人は人 吾はわれ也C

「嬉しいわぁ、俺らの職場に名無しちゃんが遊びに来てくれるなんて」

人の良い笑顔を浮かべる侑様に対し、私はとても笑みを返せるような状態では無かった。彼らに通されたその部屋は、薄暗くて埃っぽい、まるで牢屋のような小さな部屋。その重い鉄格子を開けた治様に促されるまま、私はそこへ足を踏み入れた。閉じた瞼の裏で、蘇る。先程、店で見た女性の死体。そして、連れていかれる私を鋭い眼差しで見送っていた、黒尾様たちの姿。

「こんな埃っぽいところに通してすまんな。決まりなんや、許してくれ」
「いえ…」

部屋の中央に置かれたテーブルと、2つの椅子。奥側の方へ誘導されて用意された椅子に座り、目の前には北様と仰っていた方が座った。その無表情な目が再び私を射抜く。私は一体ここで、何をされるのだろうか。自然と体は緊張で強張っていく。それが前に座る北様にも伝わって、相変わらずその無な表情は崩さぬまま言った。

「ちょっと話しを聞くだけや。すぐにアイツらのところへ返してやるから安心せえ」
「…私は、疑われているのですか」

その問いに、三人は黙り込んだ。婦女連続殺人事件。この周辺で繰り返されている凶行は、未だ犯人が見つかっておらず被害者は増えていく一方。彼ら軍人や警察は、今躍起になってその事件の真相を追っている。犯人を捕まえることが出来れば、大きな手柄が手に入るのだから余計だ。犯人は現場に戻る、という言葉を聞いたことがあるし、私は疑われてここに連れて来られたのかもしれない。息を呑んで北様の大きな目を見つめ返し、返事を待つ。すると、北様は迷いなく私に言った。

「質問に質問を返すようやが、お前が殺したんか?」
「ち、違います!私は殺してなんか…っ、」
「そんなら、俺たちはそれを信じる」

え…、とぽかんと口を開く。拍子抜けした様子で北様を見つめた後、その後ろに立つ侑様と治様にも目を向けた。彼らも小さく微笑みながら、私を見下ろしている。その顔は、私のことを犯人だと思っているような表情ではない。私の殺していないというたった一言で、そこまで信じ込んでいいのか。勿論、殺していない事は事実だし、信じて貰えるならそれに越した事はない。しかしこうもあっさりされるとは。もっと厳しい取り調べを受けるのかと思っていたが故に、驚きを隠せない。

「し、信じて貰えるのですか……」
「ここに連れて来たんは、ただ話を聞く為や。犯人に繋がる、重要な証拠を掴むためにな」
「名無しちゃんには悪いが、この件、手柄を掴むの俺たちやで」

北様の後ろから顔を覗き込ませてにんまり笑う侑様。黒尾様たちもこの事件を追って、手柄を掴もうと頑張っている。私は、このまま彼らに情報を渡してもいいのだろうか。黒尾様たちの努力を、この私が無駄にしてしまうのかもしれないと思うと、少し心が痛い。だが、沢山の被害者が出てしまっていることも事実。解決は急がなければならない状況だった。

「自分、ほんまに何も見てないんか。犯人らしき人影とか」
「はい…。でも…、もしかしたらいたのかもしれません…。あの時は死体を見て気が動転していたので…」
「白布も調べたらしいが、何もおらんかったって言うとったな」
「女性の死体は手首が切られて、切断した手が持ち去られとった。最初は女の体を集めとる男の仕業かと思っとったが、どうもきな臭いな」

呻る三人の言葉を聞きながら、私も私なりで考えを巡らせてみた。私の店の周囲で起こっている事件。夜中の犯行。そして、毎回死体はどこか一部分を切断され、持ち去られている。女性の体に対して、異常な執着を見せる犯人…。頭の中で過る、赤葦様の数日前の言葉。


『強い劣等感を持っている女性の嫉妬が動機、とか?』


何故か私はその時、とある人物を頭に思い浮かべていた。今回殺されてしまった女性の、持ち去られた手。……どうして、私はこんな時に、あの人の事を…。大きな火傷の痕が残る、ある女性の手を、思い出しているのだろう。…まさか、まさかそんな筈はない。私は自分で自分にそう言い聞かせながら、一瞬感じた可能性を否定した。だって、あの子は一生懸命でとてもいい子で…。

「……どうした」
「……!」
「何か思い当たる節でもあったか」

北様の鋭い目が私を射抜いた。私があからさまに動揺したのを見て、何かに勘付いたのだと思ったのだろう。だが、私のこの勝手な憶測で人を振り回す訳にはいかない。証拠も確証も無いのに、その人を犯人扱いするような事を言ったら、彼らは徹底的に調べようとするだろう。勿論、黒尾様たちも。もしその人が無実だったら…、それこそ私がしたことは大変な過ちになってしまう。

「い、いえ……。なにも……」
「…………」

お世辞にも、上手い誤魔化しとは言えない嘘をついてしまった私だったが、三人は黙ったままそれ以上は何も言わなかった。ぎこちなく逸らした視線。横顔に、三人の鋭い視線が刺さっているのを感じる。私が何か知っているのでは無いかと疑っているのだ。こんなに分かりやすく動揺していれば、そう思うのも無理はない。

