夜行遊女C

走る私の足に絡み付く、赤い舌。しまった、と思った時にはもう遅い。もつれた足が絡まって、私はそのまま勢いよく床に倒れ込んだ。抱えていたイタチと鬼鮫の体も放り投げだされて、床に体を叩き付けられる。それを見逃さなかった女…、赤い舌の持ち主であるソイツは、そのままずるずると私の足を引き寄せて、高らかに笑った。振り返ると、私と女の距離が徐々に縮まっていくのが見える。悲鳴を上げて必死に畳にしがみつくと、ハッとしたイタチと鬼鮫が慌てて体を起こし、印を結んだ。

「火遁・豪火球の術!」
「水遁・水鮫弾の術!」

そう高らかに技の名を口にした割には、イタチから放たれた炎は、いつもと比べて何倍も小さく弱々しくて、とても敵に通用するようなレベルではなかった。体が幼児化しているせいでチャクラの量も少なくなっているらしい。術の威力が激減してしまっている。続けて鬼鮫も水遁を発動したものの、こちらもイタチと同じくかなり威力が低くなってしまっていた。結局、敵の女に届くことなく消えてしまった忍術を前に、私の体は着実に女の元へと引きずられていた。

「やだ…っ、離して!!」
「男はみんな、いつまでも可愛い子供…。逆に女は、そんな子供たちを育てる偉大なる存在…。大丈夫よ、貴女にもすぐ赤子を与えてあげるわ。きっと立派な母親になれる筈よ…」
「な…にを……、」
「さあ、一緒に母親になりましょう」

女のその言葉を耳にした時、私の頭にはある1つの言葉が蘇っていた。昨日、魚屋の女性から聞いた、『この町から男性がいなくなった』という言葉。そして、今目の前に立つ怪しげな女が放った、『男はみんな、いつまでも可愛い子供』。イタチと鬼鮫が幼児化してしまった姿を見ると、何となくその謎の正体が分かったような気がする。もしかしたら、この町から男性が消えた理由は…。そう思考を走らせている内に、ついに私は女の手に捕えられ、胸倉を掴まれた。その手は、私の抵抗を物ともせずに服を乱暴に乱してくる。救いを求めてイタチと鬼鮫の名を叫び、半ばパニックになる私の傍らで、彼女は片手にあった赤ん坊を、乱れた私の胸元に押し付けてきた。

「さあ…、おっぱいの時間ですよ」
「な……、」
「母乳を飲ませれば、貴女にもきっと母性が生まれる。そうしたら晴れて私たちの仲間になるのよ」
「や、やめ…!」

押し付けられる人形を拒もうと、手を付きだした瞬間。後ろから炎を纏った苦無が空を切り、綺麗に人形の赤子の頭に刺さった。見事なコントロール力。ぶわりと燃え盛った炎は、そのまま赤ん坊を燃やし尽くして、女の手すらもじりじりと焼いた。何とか危機を逃れた私の前に、先程の苦無を放ったイタチと、鬼鮫が立ちはだかる。倒れる私の体を支えてくれる鬼鮫の手を借りてその場から立ち上がり、引き裂かれた衣服を手繰り寄せた。どことなくイタチも鬼鮫も、目のやり場に困っているのかぎこちなく視線を逸らして、不自然な咳払いを溢していた。

「平気ですか、ななしさん」
「鬼鮫、イタチ…ありがとう…」
「すまない。上着を貸してやりたいが、このサイズでは…」
「大丈夫。別に二人なら見られても…、」
「わ、私たちが困るんです」

そう?と緩く首をかしげている私に、再度深いため息を落とす二人。その頬は若干赤く染まっているようにも見える。元々この二人ならば、別に私の裸を見たところで何かする訳ではないと信用しているし、それに加え、今の二人の姿は端から見れば幼き子供。そのせいだろうか、服がボロボロになってしまった事にあまり危機感を感じなかった。逆に二人の方が少し困っているようだ。まあ勿論私も、『裸見られても平気!』という訳ではないので、すっかり布きれになってしまった外套を手繰り寄せて、己の体を隠すように抱き締める。顔を背ける鬼鮫は、あからさまに話を変えるように、前に立つ女性の方へと視線を移した。

