君寵

『恋人とは、自らが恋愛関係にある者に対して用いる呼称。恋愛関係にある者同士を恋人同士などと呼ぶ場合もある。男性の恋人のことを「彼氏」または「彼」、女性の恋人のことを「彼女」と呼ぶことが多い。』


そんな文字を目で追った後、私は静かに本を閉じた。まだ一日が始まったばかりの早朝、がらりと閑散した広間にて、こっそり溜息を付く。閉じた本の表紙には、でかでかと『恋人と上手くいく秘訣!』なんて文字が躍っている。それを膝の上に置きながら、私はただぼんやりと天井を見上げたのだった。



『…デイダラが、好き』

『…好きだ、ななし』




今から約1週間程前。とある任務にて、敵の罠に嵌った私とデイダラは、迫る危機の中でお互いの想いを打ち明けた。普段は素直になれず、喧嘩ばかりの私たちだけど。でも誰よりも強い絆で結ばれている自信がある。いつだって、私のピンチに駆けつけてくれるのはデイダラで、普段は意地悪な癖に毎回助けてくれるのだ。私はそんなデイダラにいつの間にか惹かれていて、そしてデイダラも同じ気持ちでいてくれた。…と、思っている。多分。

というのも、何故そんなに自信なさそうなのかと言えば、私とデイダラはその後、すぐにいつもの如く喧嘩をして、私が勢いのままに暁のアジトを飛び出してしまったからだ。家出中は、それはまあ木の葉の忍に遭遇したり、山に閉じ込められたり、トビの過去に触れたりなんだり。とにかく大変な目に遭ったけれど、何とか無事に帰還して、一番にデイダラに顔を見せた。

『デイダラ…』
『おま、今までなにして、』
『デイダラ、ごめんね』
『……帰ってくんの遅ぇよ、うん』

謝って、仲直りして、お互い照れくさそうに視線を交わした。素直になれない者同士、不器用ではあるけれど、お互いを案じている気持ちは本物だ。どうやら私がしばらく留守にしていた間、デイダラは終始落ち着かなかったようで、サソリに後日、その時の様子を教えて貰った。それを聞いて、改めて実感する。デイダラは、私のことをいつも大切に思ってくれているんだって。


でも、その後のデイダラの様子は、想いが通じ合う前の日常と変わらず、いつも通りだった。別に好きとか愛してるとか、そんな甘い台詞を言ってくる訳でもなく。まあ元々、そういう台詞を言うような奴ではないことは知っているので、その点に関しては特に期待はしていなかったのだが、手を繋いだり抱き締めたり、ちょっとデートとかしちゃったり…なんていう、恋人らしいスキンシップすら全く無いのだ。

あれ?私たちって、付き合ってるんじゃなかったの?といよいよ不安になったのが、昨日の出来事。私も私で、デイダラが初めての恋、初めての彼氏。もしかして恋人って、こんなものなんだろうか、と買い出しに繰り出した街の本屋で、冒頭の本を購入。試しに読んでみるものの、そこには未知の世界しか広がっておらず、正直何も参考にはならなかった。だって、どんな文字を読んでも、それを私とデイダラで変換するととても想像がつかなかったのだ。あのデイダラがこんな事するわけない、とか、私がこんな恥ずかしい事できるか!とか、そういった内容ばかりが羅列されているのである。

(もしかして…、付き合ってるって思ってるのは、私だけ…?)

ガーン、と頭に重い石が乗っかってくるような感覚。がっくりと肩を落として、何度目か分からない溜息を溢していると、そんな私の頭上から正に例の彼の声が降ってくる。

「何してんだこんなところで、うん」
「……デイダラ…。おはよう…」

じめじめとした表情を浮かべる私を、デイダラは奇妙なものを見るかのような目で見つめてくる。何してんだって、お前のせいでこうなってるんだよ!…とは言えず、私はただぼそりと朝の挨拶を交わした。彼は寝起きなのか、髷すら結わずに下ろされた髪を、ガシガシと掻きながら不機嫌そうな顔をしている。きっと今から顔を洗いに行くのだろう。のそのそと去っていくその背中をじっと見つめて、私は再び膝の上にある本に目を落とした。