居心地の悪い沈黙の時間をやり過ごしていると、視界の端で何かが机に置かれたのが分かった。ちらりと横に目を向ける。そこには、北様の両隣から差し出された、二人分のチップ。驚いて彼らを見上げると、そのチップを出した本人…、侑様と治様が小さな笑みを浮かべたまま私を見下ろしていて。

「ご奉仕頼んでもええ?」
「な………、」

こんな状況で、何を言っているのだと流石に驚きを隠せない。北様も同じ様で、突然チップを出し始めた二人に振り返り、その眉を顰めている。北様の表情が崩れたのを見るのは、これが初めてだった。

「…いきなり何やお前ら」
「北さん、この女、こうやって毎晩黒尾たちに貢がれて可愛がって貰ってるんですよ」
「俺らもようお世話になってます」

黒尾様たちの関係を暴露されて、頬に熱が集まる。北様が信じられないと言った様子でこちらに視線を戻してきたので、目を合わせられなくて手元を見下ろした。はしたない女だと思われていそうだ。北様は、見るからに真面目そうで、そういった女遊びもしないような印象を勝手に抱いている。流石にこんなところでいつものご奉仕をする訳にもいかないし、北様も止めてくれるだろう、そう思っていた私だったが、俯いた先から聞こえてきた会話は、そんな期待を裏切るものであった。

「何か隠してるやろ。俺らが吐かせてもええですか、北さん」
「……乱暴はするなよ。程々にな」

そんな、と顔を上げると、北様と再び目が合って。有無を言わさない、その威圧的な雰囲気。さっき黒尾様たちと居た時にも感じた、この人独特のこの威圧感は一体何なのだろう。癖の強い宮兄弟を付き従えているのだから、相当な実力を持った人なのかもしれない。そう考えている間にも、気付けば侑様と治様は私を挟むようにして両隣に立っていて、椅子に座る私と目線を合わせるように屈む。

「さあ、どこまで我慢できるか、勝負やな」
「思ったこと吐けばやめたるわ」

二人の手が私の頬を撫で、耳に触れ、手を絡め取る。その擽ったい手付きにぎゅっと目を閉じて堪える。私の手を取る治様が、そのまま軽い接吻を指に落としてきたかと思うと、ぬるりと舌を這わせた後に咥え込んでしまった。生暖かい吐息が直に指に掛かる。熱い舌が蠢く感覚に、指先がどんどん麻痺していくようだ。侑様は侑様で、私の髪を耳に掛けた後、露わになった耳たぶに唇を寄せる。ふー、と軽く息を吹きかけて反応を楽しんだ後、そこに舌を這わせて治様と同じように咥えこんだ。

「ひ……っ!?」

言い様の無い、背筋が震えるような感覚に小さく悲鳴が漏れた。こんなところで、二人にこんな事をされるなんて。救いを求めるように前に座る北様の顔を見たが、北様はただ真っ直ぐ私たちの様子を見守っているだけ。その視線が恥ずかしくなって、私はまた俯いてぎゅっと目を閉じた。どこまで耐えたら、この行為は終わるのだろう。それとも、本当に私が全てを吐くまで永遠に続くのだろうか。

「……っ、や、やめてください……!」
「何や、意外に強情やな」
「その方がおもろいやん」

焦る私とは反対に、とても楽しそうな二人の声が聞こえる。指に這っていた治様の唇が手から離れ、同様に侑様の唇も耳から離れて行った。やっと解放された安堵に息を吐き、目を開いて前を見ると、いつの間にか目前には侑様と治様の顔。あまりの近さに息を呑んで固まっていると、侑様は私の唇に啄むような接吻をしてきた。治様は、首筋に何度も軽く口を押し当ててくる。決して解放された訳ではなかったんだ。この人たちは、本気で続けるつもりだ。私が知っている事を全て打ち明けるまでは、これがずっと続くんだ。

侑様の唇が、いよいよ私の唇に食らいつこうとした瞬間。

「い、言います!!言いますから!!」
「………何や、いいとこやったのに。もう終わりかい」
「まあ、賢明な判断やな」

ついに負けてしまった私は、三人を前にして白旗を上げた。敵わない、この人たちには。不本意ではあるが、ここはもう言うしかないだろう。北様は、いつまでもべったりと離れない侑様と治様に対して、顎で後ろを指しながら言う。

「戻れ、侑、治。いつまでも引っ付い取ったら、その人も話しにくいやろ」
「えー」
「言う事聞けんか?」

どうやら侑様も治様も、流石にこの北様に対しては逆らえないらしい。渋々と言った様子で私から離れると、先程までの定位置へと帰っていった。ようやく安堵した私は、先程頭に浮かんだ人物のことを、ぽつぽつと三人に告白し始めたのだった。

「…最近、私の店に新人の女給が入ってきたんです」
「女給?」
「はい。彼女は、全身に大きな火傷を負っています。先程北様が仰っていた、手首を切断されていたという話を聞いた時に…何かが引っかかったのです」