「イタチさん、この町の男性が消えた理由は…」
「ああ。…恐らくあの女の仕業だろう。俺たちのように男たちを全員子供にして、攫ったか何かしたか。…先程から様子を見ている限り、相当子供に対して執着があるようだ」
「一体彼女は何の為に…」

男を子供にして攫い、更に女には人形の赤ん坊を与えて母親をやらせている。女から感じる、子供への異様な執着。彼女の正体とは、一体何なのか。私たちのやり取りを静かに見つめていた女だったが、対抗するように立ちふさがるイタチと鬼鮫を見て、その表情をますます強張らせた。ぎりぎりと噛み締められる歯からは、苛立ちが感じられる。

「母親に逆らうなんて、悪い子ね。そこの小娘によからぬ事でも教わったかしら」
「お前の子になった覚えはない。この町の人々を解放しろ」
「解放だなんて…、人聞きの悪い。私はみんなの望みを叶えてあげただけ」

女が両手を広げると、後ろに控えていた町の女性たちが一斉にぞろぞろと集まりだして、こちらに向かって鋭い殺気を投げた。みな、その腕には相変わらず大事そうに人形の赤ん坊が抱えられている。これらも全て、真ん中に立つこの女が操っているのだろうか。何とかこの状況を打破しなければならないが、元々町の人たちはただの一般人。ただ洗脳されているだけに過ぎない彼女たちを、殺す事などできない。加えて、イタチと鬼鮫の体は依然子供になったまま。彼らと町の人たちを元に戻す方法は、一体何なのか。

「母親になって、子供を育てる事が女の幸せ…。私は、色んな事情で母親になれなかった人たちに、こうして幸せを与えてあげているだけなのに…」
「抜かせ。お前がやっている事は只の洗脳だ。町の者たちの意思ではない」
「男のお前に何が分かる!…いつまでも幼稚で馬鹿な男たち。…お前たちはずっと、母親のお乳でも啜って甘えて生きていればいいのよ。私が大事に大事に可愛がってあげる」

その為にその体を用意してやったのに、と付け加えて、イタチと鬼鮫の体を指差す女。蛇のような、ぎらぎらと輝く金色の瞳を覗かせて、彼女は満足そうに笑った。確かに、子を持ち母親となる事は、女性にとっては幸せで感動的な事なのかもしれない。だが、だからといって、この女がしていることは許される事ではない。それに、こんな風に与えられた偽りの幸せなんて、誰も求めていない筈だ。少なくとも私は、望んでいない。大切な人と一緒に愛を育んで、その中で子供を授かりたい。きっと恋に落ちた女性なら、皆そう思うのではないだろうか。…いつか、私も。もしその時が来たのなら…。脳裏に浮かぶ、金髪の芸術馬鹿の姿。その姿を瞼の裏で感じながら、ゆっくりと目を開いて。

女の後ろで控える町の女性たちは、全員目に光が無く、どこかやつれているようにも感じる。とても幸せそうには見えないし、それどころか救いを求めているように感じられた。

「そんなもの、誰一人求めてなんかいない!早くみんなを元に戻して!」
「求めていないなんて、どうして貴女に分かるの?子供を育てたことない小娘が、偉そうな口を…」
「そんな事、誰だってすぐに分かるわ。人形の赤ん坊を与えられて無理矢理母親をやらされたって、誰も幸せにはなれない…」
「黙れ!!」

私の言葉を受けて激昂した女が、先を鋭く尖らせた舌を、私に向かって突き出した。物凄いスピードで迫ってくるそれに、目を見開く。今さら反応したところで、もう間に合いはしない。来る痛みを覚悟して、固く目を閉じ身構える私だったが、どれだけ待ってもその痛みが来ることはなかった。恐る恐る開いた視界の先には、私の代わりにその舌に貫かれる鬼鮫の姿が映る。目の前で飛び散る赤い血と、力無く倒れ込んでくる鬼鮫の体を受け止めながら、私は悲痛に彼の名を叫んだ。隣にいたイタチも、鬼鮫を貫いた女を鋭く睨む。

