「貴女、本当はもう……」
私がその言葉を口にすると、前で怯えていた女性がぐっと唇を噛み締めた。否定も肯定もせず、ただこちらを黙って睨んでいる。その視線を堂々と受け止めながら、私はゆっくりと彼女に歩み寄った。後ろでは、イタチと鬼鮫もただ静かに私たちの事を見守ってくれている。…大丈夫。私には、2人が付いている。何かあったとしても、必ず助けてくれる。だからこそ私は、安心して彼女と向き合っていた。この女性は、今助けを求めている。誰かが彼女を救えなければ、きっと永遠に苦しみ続けるだろう。この町の人たちも、彼女自身も。
「…貴女が、子供や母親という存在に対して強い何かを抱いていることは、私にも分かりました」
「黙れ!!…さっきも言った筈だ。子を産んだこともない小娘が、私の気持ちなど分かる訳がない!」
「…確かに私は、子供を産む痛みも、子を慈しむ気持ちも、母親になる責任感も、体験した事がありません」
「だったら余計な口出しは、」
「でも、私も女です」
強い意思を宿した瞳で、真っ直ぐ彼女の目を見つめて。悲しげに揺らいでいるその双眸は、確かに私の言葉を聞き入れてくれていた。子供を宿し、そして出産するというのは、どれ程大変な事なのだろう。経験した事がない私にとっては、未知の世界。想像の上で語る事しかできない。でも、ただ1つ、私にも分かる事がある。彼女と同じ女だからこそ、分かる気持ち。それを私は、確かに胸で感じながら…。ゆっくりと彼女に告げたのだった。
「…私にも、いるの。この人の子を産みたいって思えるくらい、大切な人が」
「………」
「まだ、私は子供を産んだ事がないけど…。でも、いつか…。私も、その日が来るのなら」
勿論それは、数か月後とか数年後とか、そんな近い未来の話ではないだろう。いや、この暁という組織にいる以上、もしかしたら望んではならない願望なのかもしれない。…でも、私は想ってしまったのだ。この人と、将来もずっと一緒に寄り添って、そしていつか、家族を作りたい。そんな女の幸せを、彼の……デイダラの隣にいると、少しだけ夢見るようになった。頭の中に浮かぶ彼の姿に、そっと目を閉じて。
ねえ、デイダラ。貴方は私に、『地獄に連れて行く』と言ってくれた。そして私も、それを受け入れた。勿論今も、デイダラと一緒なら、地獄だってどこへだって行ける。でも、少しだけ気になったんだ。…もしこの先、平和な世界がやってきて、その世界を貴方と一緒に過ごせるのなら。私たちは、一体どんな関係になっているんだろうって。もし叶うのなら、そんな世界をデイダラと、そして…未来の子供と一緒に、歩いていけたら。胸に手を当てて、未来に想いを馳せる私の背中を、イタチはじっと黙って見つめていた。
「……そこまで決意させる存在が、アンタにもいるのね」
「…うん。だから、少しだけ…貴女の気持ちが分かる部分もあるの。貴女の子を想う気持ちや…、貴女が今抱えている悲しみも…」
「…………」
何となく、女性の表情が少しだけ軽くなったような気がした。憑いていた何かが取れたかのような、そんな晴れ晴れとした表情を浮かべている。小さく息を吐いて、私に向き直った彼女は、先程とはまるで別人のようだ。遠い過去を思い出すように目を伏せて、寂し気に、儚げに、その憂いを吐き出していく。ゆっくりと、ぽつぽつと、事の真実は明らかになっていった。
「…数か月前、私は死んだ。元々体が弱かったから…夫の子を身籠った時、医者に言われたの。もしかしたら無事に産めないかもしれない。貴女の命が危険だ、って」
「………」
「だけど、私は産むことを選んだ。例え私の命が尽きても、お腹にいるこの子だけは守らなきゃって…。そして、大好きなあの人に会わせてあげたいって…そう思って…」
ぽろぽろと溢れ出した涙は、女性の頬を伝い、着物に染みを作っていく。その悲しみは、大きく広がっていく一方だ。私は、静かに泣く彼女に寄り添って、その体を優しく抱きしめた。先程まで私を殺そうとしていた女性の体は、今や小さく丸まっていて弱々しい。悲しみに打ちひしがれる、ただの一人の女に戻っていた。
