窮鼠猫を噛むC

時刻は既に、深夜を回っていた。静かに開かれた扉の隙間から、ぼんやりと廊下の灯りが差し込む。その光に釣られて顔を上げたサソリは、やっと帰って来たその人物を鼻で笑った。

「随分と長居してきたじゃねぇか、デイダラ。ガキのくせにやる事は一丁前だな」
「なっ…、そ、そんな事してねぇよ!た…ただ…、少し話してきただけだ…うん」

ななしの部屋から戻ってきたデイダラは、ここを出て行く前よりも心無しかスッキリした表情をしているように見えて、てっきりサソリはやる事を済ませてきたのかと思っていた。しかし、それをきっぱりと否定したデイダラは、羽織っていた外套を脱ぎ捨て、髷を解き、すっかり就寝モードに入るのだった。

「……旦那」

薄暗い部屋の中、三組の布団の中で、既に1つは膨らんで呼吸に合わせて上下に揺れていた。ロイはとっくの前に眠りに就いたようだ。まるで猫のように背を丸めて、布団の中に入っている。その姿を一瞥しながら、隣の布団に体を忍ばせたデイダラは、相変わらず傀儡の手入れを続ける背中に声を掛けた。サソリはその手を休めず、こちらを振り返ることもなく、ただ無言で自分の作業に没頭している。同じ芸術家のデイダラからしたら、睡眠時間を芸術の時間に充てられるのは羨ましいことだった。傀儡の彼には、睡眠など必要ない。かと言って、己の体を傀儡にしたいのかと問われれば、答えはノーなのだが。

「旦那も、オイラと同じ事を思ってんだろ?うん」
「は…?何だ藪から棒に」
「…上手く隠せてると思ったら大間違いだぜ、サソリの旦那」

薄暗い闇は、二人の心を表しているかのよう。お互いに、ただ不気味にその目を光らせながら、無言でじっと見つめ合う。大事な言葉が足りないデイダラのその台詞は、他の人からすれば一体何の事なのか理解が出来ない。しかし、サソリにだけは伝わっていた。デイダラが何を言いたいのか、何を指しているのか。サソリの中には、心当たりがあるからだ。

「………さぁ、どうだろうな」
「誤魔化すなんて狡いじゃねぇか。オイラたちは、目指すものは違えど同じ芸術家だろ?うん」
「同じ芸術家であっても、目指すものが違えば理解し合う事はできない。そんな事分かってんだろデイダラ」
「…………」

腹の底を探り合うような食えない笑みは、双方とも自然に消えていった。彼らは、同じ芸術家だからこそ分かち合い、そして分かり合えない。お互いに心の奥に秘めた野望は、真逆の方向を向いている。そしてその望みを叶える為には、今目の前にいる男こそ一番の邪魔者であり、厄介者であり、そして理解者でもあった。

「…デイダラ。永久の美こそ、真の芸術だとは思わないか。永遠にそこに形が残り続けるんだ。美しい、欲しいと思ったものが、永久に隣に在り続ける。其れ程素晴らしいものはないだろう」
「馬鹿言うなよサソリの旦那。消え行くからこそ、そのものの価値や存在が強烈に心に残るんだ。よく言うだろ、大事なものは失ってから気付くって。一瞬で儚く散る美しさこそ、本物の芸術だ、うん」

お互いに譲らない。譲れない。自分の芸術感に賭けて。そして、己のそんな身勝手な芸術に巻き込もうとしている人物への想いも賭けて。




「永久の美こそ相応しい」

ななしをこの手で殺し、綺麗に血を取り内臓を取り、そして素晴らしい芸術作品へと進化するだろう。他でもない、このオレ自身の手で、アイツを最高傑作にする。もしかしたらあの風影よりも素晴らしいものが出来上がるかもしれない。その時ようやく、あの女はオレのものとして完成する。…永久の美。それこそが最も美しく、最も芸術的。きっとななしもそれを望んでいるだろう。なぁ、ななし。




「芸術は爆発だ、うん」

左胸に備わっている、オイラの最高傑作。これを発動させた時、オイラはこの世に爪痕を残し、そして真の芸術が完成するんだ。その時はお前も連れて行く。地獄まで連れて行くと約束したんだ。アイツもそれを受け入れている。ななしの最期は、オイラが決めるんだ。これだけは、例え相手が旦那であろうと譲れねぇ。…ななしを、オイラの芸術で染める。うん。