「鬼鮫!!!」
「…私なら平気です…。それよりななしさん…、早くこの場から退却を…」
「で、でも……」

力無く項垂れるその幼い体を抱きしめて、何度も鬼鮫の名を呼ぶ。その間、イタチがその小さな体で、私たちを庇うように前に立ってくれていた。ここからこの二人を抱えて逃げようとしても、相手は大人数の町の人たちを引き連れている上に、特殊な体を駆使して私の行く手を阻もうとする。とても逃げ切れるとは思えない。追い詰められたこの状況が、私から冷静さを奪っていく。どうしよう、どうすればいい、とパニックになっていく中で、イタチは女と対峙し時間稼ぎをしてくれていた。

(…何とか…、何とかしなきゃ…)

震える手で、外套に手を掛ける。現れた首元を、膝の上にいる鬼鮫に差し出し「噛める?」と問いかけた。まずは、鬼鮫が負った傷を癒すことが先決。鬼鮫は、苦し気な呼吸を漏らしながらも私のそこへ顔を近付けて、かぷりと噛み付いた。普段の時よりも弱々しい力。今の鬼鮫は小さくなっているせいか、噛む力も全く痛くはなく、擽ったいくらいである。小さく吐息を漏らしながら、塞がっていく鬼鮫の傷を見ていると、次第に彼の体全体が淡い光のようなものに包まれ始めた。

「え…、な、なに?」
「これは…」

驚いたように目を見張る私とイタチの前で、鬼鮫は光に包まれたまま徐々にその体が大きくなっていった。最初は私が小さな鬼鮫を膝に置いて抱きしめていたのに、今はぐんぐんと元に戻っていく鬼鮫の手によって、抱きしめられている。私のチャクラは、彼が負った傷だけではなく、不思議な力によって幼児化させられていた鬼鮫の体を元通りにしたのだった。まさか私の能力が通用するだなんて思ってもいなかった。驚く私とイタチの前で、完全復活を遂げた鬼鮫本人もぽかんとしている。

「も、元に戻った……」
「ななしの力か」
「ええ…、そのようです」

相変わらず凄い力ですね、と感心する鬼鮫。この力で治るのならば、イタチも元の姿に戻す事ができるという事だ。鬼鮫の手にエスコートされて立ち上がった私は、前に立つイタチを急いで抱き上げようとした。これで二人が復活すれば、きっとこの場を逆転できる。そう目論む私を、当然ながら敵は見逃す筈が無い。させるかと言わんばかりに、女は人形の赤子を取り出して、それを再び私の胸元へと強引に押し付けてきたのだった。

「ちょ、ちょっと、また…!?」
「さあ、この赤子を抱け!そうすればお前も母親になれる!」

ぎょろりと見開かれた赤ん坊の目が、困惑する私の姿を映し出す。もしこの人形の赤子を抱けば、私は終わり…。赤子を抱いた瞬間、私もめでたくあちら側に仲間入りという訳だ。そんなの、分かっていて受け取る筈がない。頑なに抱こうとしない私に女も苛立って、ぐいぐいと更に力を込め始めた。赤ん坊が、抱いて、抱いて、というかの如く、泣き声を上げて私を見上げる。頭を揺らす程の大きな泣き声が、私の耳に木霊して。その声を聴いていると、段々と気が遠くなるような感覚がした。抱いたら駄目だと分かっているのに、次第に体の自由が利かなくなって…徐々に、思考も…。まるで、頭の中を弄られている様だ。きっとこの時既に、私の体は敵の術中にあったのだろう。ゆっくりと持ち上げられた私の手は、静かに赤子へと伸ばされていく。あともう少しで、その人形を受け取ってしまう。そうしたら、私は……。


しかし、私があともう少しで敵の手に落ちる、その直前。そこに合った筈の赤ん坊は、何者かの手によって弾き飛ばされ、床に転がった。

「い、イタチ…!」
「ななし、目を覚ませ」
「ご、ごめん、ありが、」
「力を借りるぞ」
「あっ……、イタチ……っ」

間に入ってきたイタチは、小さな体にも関わらず早急に私を押し倒した。ぎゅう、と抱き付いてくる彼は見た目は子供なのに、発する台詞やその表情は、普段の彼と変わらない。子供でありながら妖艶な雰囲気を醸し出すイタチにされるがまま、既に乱れている私の胸元に、ちゅう、と吸い付かれた。イタチの力は、鬼鮫と同様、見た目に応じて弱々しくなっている。それでもしっかりと私の力は発揮されて、光に包まれたイタチの体は、みるみる成長していき、元の大きさへと戻っていった。ちゅう、と最後に吸った後、名残惜しそうに唇を離したイタチは、骨抜きになった私の体を抱き起こし、袖でグイと口元を拭っている。