(…せっかく買ったんだし、ちゃんと読まないと損よね…)

最初の数ページだけ見て、諦めてしまったこの恋愛指南書。それをもう一度手に取りながら、私は再び表紙を開いた。一番最初に出てきたタイトルは、『想い人と手を繋ぐ』。その横には、いくつかのシチュエーションと、どうやってその流れに持って行くかが事細かく記されていて、私はそれをさらっと読み流しながら、頭の中で自分たちの姿を当てはめてみた。


『…寒いね、デイダラ』
『そうだな、うん』
『…手…、冷たい、な』
『そうか?オイラはそんな冷たくねえよ』
『そ、そう?でもほら、私の手、冷たいし』
『だったら手袋でもなんでも持ってくりゃいいだろ、うん』
『……………』



「………………」

だめだ。無理だ、難易度が高すぎる。そもそもあの男にこんな小賢しい真似をしたって、通じる訳がない。何故なら彼は、乙女心というものを1ミリも理解していない単細胞馬鹿であり、芸術のことしか考えていない芸術馬鹿でもあるからだ。ふるふると首を左右に振って、頭の中に浮かべていたシミュレーションを振り払い、己の手をじっと見つめる。デイダラと、手を繋ぐ、かあ…。してみたいなあ…。私だって、こんな犯罪者組織の中に身を置いてはいるが、正真正銘の女。恋人と手を繋いでデートだなんて憧れる。


「何読んでんだお前」
「ひぃ!?」


なんて、夢見る乙女の様に思いを馳せていれば、気付いたらデイダラが背後に立っていて、私の手元を後ろから覗き込んでいた。口には歯ブラシが突っ込まれたままであるのを見て、思わず顔を顰る。全く行儀が悪い、雰囲気なんてあったものじゃない。一言注意してやろうか、なんて思ってしまうから、また喧嘩になってしまったり、そういう恋人らしい雰囲気に持って行けないのだろうか。何だか、喧嘩の原因は私にもあるような気がしてきた。フルフルと浮かんでくる小言を押し殺している内に、デイダラの手は私が持っていた本に伸ばされて。

「なんだこれ」
「あ、だめ!」

抵抗も虚しく、呆気なく取られてしまった本は、伸ばす私の手をひらりと交わして完全に人質に取られてしまった。恋人についての本を読んでいるなんて、コイツに知られたらなんと言われるか。真っ赤な顔で振り返り、何度も手を伸ばして取り返そうとするものの、デイダラの興味はすっかりその本に注がれているようで、結局彼に中身を知られてしまったのだった。ぱらぱらと数ページ捲るデイダラの動きを目で追って、私は堪らず俯いて足元を見つめる。ばくばくと煩い心臓を誤魔化すように、己の外套の裾を握りしめて。

「…ふーん…」
「……ふーんって……」

ようやく返ってきた言葉は、何とも言えない返事だった。いや、もっとこう、からかってくるか、馬鹿にしてくるか、何か言ってくるかと思いきや、意外にもデイダラは大人しい。髪を耳にかけて本に目を落とすその顔を覗き見しながら、私はただただ動揺するばかりで。ふーん、ってなに。どういうふーんなの。そう聞きたくても聞けないで突っ立ったままの私に、デイダラは更に言葉を重ねていく。

「…お前もこういうのに憧れてたりすんのか、うん」
「え……」
「何だよその顔は」
「いや…。デイダラの事だから、くだらねーとか言うかなって思ってたんだけど…」
「くだらねぇな、女の考えてる事は。うん」

予想外の言葉に驚いていたのも束の間、案の定彼はくだらないと吐き捨てて、パタンとその本を閉じた。私の胸元に強引に押し付けられて、私はヒクヒクとコメカミを震わせながらそれを受け取る。落ち着け、押さえろ。この間仲直りしたばかりではないか。これでまた喧嘩したら、いつまで経っても変われない。コイツに大人になることを求めても、それは無駄である事は十分分かっている。だったら私が大人になるしかない。

