珈琲よりも君を

黒尾様には部下がいる。彼は伍長という階級についていて、分隊の隊長的な役割を担っていた。そんな黒尾様の部下を務める兵が4人。その内の一人、赤葦様は、部下の中でも上等兵という一番高い階級に属し、副隊長的な立場として、黒尾様をサポートしていると聞いた。今晩は、そんな赤葦様が一人で来店なさり、いつもの珈琲を頼んでいた。

「今日も訓練だったんですか?」
「うん。寒くて手がかじかんじゃって」
「それは…大変でしたね…。珈琲を飲んで温まって下さい」

温かい珈琲を差し出す。すると赤葦様は、私のその手をぎゅっと掴んだ。伝わってくる冷たさ。この店に来るまで、寒空の下を歩いてきたからだろう。じわじわと私の熱をも奪っていく。しかしその手とは反対に、赤葦様の目には熱が篭っていて。私を真っ直ぐ捉えて離さない。

「暖めてくれない?」
「ど、どうやって…」
「分かってる癖に」

珈琲じゃ足りない、なんて言いながら、赤葦様は懐からチップを取り出した。別にこうして私の奉仕を買われることは初めてじゃないのに、いつも顔が熱くなってしまう。意地悪く笑う赤葦様は、こうして二人きりの時だけ悪戯好きの年相応の男性に戻るのだった。

積まれたチップを手に取り、おずおずと赤葦様に向かって腕を広げた。抱擁を求めるその行為を汲み取った赤葦様は、座っていたカウンター席から立ち上がり、ぎゅっと私を抱き寄せる。黒尾様たちといる時は、あまり自己主張をしない、どちらかというと後ろにいてみんなを抑える役目を担う物静かな方なのに。こういう時の赤葦様は少しだけ強引で、男を感じてしまう。勿論男性なのだから当たり前ではあるんだけど、普段見せている姿と今の姿の違いに、どうも心乱されるのだ。

「匂いがする」
「え、匂いますか?今日は1日働いてたので、珈琲や料理の匂いが染み付いてるかも…」
「そういうのじゃなくて」
「え…?」
「名無しの匂い」

自分の匂いなんて自分では分からないので、赤葦様にそう言われてもイマイチぴんと来ない。首を傾げる私を他所に、赤葦様は肩に顔を埋めてクンクンと匂いをかいでいる。そんな風にあからさまに確認されると恥ずかしくて、胸板を押し返しながら体を離そうとした瞬間だった。

するりと私の腰に結ばれていたエプロンのリボンが解かれ、着ていた着物の合わせ目から赤葦様の冷たい手が入ってきたのだ。そのヒンヤリとした感触に思わず小さな悲鳴が漏れ、ぶるりと体が震えた。あまりにも冷たいその手に驚いて、赤葦様の顔を見る。彼は相変わらず平然としていて、その表情はいつもと変わらなかった。

「なに。随分不満げな顔だね」
「あ、当たり前です!どこに手を入れてるんですか!」
「さっき言ったでしょ、暖めてって。手、冷たいから」
「私は湯たんぽじゃありません!」

そうなんだ初めて知った、と笑う赤葦様。からかって楽しんでるんだ。優しいけどもこういう所は意地悪である。胸までは行かずとも、その上辺り…鎖骨から膨らみ始める部分に掛けて置かれている赤葦様の手は、私の体温を吸い取ってゆっくり温かくなっていく。同時に、私も余りの恥ずかしさにどんどん体が熱くなっていった。心臓は煩いほどに騒いでいて、この音が赤葦様にバレてしまうのではないかと心配になる。真っ直ぐこちらを見て徐々に顔を近づけてくる赤葦様。私は、それに気付かないフリをして、誤魔化すように珈琲に視線を移したのだった。

「こ、珈琲…!」
「名無し」
「珈琲冷めますよ赤葦様!」
「いいよ、冷めても美味しいから」
「あ、赤葦様、でも…!」
「こっち見て、名無し」

もう、逃げられなかった。顎に優しく添えられた手が、強制的に私の顔を振り向かせる。再び絡み合う私の視線と、赤葦様の視線。そして近付く、彼の整った顔。ちゅ、と短く吸い付かれてすぐに離れた唇は、いつまで経っても熱いままだった。目を合わせていられなくて、彼の胸元に顔を埋めた。

「この間、黒尾さんが来たでしょ」
「…!なんで知って……」
「その日帰って来た黒尾さん、ご機嫌だったし。意外と分かりやすいんだよあの人」
「そ、そうなんだ………」
「黒尾さんにはどんなご奉仕したの」

どんなって…、と呟きながら、この間黒尾様が来店した時のことを思い出す。膝の上に乗って、話して…、とそこまで思い出した後、黒尾様と何度も交わした口付けのことまで蘇ってきて、更に顔が赤くなる。赤葦様はそんな私を見て色々と察したのだろう。どこか不満げな表情で私を見下ろしていた。

「その反応を見る限り…特別なご奉仕をしたことは間違いなさそうだね」
「え!?いや、その……別に、そんな如何わしい事は…」
「なら俺にもできるよね」

ばん!と机に叩きつけられたチップ。どうやら追加料金をお支払い頂けるようだ。むっと眉間に皺を寄せた赤葦様は、私を睨むように見つめている。きっとこれは、私が黒尾様とした事を彼ともしない限り、解放しては貰えないのだろう。余裕ありそうなフリをして、意外とヤキモチ妬きな彼には困ったものだ。私はその頬に手を添えて、何度も何度も唇を重ねた。ちゅっ、ちゅっ、と軽く繰り返されるそれ。恥ずかしくて死にそうだけど、こうしないといつまでも赤葦様に睨まれることになる。彼の執念深さは既に熟知していた。

やがて、物足りなくなった赤葦様が、私の後頭部を掴む。ぐいと深まる口付けと、その力強さにくぐもった声が漏れた。黒尾様よりタチが悪いじゃないか、と心の中で文句を垂れつつ、でも拒まない私も結局は同じかと、そのまま身を委ねていた。

「後いくら積んだら貴女は俺のものになってくれるの」
「な、何を言ってるんですか赤葦様。ご冗談はやめてください」
「……まあ、今はそのご冗談とやらで済ませてあげるよ」
「………もう」

でも、いつか必ず、そう遠くない内に。必ず俺は貴女を勝ち取りますよ、アイツらから。

そう笑う彼の顔は、いつも以上に生き生きとしていた。