果たしてこれが、正しいのかどうか。それは今の段階では誰にも分からないが、この嫌な胸騒ぎは収まることを知らず、ずっと燻っている。1つ願うとするならば、どうかこの予感が外れていますように。そう思わずにはいられない。

「…黒尾様たちは言っていました。これは、男性の仕業じゃないかもしれないと」
「アイツらも俺らと同じこと思っとったんか。田舎者の癖に生意気な…」
「黒尾様たちを馬鹿にしないでください!」
「……自分、ほんま黒尾たちの話になるとムキになるよな」

田舎者、という単語を口にした侑様に対して思わず反射的に言葉を荒げてしまった。侑様も面食らったような表情を浮かべている。北様は何かを考え込むように顎に手を置いていた。

「可能性はあるな…。早速その女給に、」
「ま、待ってください北様…!」

勢いのままに椅子から立ち上がりながら、北様の言葉を遮った。私のこの行動がどれだけ失礼なことか百も承知した上で、それでも譲れなかった。その人は、その女給は、まだ短い時間ではあるが、色々と仕事の事を教えたり、一緒に働いたりした大切な仲間だ。私の中には、まだ信じたくない、きっと犯人じゃない、という想いや願いがある。ただの胸騒ぎで彼女を犯人だと決めつけるのは辛い。だからこそ、言い出した私がこの目で確かめたかった。この事件の犯人は一体誰なのか。そして、あの火傷の彼女は、何者なのか。

「……私に、調べさせてください」
「そんなんあかん。もし襲い掛かってきたらどうするんや」
「でも、彼女は私にとっては大切な仕事仲間なのです…。この目で、確かめたい。彼女が犯人じゃないと、信じたいのです…」

危ないから駄目だと断固反対する侑様と治様。その二人に挟まれて、北様は黙り込んだままでいた。何かを考えているように目を伏せて、組んだ手を額に押し当てている。無理を言っているのは分かっている。それでも、どうしても私は自分で調べたい。強い意思の宿った目で、北様を真っ直ぐ見つめた。北様はそんな私の目を見て、きっと止めても無駄だと悟ったのだろう。

「…分かった。なら俺たちは手を引こう」
「北さん!?」
「ほんまに言ってるんですか」
「どうせ言っても聞かん。ただ一人でやらせるのは危険や。黒尾たちにこの話を通しておく」
「はあ!?なんで黒尾なんかに……!」

思ってもいなかった北様からの提案に、私も侑様たちと同じく目を見開いていた。黒尾様に話しを通す、ということは、この件を黒尾様に託すのと同じこと。このまま私から聞いた話を自分たちの中だけに留めて、犯人を捕まえることが出来れば、彼らの手柄になったというのに。その意図が分からず呆然と見つめている内に、北様は椅子から立ち上がって、扉の方へと歩いて行く。未だに納得いっていない様子の宮二人を、北様は背中で宥めていた。

「黒尾たちに約束したからな。すぐ返すって」
「せやけど…っ、」

引き止めようとする侑様たちの手をすり抜けて、北様は扉を開けた。開けた扉の先には、壁に凭れながら待つ黒尾様の姿があって、私もハッとして立ち上がる。私のことを待っていてくれたんだ。ようやく開かれた扉に気付いた黒尾様は、北様を見つめながら姿勢を正していた。

「…先程は俺の部下が申し訳ありません」
「気にしとらんよ。それより、大事な預かりモン、ちゃんと返したで」
「……ご苦労様です」

北様はそれだけ告げて、後ろにいる侑様と治様に「行くで」と声をかけた。ムッと眉を寄せて不機嫌そうな侑様の背中を叩き、治様が黒尾様の前を通り過ぎていく。最後まで残った侑様は、すれ違い様に黒尾様に耳打ちをした。

「…感謝せえよ。これが俺たちやなかったら、こってり絞られとったで」

何も言葉を返さず前を見据えたままの黒尾様を一睨みしてから、侑様は乱暴にポケットに手を突っ込んでその場から歩いて去って行った。残された私が、ゆっくりと彼に近づいて行く。数時間しか離れていない筈なのに、何だかとても懐かしくて、恋しく感じた。

「黒尾様…、待っててくれていたのですね…」
「当たり前だろ。…送ってく」

握り取られた手は、すっかり冷えている。この寒い廊下でずっと待ってたんだ、きっと体は芯まで冷えている事だろう。私の腕を引いて前を歩く黒尾様に駆け寄ると、私はその大きな背中にそっと抱き付いた。驚いてぴたりと止まる足に、ぎゅう、と前に回した手に力を籠める。少しでも彼の冷たい体が温かくなるように。

「…黒尾様、会いたかったです」
「………俺も」

そっと重ねられた、黒尾様の冷たい手と、私の温かい手。どうか私のこの温かさが、黒尾様に伝わりますように。その愛しい背中の温もりに身を預けながら、彼は決意していた。必ず俺たちが犯人を捕まえると。

この事件の犯人。その正体が分かる時は、すぐそこまで迫ってきていた。