「…悪かったですね、くだらなくて。別にデイダラを巻き込むつもりはないので、ほっといてください」
「あ?だったらなんで、」
「あ、イタチだ!イタチ、」

大人になるしかない、と自分をなだめた数秒後には、私も私で喧嘩腰な台詞を勝手に口走っていたので、結局は私もデイダラと似ているのかもしれない。ぷい、とそっぽを向いてそんなことを言えば、不満げなデイダラの目が私を鋭く睨んだ。何かを言いかけていた事は分かったが、このままデイダラの言葉を聞いていたら、それこそ我慢が利かなくなってまた大喧嘩に発展してしまうかもしれない。私は、まるで逃げ道を見つけたと言わんばかりに、ちょうどそこを通りかかったイタチに顔を綻ばせた。「ななし」と、こちらを見つめながら返って来た返事に手を振って、「おはようー!」なんて駆け寄ろうとした私を、デイダラは

「ぐえっ!!!」
「どこ行くつもりだコラ」

後ろから勢いよく襟元を引っ張られて、私は蛙が押しつぶされたような声を上げながら引き戻された。締まる首にじたばたと暴れた後、勢いよく振り返ってデイダラを睨む。なにすんのよ、と言いかけて、それを遮るようにデイダラの手が私の腕を掴んだ。

「…行くぞ」
「えっ、どこに!ちょっと!服引っ張らないでよ!イタチ!助けて!」

結局そのまま、成す術なく引きずられていく私を、イタチは同情するような目で見ていた。そこに放り投げられた本をそっと拾い上げて、デイダラと私がいなくなった方角を静かに見つめる。

「…恋人、か」
「どうしました、イタチさん」

ぼんやりと呟くイタチの言葉を拾った鬼鮫が、その手にある分厚い本に視線を落とす。イタチらしからぬタイトルに、鬼鮫も若干驚いたように笑って。

「おや、珍しいものをお持ちですね、イタチさん」
「ななしの落とし物だ」
「ななしさんの。それはそれは。やはり女性なのですね、こういうのに関心があるとは」
「…ななしには、こんなもの必要ない」

小さな机の上に、無造作に置かれた本は、イタチのその台詞によってばっさりと切り捨てられた。おや、と鬼鮫も驚いたような反応を見せ、隣に立つイタチの横顔を覗き込んで。どうやらご機嫌斜めのようだ、とイタチのツーマンセルの相棒は悟る。恐らく何かあったのか。触らぬ神に祟りなしとはまさにこの事。鬼鮫はそれ以上深くは聞かないようにしていたが、意外にも今日のイタチはお喋りだった。

「あの力に目を付けられ、こうしてここに縛られている限り、ななしに普通の生活は望めない」
「…まあ、そうですね」
「…………」
「イタチさん、何か怒ってます?」
「…………」

イタチはそれ以上は何も言わなかった。無言のまま去っていく背中を見つめて、鬼鮫一人残されたその部屋で、ぽつりと言葉を紡ぐ。誰かに聞かれる訳でもなく、聞かせる訳でもなく、ただ独り言を静かに口にして。

「目を付けられているのは、本当にあの力だけなんですかねェ…」




ーーーー・・・・





は、は、と繰り返される短い呼吸が、熱気になって部屋に溶けていく。珍しく任務も何もない平和な日。窓の外を見れば、心地よい青空が広がっていて、外に出かけたらどれだけ気持ちいいだろう。そう思いつつも、今日の私はまだ一歩も外に出ていない。今もこうして、連れてこられたデイダラの部屋に、二人して篭って。

「…は、ぁ…!で…だら…、くるし…!」
「…舌出せ、ほら」

先程、イタチを見るなり何故か不機嫌オーラ満載のデイダラに引っ張られた私は、そのまま彼の部屋へと直行した。そこに押し込まれるなり、デイダラはどかっと椅子に座り、再び私の腕を引く。対面するように彼の膝に座った私の腰には、がっちりと腕が回されて逃げ場が無くなって、異様に近い距離に動揺する暇さえ与えてくれなかった。デイダラはそのまま、私の後頭部を掴んで唇を重ねたのだ。