二人の芸術が静かにぶつかり合う。永久の美と一瞬の美は、対極にあるのだ。


「…まあいい。今すぐの話じゃない」
「そうだな、うん」
「それに…、オレにばかり気を取られていると、隙を突かれるぞデイダラ」
「……どういう意味だ」
「なんだ、本人から聞かなかったのか」

その表情をみるみる曇らせるデイダラを見て、サソリは楽しそうに笑った。何かを知っているかのようなその口振りに、デイダラも焦ったくなる。隙を突かれる?誰のことだ。頭の中に広がる不穏な気配。食いついてきたデイダラに対し、サソリはその薄い唇でその名を紡いだのだ。






うちはイタチ、と。







ーーーー・・・・






「よく寝たぁ……」

大きな欠伸をしながら、布団の中で伸びをする私は、スッキリとした面持ちで朝を迎えていた。かなりリラックスした状態で快眠できたようだ。体の疲れもすっかり取れて、目覚まし時計が無くても起きる事が出来た。質の良い睡眠が取れたのは、この布団のお陰だろうか。…それとも…。

(デイダラとキス…、いっぱいしちゃった…)

悶々と広がる、夜の光景。この布団の中で、昨晩はデイダラと沢山のキスを交わした。ロイとの思わぬ再会によって勃発した、私とデイダラの喧嘩。その際私は、勢いのままに「キスしてくれなきゃ許さない」と口走っていた。要は言葉に出来ないなら、好きを行動で表せと言ったのだ。その時は首を縦に振らなかった彼だったが、昨晩突然この部屋に現れて、しっかりとそれを叶えてくれたのである。お陰で何となく肌がツヤツヤしているように思うし、鏡を見なくとも頬が緩んでいるのが分かる。

とりあえずこんなだらしない顔で外に出たものなら、あのサソリに馬鹿にされるに違いない。気持ちを切り替えて顔を洗おうと、洗面台の前に立ち鏡を見つめて、


「え、」



そこで気付く。私の背後に立つ、怪しげな人影に。悲鳴を上げるよりも早く、ソイツは私の口元を押さえ、床に押し倒す。最後に見たのは、私の上に伸し掛かるその人のお尻に生えていた、長い尻尾だった。














「サソリ」

呼ばれて振り返った赤髪の男は、愛用しているヒルコの中に潜もうとしていた所だった。いつまでも起きてこない別室のななしを心配して、デイダラに「様子を見て来い」と命じた矢先、彼女はサソリ含む男性陣が泊まっている部屋の前へとやって来た。にこにこと笑みを浮かべながら、おはようといつもと変わらぬ挨拶をしてきたななしに、サソリは眉を寄せる。

「……遅い。オレは待つのも待たせるのも嫌いだって言ってるだろうが」

待たされた事に対する苛立ちを、隠す事無く本人にぶつける。しかし、サソリがこうして不機嫌なのも、最早日常茶飯事であった。特に気に留める事も無く、へらへらと笑うななしは軽い調子でごめんと口にする。チッと小さく舌打ちを残して、そそくさとヒルコの中へ入ろうとするサソリの腕に、ななしの腕が絡みつく。「は…?」とサソリが声を上げたのも束の間、ななしは微笑みをたたえながらその体をサソリに密着させるのだった。

「サソリ……」

滅多に動揺しないあのサソリですら、この状況には目を丸くしていた。こちらを見上げるななしの表情は艶めかしく、正に『女』の顔をしている。うっすらと上気する頬、どこか潤んでいるように見える瞳、吐息混じりに紡がれた名前…。どれをとっても普段のななしではない。あの女は、こんな小賢しい真似をするような奴ではなかった筈だ。呆気に取られている内に、彼女のその色づく唇が目の前まで接近して、遂には唇同士が引っ付いて重なる。確かに感じる柔らかな感触は、ななしとサソリが口付けを交わしている、動かぬ証拠であった。我に返ったサソリが慌ててななしを振り払い、袖で唇を拭う。その目は鋭く細められ、低くした声音で問いかける。

「…何のつもりだななし」
「相変わらず冷たいなあ、サソリは…。そんな反応されたら傷付くよ…」
「生憎だが、オレにはそんな小賢しい真似は通用しない。相手が悪かったな」

サソリの言葉とは反対に、懲りずにぐいぐいと胸を押し付けてくるななし。どうやら素直にこちらのいう事を聞くつもりはないらしい。あくまでも冷静なサソリの頭には、あらゆる可能性が駆け巡る。敵に乗っ取られているか、それとも操られているのか。もしくは偽物か…?目の前で女を見せる彼女をじっと見下ろし、その正体を探る。残念ながら、サソリにはこういった人の心理を利用した小技など通用しない。一番相手が悪い人物を選んでしまったものだ。敵に同情すらしていた。

(…偽物、ではなさそうだな…。だとしたら操られている線が濃厚か…?)