「大丈夫か、ななし」
「イタチ……、上手だから病み付きになっちゃいそう…」
「またお前はそんな事を易々と……」
「おのれ…!邪魔をするならお前も一緒に殺してやる!!」

激昂する女の怒声を合図に、周囲にいた町の女性たちが一斉に襲い掛かってきた。私を抱えるイタチや、その隣にいた鬼鮫に向かって、数人が次々と拳を振り上げたり、持っていた刃物を闇雲に振り回す。当然、戦いの経験がある二人が、ただの一般人からの攻撃を喰らう訳がない。イタチは、私を抱き寄せながらも軽々とその攻撃を交わし、素手で応戦している。二人とも、力の加減をしながらもその攻撃をやり過ごしていた。

だが女性たちは、何度も何度も立ち上がる。これではキリがない。鬼鮫も困ったように眉を下げて、イタチと背中を合わせた。確かにこのままでは、死にはしなくとも、ずっとこの繰り返しになってしまうだろう。小さく舌打ちをするイタチを見上げながら、私は二人に訴えかける。

「イタチ、鬼鮫…!みんなはただ操られてるだけだから…!」
「分かっている。殺すつもりはない」
「どうするのですか、イタチさん」

心配そうに見つめる私の前で、イタチはそっと瞼を閉じた。ゆっくりと開かれた目は、何度も見たことがある、赤い瞳へと変化している。特徴的な模様がそこに浮かび上がり、イタチは写輪眼を発動させた。途端、その瞳をまんまと見つめていた町の女の人たちは、手にしていた人形の赤子を次々と床に落としていく。イタチの幻術のお陰で、ようやく洗脳から解放された彼女たちは、気絶するようにその場に力無く倒れていくのであった。一気に形成が逆転され、動揺するように周囲を見渡す女。遂には、立っているのは彼女一人だけになってしまった。

「な、何なのアンタ…!一体何を…!」
「残るはあの方だけですね」
「どうするか…」
「ま、待って、二人とも」

一人、私たちの前で立ちつくす女の人を見つめながら、私は緊張した面持ちで二人を止めた。今なら、何となく分かる。あの女性の正体。もしかしたら、私なら彼女を説得できるかもしれない。…同じ女として。少しだけ、彼女と気持ちを共有できるかもしれない。

イタチも鬼鮫も、そんな私の決意を感じ取ってくれたのだろう。「危険になったら、その時は俺が手を下す」という条件付きで、私の前に道を開けてくれた。…大丈夫。絶対にそんな事はさせない。きっと彼女も、本当はこんな事、したくてしている訳ではない筈だから。私が真っ直ぐ女を見つめると、彼女は狼狽えるように一歩後ずさった。先程までの殺気はすっかり消え失せ、完全に私たちに怯えているような様子を見せている。私は、できる限り彼女を怖がらせないように、ゆっくりと歩み寄った。敵意を見せないように、そっと静かに。

「く、来るな!」
「…貴女、もしかして…ずっと前に、子供を妊娠されていたのではないですか?」
「………!」

全ては私の憶測。証拠なんてない。だけど、確信していた。きっと彼女の正体は、かつて子供を身籠り、出産を控えていた妊婦だと。しかし、彼女は子供と会うことなくこの世を去った。待ち望んでいた我が子を抱く事すら叶わずに、命を落としてしまったのだ。…それは、この町に訪れた時に聞かされた、ある1つの昔話と酷似していた。



…産女。妊婦の妖怪。それこそが、彼女の正体。死しても尚、我が子への愛がこの世に未練を残し、成仏できずにいる。そして、その愛が執着に変わり、この町の人たちを巻き込んでいたのだ。きっと彼女は、今も苦しんでいる。子供をちゃんと産んであげられなかったという自責の念に。そして、夫を残してこの世を去ってしまった懺悔に。彼女は妖怪などではない。ちゃんとした、母親だったのだ。

「…私、貴女を救いたい」
「来るな…!来るなァ!」

壁を背に叫ぶ女性の瞳は、揺れている。拒む言葉の裏に隠されたSOSを、私は確かに感じ取っていた。