ちゅぷ、ぢゅう、と耳を塞ぎたくなるような音が鼓膜を震わせる。別に変な事じゃない、だって私とデイダラはお互い好きなのだから。そう思って、私も抵抗はやめた。何故彼が突然こんな事をするのかはよく分かっていないが、あれ以来のキスだ。きゅんきゅんと悦ぶ体をデイダラの体に引っ付けて、デイダラの肩を握りしめて。

「は……っ、ん……でだら…、すき……」
「…ん。…知ってる」
「すき……、ふ…ぁ…」
「口…、もっと開けろ、うん」

言われた通り、あー、と口を開ければ、そこに食らいつくデイダラ。フニフニと舌を弄ばれて、体から力が抜けていく。サラリと顔に落ちてくる金髪が擽ったくて、そっと伏せていた目を開いた。同じように目を閉じた端正な顔が目の前にある。垂れた髪が邪魔そうだったから、耳にかけてやった。離れた唇は唾液で光り、それをぺろりと舐めとる赤い彼の舌がエッチでスケベで官能的で…。また体の奥で、きゅんと何かが締まる感覚を覚える。

そうこうしている内に、デイダラの手は私の外套の襟を掴んだ。その動きに過剰な程反応した私が、咄嗟に彼の手を掴んで食い止める。私の顔が余程必死だったのだろう。デイダラは私の手を払い除けて、小さく息を吐いた。

「違ェよ、噛むだけだ、うん」
「え…、か、噛む…?」
「どっかの誰かが、ヘソ曲げて実家とやらに帰ってたからな。痕消えてんだろ、うん」

自分の首を指しながら、嫌味をたっぷり寄越してきたデイダラに、私はホッと胸を撫で下ろしていた。なんだ、そういう事か。いや、噛むという行為も、本来ならばかなり刺激的な事ではあるのだが。いかんせん、私のこの特殊な能力のせいで、その辺りの感覚は完全に麻痺してしまっている。治療の時にいつもそうするように襟を広げると、真っ白で傷1つない首が晒された。

ふー、と態とらしく吐息を掛けられて、ゾクゾクと背筋が震える。そのまま首筋に埋められた顔を見下ろしながら、そっと彼の髪に手を添えてやった。ぬるりと舌が這った後、慣れたように噛み付いてくる。ちくりと走る痛みと、ちゅう、と吸い付かれる擽ったさ。

「…憧れてんだろ、こういうの」
「へ…?」

離れた唇から唐突に投げかけられた言葉。荒い呼吸のままぼんやりする私に、続けて彼は「さっきの本に書いてあった」と言ってまた首に噛み付く。さっきの本…まだ最初のページしか読んでないけど、デイダラは適当にパラパラと捲って読んでたっけ。後半にはこんな過激なことも書いてあるのか。

と、そこで、グググと下半身に違和感。丁度腰を下ろしているその辺りから、何かが押し上げてくるような。硬いそれは、さっきから服越しに私のそこを押し上げていて。

「……!?!?で、でいだら、」
「……仕方ねぇだろ、生理現象だ、うん」
「た、勃ってる…」
「言わんでいい」

バツが悪そうなデイダラを他所に、試しに少しだけ腰を揺すったら、ぺちんと頭を叩かれた。

「服に手を掛けただけでビビってた奴が、一丁前な事してんじゃねぇ、うん」
「だって勃ってる…」
「うるせぇそれ以上言ったらマジで止めねぇぞ、うん」
「あっ…!?」

デイダラが少し動くだけで、硬いそれが押し付けられて体から力が抜ける。彼に凭れ掛かりながらも、結局デイダラはその先に進むことはなく、私は解放された。したくない、訳じゃない…。けど、まだ少しだけ恥ずかしいし、怖いという気持ちも若干ある。前に手前までデイダラとそういう事になったことはあるが、結局最後まで経験した訳でもないし。


(……もう少し、先、かな……?)



不器用な2人の恋はまだ始まったばかりである。