この小娘は、なぜいつもそうトラブルを持ち込んでくるのか。間抜けな面をしているから敵に狙われるのか。その災難な体質には同情すら覚える。相変わらず引っ付いたままのななしは、間違いなく彼女本人であり、誰かが化けているという訳ではなさそうだった。だとしたら、敵の術に嵌っている可能性が一番高いか。裏に潜む敵の存在を警戒し、周囲に気を巡らせるサソリの鼻に、微かに掠めた独特な香り。

(…この甘い匂いはなんだ…?)

漂うのは、甘ったるい香り。ななしから強く感じるその匂いに、眉を顰める。気付けば周囲にもこの匂いが充満していて、サソリは口元を袖で覆った。みるみる立ち込めていく異変は、まだ部屋の中にいたデイダラやロイも察知したようで、ようやく2人が奥から姿を現したのだった。

「旦那、なんだこの匂い…」
「頭がくらくらする…。俺たち狼一族は人より何倍も鼻が敏感なんだ…気がおかしくなりそうだ」
「だったら奥にすっこんでろ、足手まといだ」

出てきたデイダラとロイも、顔を顰めながら袖で鼻と口を覆う。ここで何か異変が起きていることは、既に三人とも察知していた。…どこかに敵が潜んでいる。そしてその敵は、きっと彼らが追い求めている『巻物泥棒』であることも、何となく予感していた。どこだ、どこにいる。そう探すデイダラの視界には、何故かサソリに引っ付いているななしの姿が映る。

「おい、ななし。テメエ何して…、」
「ななし!おいで!」

デイダラの声をかき消すように響いたのは、サソリの声でもロイの声でもなかった。突如として現れたその新たな声は、馴れ馴れしくななしの名を呼ぶ。淀む視界の中で、窓際に立つ黒いシルエットが、ななしに向かって手招きをしている。そしてその声を聞いたななしは、何の躊躇いもなくサソリの腕から離れ、自らその人影の方へと走って行ったのだった。

「おいななし!!」
「よしよしよし…。よく出来たね、ななし。後でご褒美をあげよう」

まるで猫のように、首元を撫でられてゴロゴロと頬を緩ませるななし。従順な彼女を従えながら、そこから姿を現したのは、人の姿をしていながら獣の耳と尻尾を生やした、女性であった。その姿は、狼一族であるロイに似たものを感じる。巻物泥棒の特徴である、耳と尻尾が見事に合致している人物の登場に、デイダラもサソリも表情を険しくさせた。

「テメェ…、何者だ」
「ななしに何しやがった!うん!」
「可愛いだろ、アタシの飼い猫さ」

自慢げに飼い猫と紹介したそれは、紛れも無くななしであり、決して猫なんかではなく、暁の一員だ。一人部屋を与えたのは失敗だったか。ごろごろと謎の女に懐いている様子を見ていると、デイダラの腸がぐつぐつと煮え返ってくる。

「そいつはオレら暁が飼いならしている猫だ。巻物だけじゃ飽き足らず、人のペットまで盗むとは…相当手癖が悪いようだな」
「こーんなに懐いているのに…お前たちはこの子を返せっていうのか。なあ、ななし。お前ももう向こうには戻りたくないだろう?」
「返せなんて言ってねぇよ。奪われたモンは奪い返す…。簡単な話だ、うん」

懐から巻物を取り出し、自慢の三代目風影の傀儡を出すサソリと、その隣で手の平の口をくちゃくちゃと咀嚼させるデイダラ。その2人の背後から、匂いに中てられてぐったりとしているロイが、過去に得た知識を引っ張り出していた。