「だけど…やっぱり上手くいかなかった。結局私は息絶え、子供も産声を上げなかった。たった一人残された夫は、私たちの後を追うように死んだ。全部、全部だめだったの…。私は、母親失格だわ」
「そんな事ない。失格だなんて、そんなこと言わないで。母親に、合格も失格もないわ…。子供が出来て、この子を守りたいって思った時、貴女は立派な母親になったんだから」
「………」
「貴女は、ちゃんと母親だった。子供を愛する気持ち、守りたいって思う気持ち、全部本物だったんでしょう…?」
ぎゅう、と背中に回した腕に力を籠めると、彼女は声を上げて泣いた。今まで我慢していた何かを全て曝け出すかのように、泣いた。腕の中に感じる温もりに目を閉じながら、私はその瞼の裏に、そっと自分の母親の姿を思い浮かべて。私の母は、どれだけの苦労をして私を産んだのだろう。私を育ててくれたのだろう。同じ力を持っていた母親は、結局村の人たちに使われるだけ使われて死んでしまったけれど、生きている間、私をいつも優しく包み込んでくれていた。その温もりは、母が死んだ後もずっと覚えている。例えもう会えなくても、私の中に生き続けている。母親の優しさ、強さ、逞しさは、きっと永遠に消えない。だって私にとっての母は、この世界でたった一人しかいないのだから。
やがて、泣き崩れていた女性の体が、白い光に包まれ始めた。驚いて体を離すと、力の抜けた女性の体が床にゆっくりと倒れ込んで、そのまま気を失ってしまった。その体から、すっと抜け出た白い光は、しばらくの間そこに漂った後、ゆっくりと空へ上っていく。きっと、子を産めなかった無念に苦しんでいた母親の魂が、成仏したのだろう。その光が消えた方向をいつまでも見上げながら、私はそっとイタチたちの元へと並んだ。イタチと鬼鮫も、ただ静かに空を見上げている。彼らも、己の母親のことを思い浮かべているのだろうか。イタチと鬼鮫のお母さん…。一体どんな人だったのだろう。
「……女性は、強くて儚いですねぇ」
「…そうだな」
「……………」
二人の呟きを耳にしながら、私はいつまでもその光の先を見つめていた。
…家族に、会えたかな。
ーーーー・・・・
「…あれ…、私たち……」
むくりと体を起こした女性は、鈍い痛みを訴える頭を押さえながら周囲を見渡した。周りには、自分と同じように床に倒れている女性たちが、続々と意識を取り戻している。どうしてこんな所にいるのか、今まで何をしていたのか、全員その辺りの記憶が曖昧らしく、お互いにお互いを確認しながら騒然としている。そんな中、不意に外から響いてきたのは、懐かしい男の声。はっとして顔を上げた女性たちが、続々とその場から立ち上がって、駆け出していく。そこには、久々に見たような気がする最愛の人が立っていて、彼らは無事に再会を果たしたのだ。その光景を、私たちはひっそりと木の上から眺めていた。
「良かった、みんな無事で…」
「やはり、あの成仏しきれなかった女性の念がこの事態を引き起こしていたのですね」
「…今回は、ななしのお手柄だな」
「え、私…?」
きょとんと自分を指さす私を、二人は優し気な目で見つめてくれている。結局私は、今回も二人の足を引っ張っていただけのような気がするし、イタチと鬼鮫が幼児化した時なんかは、何もできずにただ狼狽えるだけだった。自分としては、またもやお荷物になってしまったと思っていたのだが、その思いに反して、二人は私のことを褒めてくれていた。頭を撫でてくれる優しい手付きに、まあイタチたちがそう言ってくれるならそれでいいかと納得して、ご機嫌な様子で振り返る。
「さ!帰ろ!」
わざわざ町の人たちに挨拶する必要はない。感動の再会を分かち合う人たちの背後で、私たちは人知れず、そこから姿を消したのだ。ちりん、ちりん、と鳴り響く笠の鈴の音は、森の闇の中へと吸い込まれていく。
「あ」
「…どうしました?忘れ物ですか?」
「いや、まあ…忘れ物っていうか」
