔のことも」
「………」
「聞いた上で、改めて感じた。オビトの、リンさんに対する愛を」
オビトは多くを語らないから、私のこの解釈が合っているのかは分からない。だけど、確かに感じる。オビトのリンさんへの愛は本物で、とても強く根深いこと。オビトは以前、私にリンさんの影を重ねている節があったけれど、とても私には、リンさんの代わりになれる自信などない。オビトがそこまで愛した人に、私がなれる訳がない。だって、何度も言うように、私とリンさんは違うから。
「私は、リンさんの代わりにはなれない」
「…………」
「私は私。リンさんはリンさん。私の心は私のもの。リンさんの心はリンさんのもの」
「…そう、だな」
「でも、1つだけ一緒だった事があるの」
月を見ていたオビトの目が、私を見つめる。仮面が取り払われている今の彼の顔には、かつての傷痕が深く残されていて、私は無意識にその傷に指を這わせた。消えることのない、痛み。過去。悲しみ。まるでそれを表しているかのような傷に、心を奪われる。
「…私も、オビトのこと守りたい」
「ななし……」
「その気持ちは、私もリンさんも一緒だった」
私の想いも本物で、リンさんの想いも本物だ。決して、私がリンさんの代わりだから抱いた感情ではない。オビトと共に過ごしていく中で、自然に芽生えた感情。この気持ちは、紛れも無く私の気持ちだ。だから自信を持って言える。私もオビトが大切で、大好きだと。リンさんと同じくらい、オビトのことを想っていると。
「だから…、これからも傍にいさせて。リンさんの代わりではなく、私は私として。オビトの傍にいたい。オビトの心の中で、リンさんが生き続けているように。私も、貴方の隣で生きたい」
「ななし、オレは、」
「私のことを見て欲しいの」
真っ直ぐ告げた言葉は、オビトの心に染み渡って行く。リンさんの代わりとしてではなく、私のことを見て欲しい。一人の人間として、貴方を大事に思う一人として、見て欲しいのだ。私のその想いは、オビトの心を揺り動かし、二人は静かに見つめ合った。黒い瞳に吸い込まれるように、私はオビトから目が逸らせなくなり、そのまま彼は私の制止も聞かぬままキスを一つ落とした。ちゅ、ちゅ、と吐息の狭間で繰り返される甘い口付けは、今までのような強引なものではない。甘くて優しいキス。やんわりと胸板を押し返した手は、彼に絡めとられて動かせなくなる。
「とっくに見ている」
「オビト……」
「リンの代わりではない。お前はお前だ」
「……」
「オレはそんなお前を、」
「……お前を…?」
愛している。
その愛の囁きまでは、彼は言葉にしてくれなかったけれど。再び重なる唇から深い想いが伝わってくる。息をする暇もなく何度も繰り返されて、体に力が入らない。はあ、はあ、と呼吸をする度に、開いた口からぬるりと侵入する温かい舌が、私の全てを奪っていく。
「人は愛情を知った時…憎しみのリスクを背負う」
「あっ……、」
「オレはまた、その憎しみを背負いながら戦い続ける」
「お、び……っ」
「ななしを愛するこの気持ちだけは誰にも否定させやしない」
失ったと思っていた、この感情。それを再び手にする時が来るなんて、と、息絶え絶えの女を見下ろしながら、オビトは感じていた。出会ったばかりの頃、心を失った人形のようなコイツを見た時、オビトはただ『利用価値がある道具』としか見ていなかった筈だった。それこそ、あの村の連中と同じ感覚で、ななしの力を利用しようとしていた。
なのに。
暁に入って、少しずつ心を解き始めて、彼女は明るく笑うようになった。オビトだけではない。冷め切っていた暁のメンバーの心を、徐々に温めていく彼女の力は、決して能力でなければ、特殊な技でもない。ななし自身が持つ、人柄だ。戦う力が無いとよく嘆くななしだが、彼女は精神面で暁を大きく支えていた。ななしの言葉一つに救われた者は、少なくはない。暁にいる者は、みな過去に何かを失っていたり、特殊な事情を抱えていたりするものが多いが、ななしが来る前と来た後とでは、見違えるように変わった気がする。
(それ程までに、お前の存在は…)
無くてはならないもの、だということだ。きっと本人は自覚はないだろうが、それは決して、誰もが持っているものではない。人の心に寄り添い、勇気づけることが出来る。それは一種の才能と言っても過言ではないだろう。
「お前が欲しい」
「待っ…、わ、私は、デイダラが、」
「そんなの言われなくとも分かっている。それが何か問題なのか」
「はあ…!?も、問題って、」
「チャンスなら幾らでもあるだろう?」
ガキが出来た訳でもあるまいし。そう口元を歪めて笑うオビトは、いつもの強引なオビトだった。月を背に私を見下ろすその目は、確かに本物だ。半ばパニックに陥る私の腰を掴んで、ぐいぐいと引き寄せてくる彼の手付きに翻弄されて。顔は一気に赤く染まり、ここが木の上であるということも忘れて抵抗するように暴れる。この際落ちたっていい。さっさとこの危険人物から離れなければ。
「リンさんのこと好きなんでしょ!?」
「リンを想う気持ちも本物だが、お前のことも本気だ」
「堂々と二股宣言!?」
「リンはもう手の届かない場所にいる」
「でもリンさんがいたら、リンさんのところへ行くんでしょ」
「なんだ、妬いているのか」
「違う!!」
「安心しろ、リンはオレでは無くてカカシだからな」
「え」
その言葉を聞いて、そういえばリンさんもそんな話を聞かせてくれたっけ、と鏡の中での会話を思い出した。あのオビトが片想い。そう珍しそうにニヤニヤと笑う私に、彼は居心地が悪そうに目を逸らして、小さく舌打ちをしていた。ああ、だから余計にカカシに突っかかってたんだなあ、なんて、彼の人間らしい一面を少しだけ見れて微笑む。オビトは、その笑いが馬鹿にされているように感じたのだろうか。眉間の皺を深く刻んで私の腕を浮かんだ。
「何を笑っている」
「だって、オビトが片想いって」
「黙らせるぞ」
「ごめんなさい」
ねえオビト。貴方の中に深く刻まれた傷…、無くすことはできないかもしれないけど。でも私も一緒に背負うから。月明りを浴びる彼の、顔の傷を目に焼き付けながら。
ずっと、ずっと、見てるからね、オビト。
「ところで、オレが貫いた胸の傷は本当に平気なのか」
「えっ」
「見せてみろ、確かこの辺りを、」
「や、ちょっと、待っ…、ど、どこ触ってんのよ変態!!!」
月夜に響くのは、威勢の良い声と音だった。
「気を付けてね、ななし」
「うん、ありがとうヨツユ。また来るから」
「ええ。待ってる」
翌朝、私たちは出発した。私たちが帰るべき場所へ。仲間が待っているアジトへ。……何故かオビトの背中に乗って。
「ねえオビト、私もう体調悪くないから自分で歩けるんだけど」
「お前のペースに合わせてたら日が暮れる」
「なんか……、みんなといると甘やかされすぎて、足腰悪くなりそう」
「それならそれでいい」
そうしたらお前は、もうどこにも行けなくなるだろう?
そんな想いは、オビトの心の中でひっそりと呟かれたのだった。