「あの女…、山猫一族の女か」
「山猫…?」
「俺たちと同じように、耳と尻尾が生えた一族だ。山の中で暮らしていると聞いたことがあるが、特殊な技を使って人を騙したり、ああやって操って手駒にしたりするんだ」
「チィ…。あの馬鹿…、まんまと術に嵌りやがって…うん」
「御託はいい。さっさと始末するぞ」

徐にヒルコの中を漁ったサソリは、デイダラとロイに向かって何かを投げつけた。体に当たって床に落ちたそれは、カランカランと無機質な音を立てて転がっている。その正体を目で追う2人を後目に、サソリは前に佇む山猫の女を見据えた。

「防毒面だ。それを口に付けろ。オレは傀儡だから関係ねぇが、お前らにはこの匂いがキツイ筈だ」
「悪いな旦那、うん」
「便利なものを持ってるもんだな」

サソリから受け取ったそれで口を覆った2人も、ようやく戦闘の態勢に入る。緊迫する空気の中で、指を折るサソリのその動きが、糸の先に繋がった風影と連動して飛び出していった。山猫の女目掛けて距離を詰める風影が、仕込まれていた刃を振り下ろそうとした瞬間。まるで女を庇うようにして前に出てきたななしにより、サソリは慌てて糸を引いて傀儡を引っ込めた。危うくななしを切り刻むところだった。

「邪魔すんじゃねえななし!殺されてぇのか!」
「おいおい!かつての仲間に酷い暴言を吐くじゃないか!さあ行け!ななし!」

女の呼び声に、ななしがまたもや反応する。サソリ目掛けて一直線に走って来たななしは、その懐から鋭く光る苦無を取り出した。目を見張るサソリが、咄嗟に風影を盾にする。お陰で自分の身は何とか守れたものの、傀儡の胴に苦無を突き刺したななしは、そのままの勢いでサソリを風影もろとも押し倒し、上に伸し掛かった。「旦那!」と呼ぶデイダラの声の端では、女が素早く印を結び、口から勢いよく術を噴出する。

「木天蓼の術!」

ぶわりと噴出された小さな粉のようなそれは、空気に乗って舞い上がる。立ち込めていた匂いは益々きつくなり、防毒面を付けていても、匂いに敏感なロイにはキツイようだった。ぐらりと頭が痛み、思わずその場に膝を付く。デイダラも、何も纏っていない無防備な目に粉末が入り込み、堪らない痒みに襲われてとても目を開けていられる状況ではなかった。唯一この場でその術が通用しないのは、己の体を傀儡に改造しているサソリだけであったが、彼はななしによって足止めされている。サソリも、相手が仲間であるななしとなると、そう簡単に手を出す訳にもいかなかった。

「どけ、ななし…!」

瞳孔を開くサソリが、上半身を起こしながら上に乗るななしを睨む。邪魔をするな、と言おうとしたが、サソリはその姿を目の当たりにした瞬間、はっと息を呑んだ。あの女が唱えた木天蓼の術とやらは、デイダラやロイだけではなく、ななしの体も蝕み始めていたのだった。




「さ…そり………」
「………」


先程から上気していた頬は更に赤く染まり、苦しそうに呼吸を乱している。目は虚ろで、とても正気を保っている状態には見えなかった。理性を失っているのか何なのか。フルフルと小刻みに震える体は、サソリの体にも振動として伝わってくる。反射するサソリの瞳に映し出されているななしは、明らかに苦しそうに、そして救いを求めるようにサソリを見下ろしていた。止められない衝動と欲求。それらが、彼女の中で渦巻き葛藤を繰り広げている。


(木天蓼……、マタタビ、か……)



木天蓼。またの名を、マタタビ。マタタビを嗅いだネコ科の動物は、恍惚状態となり、中枢神経、つまり脳みそ関係に麻痺を起こす。サソリが仕込みの毒を作る時に得た知識だ。あの敵の女に飼いならされて、まるで猫のような仕草を見せるななしにとっては、この粉はかなり有毒な筈。吸い過ぎれば体に負担をかけ、呼吸不全を起こす場合もあり得る。人間にとっては、まるで麻薬のようなものなのだ。

「…飼ったからには、責任を持って最後まで面倒を見るもんだ」
「サソリ……、」
「躾し直してやる、ななし」


我を失うななしの首元に、緩く巻かれた青いチャクラの糸は、まるで猫がする首輪のようだった。