帰路に着こうとしたその最後尾で、ふと立ち止まった私を二人が振り返る。首を捻る鬼鮫の前で、私はぎゅっと自分が羽織る外套を握り締めた。私の体のサイズには合わない、大きくてブカブカなそれ。戦闘の中で服をボロボロにされてしまった私は、やむを得ずイタチの外套を借りて、この場をやり過ごしていた。ほんのりイタチの匂いを感じる、温かいそれに視線を落として。黙り込む私に、二人の視線が注がれる。
「お礼するの忘れてた」
「お礼…?」
「一体何のことです?」
いつも守ってくれるお礼!それだけ言って、私はニカーと悪戯げな笑みを浮かべた。二人とも、何となく嫌な予感が走ったのだろう。その眉をぴくりと震わせて、こちらを警戒している。しかし、私の悪戯心はもう止められない。にんまりと口元を歪めたまま、己の外套に手を伸ばし、そのファスナーに手を掛ける。ぎょっとしたイタチと鬼鮫が手を伸ばして、私を止めようとした。
「おい、ななし…!」
「ななしさん!」
「それ!お色気の術!」
バサリと勢いよく開いた外套の中からは、ボロボロに乱れた忍び服を纏った、私の体が現れる。イタチと鬼鮫の前で、惜し気も無く晒されたその姿は、しっかりと2人の瞳の奥に焼き付いた。顔を赤くして慌てて後ろを向く鬼鮫と、俯いたままコメカミをぴくぴくと震わせるイタチに、私はケラケラと笑って。その数秒後には、私の頭上にイタチの雷が落ちるのであった。
イタチの説教は、1時間続いた。
ーーーー・・・・
イタチたちと共に無事にアジトへ帰還し、リーダーへの報告を済ませた後。私は、前を歩く見慣れた後ろ姿を発見した。あの揺れる金髪の髷。間違いない、デイダラだ。今回の任務で何かと彼を思い出す事が多かった私は、久々に見たような気がするその背中に頬を綻ばせ、手を上げながら声を掛けようとした、その瞬間だった。
「デイ…っ、んぐ…!?」
「…なんか呼んだかトビ」
「え?」
デイダラが振り向いた先には、人一人いなかった。静まり返っているそこを訝し気に見つめながら、眉を顰める。確かに今、名前を呼ばれたような気がしたのだが、幻聴だろうか。隣にいるトビが呼んだのかもしれないと、念の為確認する意味を込めて問いかけてみたが、トビも身に覚えがないようで、きょとんとしていた。どうやらトビが呼んだ訳ではないらしい。だとしたら、今の声は一体何だったのだろう。
「やだなあ、先輩。しばらく任務続きでななしさんと会えてないから、幻聴でも聞こえたんじゃないッスか?」
「そんなんじゃねえよ、うん」
「とか言って強がっちゃってぇ!本当は寂しい癖に!たまには素直に甘えたらどうですか!」
「うるせぇ!!ぶっ殺すぞ!!」
「えぇ…。もう先輩ったら…、すぐ怒るんだから…」
ぷりぷりと怒りを露わにして歩き去っていくその背中を、トビは呆れたように見つめた後、ゆっくり後ろを振り返った。先程デイダラが不審がるように見つめていたそこを、じっと眺める。その仮面の奥の瞳は鋭く光っている。トビは何かに気付いているのか、しばらくそこを無言で睨んだ後、フンと鼻を鳴らして踵を返した。どんどん先を歩いて行くデイダラを、「待ってくださいよ先輩〜!」と叫びながら小走りで追いかける。誰もいなくなったそこには、静寂が訪れたのだった。
一方で私は、デイダラに声を掛ける直前で突然後ろから口を押えられ、そのまま物陰に引きずりこまれていた。お陰でデイダラに声を掛けることは叶わず、慌てて背後を振り返る。一体誰がこんなことを、と確認するべく振り返れば、そこにいたのは紛れもない、先程まで一緒に任務をこなしていたイタチであった。
「イタチ…!?びっくりした…、何かと思った…」
「すまない」
彼がこんな強引な事をするなんて珍しい。何か私に用があったのだろうかと、彼の顔を覗き込んだ瞬間、イタチは再び強引に私を引き寄せ、力強く抱き締められた。背中に回る腕が痛い程に熱い抱擁。彼の行動の真意が益々分からなくて、どうしたの、とその顔を覗き込もうとすると、今度はイタチのその端正な顔が近づいて来て、
「イタ……っ、」
塞がれた唇は、熱くて蕩けそうだった。重なるイタチの唇と、私の唇。勢いのままに、性急に落とされたその口付けは、こちらの制止も虚しく深まっていく一方で。息を吸う隙を狙って捻じ込まれた舌は、私の舌を絡み取り、執念に追い掛けた。何度も、何度も顔の角度を変えて私に影を落とすイタチの背中を、ぎゅっとしがみつく様に握り締める。体の力が抜けてしまいそうだ。
「は……、ぁ……いたち……っ!待って…!」
やっと離れた唇から、ようやく言葉を紡ぐ事が出来て、私は何とか彼の胸板を押し返した。何とか作った二人の距離の間で、お互いに乱れた呼吸を整える。突然ここに連れてこられて、抱きしめられて、キスされて……。イタチらしくない。一体何が彼を突き動かしているのだろう。動揺を隠せぬままイタチを見上げると、彼はまたも私に手を伸ばして、壁に押さえつけ、顔を近づけようとするのだった。
「ま、待ってってばイタチ…!一体どうしたの…!?」
「……お前とデイダラが同じ気持ちである事は分かっていた」
「え……?」
「だが、俺には関係なかった。だからといって、ななしがアイツのものになった訳ではない」
「な…何を言ってるの…?」
「だが…先程の町で、お前の言葉を聞いた時…そこで初めて焦った」
私の言葉…?一体どれの事を指すのだろう。イタチに言われて、思い返す様に記憶を飛ばす。思い当たるのは、あの女性と対話した時のこと。まさか…、とイタチの黒い瞳を見つめ返すと、彼はただ真っ直ぐに、私を捉えていた。
「……デイダラの事を言っていたのだろう?」
「そ、れは……、」
「デイダラの子を産みたい、と。そう思っているのだろう」
「あ、あのね、イタチ。実は私、デイダラと、」
その先は、またもや言わせては貰えなかった。まるで、聞きたくないとでも言うかのように。言うな、と告げているかのように。荒々しく塞がれた唇から確かに感じる、イタチの激しい嫉妬、怒り。まさかあのイタチが、私のことを?信じられない気持ちが半分以上を占めているが、しかし今現実に起こっていることは本物だ。幻なんかじゃない。
「…もしお前の言うその望みが叶ったら、俺はお前に手が出せなくなる」
「あっ……、い…た……、」
「…そうなる前に…、手が届かなくなる前に…、」
お前を奪いたい。
耳元で囁かれた低くて重たい言葉は、ずしりと私の心にのし掛かる。頭が真っ白になって、絡みとられた手を振り解く事が出来ない。…私は、どうすればいいのだろう。イタチは私にとってとても大切で、大好きな人だけど、でも、私が好きなのは……、
混乱する私に口付けを落とそうとしたイタチは、突如背後に鋭い視線を投げ、私から体を離した。何も無い闇を睨む彼の視線の先を辿ると、そこからゆっくりと姿を現した一人の人物に目を見開く。
「…ななし」
「サソリ…!」
サソリの介入に、正直ホッと胸を撫で下ろす。このままイタチと二人きりだったら、どうなっていた事か。サソリは、私とイタチの間にあった事を知ってか知らずか、いつもと変わらぬ様子でこちらの名を呼んだ。ぎこちなく俯きながら、小走りでイタチの横を通り過ぎる。そうしてサソリの隣に駆け寄った私を、この傀儡師は横目でちらりと見て。
「次は俺たちの任務に同行してもらう。…行くぞ。俺を待たせるんじゃねぇ」
「う、うん」
スタスタと先に歩き出してしまった背中を見つめて、私は頷いた。流れる気まずい雰囲気に圧されながらも、一応イタチに「またね」と手を振る。彼は無言でそこに立っているだけで、なにも返事はくれなかった。
その一方で、私を呼び出してくれたサソリは、ただ前を見据えて暗い闇の中を歩いていた。後ろから小走りで付いてくる足音を確認しつつ、心の中で一人笑みをこぼす。
(……奪うなんて簡単だ。殺せばいい)
側に置きたいのなら、殺せばいい。この手で、その存在を。そうすれば、ソイツの最期の男となれる。そして、綺麗な芸術の誕生だ。その瞬間を、サソリはずっと昔から待っているのだ。
「…どいつもこいつも、馬鹿な連中だ」
「え?なんか言った?」
「………お前には分かんねぇよ」
殺しは別れじゃない。その者を縛り付ける、究極の選択肢であることを、他の者はまだ知らない。